第174話 心火

 

 アルフヘイムの創造主の塔に入ることが許されるのは、最初の五種族と兵士達のみ。その他の者が入る為には神の許しがなければいけない。


 他の者で今まで入塔を許されたのはアルフヘイムに害を与える罪人が主だ。完全な異端児であり、アルフヘイムの腫瘍になると判断された者に死を与える為、罰を与える為、死んで鉱石にする為。


 そして今日、新たな許しを得た者達が神の塔へと引きずり込まれる。


 寄せ集めの戦士達。


 中立者に競争を止めてくれと願う白の軍。


 創造主を悪だと叫ぶ黒の軍。


 大切な者の為ならば神にも背く白の軍。


 十五名の戦士以外が眠りについた。白の子どもは意識を抜かれ、黒の子どもは氷の花に閉じこもり。


 神はその音を聞いていた。奥歯を噛み締め、自分の元に来ることを許した黒の戦士とその同伴者達を塔に入れたのだ。


「あぁ、本当に、なんでこうも上手くいかないんだ……早く、早く」


 ――死ねよ


 神は歯車の部屋に閉じこもる。その塔の一階に子ども達を引きずり込んで。


 * * *


 塔に現れた扉から飛び出した鎖が氷雨達を掴む。それに子ども達は驚きながらも抵抗はせず、灰色の塔へと引きずり込まれたのだ。


 扉が閉まる。メタトロンとサンダルフォンはその様子を見届け、何も言わずに消えてみせた。


 氷雨達の前に広がるのは濃淡が美しい灰色の鉱石の部屋。円柱の塔は広く、反対側の壁まで軽く百mはあるだろう。しかし広さよりも先に全員の視線を奪ったのは、鎖の出処だ。


 黒が混ざった青い毛並みに、鋭い犬歯と分厚い舌が覗く口。その口も避けたように大きく、体には鎖が巻きついている獣。四足には黒光りする足枷が付けられているのに、獣の動きを制限しているわけではない。


