第16話 嫌悪
「なーんか拍子抜けしちゃうよ」
笑う結目さんが眠る王様へと近づいて行く。
周りのフォーンさん達は動くことなく、結目さんが王様の喉に指を添える様を見つめていた。
「戦士を殺す王様だから、もっと強くて我儘な奴を想像したって言うのに。シュスの誰もがコイツを「立派な王」だなんて言っちゃってさ」
結目さんは手を退けてため息を吐いている。その背中は本当に落胆したようで、哀愁さえ漂うような雰囲気だ。
「凩ちゃーん」
彼は顔を向けないまま私を呼ぶ。だから私は返事をして彼の方へと歩き始めたのだ。
風が私の髪を引いている。
「これもう死にそうだし、祭壇に括りつけても六人揃う前に息絶えちゃうと思うんだよね」
結目さんが「これ」と称した王様。頬は
男の子と私を追わせた時の形相はない。
「他にこのシュスに悪人って呼べる奴いなさそうだし、と言うか誰も王様を悪だって言わないし、無駄足だったなー、つまんね」
結目さんは踵を返してテラスに向かう。私は王様を見つめてしまい、りず君が首に擦り寄ってくれた。その小さな額を撫でて私は目を伏せる。
王たるべき王は、宿命に殺されそうになっていましたとさ。
なんて、絵本の終わりにしてはあまりにも残酷過ぎる。
王様の傍に控えるフォーンさん達を見ると、彼らは静かにそこにいた。彼らの一番上に立つ方の眠りを妨げないように、優しい瞳で。赤みを帯びてきた光が射す室内で、彼らは眠る王様を見つめている。
不意に私は右腕を引かれ、足を動かしてしまう。
誰にも腕は引かれていないのに。
ただ、テラスの手摺に立っている結目さんが目に入ったから。
欠伸をする彼の手は何かを気怠げに引き、私の腕がまた刺激を受ける。
私はフォーンさん達に会釈だけして小走りにテラスへ向かった。結目さんは頬に橙色の光を浴びて、眠たそうな顔をしている。
私の顔は勝手に笑っていた。
「行きますか?」
「そうだねー……あーぁ、なんかやる気まで削がれちゃった。眠たーい」
結目さんは体を後ろへ倒し、躊躇なく手摺を蹴る。私は一瞬息を詰めつつ考え直し、彼に続くように飛び降りた。空中に浮いた結目さんは「つまんなーい」と未だに愚痴っている。
彼がつけた幾つものピアスが光を反射する。ひぃちゃんは私を結目さんの近くへと連れて行ってくれて、やる気を失った彼は「他のシュスまで行くかー」と心底退屈そうに発言した。
苦笑してしまう。結目さんは私を見ると口角を吊り上げて、気味の悪い笑顔をくれた。
失礼か、黙ろう。
――それから黒い手に強制送還されるまで、結目さんと私は他のフォーンさんのシュスを周り、穏やかで淑やかな住人さん達に毒気を抜かれ続けたのだ。
「無理だわー、浄化されそ」
結目さんは空中で逆さまになっている。私はひぃちゃん達を腕に抱いて彼の隣を歩いていた。
「結目さん……」
「あーぁ。敵はどんなものかと思えば、俺の期待ぶち壊しだよ」
その言葉に私は首を傾げてしまう。疑問を感じてしまったから。
「敵ですか?」
「うん、ルアス派の奴ら」
――あ、
私の中で、感情がぐるりと回った。
「……ぁの、結目さ、」
瞬間。
黒い手に捕まった私は、口を噤んでしまうのだ。
「あれ、凩ちゃん、何か言いかけた?」
「……いえ、何でもないです」
私は微笑み、結目さんはチェシャ猫のように笑い返してくれる。
そのまま引き上げられた私達は黒い穴を通り、ベッドへ放り出された。
私は息を吐いて、ひぃちゃんの首についているリングを撫でてしまう。
「穏やかに終わりましたね」
「そうだね……結目さんじゃないけど、気が抜ける程に」
ひぃちゃんに返事をしながら起き上がる。らず君のくしゃみは止まっており、りず君は大欠伸をしていた。可愛い。
笑った私はカーテンを開ける。太陽が世界を照らし始めていることに気がついて、目の奥が痛くなってしまった。
意識が定まらない。柔らかいベッドに明るい朝。
あぁ、駄目だ眠たくなる。
私は頭を窓に軽く打ち付けてベッドから降りる。散漫な速度で靴を脱ぎ、頭の中では結目さんの「敵」と言う単語が巡っていた。
思想が違えば――敵なのか。
私達ディアス軍戦士の敵と呼べる立ち位置にいるのは、ルアス軍戦士の方々だと思ってたけれど。
ルアス派の思想を持つだけで、敵という考えもあるのか。
「……そっかぁ」
