第194話 明日

 

「最初は硝子の器を」


 ベルキエルさんの腕が指揮をとるように揺れる。そうすれば首から下げた小瓶が輝き、硝子片のらず君が宙へと浮いていった。


 それは順に合わさり、ハートの形を模していく。


 臆病で、直ぐに涙が流れて、それでも私達を支え続けてくれた子。撫でれば幸せそうに笑ってくれて、最後には言葉をくれたパートナー。


「次に理性の緋色を」


 ひぃちゃんの体が私の腕から離れていく。片翼が傷ついて、最後に飛ばせてあげることが出来なかったお姉さん。彼女は幸せそうに笑って、私の頬を尾で撫でてくれた。


「氷雨さんなら何処へでも飛べます。何処へでも行けます。私は貴方の翼であれたことを誇りに思う。だからどうか、無理だけはしないで……大好きな氷雨さん」


 あぁ、違うよひぃちゃん。貴方を誇りに思うのは私の方だ。


「私もだよひぃちゃん。貴方が私の翼で本当に良かった。貴方に出会えて良かった。沢山助けてくれてありがとう……大好き」


 滲んだ視界で笑っていよう。ひぃちゃんも一筋だけ涙を零して、その姿が崩れていく。


 目を閉じて翼は無くなり、柔らかな緋色の液体に戻る私のドラゴン。頼れるお姉さん。繊細なのに我慢強くて、心配性なのに凛として、私の為に泣いてくれたパートナー。


 彼女はガラスのハートの中に入り込んで波打った。


「最後に我慢のヒビを」


 りず君が私の腕から浮いていく。彼は足をばたつかせながら元気な声をくれた。


「氷雨! お前は十分頑張ってる! だからこれ以上俺を増やすんじゃねぇぞ! お前は強くないッ、だから頼ることを恥じるな!」


 元気な声はいつも私の言葉を代弁してくれた。一番素直で、一番やんちゃな針鼠。最後でも君の言葉は私を楽にしてくれる。決して怒っているのではない。心配して叱ってくれる、その言葉。


