第157話 解消
嫌な仮定が出来上がった。
私達は最初から踊らされていたのではないのかと。
本当のことなど何も告げられずに来てしまったのではないかと。
誰かを殺す覚悟も生きるという決意も、いらなかったのではないかと。
最初から目的が殺すことであるならば、その過程を誰が必要とするのかと。
出来上がってしまった仮定。
夜、ベッドに体を倒して天井を見つめる。それから梵さんが共有してくれた
時沼さんが呟いた結論。
生贄というのは――私達なのではないか。
思い返せば、ディアス軍が集める生贄は誰に対しての生贄なのか説明されていなかった。ただ「祭壇を建てて生贄を六人集めろ」と言われてここまで来たのだ。
初歩的で、単純。
ディアス軍とルアス軍。思想の違う両軍どちらがアルフヘイムを統治するかなんて、こんなまどろっこしい方法で決めなくたって良かったんだ。
わざわざ違う世界の子どもを選んで、わざわざ力と兵士を与えて、わざわざ生贄と祭壇をやり取りさせる。時間も労力も恐ろしいほど消費するこの競争は、あまりにも非効率的だ。
中立者さんの
恨んだ世界の子どもを殺し、鉱石の原料として消費する。そうすれば鉱石を増やせるから。
しかし増やすだけでここまで面倒なことをするのか。増やすことが目的ならば攫って殺してしまえば良いのに。そうすればルールを決めたり兵士を付けたり、時間がかかる工程を飛ばしていけるのに。
そうすれば、アミ―さんも、メネちゃんも、ヴァン君も――
「やめろ、考えるな馬鹿」
腕を目の上に置く。瞼を閉じてゆっくりと息を吐けば、自分の心臓の音が聞こえてくる気がした。
終わったことを……戻らないことを考えてはいけない。
考えたら止まらなくなるから。赤と鉄の匂いを思い出すから。
駄目だ氷雨。思い出したら、また足が竦んでしまうから。
「氷雨、落ち着け、考えすぎんな」
りず君の声が聞こえてくる。私は目を開けて、腕を体の横に下ろした。
視線を向けたのはお腹の方。そこに乗っているりず君、ひぃちゃん、らず君はついさっき目覚めたばかりだが、眠気を吹き飛ばしたのはやはりこの
「ありがとう」
りず君達の頭を撫でる。
らず君は温かく光ってくれた。緑の光りが染み込んでくる感覚がする。
「あれ……らず君、色変わった?」
体を起こして三人を抱える。
らず君の緑には微かに青が混ざっているような気がして、硝子の彼を凝視してしまった。
らず君の体にはヒビも何も残ってない。最後にアミーさんが、治してくれたから。
瞬きをすれば、らず君の光りは完全な緑に見えてくる。……気のせいか。
「ごめんらず君、気のせいだ」
首を傾げたらず君を肩に乗せ、鼻先をつつく。彼は嬉しそうに目を細めてくれて、私も笑ってしまうんだ。
きっとあの残像のような色は、網膜に焼き付いている鮮やかな青のせい。それが写ってしまったんだ。
あぁ駄目だ、駄目だな、冷静であれよ氷雨。考えて、考えて、二度と後悔しない道を歩いて行け。
この仮定も確定ではない。
分からないからと問題の前で立ち止まったって、どうしようも出来ないだろ。
カーテンを少しだけ開けて、黒く塗り込められた空を見上げる。もう直ぐ日付が変わる時間。
月が綺麗だ。星も少し見える。さぁ、今日もアルフヘイムへ行って、最後の兵士さんに確認に行かなければ。
最後に向かうのは、お墓を作る手が痛いと言ったあの人の元。嫌だと言っていたのにまた作らせてしまった、あの方の所。
海堂さんの担当兵だった――グレモリーさん。
だが残念なことに、グレモリーさんの居場所は分からないとメタトロンさんは言っていた。
海堂さん達を逃がそうとしてくれたあの日、メタトロンさんが離れた間に何処かに行ってしまったと言うのだ。
「会って、聞いて……神様を捕まえて……生贄にして……勝って、生きる……」
それで本当に、いいのかな。
考えてしまった私は頭を振り、昼間に玄関を閉めた音を思い出す。
金髪の彼が拒んだのに、悲しそうな顔をしたのに、私は笑って突き放した。
「いや、正しい、これは正しい、間違ってない。目的は生贄、次の生贄は中立者さんの予定、協力してきたのは彼ら、それも終わった。これでいい、敵でいい、敵でいろ、合ってる、大丈夫、敵に戻った今が正しい、協力してたのがおかしかった」