呟いた私の声は、静かな部屋に溶けて消えるのだ。
* * *
「美味しい!!」
教室の机を合わせてお弁当を食べている時。小野宮さんの弾けるような笑顔を見て、私はまた浄化されると思っていた。
私のお弁当の卵焼きが美味しそうだと言うことでお裾分けしたら絶賛されたのだ。恥ずかしい。
「うるっさいよ」
湯水さんに頭を叩かれた小野宮さんは笑った顔から怒った顔になり、卵焼きについて語り出してしまう。私の卵焼きに語ることなどないですよ。
お願いされて湯水さんにも卵焼きをお裾分けすると、彼女も「これは叫ぶわ」と褒めてくれた。なんてことだ。
私は顔が熱くなる感覚を覚えながら、苦笑してしまう。
「ぁの、褒められますと、その、お恥ずかしい……」
「やだ可愛い何この子、いいお嫁さんになるわぁ」
「近所のおばさんみたいな言い方しないの」
「だって氷雨ちゃん可愛いからぁ!!」
「ご勘弁くださぃ」
顔を伏せた私は「お二人の方が可愛い」と懇々と申し立てた。恥ずかしさで顔が茹だる。
ふと気づいたら小野宮さんにも湯水さんにも頭を撫でられており、私はどこかに穴が空いていないかを探すのだ。
本当に。埋まりたい。身長は確かにお二人より低いのですが、同い年なんですよ。
「氷雨ちゃん見てると癒されるなぁ」
「良いよね、毒気が無いというか、絶対マイナスイオン出てるよ」
「いや、出てないですよ」
私は頬を手の甲で押さえ、お弁当箱の蓋には二人からのお返しが乗せられた。ミートボールと唐揚げ。有難く頂戴致します。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
「うちらが先に貰ったんだしね」
そんな雑談が眩しくて。
笑う私は、胸に溜まる煙をお茶を飲むことによって押し込めた。
そんな時、委員長が黒板の前に立って「次五時間目と六時間目入れ替えー」と教室中に示してくれた。
それぞれのグループで盛り上がっていた教室内は委員長の言葉を聞いて話題が集まる。委員長は黒板に〈次は移動教室〉だと白いチョークで大雑把に書いていき、私の目はその文字を追った。
「じゃぁ次情報教室か〜」
「だね。パソコン立ち上げなきゃいけないから早めに行こうよ」
「そうですね」
小野宮さんと湯水さんはお弁当を食べるペースを少し上げ、私は先に手を合わせて蓋をする。
ふと見た前は空席で、教室を見渡しても凛と背筋が伸びたあの子はいなかった。
昼休みはまだある。情報教室は隣の棟の一階。あの子が席に戻ってくるのはいつも決まって授業開始の五分前。頭のいいあの子ならきっと普通に対処出来る。
本当にそうだろうか。この話が伝わっていなかったら分からないだろ。委員長が気づかずに早めに教室を閉めてしまったら、どうする。
私はお弁当をスカーフで巻き、指先をこまねいてしまった。
「氷雨ちゃん?」
小野宮さんに呼ばれる。見ると彼女と湯水さんは不思議そうにしているから、私は笑顔で固まった。
髪を引いて視線を斜めに下げ、口からは弱い声が出る。
「ぁの、間に合いますかね――楠さん」
不安を言葉にする自分が情けなくて、笑顔が張り付いた。
人の心配をするなんてそれこそ烏滸がましい。あの子は心配して欲しいなんて言ってないし、気にして欲しいとも言ってない。
私は息を吸って手を振った。
「な、なんでもないです。すみません」
そそくさと立ち上がる。そのまま引き摺らないように机を元の位置に戻すと、優しく背中を叩かれた。
そこでは笑顔の湯水さんと小野宮さんが、私の背中を叩いてくれている。
「よっしゃ、いってこーい氷雨ちゃん」
「ぇ、ぁ」
「楠さん、教室に戻ってきたら連絡してあげるからさ」
小野宮さんはまた私の頭を撫でる。湯水さんは携帯を振って背中を押してくれる。
でも、湯水さんは早く移動したい筈だ。
「あの、湯水さん達はお先に、」
口にすると、頭を軽く叩かれた。仕方がなさそうな空気と一緒に。
「いいから――気がついたの、氷雨ちゃんだけだよ」
言葉が降ってくる。
見上げると、笑顔のままの彼女がそこにいた。
安心出来る眩しい微笑み。
だから私は髪を引いてぎこちなく笑うのだ。
「……ちょっとだけ、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