「うん、うん、分かった。りず君、私の刃。私を守り続けてくれて、りず君がいてくれて、本当に良かった……ありがとう……大好き」


 笑え、笑え氷雨、泣くな、最後に泣くな。


 りず君の形が崩れていく。彼は最後の最後に息を吸うと、やっぱり強く、私を叱ってくれた。


「泣いていいぞ、泣き虫!! 大好きだ氷雨!!」


 そう言って。


 細く深いヒビとして、硝子に刻み込まれたりず君。


 そのヒビから溢れる緋色の液体。傷ついて、痛々しくて、それでも大事な私の心。


 私の両目からは一粒ずつ涙が零れて、それでも笑っていたのだ。


「君には補助の祝福を」


 ベルキエルさんが硝子のハートを私の中に戻してくれる。鳩尾に埋まって消えていく。


 それが溶けきって、私は両手を握り締めた。


「おかえり……おやすみ、りず君、らず君、ひぃちゃん」


 私の大事な友達。


 支えて、飛んで、戦って、守って、叱って、笑って、慰めて。


 私を愛してくれた、心獣達。


 自分の心だから欲しい言葉をくれていただなんて言わないよ。それは君達に対する冒涜になってしまうから。


 愛しくて止まない三人へ。


 どうか、これからもよろしくね。


 想った私は鳩尾を少しだけ撫でていた。


「これで、アミーが残したものは全て消えてしまったか」


 ベルキエルさんの呟きを拾う。私は顔を上げて、戻ってくる時沼さん達を確認していた。


「……逝くのが早すぎる。教育係より先にいなくなる奴があるか、馬鹿」


 ベルキエルさんが兄さんの肩を叩いて、私の頭を下を向かせる力で撫でくれる。それに慌てて顔を上げたが、それでは遅かった。


 そこに既にベルキエルさんはいなかったから。


 足音も残さずに消えてしまったから。


 私はそれを理解して呼吸を整え、兄さんの声を聞いた。


「無理はするなよ」


 低い声。その声を今までは怖いと感じていたのに、アルフヘイムで戦って話をすれば、怖いだなんて微塵も思わなくなったよ。


「兄さんもね」


 笑えてしまう。そうすれば兄さんも笑って、彼は歩き出していた。


「わーん! 白玉いなくなっちゃったよ~!」


「最後に挨拶、出来ませんでしたね」


「……良い狼だったっす」


 闇雲さんと時沼さんと肩を組んで、笑っているのに泣いている屍さん。


 彼女は元気なように見えるけど、溢れている涙がそうではないのだと教えてくれる。


 兄さんは三人に近づいて、屍さんの頭を両手で撫でてあげていた。それに屍さんは笑えなくなったのか、兄さんを殴りつつ縋っている。それを兄さんは突き放すことはなく、時沼さんと闇雲さんの頭も撫でてあげていた。


 どこでもお兄ちゃんをやっているのだな、彼は。そう知って笑えてくる。


「メシア!」


「泣語さん」


 私のすぐ近くに転移して来られた泣語さん。彼の兵士さんは直ぐに消えてしまい、灰色の彼は真っ赤な目で笑ってくれた。


 貴方には、言いきれない程の「ありがとう」を伝えなくては。


 思ったのに、先に両手を勢いよく握られた。固く固く、振りほどくとか考えることも出来ない力で。


「この三週間、貴方のことが心配だった癖に連絡する勇気すらなかった俺をお許しください!! 貴方から来たメッセージはバックアップを三箇所にとって永久保存致します!! あぁそれにも返事を出来なかったのはどんな文言を送っても俺の気持ちが伝わらない気がしたからであって、今日だってそうです!! 貴方の危機に間に合わず結局全て任せきりにしてしまい、今日という結果が生まれたのもメシアの心掛けのお陰!! あぁ、愛しい俺のメシア!! 俺だけの救世主! また貴方は俺を救って俺の明日を喜び俺はその感動に浸ってしまって、どうかお許しください!!」


 ……ひぇ


 変な声が出そうになって、顔に笑みが張り付いてしまう。止めどなく続く泣語さんの賛美は過大的であり、今日も今日とて絶好調のようだ。良かった。いや良いのか? まぁ良いか。


「な、泣語さん、ぁの、貴方が謝罪されるようなことは何もないと言いますか、今までご協力くださったことが本当に嬉しいので、私の方こそ謝らないといけないと言いますか……」


「いいえメシア! 貴方が謝ることなど何も!! 全ては俺がしたくてしたこと! そしてこれからも俺は貴方を見守ってッ!!」


「うるせぇ黙れ屑が」


 瞬間、泣語さんの側頭部に蹴りが入る。その勢いに私は肩を引き攣らせ、体が揺れた泣語さんの手はそれでも外れることはなかった。接着剤はついていない筈。


 蹴りを入れたのは我が兄。彼の眉間には深い皺が寄り、私は唖然としてしまった。


「氷雨、こいつと付き合うのやめろって言った筈だぞ」


「すみませんお兄様、俺とメシアはまだお付き合いの段階には至っていないわけでして!!」


「その付き合いなわけねぇだろボケ」


 兄さんの拳が体勢を立て直した泣語さんの脳天に直撃する。酷い音を立てて。


 思わず口を結んでしまい、とうとう泣語さんの手が離れていった。それに少し安堵してしまえば、屍さんに勢いよく肩を組まれたのだ。


「やっだ楽しいことしてるぅ!」


 いや、断じて楽しくはないかと。


 泣語さんの顎を蹴り上げた兄さんを見て、明後日の方に視線を向けてしまう。


 屍さん、確かに泣語さんは私に「愛してる」とか「愛しの」と言う言葉をくれますが、それは信仰的なものであるというか。まず泣語さんには私に対する幻想をそろそろ壊してもらいたいと言いますか。


