第117話 断絶


 部屋を埋めつくしていた服が宙を舞う。色とりどりのそれは私の視界を狭めてきた。


 頭では、腕から出血している泣語さんを退却させたいとばかり考えるんだ。


 服の波間を縫ってメスが投擲とうてきされる。それをハルバードであるりず君で弾き、泣語さんの足元からは輝くリフカが勢いよく伸びた。


 グレモリーさんのメスがリフカを貫通し、床に植物を縫い止める。


 見た目普通のメスみたいなのに。特殊な武器か。いや、観察なんかどうしようもないか。


「泣語さん、防御をしていてください」


「ですがメシア、ッ」


「良いんです。大丈夫、お願いします」


 微笑みながら泣語さんに伝える。らず君は彼の肩で輝いてくれて、私は泣語さんを見つめるのだ。


 彼は奥歯を噛み締めて、眉間に皺を寄せる。そのままリフカのドームが出来て、泣語さんを包んでいった。


「直ぐ、治しますッ」


 その声があまりにも苦しそうで、居た堪れない。


 大丈夫、大丈夫です、大丈夫だから。


 今の彼にどんな言葉も届かないと勝手に考えてしまう。だから笑って頷くだけにした。


 泣語さんの姿が隠れる。それを見届けてから前を向き、落ちる布の向こうにある紫色の瞳からは目を逸らす。


 あれは見てはいけないものだと私の心が言っていた。


 ひぃちゃんが私の背中を持って足を浮かせてくれる。


 流石に、友達を血だらけにされて黙っていられるほど人間出来てない。それが敵陣の友達でも。


 あぁ、覚悟がなってない証だな。


 腕を振り抜き、グレモリーさん達の方へ一直線に翔けてもらう。


 海堂さんは何も言わないままグレモリーさんの横にいて、兵士さんは見た目からは想像出来ない勢いで近くの机を投げ飛ばしてきた。


 体を回転させて机を躱し、ハルバードを振り下ろす。


 らず君がいない為威力は普段より劣るが、急速落下と刃の重さでそこそこにカバーは出来るだろう。


 ハルバードを撃ち込む。


 それをグレモリーさんは二本のメスで受け止めて、私はそこから先に進めなくなった。


 力を込める腕が震えて汗が頬を伝う。


 グレモリーさんは涼しい顔で私を見上げ、その足が動いたことに反応しきれなかった。


 左脇腹にグレモリーさんの蹴りがめり込む。


 痛む音と、軋む音を聞いた。


 手が一気に冷えて震えてしまう。


 私の視界は瞬時にぶれて、城外の建物に背中から激突した。


 大砲でも打ち込まれた気分だ。


 背中にいたひぃちゃんは掴んで抱えたから、彼女の怪我は最小の、筈。


 震えた私の体は前に倒れ、這い出たひぃちゃんとりず君に呼ばれるのだ。


「氷雨さん!」


「氷雨!! おい、しっかりしろ、氷雨ッ!」


 灼熱の太陽光に背中を焼かれる。


 左の脇腹はじくじくと痛み、背中や指先が震えた。足にも力を入れたいが、入れ方が分からなくて目眩もする。


 身体中から冷や汗が吹き出して、暑くて堪らない筈の空気すら感じるのに時間がかかった。


 いた私の口内には、酸っぱいような、不味い鉄の味が広がった。


 たった一蹴り。


 それだけなのに私は戦闘不能に片足を突っ込んでいる状態まで落とされ、体を不快にさせる冷や汗は脂汗へ変わった。


 この数ヶ月、色々な暴力を受けた記憶がある。


 カウリオさんしかり、ウトゥックさん然り、デックアールヴさん然り、ルアス軍然り。


 けれども、それら全ての暴力を吹き飛ばす程の、これは暴悪ぼうあく


 重すぎる一撃は立ち上がろうとした足を再び地面に崩れさせ、喉から競り上がった赤い液体を地面に吐き出した。


「氷雨!!」


 翠ちゃんの声がする。


 私はこちらに駆けてくる彼女の姿を見て、グレモリーさんとも目が合った。


 その手に握られたメスが光って、海堂さんがこちらを見て。


