第72話 願望

 

 ラドラさんに連れられてやって来たのは、ガルムの洞窟。


 猛スピードで走行する彼女に体も頭も着いていけず、近づく事に息苦しさは増していた。


「どういうことだよ、おい!」


 りず君が大きな声で抗議し、私は揺れた視界に吐き気を覚える。私を尻尾で掴んでいる女王様が飛び越えるのは、彼女の民の成れの果て。


 時折弾けて光りの粒へと変わるオヴィンニクさん達はもう息をしない。野を駆けることも太陽を浴びることもなく、奪うことも何も出来なくなったその姿。


 それが死だ。


 私が恐れる死の姿だ。


 私は奥歯を噛んで、山から駆け下りてきたガルムさん達を見る。彼らの赤い瞳はラドラさんと私を見つめ、地面を抉る音は鳥肌を立てさせた。


「ッ、りず君!」


「仕方ねぇッ」


 私はハルバードになってくれたりず君を横に振り、ガルムさん達を牽制けんせいする。らず君は輝いて、飛び立ったひぃちゃんは毒の牙を番犬さん達に向けていた。


「そう、それでいいですわ!! それで!」


 ラドラさんが歓喜に満ちた声で叫び、ガルムさんの特攻を跳躍してかわす。


 揺れた視界のせいでガルムさん達を一瞬見失ったが、らず君が補助してくれた反射神経が月白色を捉えさせた。


 牙を向けてきたガルムさんにりず君を振り落とす。


 それを容易く弾いたガルムさんの目は凍てつくような光りを宿しており、私の頬を冷や汗が伝った。


 遅れるな、見失うな。


 自分に言い聞かせて、私はラドラさんの尾を掴む。強固な力で私を捕らえている黒は、らず君の補助があっても外しようがなさそうだ。


 少し力を込めてみたが、激しく揺れたことによって諦めた。


 口の端から火の粉を零したガルムさんを見つける。私はりず君を持ち直し、茶色い彼はスクトゥムへ変身してくれた。


 業火を盾で伏せぎ、薙ぎ払う。


 焼かれた空気を吸えば肺が痛んだ気がしたが、その不満を零しはしなかった。


「行きますわよ! 戦士のお方!!」


「ッ、ラドラさん」


 この閉塞感すら諸共しないと言うように、ラドラさんは山肌を駆け上がる。


 彼女の瞳は玩具おもちゃを与えられた子どものように輝いて、私の体温は一気に引いていくのだ。


 ラドラさんの前にガルムさんが飛び出して炎を吐く。


 それに反発するようにラドラさんは周囲を燃やし、お互いの炎を打ち消しあった。


 その熱がこちらに飛んできて、反射的に私はらず君を隠すのだ。


 飛んできた火の粉は私に当たる前に消えてくれたが、それを喜ぶ暇すら与えられない。


 りず君が針鼠に戻り、ラドラさんのスピードが上がる。風の抵抗が少なくなってしまったから。


 りず君は若干酔っているようで、かく言う私も気持ち悪い。命の鉱石の空気と安定しない走行のせいだな、きっと。


 なんて思っている間にラドラさんは洞窟に滑り込み、瞬間、私の体が勢いよく天井へと振り上げられた。


 は、ふざけ――


「メイス!!」


「あぁ!!」


 反射的に叫んだ武器で私は天井を殴る。


 果てしない速度で岩の天井になんてぶつけられたら潰れるだろうがッ


 頭に血が上るのを理解しながら、岩にヒビが入る様を補助された私の瞳は見ていた。


 私の中にガルムさんを足止めした光景が思い出される。


 あぁ、まんまと彼女の思い通りというわけか。


 悔しがる間すら与えられることは無く、私は再びラドラさんに引っ張られる。追いかけてきていたガルムさん達は崩落した岩に道を遮断され、私はりず君を握り締めるのだ。


「流石ですわ! やはり貴方を選んで正解でした!!」


 ラドラさんの声が洞窟に反響し、私は眉間に皺を寄せてしまう。この揺れで喋ったら舌噛むだろうな。質問も出来やしない。


 針鼠に戻ってくれたりず君を肩に乗せて私は体をひねる。ラドラさんは二手に別れた道の手前で急ブレーキをかけ、私の体にも負荷がかかった。


 なんだよ本当に。


「どちらの道ですか?」


「……何のことですか?」


 ラドラさんに問われ、私は問い返す。


 女王様は肩を揺らしながら笑い、私を見上げてきた。歪な輝きを放つ瞳は私を「物」として見ているのだと、暗に伝えてくる。


「貴方は行ったのでしょう? 命の鉱石の元まで」


 なんで知ってんだこの人。人ではないけれども。


 疑問に思いながら黙り、ラドラさんを見つめ返してしまう。


 彼女は「あぁ」と気づいたように笑うと、言葉にしていない疑問に答えてくれた。


「何故知っているかって? 簡単ですわ。昨日貴方が洞窟に入るのを見て、出てきた時にはワタクシの知らない戦士の方と御一緒でしたから。あの方なのでしょう? 連れ去られていた戦士の方は」


「……だから私は命の鉱石の場所まで行って、彼を連れ帰ったと確信されたのですね」


「そうですわ」


 ラドラさんは満足そうに頷いている。だからこの住人さんは私を掴んだのか。翠ちゃんでも細流さんでも、祈君でも帳君でもなく、私を。


 ラドラさんを鉱石の場所まで案内していいものか。その時の私の不利益は。ガルムさん達の迷惑だろう。嘘を伝えるか。でも気づかれた時には私の命が危ういと言うか、なんというか。