自分に言い聞かせる為に目を伏せる。そうすれば不意に扉がノックされた。扉を開けに行けば、お母さんとお父さんが立っていたんだ。
二人は最近ずっとそう。
焦燥を隠そうとした顔で笑ってくれる。その笑顔は、あまり好きではない。好きではないけど、泣き出しそうな顔で笑う二人は私を抱き締めてくれるから。私はその温かさに甘えるんだ。
腕を広げてくれたお母さんに体を預け、息を吐く。
お父さんは優しく頭を撫でてくれて、私は瞼を下ろすのだ。
「今日も、いってきます」
「いってらっしゃい……氷雨」
「……いってらっしゃい」
お母さんとお父さんの声がする。
朝まで起きて待たなくていいよって伝えた。どうかゆっくり休んでねって伝えた。
そうすれば、お母さんもお父さんも苦しそうに笑ったんだ。
何も出来なくてごめんと。だからどうか、待つことだけは許してくれと。
兄さんはまだ二人の電話を取らないらしい。
本当、不器用すぎだぞ兄さん。
私はお母さんから離れる。お父さんの手の甲に掌を重ねて、笑いながら。
「大丈夫だよ」
伝えていよう。どれだけこの言葉が薄っぺらなものでも、確証なんてなくても、好きではない言葉でも。
伝えなければいけない。待ってくれる人がいるのだから。
お母さんもお父さんも笑ってくれる。
あと数分で、またバイバイ。私がそう思って携帯を握り締めた時、不意に着信が入ったんだ。
電話。誰。
驚きつつ「ごめん」を言って画面を見る。そこにあった名前は今しがた考えていた人のものだ。
お父さんとお母さんを見て、二人は寝室に戻ってくれた。気が使えるのって凄いよな、大人って、やっぱり。
考えながら扉を閉めて呟いてしまう。
「……兄さん」
鳴り続ける携帯。あるのは〈兄さん〉の文字。私は暫くその画面を見つめて、拒否を押してみた。
「出なくていいのか? 氷雨」
「いや、多分……」
首を傾げてりず君を見れば、再び電話が鳴った。
人の電話には出ないのに。貴方の着信はこの前から無視し続けたんですけど、まだ負けないのか。この時間帯に。
私は若干呆れながら息を吐き、通話のボタンを押した。
「……はい」
「さっさと出ろ」
開口一番に怒らないでほしい。
肩を落としながら兄さんに反抗してみる。意外と怖くなくなったこの人は、きっと本気で怒りはしないのだと思いながら。
「切るよ」
「待て馬鹿」
誰が馬鹿だよ。兄さんから見れば大概の人は馬鹿ではないのかコノヤロウ。
「兄さんの口は悪口か棘しか吐けないのかな」
「そう思うなら吐かせねぇような態度を取れよ」
「難しい……で、本題は何でしょう」
「お前今、アルフヘイムの何処にいる」
「……ん?」
「場所を言え」
「……ニクシーの川」
「嘘つけ」
なんでバレたし。
今にも深いため息をつきそうになって我慢する。多分これ、どれだけ適当な嘘を並べてもバレるだけだ。
私は考え直して、素直に言い直した。
「バーバヤーガの樹海だけど……」
「そこ動くなよ」
「え、なんで」
「じゃあな」
「ちょっと兄さ、」
電話が切られる。
は……
通話終了の画面を見つめた私は、枕に向かって携帯を投げつけておいた。
* * *
兄さんのことはよく分からない。
何を考えているのかとか、何がしたいのかとか。
守ろうとしてくれているのはよく分かる。それだけは分かる。
だがしかし、主語なく命令するのはどうなんだよ。
思いながら、樹海の中を飛び回るバーバヤーガさん達を見下ろしておく。
白い鉱石で作った骸骨に乗り、他の人を驚かすのが好きなバーバヤーガさん達。隙あらば後ろに回り込んで来られるのは考えものだ。
見た目はシュリーカーさん達にオブラート巻いた感じで、目は吊り上がってるけど怖いとは思わない。私の感性だが。
バーバヤーガさんは見た相手に起こる不幸を少しだけ察知できるのだとか。メタトロンさんに聞いたら、彼らはシュリーカーさん系統の住人さんだと教えられて納得してしまった。
私を見つめて去っていくバーバヤーガさんが何人かいたわけだが、未来なんて知りたくないので声はかけないでおいた。
自分の掌に書いた文字を見る。