 どこからどう着手すればこの場が収まるのか分からず唸ってしまう。そんな私の肩を叩いてくれたのは時沼さんだった。


 屍さんの笑い声が響く。


「氷雨ちゃんとお似合いなのは断然、相良っちの方だよねー! 音央っちと帳っちには悪いけど!!」


「ぃ、出雲さんッ!!」


「うわぁ……」


 茶化し方がエグい。


 急に引き合いに出された時沼さんは物凄く慌てており、本当に申し訳なくなってくるのだ。


 ごめんなさい、変な流れを作っていたのはきっと私だ。競争が終わった開放感で恋愛話か。私を中心にしても何の面白味もないだろうに。気のない返事をしてしまう。


「あれー、氷雨ちゃん乗り気じゃないにゃー」


 再び屍さんに茶化される。


 誰も乗れませんって、そんな天地がひっくり返りそうな冗談に。


「いや、その冗談に乗っかる術が分からず、困惑と言うか……驚いてます」


「……あれれれれー」


「あれれ、れれ」


 屍さんが満面の笑みで首を傾げるから、私も真似て言葉を繰り返してみる。れの数合ってたかな。


「ヤバいよ相良っち!! これは緊急会議の案件だぜ!!」


「出雲さんホント勘弁してください」


「どうするべ鳴介隊員!!」


「まずは花でも買ってくる?」


「鳴介さんッ!!」


 どうやら私が冗談に乗れないのは緊急事態らしい。


 闇雲さん、花を買ってきて楽しい空気を壊さなくて済むなら私は喜んで買ってきます。何の花が良いんでしょうか。


 半笑いになりながら三人の声を聞く。どうしたら収集つくのだろうか。と言うか、大体収集つけられるのはあの人だけだろうな。


「時沼、お前後で話がある」


 え、兄さん、今の流れで標的時沼さんなのか。屍さんではなく。失礼か。


 驚きつつ兄を見れば、泣語さんの襟首を掴んで時沼さんを睨むと言う嫌な体勢。さっきまで微笑を浮かべたお兄ちゃんは何処に行ったのだろうか。


「……うっす」


 時沼さんの顔色が大変宜しく無くなっていく。蛇に睨まれた蛙と思ってしまってごめんなさい。


 流石に兄さんが怒っていることは分かるし、時沼さんが怒られる通りは無い気がするのだ。頑張れ氷雨、口を挟め。


「兄さ、」


「氷雨は黙る」


 秒で負けた。完全に負けた。兄さんの四文字すら言わせて貰えなかった時点で私に勝機はなかった。


 時沼さん申し訳ない。屍さん、どうして貴方はそんなに爆笑しているのか。さっきまでのしんみり空気どこやった。


「なに面白いことしてるんですかー」


 そんな間延びした声が聞こえて、顔を向ける。


 そこには帳君と梵さん、翠ちゃんと祈君が近づいてくる姿があって、私は安堵してしまうのだ。


「今ねー超面白かったの!!」


「お前だけだぞ屍」


「うっそだぁ!!」


「祈、無事? 祝福はどんなのを、」


「兄貴うるさい。氷雨さん、なんか心労凄そうだよ?」


「ぇと、だ、大丈夫」


 闇雲さんを一言で黙らせて肩を落とさせる祈君。うちとは真逆の力関係に苦笑してしまえば、翠ちゃんが私の腕を引いてくれた。


 屍さんは「ざんねーん」と笑って、私は会釈をしてしまう。


「氷雨、ひぃと、りず、は」


 梵さんに確認される。だから私は微笑んで胸の中心を指しておくのだ。それに彼は笑ってくれる。


「エリゴスさんの教育係は、グレモリーさんだったんですね」


「あぁ、俺も、驚い、た」


 頷いてくれた梵さんの向こうに淡雪さん達が転移してこられる。「細流ぃ!!」と叫ぶような声に梵さんは反応していたけど、それより早く突撃して行ったのは屍さん達だった。「黒は黒で水入らず」と言ってくれたから、それは彼女なりの気遣いだったのだろうか。