 考えている時に、ふと気がついた。


 らず君の体のヒビが――広がってる。


 新たな不安が私の胸を掠めて、首にはラドラさんの尻尾から生えた鋭い刃が沿わされた。


 そのきっさきは研ぎ澄まされており、私の優先順位を力づくで変えやがる。


「……らず君、平気?」


 小さな声で確認すれば硝子のパートナーは頷いてくれる。りず君も何も言わずにらず君に擦り寄って、私はラドラさんの声を聞いていた。


「何を話されているのですか?」


「……別に何も」


 微笑んで伝えれば、ラドラさんはひぃちゃんがいないことに気づいたようだった。


 あぁ、鬱陶うっとうしい。


 舌打ちしたくなるのを我慢して、私はラドラさんの声を聞くしか出来ないのだ。


「ドラゴンがいませんね」


「はぐれてしまったようでして。道も塞がってしまいましたし」


「あぁ、あの落石に間に合わなかったのですね」


 ラドラさんは優雅に笑い、私は塞がった道の方を見る。りず君の息は若干上がっており、ひぃちゃんの緋色は見えなかった。


 ここで立ち止まるのは得策では無い。けれども私にはこの先に進む理由がない。


 だがしかし、ラドラさんと二人きりと言うのは好都合か。


 考えた私は、自分が嫌だと感じる正しい道を示すのだ。


「……右です」


「右ですわね!」


 嬉しさの滲み出た声でラドラさんは復唱し、走り始める。


 彼女の速度は落ちることがなく、私達の気持ちは沈むばかりだ。


 どうしようもない程の不快感が私の体を重くして、りず君とらず君の呼吸がより荒くなる。


 ラドラさんもいつかは足が止まると思っていたのに、駄目だ、この人止まる気ゼロだ。


 気づきながら冷や汗を拭う。りず君を見ると今にも過呼吸を起こしそうで、私は奥歯を噛んでしまった。


 ラドラさんに行き先を指し示す度に自分の行動が間違っている気がして、動悸が止まらない。


 私は唇を噛んで、りず君の額を撫でた。そうすればつぶらな瞳と目が合って、私は笑ってしまうのだ。


 りず君は少しだけ口をもごつかせて、私の肩から飛び降りていく。


 地面に転がりながら着地した彼は私に手を振り、元来た道へ駆けて行った。


 それでいいよ、りず君。それでいい。


 私は口角を上げて、輝けなくなったらず君の額を撫でるのだ。


「あら、また心獣が一体いなくなったのですね」


 分かれ道で足を止めたラドラさんに指摘される。


 りず君の重さなんてグラム単位だぞ。なんで分かんだよ。


 悪態をつきたくなりながら、私はラドラさんを見ることなく言葉を吐いた。


「これ以上先は、厳しいものがありますので」


「選ばれし戦士の心獣がこの先に行けないだなんて」


 嘲笑あざわらうような声色で鼻を鳴らすラドラさん。


 その態度はりず君と私を馬鹿にしているのだと伝わってきて、私は目を伏せるのだ。この人から流れる態度はどうにもやりづらさがある。


「仕方が無いことです……ラドラさんは平気そうですね」


「勿論!! 一体何を恐れるのか、ワタクシには理解できませんわ! この先には、我らオヴィンニクの長年の夢があるというのに!!」


 私に顎で指示するラドラさん。私はため息を我慢して行きたくない方向を指し、ラドラさんは走り出すのだ。


 オヴィンニクの夢。


