順風満帆

「ご機嫌よう! 新学期もよろしくぅ!」


《姫天狗友の会》部室の扉を、それは素晴らしい満面の笑みで宇良川が思い切りに開いた。


「あらぁ、姐さん――それと、。仲良く掃除していたのぉ?」


「こんにちは宇良川先輩! そうです、気持ち良く新学期を迎えたくって……ね、目代先輩!」


 ニッコリとトセは笑い、箒で埃を集める目代を見やった。後輩の視線に気付き……目代も嬉しそうに微笑み返した。ピョコン、と寝癖が上下に動いた。


「そんな事していたらぁ、流石の私も何かやらなくちゃねぇ……お茶でも淹れましょうか?」


「サボろうとしていますね! 今、がバケツに水を入れて帰って来ますから、一緒に窓を拭いて下さいね!」


 えぇーっ……と宇良川が口を尖らせた瞬間、「宇良川さん、お疲れ様です」と、龍一郎がタップリの水を入れたバケツを携えて戻った。


「おトセの声が聞こえました。一緒に窓拭きしてくれるんですよね」


「あーらぁ……生意気になったわねぇ、近江君? 良いわよぉ、この白魚のような手で窓を拭いてあげるわぁ。その代わり、絞るのは殿方の仕事よぉ?」


「えぇ、勿論です」


 宇良川は鞄を長机に置いて、セーターの裾を捲ってから雑巾をロッカーから取り出した。彼女が手芸部に無理矢理作らせた雑巾も残り少なかった。


「さぁて、宇良川家直伝の窓拭きをお見せするわぁ。近江君、まずはかたーく絞って頂戴な」




 目代小百合の気分が普段より良かったのは、始業式には欠かせない校長の訓辞が短かったからでは無い。


 紆余曲折は多々あれども……欠員が出る事無く、再び《姫天狗友の会》メンバー全員が一同に集まり、笑顔で挨拶を交わしていたからだ。目代の機嫌が向上し始めたのは、三日前――確執があった後輩、一重トセから「会いたい」と電話があった日を境とする。


 慌てて準備を済ませ、指定された喫茶店に向かった目代は、気まずそうに席に着くトセを認めた。トセは目代と対面した瞬間、深々と頭を下げて「ごめんなさい」と開口一番に謝罪した。


 後輩にあるまじき不遜な態度、疑念、中傷は詫びても詫び切れないと唇を噛むトセに、目代は彼女の「悪事」などどうでも良くなり、唯一言、「心配掛けるなよ」と笑った。


 トセは笑顔と困惑、何かしらの罪悪感を混ぜ合わせたような表情を浮かべ、それまでの鬱々とした雰囲気を打ち破るように「《仙花祭》では占い舘をやるので、是非私のクラスに来て下さい」と楽しげに語った。


 必ず行くと約束した目代は、後輩と以前よりも深く……分かり合えた気になり、祝杯の代わりにパフェを二つ注文した。


 そして今日――多少の緊張を以て部室に向かった目代は、思い掛けない光景を目の当たりにする。


 何事も無かったかのように……龍一郎とトセが笑い合っていた。しかも話題は「左山梨子」についてであり、龍一郎の事を想っていた過去など、全くの嘘のような振る舞いは、目代をいたく混乱させた。


 龍一郎がトイレに立つと、思わず目代はトセに「無理しないでね」と声を掛けた。トセは「無理していませんよ? として、リュウ君にアドバイスしていたんです」と平気な顔で答えた。


 何もかもが、あの頃に戻ったんだ! また、また皆で楽しく活動出来るんだ!


 目代はトセの淹れてくれたココアを飲みつつ――内心、彼女の身体は草原を転げ回り、山々に木霊する程の声量で叫んだ。


 トセの提案で掃除を始めた時、箒で集めた埃は砂金のように煌めき、窓から吹き込むせっかちな秋風は春風の如く薫った。決して豪華な備品は無い、使い古された部室の隅々に……喜楽という元素が行き渡るようだった。


 順風満帆――元来ネガティブな目代は、しかしこの時だけはポジティブ極まりない、友好を楽しむ女子高生に戻れた。




「素晴らしいわねぇ、窓ガラスが無いみたいよぉ?」


「本当です。流石は宇良川さんですね」


 龍一郎の賞賛は宇良川の鼻をグングン。得意気な宇良川の後ろでスマートフォンを見ていたトセは、「あっ……」と眉をひそめた。


「どうした、おトセ?」


「……うん、京香ちゃんに借りていた本を返すの忘れていたよ。ちょっと返して来るね」


「あらぁ、それは早く行った方が良いわねぇ。そういえば、みーちゃんも私の本、いつまで経っても返さないわね……厳罰ものよぉ、これは……」


 手近な竹定規を振り回す宇良川、その横で苦笑いする龍一郎、そして……「行っておいで」と頷く目代をトセは順に見やった。


「じゃあ、ちょっと行って来まーす!」


 パタパタと駆けて行くトセを三人は見送り、「トセが戻って来たら賀留多でも打とう」と口々に話し合った。


 四人が揃って「いつも通りに」賀留多を打つのは、久方ぶりに目代は思った。

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