 屍さんが兄さんの手を引いて、兄さんは泣語さんを連れて行ってしまう。三人に遅れながらも着いていくのは闇雲さんと時沼さんで、彼らが向かう先には取り押さえられた淡雪さんが見えたんだ。ひぇ……


「たまには空気を読むのね」


「だな」


 翠ちゃんの言葉を肯定している梵さん。彼はこちらを向くと、大きく腕を広げてくれた。片手は祈君を掴んで、片手は私を。


 そのまま抱擁してくれた梵さんは柔く頭を撫でてくれたのだ。


「ルタと、ひぃ、りずに、は、何回も、助け、られた……挨拶が、出来なかった、のが、少し、残念だ」


 低い声が鼓膜を揺らす。私は梵さんの背中に手を回して、小さく鼻を啜った祈君にも気づく。赤い毛先の頭を撫でられる彼は、梵さんの胸に顔を埋めていた。


「ルタ、満足そうだったんで大丈夫です」


「それは、良かった」


 祈君は顔を上げる。梵さんは微笑んで、私に視線が移動してきた。だから私も伝えるのだ。


「ひぃちゃんもりず君も笑ってました。無理はしないこと、頑張りすぎるなとも言ってくれました」


「そうか」


 梵さんが目の下を撫でてくれる。それに笑えば、髪が少しだけ揺れた気がしたのだ。


 見れば、指を少しだけ動かす帳君がいる。


「祝福なんてこんなもんか。落ち着いていればそれっぽいことは出来るね」


 肩を竦めた彼に同調するように私の髪が揺れる。それをいつも通りだと思ってしまうあたり、大分侵されているものだ。


「だね、良かった」


 私は帳君に肩を組まれて笑ってしまう。何となく茶色い目と視線があってしまった。自分で逸らしてしまったのは何故かしら。


「ヴァラクが言ってたわ。祝福を貰っても死ぬ時は忘れられなくなったみたいだ、なんて……氷雨、貴方また何かしたの?」


 翠ちゃんが帳君の腕を私から剥がし、両頬を挟まれる。苦笑してしまえば、彼女は察してくれたようだ。


 ごめんね、少し我儘を言ってしまったんだ。


 翠ちゃんが「ま、いいわ」と頬をねてくる。そんなに肉付きが良い方ではないので楽しくはないと思うのだが、翠ちゃんは嬉々と目を細めていた。何故だ。


「忘れられないのは嬉しいけど……ストラスが生贄は全員解放済みって言ってたから、そっちは良いのかな」


 祈君の不安そうな声を聞く。翠ちゃんは私の頬から手を離して「そうね」と呟いており、帳君は嘆息していた。


 手が落ち着かないのか、髪を引っ張ったり喉を掻いたりしている祈君。彼の心配の理由は分かる。


 ウトゥックさんにドヴェルグさん、オヴィンニクさんと、私達が捕まえてきた生贄は悪だと判断された人達だ。


「いや、違う。信じなきゃ駄目だよね」


 頭を振って自分の頬を叩いた祈君。その行動に私は安心して、梵さんと一緒に祈君の背中を撫でたのだ。


 そうだね、信じるしかない。タガトフルムに生きる私達は、アルフヘイムの各シュスをどうこうしたいという訳ではないのだから。


 この両手に抱えられるだけのものしか守れないし、守りたいと思えない。


 私は祈君の揺れた目を見て、シュリーカーさんの言葉を伝えるのだ。


「祈君、シュリーカーさんから伝言。君は十分優しいから、誇って良いって、勇敢だったって」


 祈君が勢いよく顔を上げて目を見開く。それから口を薄く開閉させて頭を抱え、しゃがみこんでしまった。


「……シュリーカーが?」


「うん」


「そっか……そっか」


 祈君の肩が震えて、それでも声は嬉しさを噛み締めていると分かるから、私は笑ってしまう。翠ちゃんは赤い髪を撫でて、梵さんは鉱石の地面に座っていた。


「ねぇ、みんなに……質問」


