第142話 ロンドン(3)

しかも


志藤の命令で


斯波と真尋はツインの部屋で予約を取らされた。



一度


玉田とパリに仕事で行った時、真尋が内側から鍵を掛け、眠りこけて。


電話をガンガン鳴らしても起きず。


ホテルの人に事情を話して何とか開けてもらったものの


仕事に遅刻するという、大失態を犯してしまった。


それから


海外のホテルに滞在する時は


真尋を絶対に一人部屋にしない、という暗黙の了承がなされた。



「・・も~、ほんっとうるさいしさあ。 タマちゃんや八神と違って、言うこと聞いてくんないし~。 あ~、この部屋にも、なんか二人で泊めさせられて! むっさいったら・・」


斯波がシャワーを浴びて出てくると、真尋がベッドに隠れるように電話をしている。



「なんとかさあ、子供たち頼んで絵梨沙も来れないの~?」



どうやら


絵梨沙にグチの電話をしているようだった。


「斯波っちと二人でどーやって過ごせばいいんだよ、も~。 息がつまる・・」


と言った時、背後に怖い顔で頭をタオルで拭きながら立つ斯波に気づき、


「わっ!!」


びっくりして固まった。



「・・こっちだって! おまえなんかと二人で1ヶ月もひとつの部屋で過ごすのなんかまっぴらなんだからなっ!」


もう言ってやらなくては気がすまなかった。



真尋は慌てて


「あ・・ごめん。 なんか怖いオッサンがさあ。 え? もー、なんか知らないけど! うん、じゃあ。 また電話するし。 うん・・え? バカだな~。 わかってるって。 おれだってさあ、絵梨沙が早く一緒に来られるようになればいいなあって・・。」



電話に戻った後は


甘い会話で。



はああああ。


斯波は隣のベッドにゴロっと横たわった。


萌香には持ってきた小さいモバイルからメールをしている。



彼女と一緒に暮らすようになってから


こんなに長い出張は初めてだった。



会いたくて・・



こんなに家に帰りたいと


思ったことは


人生初めてかもしれない。




翌日は


ロンドンから少し離れたオックスフォードで、音楽祭がありそこで演奏できることになった。


わりとフランクなイベントで、クラシックだけではなくロック歌手なんかも出演していた。


「やっぱ堅苦しいトコじゃないほうがいいよね~。」


と言うことで


真尋はこの日は白のカッターシャツに黒の革のパンツといういでたちだった。


この場で彼が選んだ曲は


なんと


古典も古典


バッハの『パルテイータ第1番 アルマンド』


ちょっと冒険のような気もしたが、彼がピアノを弾き始めると


一瞬、会場がシンと水を打ったように静まる。



斯波は舞台袖で腕組みをしながらジッと見ていた。



実は


真尋のバッハを聴くのは初めてだった。


こういう古典は


あまり得意ではなく。


今までのライブでも弾くことはなかった。


その得意でないはずのバッハだったが


それは今までに聴いたことのないような


バッハになっていた。



真尋のピアノは一瞬のうちに会場を飲み込み


この


名も知らないだろう東洋人のピアノに


観客たちは息を呑む。




すっげえなあ・・


コイツは。



斯波は今さらながら


彼の才能に


ため息しかでなかった。


2曲目のリストのコンソレーションも


どうしてこんなに


心を震わせることができるのか。



もう、こりごりだ、と思えた二人の旅も


今だけは


それも悪くない、と思えてしまうから不思議だった。


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