 私は自分の足を叩き、立ち上がった。


「りず君ッ」


 翠ちゃんの腕を引いて抱き締める。


 りず君に小型盾カエトラへ変身してもらう。


 脇腹から体全体へ痛みが突き抜けたが、倒れることなど許さない。


 グレモリーさんのメスは空を裂いて、弾丸のように迫っていた。


 不意に。


 りず君の前に立ってくれた影がある。


 それは迫った全てのメスを叩き折り、翠ちゃんを抱き締めた私の腕が震えた。


「梵、さん……」


「無事か、二人共」


「梵、ッ」


 大きな梵さんの背中がそこにあって、私の肩から強ばりが抜けていく。翠ちゃんは私を抱き締め返してくれて、りず君は針鼠に姿を戻していた。


 泣き出しそうなパートナー達の顔が目に入る。それに笑ってしまう私は自然と脇腹を押えていた。


「大、丈夫」


「何が大丈夫よ……ッ、馬鹿」


「ごめん、なさぃ」


 翠ちゃんに怒られてしまい、私の顔が苦笑する。梵さんが纏っていた空気は刺すような鋭さを持ち、私はせながら彼を見上げた。


「氷雨、一足、遅かったん、だな、すまない。直ぐに、治して、やりたいが、先に相手を、倒さねば、その、時間は、貰えない、だろう」


「ぁの、私は、いいんです……それ、よりも……泣語さんが」


 そこまで喋ってまた噎せてしまう。その度に体は軋み、蹴りの威力を再確認する。


 時間が経つ事に体の熱が溜まっていき、痛みは酷いものになる。それでも意識を飛ばしてはいけない。この震える足を死に物狂いで動かして、私も立ち上がらねばならない。


 呼吸する度に腹部から背中、頭や末端へ痛みが広がって視界が滲む。


 それでも立てよ氷雨。お前の痛みはお前が抱えて、我慢すれば何でもなくなる。


 自分の呼吸音が耳の奥でうるさく響き、私の内臓が震えている気がする。


 しんどい、しんどい。


 いや、しんどくない。


 吐き気すら感じて、それを飲み込んで立ち上がる。


 目の前からいなくなった梵さんはグレモリーさんに蹴りかかり、彼女の端正な顔立ちが歪むのが見えた。


 お互いの拳と蹴りが重すぎて、殴るなんて安い表現では収まらない攻防が繰り広げられる。


 梵さんの眉間に皺が寄るのが見えて私は息を呑んだ。


 翠ちゃんが背中を支えてくれて、私は足をしっかり自立させることに努める。


 顔を上げれば遠くに海堂さんがいて、彼の紫色の瞳と目が合ってしまった。


 駄目だ――逸らせ。


 そう自分に強く言って視線をずらす。


 彼の目を見てはいけない。見れば終わる。


 膝が笑っている。


 ふざけんな、たかが一撃だ。もっと気持ちを強く持て、氷雨。


「翠ちゃん、ぁり、がと」


「氷雨、駄目よ、無理しないで。休んでなさい」


 翠ちゃんに諭される。背中を撫でてくれる手は優しくて、暑い空気は肺を焼き、私の指先は震えていた。りず君達も元気が無い。それを確認した私は奥歯を噛み締めるのだ。


 このままでは今の状態が変わらない。私が参戦しても足でまといになるだけだ。


 泣語さんは緑のドーム。大丈夫。


 スティアさんはいない、無事、大丈夫。しっかりしろ。


 震える自分の足を叩いて頷く。翠ちゃんも頷いてくれて、私は情けない自分をあざけるのだ。


「……体調戻れば、参戦、しに来ます。それまで泣語さんと、ちょっと、離れてます」


「そうしなさい」


 翠ちゃんはこちらに歩いてくる海堂さんと対峙する。


 私は「ひぃちゃん」と覚悟を決めて呼び、緋色の翼は頷いてくれた。


「痛ければ言ってください」


「……我慢する」


 私は笑って、ひぃちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をする。それから私の背中を持ち上げてくれて、腹部に走った鋭く酷い痛みは無視をした。