グレモリーさんは元気にしているのだろうか。
私達を逃がしてくれた勇ましい背中を思い出して、目を閉じてしまう。
フォカロルさんとアロケルさんには聞けなかった。フォカロルさんの首を一周していた水の縫い目、アロケルさんの傍からいなくなっていた馬のような生き物。
それが代償な気がしてならなかったから。
私は首から下げた鍵を三回叩く。
結局、梵さんと私の担当がメタトロンさんである今。呼ぶタイミングが被れば現れてくれないのかもしれないが、現れてくれたので何でもいいか。
メタトロンさんは「なんだ?」と大あくびをした。
……やる気。
「グレモリーさんの居場所、分からないんですか?」
「あぁ、上手く隠れているようでな。俺には千里眼もない、結界でも張られれば見つけるのは難しいんだ。サンダルフォンならどうにか出来るかもしれんが手伝わせるのも疲れるからなぁ」
そう言いながら笑うメタトロンさん。私は映像の彼を見つめて、自然と目を細めていた。
あぁ、これ――探したら駄目なやつだった。
確かにそう思ってしまった。
メタトロンさんはグレモリーさんを探している。そして自分では探しきれないから、私が探している姿を見つめている。見つけるのを期待している。
それを彼は隠しもしないし、サンダルフォンさんの名前を簡単に出す。彼の態度を見て頭痛がする気さえした。
この人は既に私達に「戦士」としての価値を付けてない。あるのはこの先「どうなっていくか」と言う興味だけだ。
そう思わざるを得ない。そう思わせてくる。
この人は、勝利に興味なんて持ってない。
「メタトロンさんは、誰の味方なんですか?」
聞いてみる。それにメタトロンさんは答えることなく笑い続け、私も紅蓮の瞳を見つめることしか出来なかったのだ。
まだ本質を聞いてはいけない。本当に聞きたいことは黙っていなければいけない。
この人の気が変わってしまわない内に、進まなければいけない。
「氷雨!」
不意に下から呼ばれて視線を向ける。
居たのは兄さんと時沼さん、闇雲さんに屍さん。
バーバヤーガさん達を避けて私がいる木へ近づいてきた兄さんは、「降りてこい」とジェスチャーをしていた。
ため息が出る。
なんで兄さんは私に近づくんだよ。敵軍だろ。ルアス軍だろ。誰も協力して欲しいなんて言ってないのに、協力すると真っ直ぐな目で言ってきて。
あぁ、何なんだよ本当。
そんな悪態じみたことを頭の中で呟いて、私はひぃちゃんに合図する。
メタトロンさんはルアス軍である兄さん達を見ても笑ったままだ。
「期待してるぞ」
なんて言って消えたが、それは何に対する期待だよ。
ひぃちゃんが翼を広げて滑空してくれる。私は静かに着地させてもらい、お姉さんにお礼を言った。緋色の彼女は笑ってくれて、ふと視線が前を向く。だから私もその視線を追った。
すると予想以上に近くにいた兄さんから、とつぜん拳骨を貰ったんだ。
「ッぃ!!」
「ちょ、時雨さん」
上擦った時沼さんの声がする。それを無視した兄さんは「お前らなぁ……」と呟いて、私は頭を押さえるのだ。
背が縮んでくれたらどうするッ
「何すんの兄さん……」
「急になんだ、ふざけんなよ」
兄さんを見上げる。彼の眉間の皺は今日も濃くて、私は「ぃや……」と呟いたのだ。
多分って言うかきっと……昼間の事だな
「もう、十分だから」
言って、間違えたと思う。
兄さんのこめかみに青筋が浮かんだ。伸びてきた両手に頬を掴まれる。そのまま無遠慮に引き伸ばされて無言の兄さんに睨まれるのだってイダダダダダ、ふざけんな。
「へい! 氷雨ちゃん視線をこちらへ!!」
兄さんの足を全力で踏み潰したと同時に、屍さんから言葉を貰う。見ると彼女はカンニングペーパーのような紙を持って笑っているではないか。
私はそこに書かれた文字を読む。
〈俺達を置いて進む気だな〉
その筆跡は兄さんの字。きっちり筆の最後を止める真面目な字。
私の頬は離されて、視線はやっぱり上に向かった。
両頬をりず君とらず君が撫でてくれる。兄さんは私を見下ろして唇を結んでいた。
協力してくれると伝えてきた彼らを、私はアルフヘイムで跳ね除けた。この世界では聞かれてしまうから、敵でいなければ駄目だから。
