第164話 深化


「メシアごめんなさいちょっと電話じゃなくてパソコンでの会話に切りかえていいですか」


「あ、はい、大丈夫ですよ」


 ごだごだぐちゃぐちゃと色々なことを思案しながら帰宅して、泣語さんが教えてくれた休み時間を見計らって電話をかけてみた。


 時間は間違ってないかな。五コールして出なかったら切ろう。邪魔はしたくないし急かしたくないし、よしよし頑張れ自分。


 と、これまた様々な脳内シミレーションを考えて電話をかければ、泣語さんは一コールで出てくれた。けれど数秒で会話を一時中断してしまったから、私は首を傾げてしまうのだ。パソコン立ち上げてたらいいのかな。


 思いながらパソコンを準備して、帳君達との会話で使うアプリに友人申請が来ているマークを確認する。それは泣語さんで、私はイヤホンをつけてアプリを立ち上げた。


 画面に映る泣語さん。彼は「メシアぁぁぁ」と顔を覆っており、一体全体何があったのか。


「メシアと、メシアとタガトフルムで話せてる。あぁ、なんて素敵な日だ……」


「な、泣語さん……」


 自分の世界に入り込みそうな彼を呼び、顔から手を下ろした泣語さんを見つめる。彼は「あぁ、メシアの貴重なお時間を!」と今度は慌てだしていた。


 いや、貴重なお時間を頂いているのは私の方なので……。


 酷く申し訳なくて、頭を下げるしか私には出来なかった。


「いや、泣語さん、こちらこそお時間いただいてしまってすみません。ありがとうございます」


「いいえ全く感激ですから!!」


 泣語さんは両手を思い切り振ってくれるから、自然と安心してしまう。ありがとうございます。彼の後ろを通った人が驚いていたのが別の意味で気になったが。泣語さん、そこ学校の敷地内では……。


 そんなことも聞けないまま、泣語さんが咳払いをして話題を戻してくれる。私も背筋を伸ばし、彼は教えてくれた。


「メシア、俺が知ったのは中立者の塔の内部構造についてです」


 私の脳裏に兄さんが浮かぶ。それを直ぐに振り払って、泣語さんは続けてくれた。一瞬震えたらず君を私は撫でている。


「複数のシュスを回っていると、神に対する言い伝えがあると知ったんです」


「言い伝え、ですか」


 私の中で中立者さんの御伽噺おとぎばなしが思い出される。泣語さんは頷いてくれた。


「ルアス派のシュスでもディアス派のシュスでも、神への認識は共通していました。八つの階層を持つ塔の最上階に住んでいる、絶対不変の創造主。誰よりも強く、誰よりもアルフヘイムを愛し、しかしその姿を見ることが許されるのは兵士と最初の五種族だけだと。もしもアルフヘイムに害ある行いをするのであれば、罪人は塔に閉じ込められ、七つの階層を上らされる。そこで七つの痛みを味わい、最上階にて神の裁きを受けるのだと」


 心臓が強く脈打ったのを感じてしまう。


 目を見開いた自覚があり、背中を冷や汗が伝っていった。


 神の裁き。黒い刃。空から降った悪意ある剣は「裁き」だと言われており、吐き気がした。そして今聞いた言い伝えにも救いがない。


 七つの痛みを与えられて、最後に与えられるのは許しではなく裁きなのか。それで鉱石になってしまうだなんて、痛みだけで終わる生ではないか。


 私は奥歯を噛んで頷き、泣語さんは続けてくれた。


「この言い伝えは絵本や口伝えなので出所は不明ですが、どれも内容は一緒です。七つの階層は下から、心火しんか食過しょくすの間、愛欲あいよくの間、休怠きゅうたいの間、妬心としんの間、驕傲きょうごうの間、貪汚たんおの間があるとされています……神が罪人に苦しみを与える為に、各階には一体の獣を作って住まわせているのだとも言われています」