 口から唸り声を漏らす猛獣は、赤く血走った瞳で子ども達を見つめていた。


 その気迫は鬼気迫るものがあり、部屋には指先を動かすだけで皮膚が切れると錯覚させる空気が充満している。


 茉白と鳴介の頬を冷や汗が流れ、それに気づいた博人と時雨が力一杯背中を叩く。


 茉白は目を見開いてから努めて口角を上げ、鳴介は深呼吸を心掛けるのだ。


 茉白の袖から小瓶が数個零れ、床で割れる。入っていた土は少女が動かした指に連動するように人型をとっていった。


 それを見た氷雨は内臓が震える感覚を持ちながらも、りずをハルバードへ変える。


 肺を圧迫する緊張感と、眩暈を起こしそうな重圧に耐えるだけの経験を彼女達はしてきたのだ。


「私はフェンリル。第一の階層を司る獣である。怒りを宿した戦士達。貴様達に、私は心火しんかの罰を与えよう」


 低く地に轟くような声がする。それは戦士達の肌を刺激し、靴の裏が床に張り付くようなプレッシャーで潰しにかかる。


 帳は握った指の爪を掌に刺して、ある種の恐怖を紛らわせた。


 無月は目を細めて指を鳴らしている。


「わぁ……一階で既にラスボス風味強いなぁ」


「集中してるか、屍」


「してるしてる! だいじょーぶ!!」


 冷や汗を拭った出雲が手甲鉤を打ち合わせる。時雨は両掌を擦り合わせ、白玉がフェンリルに威嚇を返していた。


「扉はあの奥かぁ」


「だな」


 帳はフェンリルの向こうを見る。


 円形の部屋の中央。そこには濃い灰色をした正方形の扉が開かれており、暗がりへと繋がっている。部屋の中には他に扉も階段もなく、戦士達が目指すべきはあの扉となった。


 梵は両拳を握って心臓を落ち着かせ、目的地を見据えている。


 しかし、どうだろう。


 その違和感に最初に気づいたのは紫翠。彼女は開かれている扉を見つめて、氷雨達に言っていた。


「早く行くわよ。あの扉、開きっぱなしって訳にはいかないみたい」


 彼女の言葉で氷雨と祈が扉を凝視する。


 灰色の扉は徐々に、だが確実に――閉まる為に動いていたのだ。


 時雨と博人は舌打ちし、扉の前で威嚇しているフェンリルを見つめる。獣の体からは火の粉が零れており、鎖の先が宙を漂っていた。


「……退く気はなさそうだな」


「ッしゃあ!! こいや犬っころ!!」


 一番に前へと踏み出た博人。それに続いて梵と出雲も進み出た。黒い青年は、フェンリルが床を抉る勢いで蹴った姿を見つめている。


 鈍く輝く爪とよだれに濡れた牙。獣の体に巻き付いている鎖は大きな音を立てて揺れ、滞空時間を嫌に長く感じさせる。


 フェンリルの体が宙にある時、動かない戦士はいなかった。


 音央のリフカが開花し、フェンリルに巻き付かこうと蔦を伸ばす。


 紫翠の手裏剣は剣先を開くことはせず、鋭利なまま標的を貫こうとする。


 それを獣も分かっている。幾人もの罪人に罰を与えてきた心火の獣は知っている。


 背中を少し丸めて目を見開いたフェンリルは、自分に絡まる鎖を動かした。


 四方八方。縦横無尽。


 獣の意思で動く鎖が壁や床、天井に幾重にも突き刺さり、進んでいた氷雨達の足を止めさせる。


 当たれば骨も砕かれるだろう。そう自然と思わせる程の威力で動く鎖は一つ一つが凶器であった。


 空中で鎖を弾き、かわし、身をひるがえす氷雨と祈。


 帳は風を操って鎖の軌道を無理に変えさせ、イーグは勢いよく火を吹いた。


 それでも鎖は止まらず、出雲と白玉が吹き飛ばされて壁に叩きつけられる。


 骨が軋んだ一人と一匹に視線を奪われた氷雨と祈も叩き落とされる。


 庇いに入った音央と鳴介は天井へと殴り上げられた。


 時間にして、数十秒といったところだろう。


 部屋中を巡る鎖は戦士達を確かに痛めつけ、床へ、壁へ、天井へ、血飛沫が散っていく。


「あぁ、なんと、なんと、弱い、弱い、弱い弱い弱い! そんな弱さで我が神に立てつくなど笑止千万!」


 フェンリルの赤い瞳が強く輝き、逆立った毛から鎖へ炎が走る。