 祈君が顔を俯かせたまま喋っている。私も近くに腰かけて、翠ちゃんと帳君も赤い彼の声に耳を傾けていた。


「……もう、会えない? 今日で、バイバイ?」


 酷く自信がなさそうな声。語尾が震えた質問。


 私は目を丸くしてしまい、帳君や翠ちゃん、梵さんと顔を見合わせてしまったのだ。


「……いや、なんでそうなるわけ?」


「え?」


 帳君が首を傾げる。祈君は驚いたように顔を上げて、目を瞬かせていた。少しだけ潤んだ目で「だ、だって、」と零しながら。


「俺達アルフヘイムで、戦士で、勝ちたいから一緒にいたわけで。も、もう、競争終わったんなら、集まったりする理由がなくなるから」


「友達と会うのに、会いたいって言う理由だけだと駄目なわけ?」


 慌てる祈君に、呆れたような帳君。


 今度はみんなで帳君を見てしまって、「え、何」と居心地悪そうにした彼を凝視してしまった。


 え、だって今。


「帳君が、友達って言ったから」


 帳君が固まって、私は凝視を続けてしまう。翠ちゃんは空を見上げて、梵さんは後光でも射しそうな笑顔を浮かべていた。


「タガトフルムでひょうでも降るのかしら。夏なのに」


「いいな、帳。うん、理由は、いらない、な」


「ちょっとマジでさっきの台詞全部無し」


「には、出来ないかな」


「氷雨ちゃん……」


 笑った翠ちゃんに、祈君の頭を撫でながら肯定している梵さん。


 帳君は顔を歪めて抗議していたが、無しにしたくない私は肩を竦めてしまうのだ。


 あぁ、そうだよ、大丈夫。私達は確かにディアス軍として出会って、生贄を集める為に協力して。


 けれども最終的には、お互いを仲間だと、友達だと思い始めてしまったのだから。


 顔を真っ赤にしている祈君は、緩みそうな頬を我慢している様子。それが可愛いと思うから私は彼の頬を撫でてしまったのだ。


「また会おう、祈君。今度は何も考えず、思いっきり遊ぶ為に」


「貴方が住んでる県にあるでしょ、テーマパーク。あれ行きましょうよ、泊まりで」


「夏休みは、まだ、ある、からな。終わっても、時間を、合わせて、会いに、行こう」


「うぅ……遊ぶ……よろしくお願いします。俺もちゃんと、会いに行きます」


「泣き虫」


「うるっさい結目ぇ」


 祈君の髪を引っ張る帳君。


 絡み方が小学生みたいだと少し思ってしまったが、沢山のピアスをつけた耳が真っ赤になっている姿が見られたので良いかもしれない。


「本当、不思議だ」


 梵さんが呟いて、私達の視線が彼に向かう。


 そこには顔の筋肉全部が緩んだような、幸せそうな笑みを浮かべた梵さんがいて、その笑みは伝染してくるのだ。


 私の口角も上がる気がして、目も自然と細めてしまう。


「……競争は、しんど、かった。痛いこと、ばかり、で、良いことなど、少なかった、筈なのに、こうして、ずっと、一緒に、いたいと、思う、仲間が、出来たの、だから」


「そうね……思い出なんて怪我か戦いかみたいなものなのに。でも、お陰で氷雨や梵と仲良くなれたと思うと、その点は良かったわ」


「……嫌ってくらい泣いたし、滅茶苦茶後悔もしたし、自分も嫌いになったけど……なんでこうも満たされちゃうのかなぁ」


「満たされるだけ頑張ったってことだと思えよ。苦楽を共にするってやつ? 吐きそうになるほど頑張り合ったんだから、そりゃ愛着も湧くだろ」


 帳君にまた肩を組まれる。見れば彼は顔を下に向けて「……話半分で聞いていいから」と呟いていた。


 耳だけではなくうなじも赤くなっている彼は本当に珍しく、私は初めて帳君の腰に腕を回したのだ。


 翠ちゃん達と顔を見合わせて笑ってしまう。本当に、帳君がそう言ってくれるだなんて思いもよらなかったから。


 学年も、住む県も、今までの育ち方も、何もかも違う人達。


 それがこうして違う世界で出会って、仲間になれてしまったのだから。不思議で不思議で、堪らない。


「痛いことだらけだった。初めて誰かを憎いと思ったし、苦しくて堪らなかった。それでも折れなかったのは、みんなで居たからだと思うな」


 笑ってしまう。本当に、どうしようもない位に愛おしいこのメンバーと。


 明日がくるんだと。一緒に進めたと。


 これを幸せと言わないなんて、馬鹿げているよな。


「皆さん、よかったら写真撮りませんか!」


 そう言って走って来たのは満面の笑みのさわ、いや、光君。


 私達は顔を見合わせて、「写真?」と揃って聞き返してしまった。聞けば屍さんが携帯を持ってきており「記念日は撮らなきゃ!」と叫んでいるらしい。


 光君は背中に羽根でもあるのかと疑うほど足が軽い。顔に殴られた痕が増えているのは気にしないでおこう。


 私達はもう一度だけ顔を見合わせて立ち上がる。光君の心底嬉しそうな笑顔を見て私も肩の力が抜けてしまい、帳君から腕を離しておいた。


 翠ちゃんと祈君は小走りで、梵さんはその後をゆったりと着いて行く。


「行こうか」


 そう帳君に笑う。


 彼も微笑んでくれて、私の髪がまた揺れた。


「そうだね」


 並んで歩き出す。どうやって撮ろうか。翠ちゃんがヴァラクさん呼んで写真は撮っても良いか聞いてくれている。乗り気だなぁ、可愛い。


 体の中が温かくなっていく。見上げた空は吸い込まれてしまいそうなほど青くて、やっぱりタガトフルムとは違うと思ってしまったんだ。


「ねぇ、氷雨ちゃん」


 帳君に呼び止められて振り返る。


 彼は無表情に私を見下ろしており、耳の赤さは収まったようだった。少し残念と言うのは内緒かな。


「……ごめんね。一緒に行動を始めた時、君を駒だなんて言って」


 目を真っ直ぐ見つめて謝罪される。突然のことに私は指先が震えてしまい、帳君は眉を下げていた。


「……本当にごめん」


 帳君の視線が下を向いて、頭も下げられそうになる。


 それより早く私は足を踏み出して、帳君の腕を掴んだのだ。


「いいよ」


 謝ることは何もない。


 一人で歩いていた世界で、初めて出会った同軍と意見が合わなくて、困惑していた私の手を引いてくれた人。


 私は君を恨んだことなんてない。ずっと感謝をしてきたのだから。


 だからどうか、謝らないで。


 確かに怖い時はあった。考えが合わないと思うことも、使われる存在だと自分に言い聞かせた時もあった。


 それでもやっぱり、君が生きる為に頑張ってくれたことを知ったから。


「私に声をかけてくれて、見つけてくれて、ありがとう」


 伝われよ、頼むから。


 帳君は目を丸くすると、私の腕を掴み返して、ゆっくり息を吐いていた。


「……こちらこそ」


 呟く彼に目を覗き込まれる。それに驚いたけれども、逸らすことは出来なかった。


「氷雨ちゃん……俺さ、君が」


「不穏」


 帳君の言葉が止まる。


 側頭部が蹴られ、私の視界から消える茶髪。


 それに唖然としてしまい、酷いデジャヴを感じた私は流石に叫んでしまうのだ。


「兄さんッ!」


「氷雨、今日は虫が多い。さっさと行くぞ」


「と、帳く、な、なんで蹴る!?」


「虫以下だから」


「兄さん!!」


 虫呼ばわりしやがった。人を虫以下だと言いやがったぞこの人。


 物凄く沢山の抗議の言葉を並べても聞き入れてもらえず、腕を引かれる。帳君は頭を押さえて立ち上がってくれていた。うぁ、よ、良かった。