 泣語さんが視線を下げて、机に置かれている手を握り締めているのを見る。それは関節が白く浮くほど力が込められて、私は言葉を探すのだ。


 心火、食過、愛欲、休怠、妬心、驕傲、貪汚。その階にいる七つの獣。


 一瞬指が動いてメモ帳を開きかけたが止めて、白紙のページにメモをとる。


 アミーさんは中立者さんの塔については教えてくれていない。知っていれば、中立者さんを捕まえる覚悟をする時に帳君達だって巻き込みたくないと叫んでいた筈だ。私の凡庸な頭だって、ここまで大切で重苦しい話題を忘れたりはきっとしない。


 ――行かないで


 泣語さんの声が頭の中で木霊こだまする。私はそれを受け入れて、飲み込んで、肩にいるらず君の目を隠すように手を乗せた。膝に来てくれたひぃちゃんとりず君は目を伏せながら座ってくれる。


「獣はそれぞれ階層にあった性格で作られ、強さはメタトロンとサンダルフォンに並ぶと言い伝えられています」


「……それは、強いですね」


 なんて、安直な感想。


 眩い光りの輪がストラスさんの結界を壊す音を聞く。


 メタトロンさんの蹴りによって吹き飛ばされた痛みを思い出してしまう。


 私はそれでも目を閉じることはせず、泣語さんの言葉を聞いていた。


「メシア、俺は貴方の同乗者です。だから何だってするし、どこまでも貴方の仲間でいます。それでも人数比が足りてません。六人で一つの階を揃って突破して行くにしても敵の力があのメタトロンと同等では、あの日の二の舞になります」


 泣語さんが指すのは海童さん達を逃がしたかったあの日のことだろう。直ぐに察しがついて私は口を結ぶ。


 あの時も戦った後だからと言って体力が無いわけではなかった。怪我や焦りがあっても、圧迫感に気圧されそうでも立ち向かうことは出来た。


 それでも指一本とてメタトロンさんには届かなかった。傷なんて一つだってつけられなかった。雲泥の差が私達にはあるのだ。


 同格が、七体。


 はは、壮大すぎて笑えてくる。


 やっぱり兄さんを止めとくんだった。この話をしたらやっぱやめるとか……言ってくれないだろうなぁ。


「塔を上る人数は……十人です。私達と泣語さん、それに……兄さん達も引いてはくれませんでした」


 苦笑しながら伝えておく。泣語さんは目を丸くしたあと朗らかに笑っていた。


「そうなんですね。なら良かった。数が集まれば集まるだけこちらの兆しが大きくなりますね」


 それを喜べばいいのかどうか私には分からない。危険なことに変わりはないのだと喉まで出かけた言葉を飲み込んで、顔は笑みを携え続けたんだ。


 泣語さんは話を戻してくれる。


「俺が知ったのはこれだけです、すみません」


「いいえ、ありがとうございます。本当に助かります」


 頭を下げてお礼を伝える。本来ならば調べなくていいことを調べてくれた彼は、本当に優しいのだ。


 知った危険性を私に教えて、「行かないで」と泣いてくれる程に――優しいのだ。


 胸が締め付けられる。あぁ、どうして私の周りには、こんなに優しい人しかいないんだろう。


 喉が詰まったような感覚に襲われる。


 大丈夫、大丈夫、これは錯覚だ。


 やっぱり彼を巻き込みたくは。


 切符の払い戻しは出来ません。


 泣語さんは手を右往左往させて顔を赤くし、イヤホンは「おーい泣語、次授業ー」と言う男の人の声を拾っていた。


 瞬間、泣語さんの顔が暗くなる。


「あぁ、メシアとの愛しい時間が邪魔された……」


「いや、いや、泣語さん、私今日から夏休みで、何かあればいつでも連絡くださって大丈夫ですし。ぇと、本当にありがとうございました。授業、頑張ってくださいね」


 どう伝えたらいいのか分からないまま、しどろもどろに言葉を紡ぐ。


 授業は大事。学生の本分とはそれで御座いますので、はい。この時間を愛しく思ってくれてましたか、ありがたや。


 すると泣語さんは目を輝かせた後、とろけそうなほど恍惚とした表情で「はい!!」と返事をしてくれた。


 あ、耳が……。


 突然の大声に鼓膜を痛めそうになり、悟られないように笑った。泣語さんは幸せそうな顔のまま「メシアに応援された……応援……」と呟いて心の声がダダ漏れって感じ……うーん。