「ぅ、ッ、ぐッ」


「氷雨さッ」


「良い、行ってッ」


 呻いてごめん。弱くてごめん。


 そんな謝罪を胸いっぱいに詰めながら、ひぃちゃんにお願いする。


 お姉さんは頷いて、私はリフカのドームの横に戻らせてもらえた。


 膝が笑う。地面にうずくまってリフカに触れば、それはゆっくり解けていった。


 イーリウを両腕に植え付けて傷を癒す泣語さんの姿がある。私の肩からは力が抜けた。


「泣語さん、すみません、少し場所を、移しま、せんか?」


「メシア……ッ、メシア、怪我を!」


 目を開けた泣語さんの顔色が変わる。


 顔面蒼白って、多分これだな。


 思いながら笑えば、泣語さんに手を握り締められた。


「すみません、すみません、ッ、俺が抑えられないばかりに貴方に怪我をッ! 貴方よりも自分の怪我を優先してしまうだなんて俺は愚かだッ、例えそれが貴方のお願いだとしても!」


 泣き出しそうな泣語さんが私にイーリウを近づけてくれる。


 それは私の腹部から赤いものを吸い出して、比例するように痛みは緩和されていった。


 呼吸が楽になる。顔から力が抜けていく。


「いいえ泣語さん、ありがとうございます。貴方がご無事で良かった。こうして治療していただけて……感謝しかありませんよ」


「あぁ、メシア、メシアッ」


 白い顔を青くしたかと思えば次には赤くして、目がつり上がっていく泣語さん。彼の雰囲気すらも赤くなっていくようで、私は彼をしきりに呼んだ。


 私の声は届いてますか。貴方のそれは怒りではないですか。


 不安になりながら手を固く繋がれる。


 泣語さんの顔には色々な感情がごちゃ混ぜになったような色があり、私は喉が締め付けられた気がした。


「俺はどれだけ痛めつけられたって構わない。けど、メシアを傷つけるのだけは許さない」


 泣語さんのこめかみに青筋が浮かんでる。


 あぁ、今日は色んな人が怒る日なんだなって、他人事かよ。


「あいつら殺す」


「ッ、泣語さ、」


 私の脇腹から痛みが失せて、イーリウが泣語さんが持っている小瓶に回収される。


 私は、歩きだそうとする泣語さんの腕を反射的に掴んでいた。


 ただの殺し合いは何も生まない。ただの喧嘩は恨み辛みしか残さない。


 泣語さんが驚いた顔で私を見下ろした。私は笑ってしまう。


「泣語さん、考えましょう、話をしましょう。今この場の原因は何なのか。そうしなければ、これはただの戦争になる」


 伝える。どうか届けと願いながら。


 泣語さんは肩を揺らしてから「……はい」と返事をくれて、私の胸には安堵が広がった。肩にはらず君が跳んできてくれる。


「……貴方はやはり、素晴らしい」


 そう呟いた彼は微笑んで、私は息を静かに吐く。


 泣語さんの向こうでは、グレモリーさんと交戦する梵さんと、海堂さんに手裏剣を投げる翠ちゃんがいた。私は奥歯を噛む。


 今行ってどうする。戻って私に何が出来る。


 海堂さんと話をすべき。


 考えた私は足を進めようとし、背後の壁が吹き飛ばされる音を聞いた。


 瓦礫が飛んでくる。


 隣の部屋は、祈君達が着替えに使っていた部屋で――


 白い翼がある男の人が、祈君の首を片手で掴む姿が目に焼き付いた。黒いタキシードを着た彼は、ダークブロンドの髪を片手間に払っている。


 祈君の額からは血が流れ、同化した両翼は水の帯で雁字搦がんじがらめにされていた。