湯水さんと小野宮さんに会釈して教室を出る。楠さんはいつも何処でお弁当を食べているのだろう。
階段を上がって、施錠されてる屋上の踊り場へ。食堂に、中庭のベンチ、教室棟の外階段、他の教室――
私は思い当たる場所を覗いていき、それでも彼女がいないことに焦りを感じた。
湯水さんからメッセージも来ないし、教室には戻ってない。だが昼休みは確実に終わっていく。
あれ、なんで私は楠さんを探しているんだっけ。これ私がしなくてはいけないんだろうか。湯水さんと小野宮さんを待たせてまで。
いないことに気づいたではないか。目の前の席が、いつも昼休みの間空いているとも知っているではないか。
だから何だよお節介。
気づいたのに放っておくなんて、息が苦しいんだよ。
見つからなかったって言って教室に戻っても、二人はきっと責めない。
楠さんが困ったらどうするの。
お節介、お節介、お節介、気持ち悪い。気づくべきではなかった。見つめるべきではなかった。あの凛とした背中に憧れて目で追うばかりすべきではなかった。そうすれば気づきもしなかったのに。
クラスの誰も、あの子がいないことを気にしていなかった。
止めろ苦しい黙れ。
私は渡り廊下を軽く走り、ふと体育館が目に入った。
バスケやバレーをしている人達の音がする。
その向こう、影になっている場所。道路と校内を隔てるフェンスの方。
私の足は方向を変え、体育館の方へと駆け出した。
渡り廊下を通って、体育館の中には入らず奥側へ。
角を折れると――そこには、探していたあの子がいた。
お茶のパックのストローを口につけて、本を読んでいた楠さん。
彼女は私を横目に見上げると、ストローから口を離していた。私は笑って髪を引いてしまう。
「ぁの、楠さん」
「……何」
楠さんは視線を本に戻してお茶を横に置く。私は髪を引くのを止めて、お腹の前で両指を組んでは離していた。
「次、五と六の授業が入れ替わって移動教室になったので、その、お伝えに……あ、ぁの、ご存知だったらすみません。お節介でした。はい、ぇと、それだけなんです……すみません」
笑いながら視線を逸らし、上手く回らない口と頭を殴りたくなるのを我慢する。再度組んだ指には力が入り、関節が白く浮いているのが視界に映った。
あぁ、胃が痛い。
私の髪が風に揺れて、少しだけ結目さんを思い出す。
彼はここにいない。これは自然の風だ。
自然の風ってなんだ。風なんて全部自然だよ。
うるさい馬鹿黙れ。
楠さんは何も言わずに立ち上がる。私は彼女に視線を向けて、目が合ったから笑っていた。
楠さんは少し見上げないといけないんだ。背が女の子にしては高いから。
彼女は目を細めると、私の横を通り過ぎてしまった。
「ありがとう、知らなかったわ――"いつも笑顔の凩さん"」
――軋んだ気がする。
口角が引き攣りながら振り向くと、ただ真っ直ぐ教室へと向かう楠さんの背中があった。
私はお腹の前で組んでいた手を離し、目の前に転がり出てきたバスケットボールを視界に入れる。体育館の中から転がってきたそれはフェンスにぶつかっていた。
それを無条件反射で拾うと、館内から出てきた男の子に呼ばれたのだ。
「あ、凩さん、それこっち」
「はい」
ボールを投げ渡して「ありがとう」を貰う。私は笑って、教室へ歩き出した。
なんであの男の子は私の名字を知っていたんだろう。
あぁ、名札か。そうか、そうだな。
――いつも笑顔の凩さん
違う、それは私が望んだ名前じゃない。
私は教室棟に入る直前で立ち止まり、奥歯を噛み締めた。
「あ、氷雨ちゃんいたー!」
小野宮さんの声がする。目の前に出されたのは情報処理の教科書。
見上げると、小野宮さんと湯水さんが「お疲れ様ー」と肩を叩いてくれた。
私は奥歯の力を抜いて笑ってしまう。
「良かった良かった、まだ十分も時間あるよ」
「楠さんが体育館の方から戻ってくるって教えてくれたからさ。これでいいよね、教科書と筆箱」
「はい、ありがとうございました。小野宮さん、湯水さん」
私は笑顔のまま教科書と筆箱を受け取った。酷く重く感じたそれを胸の前に抱え、情報教室の方へ向かう二人の背中に続く。
胃が痛い。気持ち悪い、気持ち悪い、足が重い、重い、重い、歩きたくない。
「なんて言うか、流石氷雨ちゃんだよね」
小野宮さんの声がする。
