第198話 血(3)

「・・主治医の先生から伺いました。 息子さんが検査を受けてくださって・・それが適合したってこと、」


奈保子は萌香に言った。


「はい。 彼もいろいろ悩んだようですが。」


「でも、提供者が自分であることを先生には言わないで欲しいと言われたと、」


「ええ。 それも彼が悩んで出した結論ですので。 どうか、その気持ちを汲んであげていただけますか、」


萌香は静かにそう言った。


「そう・・ですか。」


彼女は少し残念そうにうつむいた。



「・・先生は息子さんのことはほとんど話してくれなかったんですが。 一度だけ・・」


奈保子は記憶を蘇らせた。


「お酒を飲んで酔っていたときにポツリと言ったことがあって。」


「え?」


「『おれは子供をどう愛したらいいかわからない。』と、」


萌香を見た。



少しドキンとした。


「先生も自分のお父さまから、暴力を受けて育ったようです。」


「え、」


萌香は絶句した。


「・・先生のお父さまは国会議員も勤められたほど、立派な方で。 戦前から日本の音楽界にリードした方だったそうです。 でも・・家庭では別人のように暴君で。 先生はそんなお父さまから逃げるように中学を卒業してすぐに留学でパリへと行ったらしいんですが。 本当に先生は自分のことをあまりお話にならないので。 たまにそうやってお酒を飲んだときにぽつりぽつりと話してくださる程度で、」


奈保子はうつむいた。



彼の


父親もまた


親からの暴力を受けて育った。



萌香はその事実に驚いた。


恐らく斯波でさえ知らない事実であろう。


「だから。 自分の子供ができても、どうやって愛したらいいかわからないって。 何度も、何度も・・同じ話を。」


彼の父親と話したことはただ一度しかなかったが


すごく


氷のように冷たい印象で。


能面のように表情が変わらない人だと思っていた。



「息子さんのことも、たぶん、どうしていいのかわからないと思うんです。 今回のことだって、私が息子さんに検査を受けて貰えるように頼んで欲しいって何度も言ったんですが。 どうしても承知されなくて。 しかも、私にも自分の病気のことを息子さんには言わないで欲しい、と。」




自分の命がかかっているのに


それでも尚、


彼に頼ろうとしなかった



萌香は斯波の父の気持ちが


痛いほど


わかる気がした。




母も。


あんなに具合が悪かったのに


自分には一言も助けを求めなかった。



あの時


不思議な


不思議すぎる胸騒ぎで母の元を訪ねなかったら


どうなっていたかわからない。


あんなに憎かった母なのに


病気を患った母は


ものすごく小さく見えた。



私しか


いないのにって



素直にそう思えた。



知らないうちに涙が頬を伝わっていた。



「栗栖さん・・?」


奈保子は怪訝な顔をした。


「す・・すみません。」


萌香は慌てて涙を拭った。


「自分からの提供であると彼が・・言える日まで。 私は静かに待っていたいんです。 ほんと・・繊細な人なので。」


そう言う萌香に奈保子は


「清四郎さんのことを・・本当にわかっていらっしゃるんですね。」


ふと微笑んだ。



私たちは


前世は一人だったんじゃないかって


思えるくらい


気持ちが


シンクロして止まらない。


あなたの寂しさや


やるせなさが


まるで自分のことのように


伝わってくる。


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