「ありがとうございますメシア、貴方の言葉を糧に残りの授業にいってきます」


 そう言ってくれた泣語さんに安心して、「いってらっしゃい、です」と手を振っておく。彼は左胸を押さえて、アプリを落とそうとしている手が震えていた。


「……泣語さん?」


「……メシア、ちょっとそちらから切ってもらっていいですか。俺には貴方との通信を切る度胸がないッ」


「なんだよ、終わったんだろ、切らねぇのか? 切るぞーじゃーなー」


「ぇ、あ、りずく、ッ」


 震える泣語さんに困惑していれば、会話終了の言葉に気づいたりず君がアプリを閉じていく。私は予想外のことに驚きつつ、ホーム画面が映っているパソコンを少し見てから電源を落としたのだ。


「ぁ、ありがとりず君」


「おー、で、音央の話はなんだって?」


 頭に上ってきたりず君に確認される。ひぃちゃんはらず君と逆側の肩に留まり、イヤホンをしていない三人には聞こえていなかったとはたと気づいた。ごめん、そうだよね。


 私は努めて笑い、神様の塔について話したのだ。


 * * *


「ふーん、神様は八階建ての家に猛獣を七匹飼ってるわけだ」


「そんな可愛い話じゃねぇだろ能天気か」


 夕方。帳君、翠ちゃん、梵さん、祈君と連絡をとっている時。


 まず祈君の話から聞こうとしたら、彼は「先に、氷雨さんからの報告で」と先手を譲ってくれた。なんと、ごめん。


 だから先に神様の塔の言い伝えを共有する。その感想が先程の帳君のものだ。彼の制服初めて見た。てか八階建てに七匹のペットって。言い方は可愛くてお金持ちのイメージが浮かんだが、そこまで柔らかなものでは無いだろうな。


