1DKのアザレアガーデン

平子 一

僕と彼女と雨と月

僕は夢を見ない。

見たとしても覚えていない。


朝日が起き抜けの顔を照らす。

眩しさに目を細めながら時計を確認すると朝の6時を少し回ったところだった。

「うぅん…」

隣で寝ている優莉ゆうりが寝返りを打つ。

出社時間までまだ時間がある。もう少し寝させてやろうと思い、彼女を起こさないよう静かに布団から出てキッチンへ向かった。

コーヒー豆を取り出しミルにかけ、フィルタをドリッパーにセットする。

コーヒー豆を入れたドリッパーにお湯を注ぐと心地の良い香りがした。

静かな朝だ。

コーヒーの苦みで頭が冴えるのを感じつつ何となく物思いにふけっていると、ユウが寝ぼけ眼でキッチンに入ってきた。

「ごめん、優莉。起こしちゃった?」

彼女は横に首を振る。

「ううん。なんだかいい匂いがしたから。私にもちょうだい。」

ユウにもコーヒーを淹れて手渡す。

「ちょっと早いけど朝御飯を作ろうか。」

椅子に腰かけてくつろいでいる様子の彼女に尋ねると、

「そうだね。私も手伝うよ。まだ家を出るまで時間があるし。」

と少し笑って答えた。


二人で久しぶりに作った朝食は目玉焼きにトースト、コーンポタージュのスープ。優莉が目玉焼きを作ると言って聞かなかったので、僕はトースターにパンを入れてインスタントのスープを溶かすだけだった。

「いつも充輝みつきが全部一人でやってくれてるから、たまにはね。」

そう言う彼女の顔はにこやかだ。僕もつられて笑顔になる。こうして朝の時間を彼女とゆっくり過ごせるのは実際嬉しかった。

しばらく何気ない話をしていると、彼女が思い出したように

「あ、そうだ。今日は遅くなるから晩御飯は作らなくていいからね。」

とつぶやく。

「じゃあ、駅まで迎えに行くよ。出社する時間に連絡して。」

「別に気にしなくていいのに…。」

優莉は少し拗ねたような顔をする。子ども扱いされたと思ったのが心外だったらしい。

「僕が心配なんだよ。夜道は危ないし、迎えに行かせてよ。」

そう頼み込むように言うと、

「仕方ないなあ。じゃあ迎えに来させてあげる。」

と彼女は意地悪そうに笑った。

優莉のコロコロ変わる表情は見ていて飽きない。たとえ無表情でも飽きる気がしないけれど。


身支度を整えた優莉を送り出し、僕は家事に取り掛かる。

まずは洗濯。優莉は夜のうちに洗濯を済ませてしまうため、洗うのは僕の洗濯物だけだった。

洗濯機を回している間に洗い物をし、穏やかな朝食の残り香を洗い流した。

続いて掃除を済ませる。といっても毎日の日課になっているから軽く掃除機をかける程度だ。

そうしている間に洗濯の完了を告げる機械音が聞こえた。洗濯物を取り出しベランダに干す。

雲一つない…とはいかないが、温かい陽気を感じる。この調子だと昼過ぎには取り込めるだろう。

雨が降りそうになかったので寝室の布団も干してしまった。これで朝の家事は完了。仕事に取り掛かることにする。


スマートフォンで仕事の連絡が来ていないか確認すると、一件通知が入っていた。どうやら昨夜送ったラフが通ったらしい。ほっと胸を撫で下ろし次の作業へ取り掛かる。

僕の仕事はイラストレーターだと言うと大抵の人は漫画絵だと思うようだが、僕はあまりそちらに明るくない。そういうものも勉強すればもっと仕事が入ると依頼主に言われることもあるが、あいにく仕事は足りている。なによりこれ以上仕事を増やして優莉との時間を減らすのが嫌だった。


しばらく作業をしていると空腹感を感じた。パソコンの時計を見ると14時すぎになっている。

コンビニまで買い出しに行き、少し遅めの昼食を済ませた後で朝干した自分の洗濯物と昨夜から干されていた優莉の洗濯物、それと布団を取り込んだ。思った通り洗濯物は乾ききっており、布団からもいい匂いがした。

洗濯物をタンスにしまい布団を寝室に運び込んで、作業を再開する。今日は優莉が遅くなるから、それまでにキリのいいところまで作業を済ませてしまうことを目標にしよう。


日もとっぷり暮れ、優莉からの連絡が来たので作業を中断しコートを羽織って玄関を出ると外は雨が降っていた。朝は晴れていたので当然彼女は傘を持っていっていない。傘を二本手に下げ駅へ向かった。

駅へ着くと優莉が手を振りながらこちらへ向かって走ってくる。

「これ。今日傘持っていってなかっただろ?」

そう言い傘を1本渡そうとすると彼女に2本とも取られてしまった。

1本だけ傘を開きこちらに差し出す。そういうことか。

「まったく…気が利かないんだから。」

少しむくれた顔で優莉がつぶやく。その顔がかわいらしくて思わず顔がにやけてしまい彼女に軽く殴られた。お詫びに、というわけではないけれど腕を差し出す。

「行こうか。」

優莉はうなずくと腕に飛びついてきた。身を寄せ合いながら1本の傘の下、雨の中ゆっくりと家路を歩いていく。

「今日の仕事はどうだった?」

遅くなった、ということは納期が近いのだろう。

ゲーム会社会社のデザイナーというのはイラストレーターに似ているようでまるで別物だ。絵を描くという一点においては同じだが、彼女の仕事の場合はまずプランナーが企画を通し、その企画に沿って作品を作品させなくてはならない。仕様の変更もしょっちゅうだ。そうした中で定められた納期を守らなくてはならなかった。

「うーん、何とも言えないかな…また仕様が変更になっちゃって、何日か遅くなる日が続くかも。」

優莉の勤めている会社の社員は彼女を含めて20人。よくその人数で回せるものだなと素直に感心する。

「そっか。じゃあしばらくはこうして迎えに来るよ。」

「なんか悪いなあ…充輝も仕事忙しいんじゃない?」

実際のところ、請けている3本のうち1本のラフが通るのに少し手間取ってしまい進捗はあまり芳しくなかった。

「まあね。でも優莉と一緒にいる時間の方が大切だから。」

これは本心だった。専門学校に進学し今の仕事に就いたのも彼女とより長い時間一緒にいるためだ。

「そ、そういうことあんまり外で言わないでよ。」

優莉は顔を真っ赤にしてうつむく。本当に分かりやすい。

「でも」

彼女の唇が言葉を紡ぐ。

「こうして一緒に夜道を歩くのはいいかもね。」

僕も全く同意見だった。

「明日は晴れるといいなあ。そしたら一緒に月を見ようよ。」

無邪気な顔で優莉は笑う。その屈託のない表情に思わず抱きしめたくなったけど片手は傘で塞がっていて使えないし、なによりまた彼女に「外でそういうことするな」と怒られそうだったのでこう答えた。

「きっと晴れるよ。」


僕は夢を見ない。

見たとしても覚えていない。

目を覚ませば隣に君がいる。

それがどんな夢よりも尊いことだから。

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