それでも、兄さん達の真剣な目を断れるほど私はまだ強くなかったから。苦しくて帳君達に報告した。あの目は断ってはいけなかった気がしてしまうのだと。
そうしたら、ルアス軍から票を集めることだけは手伝って貰えそうだ、なんてことになった。だから、これからどうしようとしているかをタガトフルムで時沼さんに伝えたんだ。
アルフヘイムでは言葉に気をつけないといけないこと。
中立者さんを生贄にしたいと考えていること。
協力を申し出てくれるなら、ルアス軍の兵から票を集めて欲しいと言うこと。
それを兄さんはまた怒ったんだろう。何度も何度も電話してきて、全部無視してやった。だから言いたいことは全部時沼さんを通して伝えられた。
無茶するな。神相手に何しようとしてる。なんで競争を止めなかった。ふざけんな。お前はどうしてそうやって、自分に厳しくするんだよ。
時沼さんの言葉からオブラートを取ったら、こんな感じ。何をしようとしているか分からないまま「協力する」って言いに来て、何をするか伝えたら「馬鹿野郎」って怒ってきて。
兄さんはこの数日間、多分ずっと怒ってたんだ。無茶しようとする
今もそう。この拳骨もそう言うこと。
昼間、報告会を終える時に帳君が言った。時沼さんと闇雲さんに。
――あんたらの協力はここまででいいよ
それに白の二人は驚いた。
なんでだって焦ってたけど、帳君は早々にパソコンの電源を落としていたし、梵さんもお辞儀して消えた。翠ちゃんもお礼を言っていなくなり、祈君も頭を下げてお兄さんを突き飛ばして退出した。
私もそう。全員が消えたのを見届けて時沼さんを帰らせた。「まだ何かするから」と言う彼に私は笑い続けて、首を横に振ったんだ。
――もう十分です。ありがとうございました
そう言って玄関を閉めた。
嫌に虚しく開閉音が響いた記憶がある。
兄さんは、何よりもそれに怒っているんだろう。
検討がつくからまた困る。頑張って嘘を突き通すんだった。ここにいるだなんて言わなければ良かった。
数十分前の私を後悔する。だから言葉を選んで、気をつけて、私は言うんだ。
「……ルアス軍かディアス軍か、どっちかは死ぬんだ。死なんてすぐ傍にあるんだ。私達が選んだ道は死ぬか生きるか、それだけのこと……心中する道理はないよ」
きっと兄さん達は私達の祭壇を壊しに来ない。早蕨さん達も。
そう踏んで、翠ちゃんの意識を抜かれるリストからは除外された。
どれだけこの競争がおかしいと気づいても、私達はそのルールから逸れる気は無い。生贄を集める。六人祀る。五人目を中立者さんにしようとしている。だからこんな大掛かりなことをしている。無事捕まえれば後一人。捕まえられなければきっと、終わる。
でも、もしかしたらこの競争――
止めろ、可能性が小さすぎる。
私は自分の中の願望を閉じ込めて、目を伏せた。
感情が、考えが、ごちゃごちゃしてる。またきちんと整理しなければいけないな。
「ひさ、」
「兄さん」
口を開いた兄を遮る。
どうか呼ばないで。どうかこれ以上近づかないで。どうかそこで見守ってて。
私は笑って、兄さんを見上げていた。
「ありがとう。ここまででいい。これ以上はいらない」
兄さんに手を掴まれる前に飛び上がる。ひぃちゃんは翼を強く羽ばたかせてくれて、私は複雑な樹海の中に消えてみせた。
時沼さんに見られないように。追いつかれないように。
いいんだよ、兄さん。
これは私達が決めたこと。
梵さんと私の私情もある。
大事な友人を殺された。優しい彼らを奪われた。
だから私達は中立者さんを生贄にしたい。
「どんな理由があったって、どんな事情があったって……そう、決めたんだ」
樹海の中を掻い潜るように進む。ひぃちゃん達は何も言わないでくれて、私は考えの整理に努めたんだ。
情報が錯綜する中、根本を見失わないように。
なのに、どうしてかな。
意外と私の兄は往生際が悪いらしくて。
「よぉ」
タガトフルムで学校行って、帰宅したら玄関に仁王立ちしている――兄がいた。
……ふっざけんな、マジ。
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