 思うけど、深く深く考えようとしていた私の視野が開けた気がしたから。言い合う帳君と祈君の声を耳にしながら呼吸が出来るようになったのだ。うん、大丈夫。


 翠ちゃんは二人を若干スルーしながら言ってくれる。


「相手は中立者を入れて八体、こっちは戦士が十人。単純に数では上だけど、戦力では足元に及べるかどうかってところね」


「だよね……」


 自然と答えてしまう。だがしかし、もう取り込める人数は無いし、増やしたくないと言う警鐘が大いに鳴り響いていた。


「あ、ルアス軍の意識は大概抜けたわよ」


 不意に翠ちゃんが軽く報告してくれる。なんと。


「ありがとう翠ちゃん」


「流石、翠」


「ラートライで飛び出せば初手はこっちが出せたってだけよ。あと早蕨達は抜いてないわ。アイツらは祭壇を壊さないでしょうから。あの女と梵を敵視してる男は知らないけど」


「お、」


 翠ちゃんが肩を竦めている。梵さんを敵視している男と言うのは淡雪さんだとして、あの女って言うのは消去法で恋草さんか。


 谷底で平手を打ち合っていた翠ちゃんと恋草さんを思い出し、私は遠い目をしてしまった気がする。


「その偽善者からも協力申請が来てる場合はどうする?」


 不意に確認してこられたのは帳君。彼と目が合った気がした私は「偽善者」と呟いた。浮かぶのは 、ただ一人。


「早蕨さんも、協力したいって?」


「そ、この間から学校でその話題振ってきやがる」


 疲れたように息をついた帳君。私は黙って言葉を選ぶのだ。


 きっと彼が求める理想に最も近付くことが出来る道が、今私達が歩んでいるものだから。


 早蕨さんはみんなで無事に競争を終わらせたい。両軍長に会ってもそれが可能だと考えているかは不明だが。


 帳君は続けていた。


「今の話を聞いた限り、戦力が少しでもいると思う。死にたいなら着いて来いって感じかと思うけど、どうだろうね?」


「安全装置がついてないジェットコースターに乗れるなら……どうぞ」


 祈君は答えて、ルタさんに翼で頬を叩かれていた。続いて翠ちゃんと梵さんも答えている。


「勝手にしたらいいわ。あいつらのこと、私は興味無いもの」


「危険を、承知で、来るなら、それは、光達の、選択だろう、な」


 そう、そうだ。これは私達ディアス軍の道。それに早蕨さん達は乗り込もうとしてる。兄さんのように、泣語さんのように。


 けれども決定的な違いが早蕨さん達にはある筈だ。


 私は考えて言葉を選び、自分の意見を発信した。


「最上階で中立者さんを捕まえる邪魔をしない約束をしてもらえるなら、私はいいよ」


 兄さんは私達が危険に飛び込むのを見ているだけが耐えられないから、ルアス軍というレッテルを無視して飛び込んできた。


 泣語さんはルアス軍ディアス軍の前に、私と共にを願ってくれた。涙ながらに代わりになると言う覚悟まで持って、後戻り出来ない切符を切ってくれた。


 でも、早蕨さん達はどうだろう。


 彼らはルアス軍であり続けている。私達だってディアス軍であり続ける。理想はあるが叶わないかもしれないそれは幻想に近い。私達は悪だという票を集めた中立者さんを生贄にする為、立ち向かいに行くのだから。


 その邪魔をさせない為に、協力者だと思わせない為にルアス軍の人の意識を抜いてもらった。ディアス軍の人にラキス・ギオンを渡してもらった。


 その邪魔をする気持ちがあるなら、まだ「生贄を捕まえるのは悪いことだ」と叫ぶなら、私は共には進めない。貴方が望む色良い返事は与えられない。


 帳君は息を吐くと目を伏せて頷いた。


「言っとくよ」


「……大丈夫?」


 確認のつもりで聞いてみる。早蕨さんと日中会えるのは帳君しかいないので結局お願いすることになってしまうのだが、言わずにはいられなかった自分がいた。


 あぁ、自分勝手な言葉だ。


 帳君とまた目が合った気がする。彼は口角を微かに上げてくれた。


「大丈夫、無駄に今まで顔合わせてないからね」


「そっか……ありがとう」


 私も笑って返事をする。帳君は頷いてくれて、翠ちゃんと祈君からため息を吐く音が聞こえてきた。二人は早蕨さん達に対してあまり友好的ではない……どちらかと言えば無関心方面のイメージ。


 梵さんは先程の返事的に肯定的なのではなく放任な気がする。


 私達の祭壇を初めて壊したグループ。


 それと共闘出来るかと言われたら、私は分からない。それでも巻き込みたくない感情さえ浮かばないのはその程度の他人と言うことか、関心がないのか。嫌いではないと思うんだけどな。


 頭を切リ変える。本題に戻ろう。


 私は、ルタさんの頭を落ち着かない様子で撫でる祈君を確認した。


「祈君、何か言いたいことがあったんだよ、ね?」


 言い方が分からなくて片言に確認する。顔を上げてくれた彼の動きに合わせて赤い毛先が揺れ、何度か首が縦に振られていた。


 祈君は口を少しもごつかせてルタさんを抱き直す。何となく合った気がした目は不安げで、私は笑っていたんだ。


 大丈夫、待つよ、大丈夫。


 祈君は何度か深呼吸をして顔を上げてくれる。その目は、口は、彼が閉まっていた言葉をくれた。


「俺……アミーが海堂さん達を殺してないって――知ってたんです」


 ――周囲の音が無くなる。


 何処かで鳴いていた蝉の声が蓋をしたように聞こえなくなる。


 私は目を見開いて、汗が頬を伝っていった気がした。

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