 彼らの後ろには、帳君の頭を踏みつける馬のような生き物と、金に朱色が混じった髪を逆立てた男の人がいた。彼も黒いタキシード姿だ。


 帳君を踏む生物はいななきを零し、友達が血を吐き出す姿を見てしまう。


「久しぶりだね、氷雨ちゃん」


「抵抗すれば、貴方も同じように潰します」


 瓦礫と土煙を抜けて現れたのは――綿済わたずみさんと紫門しもんさん。


 綿済さんの周囲にはぬいぐるみが浮遊しており、紫門さんの周りには水の帯が舞っていた。


 ――そんな状況観察どうでもいいか。


 私の全身が熱くなり、りず君がフットマンズ・アックスへ変わる。


「――離せよ」


 自分のものではないような声が出る。


 祈君が身じろぎするのが見えて、四人の紫色に光る目を私は睨みつけるのだ。


「友達を、離せよッ!!」


 らず君が強く輝き、ひぃちゃんが羽ばたいてくれる。


 大きな武器を振り上げる力はある、湧いてくる。


 紫門さんが勢いよく打ち出した水を躱し、綿済さんの近くにいた人形達はこちらへ飛んでくる。


 その重たい人形の体を叩き落とし、私は祈君を掴む人の足元に滑り込んだ。


 離せ、返せ、ふざけんな。


 その三単語だけが頭を回る。


「愚かな」


 祈君を掴む人の上に、水で出来た大きなハンマーのような物が出来る。


 それが振り下ろされると同時に植物が割り込み、緑に当たった水の鈍器は弾け飛んだ。


「メシア!!」


 泣語さんの声を合図に、私は真一文字にりず君を振り抜く。


 刃を丸くなんてしてやらない。


 切断したのは、祈君に酷いことをしたであろう人の両足首。


 翼を持つ彼の驚いた表情を見る。


 瞬間、横から叩き付けられた人形と水の弾丸に私は目を白黒させるのだ。


 体が吹き飛ばされる。


 それでも鞭となったりず君で祈君の胴体を掴み、目一杯の力で引き寄せた。赤い毛先の彼を抱き締める為に。


「ッ、ひぃちゃん離れて!」


「いいえ! 私は貴方の翼で、盾なんです!!」


「そりゃ俺の台詞じゃボケェ!!」


 叫んだりず君が大きなクッションになってくれる。彼は壁と私達の間に入り込んで潰れ、私は体に走った痛みに眉を寄せた。


 大丈夫、グレモリーさんより痛くないッ


「りず君ッ!」


「俺はいい! 氷雨、ひぃ、らず!! 気張れよ!!」


 りず君に叱咤され、ひぃちゃんが私を舞い上がらせてくれる。


 りず君は地面を走り、私達が数秒前にいた壁に水のハンマーが激突した。


 亀裂が入る。壁が崩れる。


 その光景を宙で見つめて、水に締め付けられた祈君を見る。


 抱いた彼の額は大きく切れており、目の焦点が今にも合わなくなりそうだ。


 その表情が怖くて冷や汗が溢れる。


 私は泣語さんの横へ滑りながら着地し、イーリウの種を掴んだリフカが祈君を包んでくれる様を見守った。


「泣語さん、ありがとうございます!」


「いえ! でもメシア、彼の傷は少し時間がかかります!」


「良いんです。その間、守ってくれますか!」


 お願いしてしまう。縋ってしまう。


 泣語さんは口角を上げながら頷いてくれて、私はそれを確かに見届けた。


「ごめんなさい」


 私に負ける気は毛頭ない。それは貴方を殺すことで、今日なんて自分が勝った後の兵士さんを心配する始末。


 ののしって欲しい、嫌って欲しい、死んでしまえと言って欲しい。殴ってくれていいし、攻撃されたって文句はない。


 無事にこの局面を抜けたら、さよならと一緒にお願いしようか。


