第4話:三冊の本

 一〇月一〇日は季節外れの陽光が地表を温め、花ヶ岡高生達の着込む薄手のコートは全くの無用物として成り下がった。一年一組の教室後方にある外套掛けには所狭しとコートが並び、自身の存在理由を思案しているようだった。


 今日は暑くなるだろう――気温の予測が的中した飛凪は外套の類いを着ておらず、教室の後ろへ寄る事無く着席したが……。


「……」


 その表情は通常よりも暗く、一層クラスメイトの接近を許さなかった。


「……ねぇ、今日の飛凪さんヤバくない? この世の終わりみたいな顔している」


「聞こえるって…………あぁ、でも編み物もしていないね」


 いつも様子を窺っている二人組は、訝しむように飛凪の手元を見やった。暇さえあれば編み物をするその手が、今日に限ってはスマートフォンを時折弄り、不機嫌そうに指で突いていた。


「……っ」


 その実、飛凪はかぎ針を手に取る余裕など何処にも無かった。




『本日、一六時。今週号の《週刊賀留多馬鹿》を三冊、に配達願います』




 簪の三年生から私設配達員の任命を受けてから数日が経ち――初めての違法配達依頼が今朝、飛凪のスマートフォンに舞い込んで来たのである。


 それぐらい自分で買いに行けば良いのに……こう言えたなら、何と気が楽だろうかと彼女は思った。余程のファンでない限り、同じ雑誌を三冊買うなど道理に合わず、「購買部へ顔を出せない人間が複数いる」事を示唆していた。


「……」


 ブレザーの右ポケットに手を差し入れると、触り馴れない巾着袋がぶつかった。中には代金分と――を合算した花石が入っていた。依頼のメッセージに頭を悩ませながら登校した際、下駄箱に巾着袋がされているのに気付いた時……。


 既に自分は、今までの日常から切り離されているという事を悟った。


 昼休みに買いに行こう、コッソリと……。


 飛凪は壁掛け時計を見やった。


 八時一八分、一日は始まったばかりだった。




 昼食、菓子類、飲料類、その他諸々を求める生徒でごった返す昼休みの購買部へ向かう事は、同じく購買部員である飛凪にとって気持ちの良いものではなかった。


「……」


 今では新サービスである《オキラク便》の配送業務を専門に行っている為、レジ打ちや接客は彼女の担当業務ではない。しかしながら、同僚が目も回るような業務に忙殺される横で、「これ下さい」などと暢気に買い物出来る胆力は持ち合わせていなかった。


「……」


 店内を見渡した。部長の姿は無かった。購入予定の物品がである為、何かと察しの良い部長に現場を目撃される事は避けたかった。次にレジカウンターを見やる。殆ど喋った事の無い生徒二人が、大急ぎで会計と袋詰めを行っていた。


 あっ、今なら雑誌コーナー空いている……。


 なるべく気配を消し(混雑状況から、飛凪の存在を気にする者はいなかった)、どうにかして《週刊賀留多馬鹿》の今週号を三冊、手に取ろうとした矢先――。


「嘘っ……」


 思わず飛凪は呟いてしまった。絶対に仕入れなくてはならない今週に限り、店頭在庫がのである。周囲を見渡すと、何人かの生徒が菓子パンと一緒に《週刊賀留多馬鹿》を抱いており、長い会計待ちの行列に加わっていた。




 どうして――どうして今回に限って……!




 当然、購入者に咎は無い事を充分に理解していたが、それでも彼女は自らの運の悪さを転嫁し、心中で呪詛を口走るしかなかった。


 すぐにあの三年生へ連絡するべきか、それとも恥を忍んで譲って貰うべきか……表情こそ変えなかったが、薄らと脂汗を掻き始めた頃――。


「ねぇねぇ」


 不意に、背後から肩を叩いて来る者がいた。大いに身体を震わせ振り返ると、何処かで出会ったはずの女子生徒が笑っていた。


「ビックリし過ぎじゃない? 私だよ私、この前に《姫天狗友の会》で会ったじゃない!」


 飛凪さん、忘れちゃった? 同じく一年生らしい少女は笑顔を絶やさず、特徴的なリボンのカチューシャを左右に揺らした。


 見憶えはある、確かに《姫天狗友の会》の部室にいた人だ――ここまで思い出し、果たして名乗ったのは自分とだけである事に行き着いた。


「……えっと……ごめんなさい、名前が――」


「あっ、マジじゃん! 私、名前言っていなかったよね!」


 ケラケラと笑う彼女は、「六組の浜須矢恵だよ、よろしくね!」と手を伸ばし、飛凪の許可も得ずに握手をした。


「ところで、さっきからにいるけど、賀留多馬鹿の在庫探しているの?」


 浜須は《週刊賀留多馬鹿》の置かれていた箇所を指差した。


「そ、そう……なんだよね。今週号、売り切れちゃったみたいで――」


 問題なぁーい! と親指を立てた浜須。狼狽する飛凪の手を取り、グングンと廊下の方へ歩き出した。


「ちょ、ちょっと! 何処に行くの……!?」


「今週号、欲しいんでしょ? 広報部の部室に在庫あるからさ! 一緒に行こ!」


 飛凪の返事を訊きもせず、凄まじい力で彼女を引っ張り部室へ向かう浜須は、時々擦れ違う生徒に「よっす!」「お疲れ様です!」と元気良く言葉を掛けた。沢山の友人知人がいるらしい彼女の背中が……飛凪は、妙に頼もしく見えた。