 最初の五種族の次に生まれた、六番目の種族が見る夢。


 私はラドラさんを見て、彼女は走りながら笑っていた。


「貴方には分からないでしょう! 選ばれた貴方には!! 最初の五種族に入れなかったワタクシ達の悔しさなどッ、六番目と言うだけで、五種族と雲泥の差がある屈辱など!!」


 大きな声に悔しさが滲んでいるのが伝わってくる。


 戦士が選ばれた存在だなんて彼女は言うけれど、私達は適当にくじに当たってしまった存在だ。そんな大層なものでは無い。


 選ばれることなんて望んでいなかったし、こんな理不尽な選出は真っ平御免だって思っているのに。


 私に彼女の気持ちは分からない。


 彼女と私では、あまりにも境遇が違いすぎる。


「あぁ憎い!! アイツらは最初の五種族としてアルフヘイムの秩序を守っていると言うのに!! たった一つ数字が違うだけで、生まれが違うだけで、何故我らは奪うことしか出来ないのか!!」


 ラドラさんの声が洞窟中に反響する。彼女の力強い台詞は私に届き、目を見開いてしまうのだ。


 その台詞は、まるで――


「だから奪うのです! 奪うしか私達に出来ないのならば、彼らガルムが守り続ける鉱石を!! 奪い、私達の物にし、雪辱を晴らさねば!!」


「ラドラさん、貴方、ッ」


 私の中に生まれた不安を聞こうとするのに、彼女は急ブレーキをかけて口を閉じさせてくる。


 私は地面へと投げ出され、目眩を起こさせる圧迫感に膝が笑い、足を崩してしまった。


 らず君は光れない。その体に広がったヒビを抱き締めて塞いであげたいのに。


 あぁ、私はなんて無力なんだ。


「着いた……とうとう、私は……!」


 歓喜に打ち震えるラドラさんの声を聞く。私は顔を上げて、二度と見たくないと思っていた暗い赤を視界に入れた。


 命の鉱石は今日も光りを浴びて輝き、洞窟から出てくる光りの粒を吸い込んでいる。


 毒々しい赤黒さは健全で、臓器のようだと錯覚させられた。


 ラドラさんは泣きだしそうな表情で命の鉱石に前足をつけ、額を近づけていく。あの空気に体を包まれることを望んでいる。


「あぁ、なんて美しい……ッ! これを、これを奪えば、我らオヴィンニクこそ創始者様直属の眷属に!!」


「ラドラさん」


 今にも発狂しそうなラドラさんに声をかける。振り向いた彼女の瞳孔は開いており、焦点だって合っていない。


 私は心臓が震えるのを実感しながら立ち上がった。ラドラさんはこの場に似つかわしくない、笑顔の花を咲かせている。


「何かしら、戦士のお方!!」


 私は深呼吸をして、壁にもたれ掛かりながら彼女を見る。冷や汗を拭ってらず君を胸の前で抱けば、私の恐怖は軽減する。


 私は翠ちゃんの言葉を思い出しながら、女王と名乗った住人さんに聞くのだ。


「貴方は、女王様なんですよね?」


「えぇ、そうよ。ワタクシこそオヴィンニクの女王!! そして今から私は、オヴィンニクの英雄に!」


「嘘ですよね」


 ラドラさんの言葉を遮って、問いかける。


 ラドラさんの目は見開かれたまま動きが停止し、空気が流れる音だけが鼓膜を震わせた。


 さぁ、話をしようよラドラさん。


 私は、真なる悪を知りたいのだから。


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