第15話:梅贈り

 流石に三年生という事もあり――鶉野の札撒きは実に華麗であった。徒に速度を上げるだけの生徒も少なくない中で(実際、速度主義の片鱗を見せる一年生が京香の周りにも散見された)、彼女の手付きは「間違いの無いように」と精緻に組まれた機械の如くであった。


 きっと、荒っぽい程の速さで札を撒くんだろうな……京香は数分前まで推測し、今では完膚無きまでに「予想」が粉砕された事に驚き、気を紛らわす為にコーヒー牛乳を舐めるように飲んだ。


 生徒達がを重要視する理由、それは花ヶ岡高校が長年継いで来た「性質」にあった。


 礼節を重んじ、清廉潔白かつ気高き令嬢と成る為の教育機関――女学校であった花ヶ岡は、生徒達のあらゆる言動に「美」を求めた。おはよう、の代わりに「ご機嫌よう」を用い、上級生は「お姉様」、下級生は「妹達」として家族のように扱い、また礼を尽くさなくてはならなかった。


 現代……「常動求美」の精神はカビ臭いのような扱いを受けてはいたが、校舎に染み付いた空気が作用しているのか、例えば札の撒き方などに顔を覗かせ、「美」を求めて回るのだった。


 鶉野の札撒き――精緻で優美な両の手の動作――は、まさに京香が思い描いた「理想像」そのものだった。撒きの速度にはとうに飽きてしまい、所作の一つ一つを洗練させてみようと、をある時期に迎えたらしい鶉野は、京香をいたく混乱させた。


 性格も、言動も……何もかもが違っていたはずの鶉野さんが、私の目指している「人物」だというの?


 そうなんだ、この人こそ目指すべき像なんだ――などと認めてしまっては、何かが大きく「ズレていく」気がした。


 では、ズレが意味するものとは? それを知るべく京香は……。


「はい、親手は私。……台札は《松に短冊》ね」


「よろしくお願いします」


 鶉野に是が非でも勝利しなくてはいけなかった。京香は裏向きの六枚――自分の手札を検め、俄に「好機」の影を掴んだ。




 藤のカス 菖蒲に短冊 菖蒲のカス

 桐に鳳凰 梅のカス 梅のカス




 まさに好機、まさに僥倖の内容であった。に別たれてはいたが、化け札の鳳凰を「本来収まるべき」位置である一二月の札、二枚の《梅のカス》に併せて出し切れば、一気にの獲得である。リードする鶉野を一撃で仕留める事も可能であった。


 しかしながら――手札に仕込んだを、鶉野に悟られてはいけなかった。大きく点差が開いている事は双方知っている事であるし、着火剤となる「牡丹の札」を待つような打ち筋を見せれば、容易にを見抜かれ……。


 手の内からヒョイと飛び立ち、逃げられてしまうのは明白であった。


 また当然の如く、鶉野が紅葉の札を数枚持っていたり、或いは「同じ作戦」を考えていれば、京香の逆転劇は呆気無く幕を閉じる事となる。但し、鶉野は残りを取得すれば闘技には勝利出来る為、彼女が「華々しさ」を求めない性格ならば、比較的小さな月数上がりで闘技を終了させる可能性もあった。


 さて、鶉野さんはだろうか……京香は手札を見る振りをしながら、同じく扇子のように開いた手札を眺める彼女を見やり、考える。




 直感、会話する時の性質、話題、打ち筋、表情から……「結果」を第一に考える人の気がする。いいえ、ほぼ間違い無く……。


 でも――まだ掴めていない、まだこの人が「どんな人間なのか」、「何をしようとしているのか」が分からない。


 考えて、羽関京香。


 真っ直ぐ勝ちを目指すべき? それとも《梅のカス》を一枚ずつ処理して、手堅く一二点を狙うべきかな? 或いは狙い?


 考えれば考える程、頭の中がグチャグチャになるみたい。いつもなら……直感で打っても大体勝てるけど、この人の場合は――。


 まるで、感覚を縛り付けるような……。




「送るわ」


 第一手目、鶉野は手番送りを選択した。この動きは……仮に彼女に「裏」が無ければ、松と柳の札は持ち合わせていない事を示唆した。同時に――《いすり》における戦術の骨子ともいえる「化け札」の不在も濃厚となった。


 あぁ良かった、これで勝ちやすいわ――そう言ってニコリと笑う京香であれば、龍一郎と賀留多文化の存続を懸けた「死闘」を演じられるはずが無い。


 甘く、いつまでも嗅いでいたいような香りを放つが、眼前で手招きしているようだった。


「では、私も」


 果たして京香も手番を送った。手番送りの細則により、鶉野が山札を起こす。起きた札は《梅に鶯》であった。


「あら、ね。だったら…………」


 山札から起きた時にのみ、《梅に鶯》は一月から一二月まで、起こした者の好みで化ける事が出来た。残り一二月の札――《梅に短冊》は一枚、京香はこの流れで梅の札のを、ほぼ掌握した事になる。


 鶉野は前髪を掻き上げ、少し濡れた唇をソッと動かした。


に戻しましょうか」


 元の月数――「二月」の事だ! 京香は微かな胸の高鳴りを感じた。鶉野は手札から《桜のカス》を二枚打ち、手番を京香に渡した。


「藤です」


 鶉野は《藤のカス》を眺め、自身の手札を一瞥し……「残念、送るわ」と視線を下げた。途端に、大きな歯車がガチリと噛み合い、景気良く動き出す気がした。


「菖蒲、二枚です」


 残り三枚――化け札を混ぜた「一二月の爆弾」の導火線から、焦げるような匂いが漂い始めた。鶉野はその匂いを嗅ぎ取ったのか……口を少し尖らせ言った。


「《いすり》にも、があれば良いのに」


 仮に二人打ちの闘技で「出降り」を認めれば、双方が好ましい手札が来るまで降り続けるのは必然であり、闘技自体が成り立たなくなるのは明らかである。


「出降りは……厳しいかもですね」


 似合わぬ冗談か、或いは真面目な要求か……鶉野の発言にクスクスと微笑む京香は、打たれた《萩に短冊》を認め、「送ります」と頷いた。


「私も。送るしか無いわ」


 んんっ、とか細い咳払いを一つしてから、鶉野は右手首を上下に折り曲げ、念じるように山札を起こした。


 何かが、耳の奥で爆ぜたようだった。


「……っ、あぁ、これも駄目ね」


 送るわ――表情は変えないが、何処か潮垂れた様子で鶉野が投げ槍に言った。


よ。梅の札、持っていないのに」


「……鶉野さん」


「何かしら」


 京香はニコリと笑み、傍らに置いてあった《三ツ扇》の箱を鶉野の方に押しやった。


「大事にして下さいね」


 ――《桐に鳳凰》に《梅のカス》二枚を加え、京香は台札の横に静かに置いた。


 梅の札の月数点、そこに枚数を掛け……占めて、供出点の算入など不要と言わんばかりに、ハッキリと京香の逆転勝利が決定した。


「……やっぱり、言った通りなのよ」


 フゥ、と小さく溜息を吐く鶉野は、《三ツ扇》の箱をソッと撫でた。


「私が撒くと、碌な事にならないの」

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