史氷ミフ江、落胆す
第1話:しょうけら会議
一〇月一六日の夕暮れは奇妙に明るく、花ヶ岡の校舎を西日が炙るように照らした。年季の入った遮光カーテンを捲り、ギラつく陽光に目を細めた看葉奈は、本校舎にある会計部室――ではなく、視聴覚室にやって来ていた。
一ヶ月に一度から二度開催され、現役の目付役が一堂に会する会議に参加する為である。目付役はこれを《しょうけら会議》と呼び習わしもした。筆頭目付役という立場にある看葉奈は、誰よりも早く会場に出向き、資料の準備や議題について黙考する時間とした。
「お疲れ様でぇーす……あっ、今日も一番乗りだね斗路ちゃん、このチョコ食べるぅ? 新商品なんだけどなかなかイケるんだぁ」
二年生目付役、矧名涼が癖っ毛を揺らして入室した。封の開いた小箱を差し出すと、謝辞を述べながら看葉奈が一つ、小さな口に押し込んだ。
「……まぁ、この苦味がアクセントになっていますね。美味しいです」
楽しそうに口を動かす彼女を見つめ……矧名が「あぁーあ」と目を閉じた。
「こうして斗路ちゃんとお菓子を食べるのも、今日限りかぁ……」
一ヶ月程前、不意に矧名から「目付役を辞めたい」と告白された看葉奈は最初、決して少なくない業務量によるストレスが起因したと推測した。しかしながら本人へ聴き取りを行うと――賀留多文化の守護に一層役立つ妙案を思い付いた故である事が分かった。
「たとえ目付役を辞められるとしても、私達はお友達ですから。それに……今日はお考えになった改革案についても議論致しますし、まだまだご縁は続きますよ」
にこやかに看葉奈が答えると同時に、視聴覚室のドアがゆっくりと開いた。看葉奈に輪を掛けて柔和な笑顔を浮かべた女子生徒が、二人に目礼して椅子に座った。
「ねぇ、斗路」
人懐こそうな笑みの生徒が問うた。
「
「申し訳ありません、本日はなるべく出席して頂きたいのです。是非、
女子生徒――新田目和はやはり笑顔を崩さず、ギシリと背もたれに寄り掛かり――。
「だっる」
会議への参加意欲が皆無である事を知らしめた。「まぁまぁ新田目ちゃん」と矧名が歩み寄り、看葉奈に渡したチョコレートの小箱を差し出した。
「今日はとーっても大事な事を話し合うからさぁ、これを食べて、ね? 一つ頼むよぉ」
ニコニコと明るい表情の新田目は、気怠そうにチョコレートを一つ食べると……鞄から水筒を取り出し、手製のハーブティーを勢い良く飲んだ。
「まっず、そのチョコ。二度と食べたくないわ」
一六時三〇分、定刻である。二年生一二人、三年生四人――総勢一六名の目付役が大きな四角の形となるよう置かれた長机に着き、《しょうけら会議》に臨む形となった。
「じゃ、じゃあ……定刻となりましたので、か、会議を……そのぉ……始めます」
公衆の面前に立つのを大の苦手とする二年生、
「そっ、それ、それでは……最初に筆頭より、ほっ、報告ですぅ……はぁ」
看葉奈が軽く目礼し、「先月も皆様のお力添えにより」と微笑んだ。
「打ち場にて重大な問題、諍いの発生は御座いません。ありがとう御座いました。合わせて札問いの方でも、当事者間の付随紛争も確認されておりません。つつがなく花ヶ岡の賀留多文化が活動している証左であります、重ねて御礼申し上げます」
看葉奈が累橋に微笑み掛ける。「次に進んでよし」の合図だった。
「あっ、ありがとう御座いました……つ、つつ……次に……はぁ……すぅー……はぁ……コホン。校内現況確認です、うぅ、その――」
「オーケーオーケー! 後はウチがやるよ累橋! 疲れたでしょ、ウチに任せなさいな!」
パァッ……と累橋の顔に晴れ間が覗いた。司会業という苦難に苛まれていた後輩を救ったのは、三年生目付役兼――《探題役》、
