第4話:暴く少女
「ふぅ……」
三九度の温水に頬を赤らめたミフ江は、天井へ向けて大きく息を吐いた。水滴が一粒、鼻頭に落ちた。これを指で拭ってから、フリーザーバッグに詰めたスマートフォンを操作した。
入浴用と名付けられたプレイリストを二回、通しで聴く――風呂場でのルーティンだった。
「よっと……」
手を伸ばした先にはスポーツドリンクがあった。定期的な水分補給が肝要であると、雑誌や実体験から学んでいた。細い喉をコクコクと動かし、再び身体を湯船に沈めていく。通常なら、このタイミングで「あぁー」と日本的発声を行うところだが……。
「……」
この日、ミフ江は大好きな長風呂でも――実に浮かない顔をしている。リボンのカチューシャを揺らす一年生、浜須矢恵の為だった。
当然ながら、彼女の性格が気に食わないとか、これから成そうとしている「技法創作の一旦の到達」を邪魔されたくないなどといった事は無く……。
自ら底無し沼へ飛び込もうとする後輩の今後を、彼女は大いに危ぶんでいた。
「史氷先輩は地下鉄なんですね! あの、私も途中までご一緒しても良いですか!?」
千咲の奢りではち切れんばかりに腹を膨らませた浜須は、柊子達と一人だけ帰路の方角が違うミフ江を追い掛けて来た。「勿論ですわ」と微笑むミフ江に、浜須は年頃の少女らしく、「やったぁ!」と全身で喜んでみせた。
駅までは歩いて一〇分程だったが、その間も浜須は「技法創作のコツを教えてくれ」「最近のマイブームな技法は何か」「お気に入りの地方札とは」と、矢継ぎ早に訊ねて来た。
「やはり、浜須さんは取材とか、調査に長けていますわ。私もスイスイ答えてしまいますもの。流石は広報部というか、天性があるのですね」
ありがとうございます! 浜須が笑顔で謝辞を述べるかと思われたが……意外にも、彼女は「あはは」と力無く笑うだけだった。
そんなものじゃありません――リボンが揺れた。
「マグロは泳がないと窒息しますよね、私も同じなんです。隠されているものがあったら暴きたいし、知らない事があったら知りたい。自分だけが知らないっていうのが……何か、辛くって」
一瞬、浜須の表情に影が差し込んだのをミフ江は見逃さなかった。果たして指摘はせず、話題を《カクサレ》に転換させた。
「それでは、《カクサレ》なんてものがあれば、浜須さんの知識欲は大いに刺激される……そういう事ですわね」
「そうなんですよぉ!」浜須に純粋な笑顔が戻った。
「ロマンが半端無いんですよ《カクサレ》って! 金花会や教室で気軽に打てない理由――大抵は違法博技ですが――がある為に、ヒッソリと陰日向で育まれて来た文化でもあるんです! 金花会への協力もありますが、やはり私を突き動かすのは、未知への探究心でしょうかね!」
浜須矢恵は――全ての秘密が「自分の訪問を歓待してくれる」と、信じて疑わないらしかった。誰かをしきりに疑ったり、矢鱈に怯えたりする必要は勿論無いし、広報部という立場を考えれば尚更であった。
「……浜須さんは」
ミフ江は問うた。
「例えば……『この人はちょっと怖いなぁ、危なそうだなぁ』という方にも、やっぱり取材とか……されますの?」
寸刻置かず浜須は「当然です!」と頷いた。リボンが激しく揺れた。
「金花会を除いて――私は唯、純粋に《カクサレ》について取材をしたいだけですから! 提供者の情報はしっかり守りますし、告げ口とか、そういうつまらない事はしません!」
続けて彼女はミフ江の手を取り、「改めて」と深く頭を下げた。
「この浜須矢恵、史氷先輩のご助言を今後幾度も仰ぐ事になります。この通り、私は喋ったり調べる事しか能の無い者ですが……どうか一つ、よろしくお願い申し上げます」
突然の慇懃な態度に驚き……ミフ江は「止めて下さいまし」と顔を上げさせた。
「学年が違うとはいえ……私達は同じ賀留多愛好の士。最終的な目標は違えども、道中は似たもの。私の方こそ、浜須さんに何かとお願いする事があるはずですわ。そんな余所行きの雰囲気、必要無くってよ」
キョトンとした表情を浮かべた浜須は、それからニッコリと笑み――。
「ありがとう御座います、先輩!」
大きな声で、感謝を伝えた。
「はぁ……」
乳白色の湯で顔を洗うミフ江。滴り落ちる水は唯の湯か、或いは「杞憂に終わる事を望む不安」による冷や汗か。
気付けば風呂場に鳴る「入浴用プレイリスト」は最後の曲となり、長らく構想を練っていた技法について……少しも頭を使う事が出来なかった。仕方無しに花柄のバンスクリップを外し、シャンプーを始めたミフ江は――。
閉じた目に浮かぶ笑顔の後輩、その後ろから立ち上る瘴気を思った。
黒く、触れるものを溶かし、冒すような瘴気の発生源は、果たして調査対象の《カクサレ》か、或いは賀留多文化から追放された罪人――。
「凶徒」によるものか。
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