「に、兄さん、今日、とても、機嫌悪い」


「気のせいだ」


 いや絶対嘘。


 思いながら翠ちゃん達の方へ背中を押され、梵さんが並びを教えてくれる。最初は私達五人だけで。


 真ん中は祈君。彼の右側には翠ちゃんと梵さん。逆隣りには私と帳君の順に。帳君は気を取り直してくれたようで、さっきの言葉の続きは聞けなかった。


「寄らなきゃ入んないよー、そんな良い携帯じゃないんだから!」


 屍さんに言われて私達は笑ってしまう。


 お互いに体を寄せ合って、腕を組んで、顔を寄せ合って。


「さぁ、泣くのは終わり! 笑っていなよ!」


 あぁ、そうだ、泣くのは終わり。


 笑っていよう。幸せを願ってくれた人がいるから。生きることを望んでくれた人がいるのだから。


 仲間とここまできた。


 こうやって一緒に笑える、掛け替えのない人達と出会うことが出来た。


 バッドエンドも考えた。


 自分達だけのハッピーエンドを願った。


 だから、その上をいった今日は本当に――なんて輝かしい日なのだろうか。


 この輝きを忘れてしまわないよう。仲間への愛を持って、思い出を背負って、明日も明後日も、その次も。


 みんなで、笑っていよう。


 * * *


「こんな所にいたのか、お前は」


 競争制度撤廃の声がアルフヘイム中に流れて、早数年。


 戦士を美食としていた住人などからは不満の声も聞いたが、結局は兵士の血を使っての鉱石実験が良い兆しを持って進められている。


「全く。最後に心獣に置き土産などするから鉱石になるのが遅れたんじゃないのか」


 黒の長はそう言って膝を折り、名も無い泉を彩っていた鉱石を集めていく。深く揺らめく、炎のような青い鉱石だ。


「あぁ、そういえばそろそろか。あいつ等が来るのは」


 黒は空を見上げて呟き、犬歯を見せて笑う。鉱石を服の裾に集め終わった彼はゆるやかな動作で足を踏み出した。


「話してやろう。あいつ等が来るまでに。毎年毎年、お前とエリゴスが亡くなった日に花を持ってやって来る、物好きな人間達の話だ」


 漆黒の長が笑う。


 彼の言葉を聞いた青い鉱石は光りを反射した。どこか嬉しそうに、誇らしそうに。


 これは、痛みを背負った戦士達の話。


 明日を願っていた子ども達の話。


 愛しい彼らの、終わりなき物語。



 ――――――――――――――――――――


 迷いを抱え、背負い、泣いてきたこの子ども達の話。痛みある物語。


 最後まで読んでくださり感謝しかございません。


 彼女達は英雄でもなければ、勇者でもなかった。仲間と自分が大切で、明日を願っていただけで、けれども結果的に偉業を成し遂げてしまった。


 恋路については終着点を書かなかったこと、お許しください。これは痛みあるダークファンタジー。この子達の明日はこれから始まったものだから。敢えて書くことは致しませんでした。


 最後に。多くの小説が溢れる世の中で、氷雨ちゃん達を見つけてくれて、最後まで見届けてくれて、本当にありがとうございました。


 読者の貴方様へ。


 貴方の明日が幸せなものでありますように。


 貴方の毎日に笑顔がありますように。


 またどこかで、お会いしましょう。


 重ねてになりますが、読んでくださって本当に、ありがとうございました。


 藍ねず

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僕らは痛みと共にある 藍ねず @oreta-sin

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