 空気を焼く火炎は茉白のゴーレムに亀裂を入れて破壊し、博人は少女を抱えてフェンリルの怒りを躱した。


「何故規則通りに争わない! 死んでこその戦士だろう! 戦士は死なねばならぬのだ! あぁ憎い、憎い、憎いぞ憎い! 憎き戦士よここで死ね!」


「ッ、貴方が俺達の命を決めるなよ!」


 叫んだ光のこめかみを燃える鎖が殴打する。戦士は反発能力で受けた威力を弱めるが、それにフェンリルが気づかない筈が無い。


 フェンリルの毛が勢いよく逆立ち怒りを露わにする。獣の体から生まれた煉獄の業火は鎖を伝い、光の左腕を容赦なく捕まえた。


 光の体を冷や汗が噴き出し、遅れて熱さと痛みが少年の神経を麻痺させる。声にならない悲鳴を飲み込んだ彼は、歯を食いしばって剣を振り上げた。


 しかし、それすら鎖で止められれば少年に攻撃する力は無いに等しいのだ。


 光の服と皮膚が焼けてしまう。焼けた匂いが少年の意識を叩いている。


 それでも叫ばない光は閉まっていく唯一の扉を見つめたのだ。


「燃えろ、燃えて死ね、罪人達」


 フェンリルの灼熱の鎖はイーグの翼を、鳴介の足を掴んで焼く。


 イーグは痛みにいななき、鳴介は反射的に影へと沈んで鎖を外した。それでも足から頭へ熱さが走ったが。


 フェンリルの鎖は鳴介の影に強制的に入り込み、戦士を地上へ叩き出す。その勢いに少年の肺は空気の塊を吐いていた。


「イーグ!」


 暁の声と同時に、紫翠の手裏剣がイーグの鎖を砕く。少年は落下する自分の心獣を抱え、少女は「走って!」と叫ぶのだ。


「光!」


 博人が砕けた壁の破片を掴む。


 彼の対関係能力は「爆弾」


 掌に収まる大きさの物であれば、どんな物でも爆破させられる力だ。


 彼は直ぐに鎖に向かって瓦礫を投げ、投擲物とうてきぶつが瞬く。爆発した瓦礫は鎖を巻き添えにして壊し、光は地面を転がった。


 少年の左腕の皮膚がただれ、冷や汗が溢れて止まらい。そんな少年を無月は背中に乗せた。


「あり、がとうございます。博人さん、夜来さん……ッ」


「礼は良いからさっさと進、ッ!」


 博人の腕を鎖が巻き付き、青年を地面に叩きつける。瞬時に梵は倒れた青年の鎖を床に殴りつけて破壊した。


「立て、淡雪。年長者が、年少者に、心配を、かけ、させる、な」


「ッ、わっかってんだよ! うるっせぇな!!」


 梵の首に巻き付こうとした鎖を蹴り飛ばす博人。梵は目を見開いてから微かに細め、閉まっていく扉を確認した。


 扉が閉まればそこで終わる。


 全員分かっていた。あの扉は、閉まれば開くことは無いと。あの扉をくぐらなければ未来が無いと。


 相良は鎖に殴られた顔を手の甲で拭い、切れた口内の血を吐き出す。それから意識を扉へと集中し、鎖の合間を縫って転移に成功した。


 少年は閉まる扉を全体重をかけて押さえにかかる。全員を順番に転移させる考えもあったのだが、フェンリルの鎖を躱しながらでは間に合わないと判断したのだ。


 相良の機転で少しだけ扉が閉まる速度は減退する。


 それを見たフェンリルは、怒りを孕んだ鎖を少年を叩き潰す為に振り下ろした。


 その殺意が相良に伝わり、体が硬直する。


 そんな相良と鎖の間に飛び出したのは、凩氷雨。


 痛んだ足を踏ん張り、ハルバードを振り抜いた少女の鼓膜を甲高い金属音が犯していた。


「凩!」


 驚く相良を守る為に氷雨は鎖を防ぎ続ける。りずを変形させて扉を押さえる方に回れないかと少女は思案するが、フェンリルはその隙を与えはしない。


 不意に。


 勢いよくハルバードを弾き上げた鎖が氷雨に迫る。痺れた腕に奥歯を噛んだ少女は、勢いよく鎖を壊した雷電と轟に目を閉じていた。


「通れる奴から進め! 倒さなくていい! 進め、上へ!」


 切れた頬の血を拭いながら時雨が叫ぶ。氷雨は目を開け、集中し直してハルバードを握り締めた。


 帳は闇雲兄弟の服を掴んで投げ飛ばし、豪風に乗せて扉の奥へと進ませる。


「おま、なんッ」


「いいから通れ!」


