第13話:「バッテン」
《姫天狗友の会》部室にて――近江龍一郎は空のマグカップを見やった。内側にグルリと着いた茶色い粉が、前回に注いだ最上地点を示している。廊下の外に響く生徒達の声は、普段より数倍も多い。
致し方無い事だった。校内が刻一刻と近付く、《仙花祭》の準備で色めき立っていたからだ。この日、龍一郎と目代はクラスでの手伝いも無く、「暇だから」と部室にやって来たのである。
「目代さん、ココア飲みます? 二杯目ですけど」
窓際で花ヶ岡高生の聖典とも言える『花ヶ岡賀留多技法網羅集』を膝上に載せ、眠たげに目元を擦る三年生、目代小百合はメモ帳に素早く短文を記した。
「『いつもより濃い目』……これ以上濃い目にしたら、溶け切らないかもしれませんよ」
龍一郎の言う通り、目代の好むココアのアバウトな比率である「濃い目、牛乳は若干温め、砂糖少し」は常識を少し外れた位置にあり、頻繁にココアを入れてやる龍一郎自身も、「この量は入れ過ぎだろう」と顔をしかめた。
しかし……目代はそれでも「薄め?」と首を傾げて見せる事があり、龍一郎は粉ごと食べれば良いと、何度も提案したくなった。
「そういや、目代さんはクラスの手伝いしなくて良いんですか? 俺は大した仕事が無いんですけど……」
龍一郎の属する一年四組では、当たり障りの無い駄菓子屋を催す事になっていた。店内レイアウトは矢鱈と張り切る一部の女子達に任せ、龍一郎率いる男部隊は――業者が運んで来る段ボールを教室まで運びまくるという、何とも言えぬ仕事を割り当てられていた。
購買部にも卸している業者から適当に仕入れ、マージンも取らずに原価同然の価格で売り捌く「慈善事業」も、しかしながら授業の一環として行える為、彼はそれなりに運搬作業を楽しんでもいた。
「『メイド服が届かないから、まだ暇なんだよぉ』……あれ、この前は着物喫茶やるって話でしたよね? 急に洋風じゃないですか」
紆余曲折を経て――目代のクラスでは、今では全く面白味の無くなったメイド喫茶を開店する運びとなった。だが……蓋を開ければ「着付けの出来る茶道部の助力を得られない」「着物の調達が難しい」「動き辛い」という単純な理由が、コスプレショップに足を運べば容易く購入出来るメイド服の着用を目代に強いたのである。
「目代さんがメイドかぁ……友達を連れて行きますね。クラスにそういうのが大好きな馬鹿がいるんです」
キッと彼の方を振り向いた目代は、両手で「バッテン」を作り、断固拒否した。頭上に伸びる特徴的な癖毛も、主人の感情を色濃く反映するのか、ビンと天井を突き刺すように立ち上がる。
「『恥ずかしいから駄目っ!』……そう言われると尚更見たくなりますね。どうです? 行って良いか、それとも駄目か、賀留多で決めるというのは?」
またしても目代は「バッテン」を振りかざし、分厚い本を書棚にしまった。
「公平じゃないですか、賀留多なら。目代さんが技法を選んで良いですから」
そういう問題じゃないのに――とでも言いたげな目代は、口をへの字に曲げて顔を赤らめた。やがて話を逸らすようにペンを動かし、龍一郎にメモを見せ付けた。
「『左山さんのところでも行けっ』……それがですね、梨子さん……当日は忙しいらしくて会う暇が無いらしいんです」
忙しい? そう返すように、目代は声に出さず、軽く目を見開いた。
「最初はオリジナル賀留多の雑貨屋をやる予定だったんですけど、他のクラスと被っちゃって……抽選に外れて、焼きそば屋になったんです」
半ばヤケクソのような方向転換に、それでも梨子のクラスメイト達は「校内にて売上一位」を掲げて悄気る事無く、料理の得意な者は調理係を、不得意な者は着ぐるみで宣伝係を、接客に長けた者はレジ打ちや写真撮影の被写体として――《仙花祭》最終日に執り行われる「各部門表彰式」の壇上へ駆け上がろうとしていた。
「延々と焼きそばを焼くか、キャベツを切るか、紅ショウガを撒き散らすか……調理場から離れられないんです。そんなに料理のスキルが必要か、とも思いますが……『食べに来てね、私は一緒にいられないけど……』って、遠い目をしていました」
それはお気の毒様……目代はメモに記し、苦笑いを浮かべて見せた。
「だから、俺はメイドの目代さんを見に行くしかないんですよ。分かって下さい」
仕方無くって感じが腹立つんだけど! メモに書かれた目代の文字が、心無しか乱暴な筆跡となっていた。
すいません、すいません……謝る龍一郎の顔は晴れ晴れとした笑顔だった。注文を受けた通り、「超濃い目」のココアを作るべく、彼は電気ポットの方へ向かった。
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