第5話:餌
「ねぇ、宇良川さん……」
「何よぉ、ミシンの使い方ならさっき教えたでしょぉ?」
「そうじゃなくて……」
周囲をキョロキョロと見回すミフ江。私語に厳しい家庭科の教科担任は今、別のグループに掛かりっ切りとなっていた。
「仮に、ですわよ? 仮に……」
ダカダカと小気味良くミシンを走らせる柊子は、「まどろっこしいわよぉ」と目線も合わせない。
「ちゃっちゃと言いなさいな。これでも神経使っているのだし」
数秒の間を置き、ミフ江が囁くように言った。
「貴女、奉仕部とコネがなくて?」
俄にミシンが止まった。布地を見据えていた柊子の視線が……ゆっくりと、ミフ江の顔を捉えた。
「その話は――」再び針が動き出す。先程と比べて柊子の表情が固かった。
「放課後、詳しく聴かせて頂戴」
誰もいないから安心なさい――開かれた扉の向こうで手招きする柊子は、電気ポットに水を入れ、スイッチを押した。
「お、お邪魔します……わ」
オドオドと扉を潜るミフ江は、花ヶ岡に入学して初めて……《代打ち》の居城である《姫天狗友の会》の部室へ入った。壁には大きなコルクボードが掛かり、何枚か写真が貼られていた。
「紅茶で良いかしら?」
「えぇ、お願いしますわ」
ミフ江は調度品を探しに来た客のように、鞄を置いて室内を見て回った。本棚には賀留多関連の書籍や『週刊賀留多馬鹿』のバックナンバーがズラリと並び、最下段では封を切っていない八八花や地方札が大量に保管されている。
「随分とありますわねぇ……《札問い》で使いますの?」
違うのよぉ――困ったような声を上げる柊子。
「姐さん――ほら、前に話した先輩――が、最近やたらとコレクションするのよぉ。ドンドン増えていくもんだから、戸棚を増やしたいぐらいだわぁ」
あぁ、目代小百合先輩か……ミフ江は丸っこい文字で書かれた付箋を指で弾いた。一枚一枚が各札に貼られており、名称と入手日時、加えて雑感が記されていた。
賀留多の猛者集う花ヶ岡において、その戦力が一〇本の指に入ると名高い三年生、目代小百合。直接会話をした事は無かったが、柊子や看葉奈から「生き様」を伝え聞く内に、とんでもない超人としてミフ江は捉えていたが……。
案外、女子高生っぽいところもありますわね――「可愛い札が多めっ!」「思い出の札!」などと書かれた付箋を眺め、思った。
「その札、場所を変えたら駄目よぉ。本人しか理解出来ない順番があるらしいの――さぁ、淹れたわよぉ」
二人は椅子に座り、温かな紅茶を飲んで大きく息を吐いた。食道を通り過ぎる温感が心地良かった。
「それで」カップの縁をなぞり、柊子が問うた。
「
ミフ江が答える前に「まさか」と続けた。
「いざこざに巻き込まれているとか?」
まさか、とミフ江は即座に否定した。柊子の表情が途端に険しくなったからだ。
「そんな危険な事じゃないですわ。……宇良川さんなら、奉仕部の方とコンタクトが取れるかな、と」
「そういう事……で、取ってどうするのよぉ」
「浜須さん、いますわよね。彼女が、奉仕部に取材を申し込みたいらしくて……《カクサレ》の事で……」
しばらくの間、室内に沈黙が流れた。妙な気まずさに紅茶を一口、二口と飲むミフ江は、やがて耐え切れなくなり――。
「そ、それにしてもこの部屋は良いですわねぇ! 縫いぐるみとか、あれ、宇良川さんの好きな――」
「取材の方が」苦し紛れの雑談が、柊子に寸断されてしまった。
「よっぽど危険だと思うわよぉ」
「……そう、ですの?」
顎に指を当て、「史氷ちゃんは」と柊子が訊ねた。
「奉仕部の実態、やっている事を理解した上で……浜須さんに取材をさせてあげたい、そう思っているのねぇ?」
「……勿論ですわ。他の部活に頼み込んで《カクサレ》を一つずつ解明していくより、大元の奉仕部から情報を得る方が、より正確な手順や、多くの種類を――」
「知る事が出来る……と?」
頷くミフ江。その表情は暗く、鬱々としたものだった。
「結論から言えば、奉仕部にコンタクトを取る方法はある。けれど、絶対にお勧め出来ないわねぇ」
理由は三点――柊子の細指が三本立った。
「一つは強い排他性。二つ目に凶徒との密接な関係性。三つ目――これは理由というより、お願いよぉ」
ミフ江の目を見つめ、「みーちゃんの事」と低い声で柊子が言った。
「貴女は……みーちゃんのお友達よね」
「え、えぇ……大事なお友達ですわ」
「みーちゃんの立場は金花会の筆頭目付役、これも分かるわよね」
最早頷く事も出来ないミフ江。しかし柊子は承諾している体で続けた。
「もし、浜須さんに不幸が起こったら――責任問題は貴女ではなく、忠告が出来たはずの筆頭目付役にある。おまけにみーちゃんは生徒会の一員でもある、考えてご覧なさい……」
浜須さんは、格好の餌よ。
一口、柊子は紅茶を飲んだ。
「奉仕部は過去の因縁から生徒会を、凶徒は金花会を逆恨みしているはず。そこにみーちゃんが現れたら……一石二鳥でしょう? 以前、私は貴女達を護ると言った、それに嘘は無いわ。無いけど――あくまで反撃。此方から首を突っ込むようなら……」
常に自信ありげな彼女の表情が変わった。ミフ江も見た事の無い程に――弱々しかった。
「ちょっと、自信が無いわ……」
宇良川さんなら、パパッと倒せますわよ! いつもならそう笑い掛けたが……。
申し訳無さそうに紅茶を啜る柊子の身体が、いつもより小さく見えたのがミフ江には辛かった。浜須、或いは浜須とミフ江だけが被害を受けるのであれば、柊子にもまだ「斡旋の手立て」があるはずだった。
しかしながら――ミフ江には、斗路看葉奈という大切な友人がいた。
斗路看葉奈は生徒会会計部に所属し、金花会の筆頭目付役として活躍していた。表の世界で全てが完結するのならば、彼女の存在程心強いものはなかった。
「連絡を取ってあげたいけれど……ちょっと、私からは無理ねぇ」
「…………ですわね」
但し、裏の世界で事を為すのであれば事情は違ってくる。
過去の過失によって生徒会から見放された奉仕部が、密かに開帳する違法賭場。そこへ人目を忍び訪れる、金花会から追放された凶徒達。
表舞台の権化というべき存在は、奉仕部や凶徒にとっては……猛毒の聖光を放つ慈悲無き荒神であった。
「仕方ありませんわ……浜須さんに伝えておきます」
スマートフォンを取り出し、弱々しく文章を打つミフ江の手を――突然、柊子が止めた。
「どうされて?」
閃いた、とでも言いたげに顔を輝かせる柊子。
「浜須さんは、《カクサレ》を調査したいだけなのよね? 別に奉仕部と凶徒を調べ上げたい訳じゃないのよね?」
「だと思いますけど……」
「だったら」自らもスマートフォンを取り出し、柊子は誰かにメッセージを素早く送った。
「姐さんなら、幾つか知っているかもよぉ?」
「……目代先輩ですの?」
パチン、とウインクした柊子。すぐに返信が来たらしく、画面を見つめ……。
「明日、浜須さんを連れておいで……ですって」
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