 決めた私は床と平行に体を倒し、ひぃちゃんが力強く羽ばたいてくれる。


 綿済さんは眉間に皺を寄せながら落ちていた服を掴み、一瞬で伸びた指の爪を立てていた。


 それが抜かれた時に布は人型をとり、一人でに宙に動き出す。


 飛んできたぬいぐるみ。小さくも威力ある拳と私の間に、りず君が飛び出してくれる。


 茶色いパートナーはカエトラになって攻撃を防ぎ、瞬く間にリング・ダガーに変身してくれた。


 目の前の人形を裂き、後ろから飛びかかってくる人形を確認する。


 リング・ダガーの柄にある円形の部位に指を入れて回し、そのまま後ろに腕を振り抜く。小さな布の頭は千切れていった。


 ダガーを指先で回して持ち直し、再び地面を蹴って帳君に向かう。


 喧嘩してたのなんて後だ。謝りたいし頭下げたいし、名前を呼んで欲しい。


 くそ、一体いつから私はこんなに弱くなったのか。


 笑ってしまいそうになる。綿済さんの前に飛び出した紫門さんは、水で出来た剣を振り被っていた。


 それをダガーでは受けきれないと判断し、りず君には刀身の反った刀――ファルクスに変身してもらった。


 刃と刃を打ち合わせる。


 水とは思えない硬さを感じたが、そんなものに構う気はない。


 私はグレモリーさんの動きをなぞって足を上げ、渾身の蹴りを紫門さんの脇腹にお見舞した。全力で、全霊で。


 彼は少し目を回して呻き、体勢が崩れたのを見逃さない。


 ひぃちゃんが私を浮かせて、蹴りで反動がついた体を勢いよく回す。


 りず君を踵に纏ってプロテクターのように固くした私は、紫門さんの側頭部に蹴りを叩き込んだ。


 紫門さんの眼鏡が吹き飛び、地面に倒れ込むのを視界に入れる。


「ッ、ぐッ」


大琥たいが!!」


 綿済さんの切羽詰まった声がする。それを無視して彼女を飛び越え、帳君の上に乗る人を見つめるのだ。


 髪が逆立った彼は紫色の目を持っている。


 何故、皆その目の色なのか。


 タキシードを着た貴方達は、私が救いたいと思ってしまった青い兎さんと同じ立場ではないのか。


 何で、何だ、訳わかんねぇしふざけんな。もう沢山だ。苦しい、苦しい、苦しい、戦いたくない、傷つけたくない、傷つきたくない、痛い、嫌だ、もう、もうッ


「ッうるさい黙れ!!」


 自分で自分を叱咤して、ハルバードになってくれたりず君を握り締める。


「哀れな異端者の駒か」


 帳君の上に乗る生き物の足が退く。


 同時に。


 手綱を握っていた人は私に伸びた爪を突き立てて、全身を駆け巡った痛みが動きを麻痺させてきた。


 血飛沫が舞う。


 痛い、熱い、痛い、痛い痛い痛い、熱い、このッ


 また、帳君の頭を踏むように生き物の足が動く。


 帳君の指が痙攣するように動き、微かに目が合ったんだ。


 ごめん、帳君。私は貴方が言う以上に傲慢で、みんなで手を取り合う未来を望む早蕨さんと確かに似ているかもしれない。


 けど私は、私の知らない所にいる戦士なんてどうでもいい。私が知らない人なんて、勝手に生きていればいいとだって思う。


 私は、私の傍にいてくれる友達が、仲間が――愛しいから。


 貴方達を救えたらいい。


 それだけでいい。


 私の左の顔が爪に抉られ皮膚が裂ける。


 左耳のピアスが吹き飛ぶのが見えて、耳の中を血液が満たした気がした。


 熱い鉄の匂い。


 目は無事。


 腕も足も、私の翼も、刃も、光りも全て健全だ。


「――仲間を、返せッ!!」


