羽関京香、誘われ

第1話:笑顔の目付役

 暇を見付けては賀留多に興じる者で溢れる、特異極まる花ヶ岡高校――二年一組に籍を置く、一人の少女がいた。


 名を矧名涼はぎなすずみといい、昨年に目付役登用試験を合格しており、物腰の柔らかさと朗らかな笑顔が功を奏し、多くの《札問い》で「和解」を生み出して来た平和的人間である。


 矧名涼が座布団の前に腰を下ろせば、それまで酷く啀み合っていた当事者達も「怒りが馬鹿らしく」なり、闘技を行っている最中も相手の顔色を窺っては……「もう止めにしない?」の一言を口にするチャンスを待ち始めてしまう――というは、真に紛争を解決する「理想の目付役」として、他の同輩に羨まれた。


 一方で、矧名涼は工芸部にも所属しており、《目付役》の業務をこなしながらも部室に通い、樹脂粘土で可愛らしい小鳥の置物を作っては、部室のオーブンでせっせと焼き上げ、購買部にある特設コーナーで販売していた。売上は全て工芸部の部費に回し、部員達からもその無欲さが一層愛された。




「皆さん、ご機嫌よう」


《仙花祭》が近付く八月二九日。


 目付役の詰所としても機能するの扉を開け、筆頭目付役の斗路看葉奈が入って来た。種々の業務に加えて《仙花祭》の準備に追われていた目付役達が、目礼だけで挨拶を略した。


 猫の手も借りたい――そのような時でも「おや」と顔を上げ、ニンマリと笑みを浮かべて手を振る者がいる。矧名涼であった。


「斗路ちゃーん。お疲れ様ぁ」


 綿雲のような癖っ毛を揺らし、矧名は鞄を下ろす斗路の方へ歩いて行った。手には《札問い》の実施を願う依頼状が数通握られており、そのどれもが斗路の最終確認を待つだけであった。


「まぁ、どうもすいません矧名さん……いつも処理をお任せしてしまって……」


 何を言っているのさぁ――矧名は人懐こい表情を浮かべ、巻かれた髪を指で弄った。


「こんなの、目を通して台帳に記入して、スケジュールと突き合わせるだけじゃない。斗路ちゃんがやるまでも無いって事だよぉ」


 事実、何かと多忙な斗路に代わり――矧名は様々な雑務をこなしていた。皆が嫌がる月に一度の台帳整理、花石の流通量管理も文句一つ言わず、率先してペンを握り、電卓を叩いて《金花会》を支えている。合間には《札問い》に出掛け、賀留多について疑問がある下級生がいると聞けば、質問箱を部室前に設置し、細かく丁寧に回答した。


「本当にありがとうございます……矧名さんには頭が上がりません。まさに《目付役》の理想像ですね」


「いやぁ、恥ずかしいなぁそんな風に言われるのも。まぁ、こういうのが性に合っているんだろうねぇ。自分が前に出るより、誰かを支える方が良いんだよねぇ」


 うぅーん……と矧名は大きく身体を伸ばし、「んしょぉ」と勢い良く腕を振り下ろす。壁掛け時計を見やる、一六時三五分だった。


「斗路ちゃん、ちょっと眠気覚ましも兼ねて散歩に行ってくるよぉ。ごめんね?」


「えぇ、勿論どうぞ。後で製菓部の新作を皆で食べましょう」


「ほんとぉ? 楽しみだなぁ、ウンと甘いものが良いなぁ」


 菓子に囲まれた夢に笑む子供のように……矧名は屈託の無い表情で廊下へ出て行った。




「はぁーあ、肩が重いなぁ」


 トントンと肩を叩きつつ、矧名は外靴に履き替えて校舎を出た。しかし校門を出る事は無く、すぐに右へ折れてグラウンドの方へ回り、今は使われなくなった焼成室――工芸部専用の廃品置き場として利用されていた――へ彼女は真っ直ぐ向かった。


 流行している邦楽を口ずさみながら、建て付けの悪くなった引き戸を二度、三度突っ掛かりながら開く。薄らと床に積もった埃が――三箇所程、丁度「靴跡」のように消えていた。


「さてさて……」


 矧名は屈み込み、壊れたオーブンの取っ手を掴み、静かに開いた。軋む音と共に……が現れた。彼女は迷う事無く取り出し、引っ繰り返して底面を検めた。




 八月三一日、一七時。




「一七時……お昼寝しないと持たないかもなぁ」


 小さな文字を薄目で見つめ、矧名は置物を持って備品庫を出ると、再び二、三度と突っ掛かりながら扉を閉める。手に着いた埃を拍手するようにして払い、会計部室のある方を向いて微笑んだ。


「さて、と。お菓子お菓子っと」


 イソイソとその場を離れた矧名。胸ポケットの中で彼女手製の置物が揺れた。校舎に戻り、擦れ違う友人達に「ばいばーい」とノンビリした声で挨拶をしつつ、果たして会計部室に帰還した。


「あぁ、丁度良かったです矧名さん。苺味のシュークリームだそうです、どうぞお一つ」


「えぇっ、苺ぉ? 大好きだよ私ぃ」


 満面の笑みでシュークリームに齧り付いた矧名は、口元に着いたピンク色のクリームを器用に舐め取った。


「あははっ、美味しいねぇこれ!」


 矧名涼は、決して笑顔を絶やさない。仏頂面、顰め面で過ごすよりも数倍……生活のしやすさが望めたからだ。


 彼女は知っている。


 笑顔こそが――最高のであると。

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