伝書鳩の唄

 この手紙を渡して来て欲しいの。それだけ、唯それだけで貴女は私に対しての恩をすっかり返し切る事になる。


 さて、貴女は何処の誰に手紙を渡すのかしら、言ってご覧なさい。……合っているわ。大丈夫そうね。


 日時は――来週の木曜日の放課後、そこにしましょうか。その日は一年生も二年生も放課後に……あら、うっかりしていたわ。貴女も説明会に出たいでしょうに。あら、良いの? それは良かったわ。


 恐らくその日、一人で部室にいるでしょう。扉を開けて、一言も喋らなくていい、手紙を渡して。差出人について問われても答えなくていいわよ、どうせ中を読めば分かるだろうから。


 ……何?


 礼など不要よ。私は唯、丁度良い伝書鳩を捕まえたかっただけ。確実に恩義を感じて、確実にを遂行してくれる利口な鳩をね。


 それじゃあ、私は勉強があるから帰るわ。確かに頼んだわよ。


 あぁ、それと。もう私とは関わりを持たない方が良いわよ。私も貴女と関わりたくないし。この先も……無駄に誰かの視線を感じたくはないでしょう?


 これまでに貴女を害する者は消えた。でも、今後の事は誰にも分からない。せいぜい身を守れるような立ち回り、腕、知識、人脈……増やしておく事ね。


 さようなら、伝書鳩さん。二度と捕まらないよう、祈っているわ――。




 どうして今、あの人と最後に交わした会話を思い出したのか? 理由は分からないけど、でも、当たり前のようにも感じた。結局は分からない、分からない事ばかりだ。


 放課後の廊下は嫌いだった。皆が楽しそうに歩いているのが、嬉しそうに駆けて行くのが、幸せそうに過ぎて行くのが苦痛だった。


 私には無いもの。私だって持っていたものを、どうして皆は今でも持っているのだろう? 考えるだけ無駄だった。考えただけで吐き気がしたし、誰彼構わず八つ当たりしたかった。


 ようやく……廊下を歩いても心臓がドキドキしなくなった。それはきっと、あの人が、私の大事なものを取り返してくれたから。ポッカリと空いた心の穴は、見られはしなくとも、露出していると感じるだけで嫌だった。


 あの頃の私は、登校中に横を通り過ぎる車を見る度に「あぁ、私の事を轢いてくれれば良いのに」と本気で思っていた。軽傷、重傷、最悪――死んでも構わなかった。あの女から人間未満の扱いを受け続けるのは……。


 止めよう、こんな事を考える必要はもう無いんだ。


 この手紙――鞄にしまい込んだ大事な、何より大事な「恩返し」をやり遂げなくっちゃ。


 扉を開き、奥に座っている人に手紙を渡す。


 それだけ。


 利口な犬なら出来そうなくらい、簡単な、けれど私だけの仕事。


 私は伝書鳩。物言う必要の無い、利口で賢いあの人の伝書鳩。


 さぁ、階段を上って行こう。目的地はすぐのはず。




 室名札から提げた天狗のキーホルダー、うん、確かにここだ。ノックをする――した後で、あの人から言われていた言葉を思い出す。


 基本的に喋らない。だからノックをした後、待っているのは無益よ。


 それでも……多少は無作法な感じがするので、ノックをして五秒くらいは待つ事にしよう。一、二、三、四、五……。うん、開こう。「失礼します」と一言も忘れずに。


 初めて見るその部室の中は、一見して和気藹々、といった感じだった。物品は多いけど決して散らかっていないし、もし私がなら、用事が無くとも入り浸っちゃうだろうなと思う。多分、メンバーが皆で好きなものを持ち寄り、置きたいものを相談し、楽しい譲歩もしながら、は増えていったのだろう。


 私は室内を見回し――すぐにを見付けた。その人は不思議そうに私を見つめていて、膝に置いた本が一、二ページくらい動いた。やがて椅子から立ち上がると、ニッコリと笑い掛けてくれた。


 椅子にどうぞ――と、言われた気がした。事前情報の通り、その人は不思議と喋りはしなかった。


「あの、すいません、そうじゃなくって」


 辿々しくしか喋れない自分に腹が立つ。けれどその人は黙って、私の次の行動を静かに待ってくれていた。ちょっとだけ気持ちを落ち着けてから、鞄に手を突っ込み――。


「これ、貴女にお渡しします」


 何度も練習した台詞と共に、その人へ差し出した。


 目の大きく、そしても色濃く、それでも優しそうで、綺麗な人だった。何だか同性の私と全てを比較されているようで、少し、卑屈になっちゃいそうだ。


 その人は黙ったまま、手紙を受け取ってくれた。これでもう、私は晴れて自由の身だ。脚環を取り外され、何処へでも飛んで行けと放たれた一羽の野良鳩になった。


「失礼します」


 何か……その人は言いたげだったけど、会った事も喋った事も無い上級生は苦手なので、というか会話の仕方が分からないので、そそくさとその場から逃げる事にした。


 扉を閉め、廊下を歩き、階段に差し掛かった辺りで、ふと、窓の外を見た。夕暮れを背景に雪が降っていた。天気が良いのか、悪いのか、どっち付かずだった。


 遠くから誰かの声が聞こえる。知らない生徒達の声だ。どうやら購買部で買い物をしてから、教室で賀留多を打つらしい。


 久しく賀留多に触れていない事を思い出し、再び誰かと校内で賀留多を打つという有り得ない幻想につい、笑ってしまった。


 私は凶徒だ。今後も、恐らくは、ずっと。


 やっぱり私は自由じゃない、羽を縛られた無様な鳩だ。仕方の無い事かもしれない。いや、そうなんだ。


 仮に……また私が賀留多を打てるのなら、二つ心に決めている事がある。


 もう二度と、忌手はやらないって事。


 もう二度と、金花会には行かないって事。


 校門を出る頃はすっかり身体が冷えていた。外はとても寒い。寒いけど、不思議と暖かい感じがした。


 春は、まだ先の事なんだけれど――。

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