 祈は扉の中に転がり込み、帳を優先しようと翼を広げる。それを押さえた鳴介は、「結目!!」と叫ぶ弟の体が震えていると気づいたのだ。


 梵は出雲と時雨を勢いよく白玉の背に乗せ、鎖を叩き落とす。


「ぅおっと梵ちゃん!」


 出雲は目を見開き、時雨は白玉から飛び降りようとする。けれども梵の言葉を聞いて口を結び、白の二人は首を縦に振ったのだ。


 体に鞭を打ち巨大化したイーグは、暁と茉白を背に乗せて扉の前に運ぶ。


 光を背負った無月と、音央は自力で扉へ滑り込んだ。


 それらは決して簡単な行為ではない。


 長と同様の制御されていない圧の中で立ち上がり、走り、炎を纏う鎖を受け、躱し、壊し、一つの扉まで辿り着く。


 全員が問われていた。先へ進めるかどうか。神の元へ行く覚悟があるか否か。それだけの力があるのかどうか。


 その気迫を抜けて、飛び込んだ先は闇。


 氷雨は息も絶え絶えに鎖を弾き、音央のリフカと無月の鎖鎌も伸びる。まだ通れていない者の為に、扉を閉じさせる訳にはいかないのだ。


 それでも、相良が押さえる扉が閉まる力を強めていく。時雨と白玉も扉を押さえるが閉まる速度は早まるばかり。


 ハルバードは叩き落とされ、リフカと鎌は鎖を這った業火に焼かれて無力化される。


「翠!」


 梵は鎖を躱しながら走っていた紫翠を引き寄せ、扉の方へと投げ飛ばす。


「梵!」


 紫翠は叫び、氷雨は反射的にらずに補助してもらうことを願った。りずはクッションへと変わり、茉白と共に紫翠を受け止める。


 梵はそれを確認し、鎖を壊し回る博人も視認した。


「博人はん!」


 茉白が叫ぶ。歯を食いしばった光を暁が止める。


 扉はもう直ぐ閉まるだろう。どれだけ力を込めても、踏ん張っても。


 博人は自分と歩んできた三人を見て、口角を上げていた。


「行けよ、大丈夫だから」


 茉白が目を見開いて、操ろうとした土をなだめさせる。


 梵は息を吐き、自分を風で庇った帳の腕も掴んだ。


 フェンリルの目が扉をくぐっていない三人を見つめる。


「帳君! 梵さん!」


 氷雨は鎖を叩き、ひぃが翼を広げて少女を飛ばせる。


 鳴介を振りほどいた祈と、紫翠も扉を飛び出して行く。


 帳は、自分の腕を勢いよく引き、氷雨達の方へと押し出す梵を見つめてしまった。


 扉はすぐそこだ。数歩で届く。けれど閉まるのも、あと少し。


 時雨と相良の頬を汗が流れる。光達も扉を押さえにかかるが無駄骨とはこのことだ。


 紫翠の手裏剣と祈の羽根が鎖を壊し、氷雨の手が帳の腕を引き寄せる。


 梵は帳から手を離し、少年の背中に手を添えた。


 梵の体に鎖が巻きつき、青年の足が止まってしまう。


 あと、たった数歩なのに。


 手裏剣を回収した紫翠は唇を結び、祈が迷ったのを見逃さなかった。


 氷雨は悲痛そうに眉根を寄せて、笑った梵を目に焼き付けた。


 道着が焼ける匂いがする。強化された上着は彼を守る盾になる。


 紫翠と祈は奥歯を噛み、帳を掴んでいる氷雨の体を引き寄せた。


 閉まる扉に触れながら滑り込んでいく四人を見て、梵は嬉しそうに笑っている。


 体を鎖に締め上げられながら。それでも帳の背中に、出来る限り伸ばした手を添える梵。


 帳には、きちんとその温かさが伝わっていた。


 伝統と歴史しかなかった梵に出来た初めての仲間。守りたいと願った友人達。生きていてほしいと願った、愛しい存在。


 握った拳の解き方が、彼らのお陰で分かるようになった。


 何もなかった梵に欲が生まれた。自由が欲しいと、彼らの為に在りたいと願ってしまった。


 ―― 進んでくれ。行ってくれ。神を生贄にしてくれ。どうか仇を、とってくれ。


 これは過程。生きる為に必要な大事な道。


 神を捕まえて、六人目の悪を探しに行こう。


 だから、その為に。


「任せた、帳」


 梵の手が、帳の背中を押した。


「細流!!」


 帳が叫ぶ。


 扉が閉まるその時、その瞬間、梵の体が鎖に引かれた。


 引き剥がされていく彼の姿は、帳達の網膜に焼き付いてしまう。