何が、何で、私は何もしていない。
「だよね。よく機転が利くというか、周りをよく見てるって言うか。ほんと凄いよ」
湯水さんの声がする。
理解が出来ない。頬が痛い。私は周りなんて見えていない。
私があの子に気づいたのは、一人で靡かず、真っ直ぐ前だけ見つめる姿が眩しくて、それでも名字の頭文字のお陰で近くになれたから、だから。
あぁ、何で周りの解釈は私の中身と食い違っていくんだろう。
思い上がるな低脳。彼女達の口から零れているのも建前だ。本音は分からない。きっと、お節介だって思っているんだから。
「そんなこと、ないんですよ」
優しい言葉で、言い回しで、声色で、精一杯を伝えたとしよう。
それが彼女達に届いているだなんて思いはしない。
あぁ、駄目だ、自分が嫌いになっていく。
今すぐ教室の鞄の中にいるひぃちゃん達を抱き締めたい。あの温かさが欲しい。安堵が欲しい。許される場所が欲しい。
――待てよ、おい。
私は教室に入り、自分のパソコンの前に座って髪を引いた。
いつから私はこんなに弱くなった。安堵が欲しいってなんだ。何がこんなに苦しかったんだ。分からない、気持ち悪い、分からない。なんだ、何してんだ私は一体。
パソコンの電源を入れる指が震える。目の前の席に楠さんが座った時にチャイムが鳴って、先生がやって来た。
「気持ち悪い……」
口からそう吐き出したのは――自宅の、自室の中でだった。
髪に指を差し込んでベッドに突っ伏す。ひぃちゃんは尾で私の頭を撫でてくれた。りず君は唸って、らず君は泣いている。
私は何をしているんだ。どうやって家に帰って来たっけ。そう、自転車を漕いで帰ってきたんだ。無事によく帰ったね。
空が夕焼け色に染まる。
あぁ、嫌だ、その色が嫌だ、嫌いだ、見たくない。
私はカーテンを閉めて、深呼吸をした。
晩御飯を作ろう。今日はお父さんもお母さんも早上がり。久しぶりに一緒にご飯が食べられる。
大丈夫、笑っていよう、笑っていろよ凩氷雨。貴方が笑っているだけでお父さんもお母さんも安心する。私をきっと、好きでいてくれる。良い子でいれば大丈夫。
手のかからない子どもでいよう。迷惑をかけずに生きよう。
明日も生きていられるか分からないくせに。
「うるさい、黙れよッ」
カーテンを握り締める。夕焼け色は薄れていき、携帯を見ていなかったことを思い出した。メッセージが届く通知音がしていた筈だ。
私は投げ置いていたスクール鞄の外ポケットから携帯を出して、メッセージを見る。
一つは母から。
急な欠員がスタッフに出たから残業をするという内容。夕食は父と一緒に食べてくださいってあった。
一つは父から。
システムエラーが出て改善の為に帰れなくなったという内容。夕食は母と一緒に食べてくださいってあった。
「はは……」
笑い声が零れた。肩にらず君とりず君が上ってきて、ひぃちゃんは膝に座ってくれる。
「大丈夫です、氷雨さん。お忙しいんです、お二人共」
「うん、うん、そう、そうだよ、大丈夫」
ひぃちゃんに頷いて、私の指は〈分かった〉と文字を打つ。それに〈仕事、お疲れ様、無理しないでね〉と追加して、それぞれに送った。
部屋が暗くなる。
「いつもそうだ。仕事、仕事、また仕事。一人で食べるご飯なんてもう嫌だ」
「そんなことない、ないんだよ、りず君。ありがとう。ご飯何にしようか」
りず君の額を撫でて携帯を鞄の上に置く。
何にしようか、なんて嘘。今日はシチューにしようって決めていた。お母さんもお父さんも好きだから。
夜がくる。
夜が私を飲み込んでいく。
「ご飯食べて、お風呂入って、仮眠とって……今日も行こう。大丈夫、大丈夫だから」
そう呟いたのは誰に対してだ。ひぃちゃんか、りず君か、らず君か、私自身か。
顔が笑う。
笑顔は盾だ。
私は今、何から身を守っているんだ。
「そうですね。そうしましょう、大丈夫です、氷雨さん」
「大丈夫……そう氷雨が言うなら、なんも言わねぇけどさ」
正反対の言葉を聞いて、声を出して笑ってしまう。
本当にこの子達の意見は合わない。それでも私を思う言葉であることに違いはない。
「ありがとう。お願いね、みんな」
私は部屋を出て、廊下の電気をつけた。
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