第141話 ロンドン(2)

その日は


とりあえず牛丼は無理だったが


二人は外に食事に出た。


「やっぱメシは日本に限るよな~。」


真尋は文句を言いながらもすごい勢いで食べ始めたので


斯波は呆気に取られて彼を見てしまった。



「また・・騙された、」


斯波はため息をついた。


「え?」


真尋は顔を上げる。


「おまえがほんとはこの仕事請けたくなかったんじゃないかって・・ちょっと心配してたのに、」


「え? おれが? なんで?」


真尋は口をナプキンで拭った。


「なんでって。 こっち来る前に、この曲のエピソード聞いちゃったし。」



「・・ああ、『皇帝』のこと?」



真尋はふっと笑った。



「・・まあね~。 ほんっとトラウマってあるんだなーって。 今でもこの曲を聴くとなんか具合悪くなっちゃって。 そんくらいめっちゃくちゃ、厳しく仕込まれたし。」



笑顔で話す真尋は


絵梨沙が話してくれた悲壮感漂う話とは


結びつかない気がした。




「1ヶ月で8kgくらい痩せちゃって! 頭もボーズにしちゃったし、修行僧みたくなっちゃってさあ。 南ちゃんたちもすっごい心配しちゃって、」



なんか


笑っていいものか




「まあ、どう考えても。 あの公演がなかったらおれは、まだまだ海外で演奏活動なんかできなかったって。」


真尋はスプーンを置いて言った。


「『シェーンベルグ最期の弟子』って、看板を先生は遺してくれたから。」


「え・・」


斯波はグラスの水を飲もうとしたが、手を止めた。



「おれがコンクールで大した成績も残せなかったこと。 ジイさん、わかってたし。 だけど、最後におれにその看板を遺してくれた。 その看板のおかげでどんだけ仕事が来たか。 ジイさんは、おれに命をくれたんだって・・そう思ってるから、」


真尋はまた猛獣のようにバクバクと食べ始めた。




死ぬほど


苦しくて


つらくて


悩んだりしたんだろうな・・


コイツが。



斯波はそんな真尋の姿をジッと見た。


「ま、そんなわけだから今回はそんな練習しなくっても手が勝手に動くって、」


真尋はそう言っていたずらっぽく笑った。


「・・他にも仕事はあるんだぞ、」


斯波はいつもの調子で彼にそう言った。



スタートは


何となく余裕だった。


しかし


斯波は何となく


『真尋番』を買って出てしまった自分を


激しく後悔し始めた。



ホテルからスタジオまでは徒歩10分。


真尋は日本でもそうなのだが


家にも立派な練習室があるにもかかわらず、スタジオで練習することがほとんどだった。


そこで


好きなときにピアノを弾き、好きなときにモノを食べ。


好きなときにマンガを読んで、好きなときにDVD(時にはAVを)見て。


そして


好きなときに寝る。


それがここでも繰り返された。




「だからっ!! ここは日本じゃねーんだからっ! 冬のロンドンだぞ!? そこいら辺で寝るな!」


斯波はホテルに戻ってこない真尋を心配してスタジオに来てみると、ソファにそのまんま転がって寝ていた。



「あ・・?」


その声で目を覚ます。


「ちょっとウトウトしてただけだよ。うるせーなあ・・」


とまた目を閉じてしまう。


「寝るならホテルに帰って寝ろ!」


斯波は彼を揺り起こした。


「まだ弾くから、」


「じゃあ、起きて弾け!」


どうにもならない会話が続く。



まったく・・


いつも玉田や八神は


こんなことまで面倒見てるのか!



斯波は今さらながらあきれ果てた。


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