 振り抜いたハルバードでタキシードの彼の首をねる。


 重たい感触が体に鳥肌を立て、ピアスが落ちる音を片耳が拾った。


 金と朱色の混ざった髪を持つ首が宙を舞う。


 それを見て、戻れない所まで足を突っ込んだと理解した。


 けれども、動いた紫色の目を見た私は――何も出来ていないと悟らされた。


「威勢は買おう。しかし、まだまだ未熟な子どもだな」


 そんな言葉を胴体と離れた顔が言うから。


 鳥肌が立って、目眩がして、同時に自分の肩と太腿を貫かれた。


 焼けるような痛みに悶絶する。


 ひぃちゃんの翼が爪に裂かれる。


 らず君とりず君が弾き飛ばされ、私の体が地面に倒れ込む。


 右肩と左腿を裂いた爪は戻っていった。


 生き物の上から降りた胴体が床に転がる首を持ち上げる。そのまま、切れた部分同士がくっつき合う。


 見れば、翼を持つ彼の両足首もくっついているから。私は自分の無力が歯痒くなった。


「いい切れ味だった」


 首をくっつけた彼は私の方を向いて感想をくれる。


 あぁ、不甲斐ない。


 生暖かい血が零れていき、泣語さんに強く呼ばれた気がする。


 水の音がする。


 何かが壊れる音も。


「……氷雨ちゃん、仲間になってくれる?」


 光りを遮って覗き込んでくる人がいる。


 綿済わたずみゆずるさん。


 彼女は出会った時と変わらない、毛先を染めた可愛らしい顔立ちだ。その顔は泣き出しそうな表情だけれども。


「みんなでね、止めよう? こんな競走、誰も幸せになんてならないよ。みんな結局殺される。思うように動かない戦士は、兵士の勝手で消されるんだ」


 綿済さんは唇を噛み締めて言葉をくれる。


 あぁ、そうだ……一人いない。


 一番幼かった、その場を取り持つように笑う彼が。


「殺されたよ――はじめは」


 和真かずまはじめ君。


「祭壇を壊したからって。もう次はないって。麟之介君や私達に言いながら、あの子の兵士が創を殺したんだ。あんなの、ただの見せしめだった」


 熱い雫が落ちてくる。


 それは綿済さんの両目から零れていた。


「悔しい……こんなの、こんなのないよ……氷雨ちゃん」


 私の視界が霞んでいく。


「ね、お願い。一緒にこの競走、終わらせよう? ボイコットしよう? みんなで――兵士を殺そう?」


 言葉が理解出来ない。


 音が遠い。


「そうすればきっと救われる。私達を良いように使う兵士なんて殺して、みんなで勝利を掴むんだ。これはルアス軍とディアス軍の戦いなんかじゃない。戦士と兵士の戦いだったんだよ」


 喉が熱い。瞼が重くなっていく。


「お願い氷雨ちゃん。大丈夫だよ。ここにいる三人の兵士も麟之介君の力で味方にした。思う通りに戦ってくれるの。凄いよね? 凄いでしょ? 麟之介君、私達の為に凄く、凄く頑張ってくれてるんだ」


 手を握られる。紫色の瞳から雫を流す彼女に。


 その目が瞑られたと思った時、彼女の髪は風に巻き上げられて私の体が浮いた。


 抱き締めてくれる人がいる。


 声がする。


 けれども重たい意識はその声を音としてしか拾えず、私の瞼が完全に閉じる。


 怪我をしていない耳元から聞こえる誰かの心音は早くて、私を抱き締めてくれる腕は強いんだ。


 意識を手放す。


 次に目覚めた時、私の目の前には――風と水の嵐があったんだ。

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