第7話:ハレムの門

 期間限定という触れ込みのグリーンスムージーが余程に気に入ったのか、溜渕恵琉はご機嫌な様子で三杯目を取りに行った。彼女の腹具合を気にする龍一郎は、ブッと重い音をテーブルの片隅に聞いた。ウサギの耳が付いたカバーのスマートフォン――携帯するのに適さない形だった――は、何者かから届いたメッセージを寂しげに報せている。


 一九時半。大きな壁掛け時計が指していた。


 まずは腹を満たしてから……溜渕の提案を受け入れたまではよかったが、ハンバーグプレートを平らげた龍一郎が少しでもを口にすれば、「まぁまぁ」とはぐらかされ、「近江は釣りとか興味ある?」「家は何処にあるの?」「好きなタイプは?」などと雑談ばかりを投じてきた。




 あぁ、いわゆるってやつだな。よっぽど話しづらいのか、それとも何か気の重い内容なのかもしれん。




 会談やワークショップ、面接などで使用される「言葉を出しやすくする為の儀式」の存在を彼は知っていた為、何とも楽しげに話し掛けてくる溜渕に根気良く付き合っていたが――流石に一時間弱も氷壁を溶かさなければいけない程、二人は知らない仲ではなかった。


「ただいまっ、近江」


「……おぉ、お帰り」


「ふへへ……」


 溶けてしまいそうな表情で頬を掻く溜渕は、お気に入りのスムージーを二度、三度と吸い上げた。


「あっ、ねぇねぇ、写真撮らない? せーの、いぇーい」


 咄嗟に顔を隠そうとするも、既に溜渕のスマートフォンからシャッター音が鳴っていた。「消してくれ」と咎めようともしたが、余計な一言がこの場の空気破壊し、求めていた情報が手に入らない事を危惧した龍一郎は、苦笑いでホットココアを一口飲んだ。


「ちょ、近江の顔めっちゃ怖いじゃん! こんな顔クラスじゃしないでしょ!」


「なぁ、溜渕」


 何? そう問い返すように、目だけ見開く少女。瑠璃色のカラーコンタクトはそのまま彩度を下げて沼地へと変わり、龍一郎を音も無く飲み込んでしまいそうだった。恋人の左山梨子が持つそれとは違い、単純な温みとは異質な――抗えない潜熱が、作られた瞳にはあった。


「そろそろ話してくれないか、昼休みに言っていた事を」


「……あぁ」


 笑顔は失せないものの、明らかに声色に暗みが差し込む。二の句を継ぎにくくも、しかし龍一郎は心を鬼にして「それとも」と――。


「お、俺とだったなら……悪いが先に帰らせてもらう」


 罪悪感、同時に耐え難い羞恥を彼は覚えた。




 何だよ、俺と飯を食いたいだけって! そんな訳無いだろうに……! 何処まで俺は参っちまっているんだ!?




「……」


 少年に似付かわしくない発言を黙して聞いていた溜渕は、ストローの吸い口を軽く指で拭い、「なぁーんだ」と困ったように笑い……。


「気付いていたの? を?」


 俄に龍一郎の眉が潜まった。口内は布で拭ったように渇き、無闇に鼓動が高鳴り始める。


「仕方無いね、気付かれていたなら……。そうだよ、ボクは近江とご飯を食べたかった。昼休みに一緒に食べるレベルじゃなくって、例えば、そう」


 喧噪に包まれた店内を見回し、片隅で談笑する他校のカップルをコッソリと指差す溜渕。


「丁度あそこに座っている男女……近江はどういう風に見る?」


「……付き合っているんだろう、多分」


「だよね。ボクもそう思う。ボク達みたいな予想をされる感じで、近江と二人で食事がしたかったんだ。ほら、こんな感じで」




 笑顔の溜渕恵琉。奥で満更でも無い表情を浮かべる近江龍一郎――。


 がそこにいた。




「ボク達、結構お似合いじゃない? 違う? ボクは……その、結構良いかなーって思うよ」


 それまで前のめりとなっていた龍一郎の背が……次第に後方へ下がり始めた。背もたれに寄り掛かり、不気味に冷たい汗を押し拭おうとした為だった。


「…………テメェ、誰かに言われて嵌めたのか、俺を」


「……っ」


 低く、怒りに満ちた声調に、だが少女はある種の悦楽を楽しむような表情を浮かべ、か細い身体を小刻みに震わせた。


「凄いね、近江……そういう声も出せるんだ」


「場所が場所じゃなきゃ、首根っこ掴んでいるぞ……?」


 梁亀姫歩を虐める連中からの刺客ならば――龍一郎は思う。精一杯に怯えさせ、少しでも情報を、もしくはさせようとしたが……。


 闘技も、そして会話も、時として思わぬ方向へ転がるものである。溜渕は龍一郎を恐れるどころか、双眼を嬉しげに細めつつ、ゆっくりと立ち上がり言った。


「外の方が、話しやすいかな?」




「その写真を撮った目的は何だ?」


 ファミリーレストランから出て間も無く、街中にポッカリと空いたような静けさ――うら寂しさに包まれた路地裏に二人は来ていた。除雪がなされず、足跡一つも無い、積もったままの真っ白な道の真ん中で、少女は振り返らず答えた。


 一切の淀みも無く。


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