「皆、一旦ネクタイを緩めて、緊張を解こうか。やっぱり会議は疲れるからさー」
ネクタイを緩めよう――播澪の勧めに倣い、正直に首元を休める者は一人としておらず、むしろ殆どの生徒が強い緊張に襲われ、眉をひそめた。
校内で厄介事が発生し、これを報告する際に播澪は決まって「ネクタイを緩めよう」と前置きするからだった。自分だけネクタイを緩めた播澪は一度咳払いをし、「一部の人には言ったけど」とやや強い声調で始めた。
「洛笈沙南禾が騒ぎ出した」
チッ、と舌打ちをしたのは新田目であった。数人が彼女の方を見やったが、播澪は意に介さず「私の見たところによると」と続けた。
「以前みたいにそこらの生徒を捕まえてお願いしたり、という事はしていないんだけど……どうにも拠り所を救華園に定めたっぽいんだよね」
願ったり叶ったりですよね――新田目が播澪の言葉を遮り、ニコニコと笑いながら机を軽く叩いた。
「元々
「新田目はそう思うんだね。それじゃあ、仮に救華園を潰すとして、その後、凶徒の制御は誰にお願いするつもりかな?」
「シンプルな事です」コクリ、とハーブティーを飲み新田目が答えた。
「都度、凶徒を叩くだけです。何だったら校則違反なり何なりとでっち上げて、戒告停学退学に追い込めば良いんです」
「それじゃあ、あんまりにも可哀想じゃない?」発言したのは矧名だった。一挙に視線が綿毛の目付役に集中した。
「幾ら追放処分を受けたとはいえ、ずーっと『お前は卒業まで日陰者になれー』ってのは、ちょーっとやり過ぎじゃなぁい? 折角、自ら一箇所に固まっているのに――」
「ってか、凶徒の肩を随分と持ち過ぎじゃない?」
可愛らしく矧名に笑い掛け、新田目が「まさか」と声色を変えず続けた。
「疚しい事でもあるんじゃないの? 和、どうもアンタを胡散臭い奴だと思ってんだけど」
一瞬、視聴覚室が凍り付いた。冷たく重い空気を打ち破ったのは、当事者の矧名であった。
「ひどぉい! 後で憶えてなよぉ!?」
んもぅ! 矧名が頬を膨らませたが、一方の新田目は小馬鹿にしたように笑い……。
「だから辞めるんでしょ? 違うの?」
好い加減にしなよ、新田目さん――威嚇するような低い声で警告したのは、忌手の看破に長けた三古和乃子、通称「
「証拠も無いのに言い過ぎだって……それに、今は播澪先輩のお話を聴くべきでしょ……? 皆、貴重な時間を使って会議をしているんだよ……。ちょっと……黙っていてよ……」
余り他人を叱らない三古和の一声が功を奏したのか、新田目は「ふぅ」と息を吐き、微笑を湛えながら俯いた。しかしながら――ほんの一瞬だけ、新田目は矧名を見つめ……。
「……」
視界に映る彼女を粉砕するように、奥歯を強く噛み締めた。
「……意見は人それぞれ、ぶつかり合うのは当然だ。とりあえず今は続けるよ――」
煌めくピアスを揺らしつつ、播澪は報告を再開した。
「最初、私は洛笈沙南禾自身が救華園に接近しようとしている、そう思っていたんだけどさ、どうにも事情が違うらしいんだ」
播澪の表情が俄に強張った。
「洛笈沙南禾は、あの女と繋がっているらしい。そうだよ、皆もよーく知っているあの女……。この金花会が腐り切っていた、暗黒時代の名残――」
同時刻。部室棟四階にある第四準備室では、いつものように飛凪富生が大風呂敷を広げ、大量の賀留多や飲食物を机の上に並べていった。その様子を微笑ましそうに眺める――簪の女は、フッと……目線を上げ、それから本校舎の方角を見やった。
「あの……どうかされましたか」
「いえ、別に……」
女は囁くように答え、「唯、少し……」と嬉しそうに言った。
「昔の事を、思い出しただけですよ」
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