第185話 疼き(3)

「・・私。 子供が・・欲しくて、」



萌香は涙を拭きながら、志藤に思いをぶつけた。



「・・こども?」


「自分でも。 この気持ちにはびっくりしてしまって。 この間、彼のお母さんから電話があって、妊娠がわかった時、どう思ったかって聞いたんです。 そうしたら。 お義父さまのことをすごく尊敬していて、この人の子供をのこしたいって思ったって。 その話を聞いたとき、言い様がないくらい、胸がいっぱいになってしまって。 私も・・彼の子供が欲しいって、猛烈にそう思ってしまって。」



志藤は彼女の話を黙って聞いていた。



「・・そんなことを考えているなんてことを彼に知られたら。 結婚してほしいって言っているようなものだし。 私は結婚なんか望んでいるわけではないのに。 今のままで幸せなのにって思うんですけど、」



萌香はまだこみ上げる涙を抑えきれない。



「・・そんなん。 当然やん、」



志藤はタバコを灰皿に押し付けた。


「え・・」



「愛してる男の子供が欲しいって思うのは。 女として当然やと思うで、」


志藤は落ち着いた声でそう言った。


「今のままでも幸せやって・・それはそうなんやけど。 女性の本能として、そう思うやろ。 栗栖は悪くない、」


「本部長・・」


萌香は涙をいっぱいためた瞳で彼を見た。



「斯波がな、結婚に踏み切れない理由は・・ぼんやりとやけど、何となくわかる。 本人だってもちろんわかってると思う。 おまえらも一緒に棲むようになって・・4年か。 普通に考えたらそろそろ区切りをつけたほうがええんとちゃうかーって思うけど。 そう人が言うほど簡単なことやないし、」


「・・彼の心の傷は深いです。 他人ではわからないほど。 ご両親の不幸を見て、自分がこの世に生まれてきた意味もわからず。 ものすごく悩んでずっと生きてきたんやと思います。そんな彼の気持ちは痛いほどわかるので。 私はそっと見守っていきたい・・」



健気なことを言う彼女が


本当に


かわいそうで


かわいくて。


「大丈夫。 『その日』がいつ来るかはわからへんけど。 斯波はおまえしか考えてへんから。 大事にしたいのはおまえしかいないと思う。」



精一杯の


慰めを口にすることしかできなかった。



なんとか


してやりたい。


志藤は心からそう思ったが、こればかりは二人の間に口を挟むわけには行かない。




真尋が長い休養に入り、事業部はそれと共に落ち着いた空気に包まれた。


斯波も真尋関係の仕事になると、いろんな面で忙しくなるのでホッと一息だった。


7時ごろに仕事を終えて帰ろうとする彼に、


「あ、斯波。 ちょっとメシ、行かない?」


志藤は声をかけた。


「え・・。」


萌香の様子がおかしくて、気になっていたので早く帰りたかったが。


「ちょっとだけやから。 おまえ飲まないし、そんなにかからへんやろ。」


志藤はニッコリと笑いかけた。




何か


話でもあるのかな?


斯波はとりあえず彼と出かけたが、何となく顔色を伺ってしまった。


志藤は娘が小学校で書いてきた作文のことだとか、八神がまたアホな発言をして、だとか


どうでもいいことをしゃべっていた。



そして


ふと


話が途切れた時、




「・・おまえ、結婚とか考えてへんの?」


いきなり切り出された。


「え・・」


斯波は彼を見た。


「・・もう一緒に棲んで4年やし。 おまえも37になるし。」


「いえ・・まだ、そういうことは、」


だいたいそういう答えが返って来ることはわかっていたので、それに頷いて、


「栗栖は、なんも言わないの?」


と聞いてみた。


「・・いえ。 特に。」


なんだか怒られている子供のようにうな垂れた。



「まあ、そんなに頑なになるなって。 別におれは責めてるわけやないねんから。」


志藤は笑って彼の背中を叩いた。



「でも。 ほんと・・彼女、そういうこと何も言わないから・・。 もうすぐ30だし、女としては複雑なのかなあと思ったり。」



斯波はそう言いながら、彼女の気持ちをふと思う。


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