 灰色が閉じられた。


 道が塞がれた。


 梵は熱さを感じている。


「は、なせよ、ゴラァ!!」


 そんな怒号と共に梵の鎖が爆破させられる。それに梵は驚くも、焼けた上着を直ぐに脱いで帯を投げた。彼の努力と共にあった物。彼を縛っていたその一本。


 それが床に落ちるのを梵は見届ける。


 彼は深く息を吐くと、閉まった扉を背にフェンリルへと向き直った。


 博人は鎖から距離を取り、青年の隣に並ぶ。


「すまない、助か、た」


「は、止めろ鳥肌が立つ」


 博人は腕を摩り、緩んだ帯を締め直していた。


「あー畜生、一階止まりかよ」


「不満、か?」


 心火の間に残った博人と梵。鎖を一度落ち着かせたフェンリルを二人は見つめ、手首を鳴らして腕を振った。


「んなわけねぇだろ。光達が進んだ。それで十分だ」


「そう、か。俺も、だよ」


 梵は、氷雨が自分達を思って準備したブレスレットを撫でる。


 フェンリルはそれを見つめて声を発していた。


「あぁ、憎い、憎いぞ、戦士達。追わねば、追わねば、キュウキの奴には任せておけん!」


 フェンリルの怒りの温度が上がっていく。


 塔の各階において閉じた扉を開くことが出来るのはその階の獣だけだ。通った者は戻ることが出来ないし、通れなかった者は開けられない。


 本来ならば罪人が死にたいと許しを請うた時に扉は現れ、開かれる。しかし今日だけは最初から開けておくようにメタトロンとサンダルフォンが指示を出していた。だから仕方なく、フェンリルも他の階の獣も扉を開けて戦士を待っているのだ。


 フェンリルの鎖が床を殴る。博人は血が流れたこめかみを拭い、指を鳴らしていた。


「行かせねえよ、馬鹿犬が」


 そう言った青年は拳を固く握り締める。


「俺の、可愛い、仲間を、追わせは、しない」


 梵は少し焦げたフードを正し、呼吸も整えた。


 フェンリルの怒気が部屋に蔓延する。梵と博人の背中には刺すような重圧がのしかかり、二人は自然と背中を曲げていた。


「ッ、おい細流、この競争が中止になったら、俺と組手しろよ! 全力で!」


 博人は大きく声を発することによって背筋を無理やり伸ばす。顎を伝う汗は床に落ちて、梵はため息を吐いた。


「お前は、いつも、俺に、戦う、ことを、申し、込む、な」


 梵も努めて背中を伸ばす。博人は奥歯を噛み締めてから、「ったりめぇだろうが」と呟いた。


「憧れを超えてぇと思って……何が悪いんだよ」


 ――博人はいつも銀のメダルを貰ってきた。超えられない背中がいたからだ。


 無表情に、顔色一つ変えずに一番高い所に立っていた存在。


 洗練された動きで誰にも負けない強さを持った憧れ。


 いつか超えると決めていた。決めていたのに憧れはいなくなった。


 大学生になって出場した全国大会。博人は一番高い表彰台に立った。


 思ったことは一つだけ。喜びでも感動でもない。


 それは怒りだった。


 ――こんな勝ち方、誰がしてぇっつったよ


 博人の中に蔓延する、梵に対する憤り。


 その匂いを嗅ぎ取ったフェンリルは目を光らせ、梵は少しだけ目を見開いた。


 博人はフェンリルへ視線を戻す。今考えるべきは獣を上へ行かせないことだと考えて。


「分かった。相手を、しよう、全力で」


 そんな答えを聞いて。


 次に目を見開いたのは博人だ。


「だから、今は、俺と、一緒に、戦って、くれ」


 梵が博人に向かって拳を出す。


 博人は口を開閉させ、それでも言葉は出ず、変わりに拳を出したのだ。


「……おう」


 二人の拳が軽く打ち合わされ、フェンリルの燃える鎖が振り下ろされる。


 梵と博人はその鎖を躱し、地面を力強く蹴り出した。


 背中にある扉を守る為に。獣を進ませない為に。


 梵の口角は微かに上がり、愛しい者達を想いながら、彼は拳を振り抜いた。

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