「はい、着いた! 入って入って!」


 お疲れ様でぇーす! 最早怒鳴るような声量で扉を開け放ち、ズンズンと入室する浜須の後ろから、「失礼します……」と消え入りそうな挨拶をする飛凪。室内には二人以外誰もいないようだった。


「えーっと……こっちだったかな、確か部長がここに置いていたはず、なん、だ、け、ども……」


 パーティションの奥へ消えた浜須は、あぁでもないこうでもないと何かを引っ繰り返し始めた。


 結構、散らかっているなぁ。広報部だからかな?


 浜須が在庫探しに難儀している間、飛凪は興味深く部室内を観察していた。校内で頒布販売される印刷物の殆どを制作する拠点にしては、全ての机の上に書類とファイルが堆く積まれており、作業効率は世辞を言える程に良さそうではなかった。


「飛凪さぁーん、めっちゃ散らかっているでしょー? 整理が追い付かないんだよねー、書類とか多過ぎてー。この前なんか私、雪崩起こしちゃったもんね」


「あぁ……うん。大変そうだね」


 飛凪が返事をすると同時に、ようやく見付けたらしい今週号をだけ携え……浜須が戻って来た。リボンに綿埃が着いていた。


「はいお待たせ! バックナンバーも要る? 今年度分は取ってあるけど」


 やっぱり一冊だけ持って来るよね――癖となっているしかめ面を浮かべる飛凪。「あの……」と俯き、言った。


「今週号を……、欲しいんだよね」


「三冊?」浜須は目を瞬かせたが、すぐに奥へ引っ込むと、求められるがままに残り二冊を持って来た。


「たまにいるんだよね、何冊も買う人。部室用、自宅用みたいに分けているらしいよ。飛凪さんもそんな感じ?」


「……そ、そう。そうなんだよね」


 吐き慣れない小さな嘘がチクリと飛凪の胸を刺したが、事情を知らない浜須は「そういえば」と手を打った。


「ウチじゃ花石では買えないじゃん? どうする? 在庫発注して貰う感じにすれば、後から花石で請求回せるけど……」


「いや、今日は現金で買うね。あんまり部を通すと面倒だから……」


 実際、購買部を通して購入したところで、「何で同じ本を三冊も買ったんだ」と訊ねてくる暇人はいなかった。それでも飛凪はから感じる異常性が、彼女の裏に潜むが――「証拠を出来るだけ残すな」と囁いているように思えた。


「そう? それじゃあ頂きます……うん、丁度だね。はいどうぞ」


「……ありがとう。それじゃあ――」


「あっ! ちょい待って!」


 ビクリと肩を震わせる飛凪。「早く解放してくれ」と表情が強張った。


「飛凪さん、この後は暇? 良かったらお茶でもしない?」


 心臓が高鳴り、大きく目を見開いた飛凪は……しばらくの間、キョトンとした浜須を見つめていたが――。


「ごっ、ごめんなさい…………私、急いでいるから……」


「あ、ちょっと飛凪さん――」


 一緒にお茶しない?


 物心付いた時から今に至るまで、一度も掛けられた事の無い誘いであった。大抵の人間なら経験のある会話に、しかし飛凪は一切の免疫を持っておらず――。


「……っ」


 その場を立ち去る事しか出来なかったのである。どうにか手に入れたを胸に抱き、彼女はそのまま教室へと戻って行った。




「行っちゃったか……」


 愛用のペンを指先で回転させていた浜須は、開け放たれた部室のドアをゆっくりと閉めた。飛凪から受け取った現金を専用の封筒に入れ、メモを添えて係の机に置くと……徐に手帳を取り出した。


「ガード堅そうだなぁ、あの人。えーっと……」


 近くの書架から『定期購読者名簿』を引き抜き、《週刊賀留多馬鹿》の欄に目を通した。


「一年、一年……飛凪富生…………無いな」


「なるほどねぇ」溜息を吐きつつ、手帳の新しいページを開き、次のように記した。


『調査対象:週刊賀留多馬鹿未購読。しかし一〇月一〇日、購買部商品管理課を通さず、直接広報部で現金を用い、三冊購入。読書用途ではなく、別用途と考えられる。接近、調査の要あり』

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