第3話:協力させて下さい
何の収穫も無く、他人の「裏の顔」の存在を確認しただけとなった京香は――思考に膜が掛かったような、寝起きじみた感覚を覚えつつ、廊下を歩いていた。
鶉野摘祢は賀留多が強い。得られた一つだけの、それも当たり障りの無い情報にすら、京香は首を捻っていた。
《金花会》で高額の花石を稼いでいるらしい彼女が、自分のような一年生に《いすり》で敗北するだろうか? 或いは、賭博性の高い技法に特化したタイプなのだろうか?
大物が保身を図るべく、小魚に「お前が釣られろ」と命じているように思えた京香は、水底で不気味に佇む「真相」という名の主に欺かれた気がした。
更に――ぶつかり合わなそうなトセと目代が、何故「部室からの放逐」を懸けた紛争にまで縺れ込んだのか、見当も付かなかった。
疑念が大きな嘘の鎧を纏い、訝しき賛歌を以てして京香を混乱させた。《姫天狗友の会》を訪れたのは悪手にすら感じられた。
クラスに戻ろうと階段の踊り場までやって来たところで――京香は両足をピタリと止めた。
上階からゆっくりと……鶉野が降りて来たからだった。
「こ、こんにちは……」
鶉野は廊下の奥――《姫天狗友の会》部室の方を一瞥し、京香の目を見つめた。
「収穫はあったかしら」
胸の支えるような感覚に、京香は口を軽く開いた。鶉野は「その様子だと」と囁くように言った。
「時間の無駄だったようね」
再び歩き出した鶉野へ、京香は「待って下さい」と声を掛けた。
「私、私……! どうしたらいいのか、何も分からなくて……」
「私に言われても、という答えしか無いわよ」
歩みを止めない鶉野の後を追い、京香も横に並び……震えた声で続けた。
「分からないんです。皆……何か隠している気がします。私には言わないで、他の人とだけ共有して……」
「誰でもそのような悩みに取り憑かれる時があるわ。貴女は、それが今なだけよ」
「鶉野さん、教えて下さい! 貴女は、貴女は私に何か隠しているんですか? その秘密は――私へのお願いに関係するのではありませんか!?」
知ったところで――鶉野は歩速を緩めずに答えた。
「貴女にどうする事も出来ないわ。事情が変わったと言ったでしょう。それに……秘密を無闇矢鱈に打ち明ける馬鹿が何処にいるのかしら。秘密というのはね、羽関さん――」
ようやくに足を止めた鶉野。怪しく輝くような双眼が、混迷を極める京香を射貫いた。
「猛毒なのよ」
「……毒、ですか」
「他者に知られては不味い事柄を秘密というの。秘密を抱える人間は、常に瓶が割れないかどうか、怯えているものよ。毎日毒の入った瓶にヒビが入っていないか見回って、漏れ出さないよう注意を払って……」
鶉野の声色に、何処か遣る瀬なさを認めた京香は、初めて――彼女の原質に触れた気がした。
「それを『教えてくれ』というからには、余程自信があるのか、或いは……」
間を置かず、京香は「私を信頼していないのですか」と返した。全く無意識に飛び出した言葉に、京香自身が酷く驚いた。
「羽関さん、貴女はどうも私を軽い女と思っているようね。出会って数日の人間に、どうして弱点を教えなくてはいけないの? それに、秘密を知れば貴女も平穏な毎日を捨てる事になるかもしれないのに? まさか……」
鶉野は続けた。
「そこまで、私に協力したいの?」
数時間後、帰宅した京香は着替えもせず、布団にうつ伏せとなって寝転んだ。
激しい運動をした訳でも無いのに、全身を駆け巡る痺れと疲弊感が……彼女の顔面を病的に熱くさせた。
私に、協力させて下さい。
どうしてあんな事を言ってしまったのだろう。売り言葉に買い言葉というより、自分から進んで口にした気がしてならない。元々は「トセの為」に助力を依頼されたのに、いつの間にか立場が逆転している事を……京香は気怠さから気付こうともしなかった。
真っ暗な部屋で一人、京香はスマートフォンを弄る。鶉野の言葉を思い出したからだ。
明後日の放課後、時間を作りなさい――。
鶉野の本意は計りかねた。しかしながら反発する気も無かった。
今は唯、夕食まで目を閉じていたかった。
明後日。八月三一日の放課後、自分は一体何を知り、何を見せられ、何を「協力」させられるのか、一切が不明だった。
一つ、確実な事といえば……。
その日――京香は持つ必要の無い毒瓶を、心中に設置する事ぐらいだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます