第4話:必殺の行程

 とりあえず、歩きましょうか――爽やかに笑う龍一郎の提案を受け入れ、梨子はハンカチで額を拭きながら彼の後を追った。


 龍一郎の手には「未開封」のスポーツドリンクが握られている。梨子は既に二本目のジュース(これも林檎味だった)に手を着け、羞恥と焦燥によって高まる体温の低下を狙った。


 しかしながら……梨子の体温は下がるどころか、歩を進める内にの一途を辿ってしまう。




 今、私は近江君と歩いている。放課後じゃない、お互いに話し合って決めた日時で、場所で! 私は今、彼と二人きりで歩いているんだ! 絵実、私、幸せ過ぎて怖いくらい!




「それにしても……今日は暑いですね」


「はい、本当ですね!」


 本当に暑かった。梨子の体内からは次々に水分が失われ、その分ジュースを飲む速度も比例する。小さな缶から重みが失われ、チャポンと軽やかな音が鳴った。


 龍一郎は項の辺りに手を伸ばし、「暑いなぁ」と手で乱暴に汗を拭った。半歩前を歩く少年の両足は、半ズボンからスラリと伸び落ち、年頃の若々しい肉付きを象徴していた。


 チラリ、チラリ……と梨子は両足を観察し、男女の肉体差を存分に学んでいた。花ヶ岡という男女比の割合が極端な空間に生きる彼女にとって、異性の、それも「想い人」の肉体は余りに刺激が強い。


 反対に、龍一郎の側は大量の異性に囲まれて生活しており、否が応でもが肥えている可能性を梨子は危惧していた。


 何とか「年上の素敵なお姉さん」を演出しなくては――朝の六時から梨子は洋服ダンスを開けては閉め、着替えては脱ぎを繰り返した。


 懊悩の末、彼女はタンクトップに薄手のカーディガンを羽織り、七分丈のガウチョパンツを選択したのである。時折擦れ違うのカップルと、梨子は一瞬の内に自分達とを比較する。


 あの子よりは……いや、私の方が……ううん……止めよう、こういうの。


 新しい感情だった。寄り添って歩く男性――龍一郎に、「相応しい」女性を演じられているか、否か……乱反射な敵愾心が彼女の中に生まれていた。


「左山さん、どうします?」


「えっ、な、何がですか?」


「賀留多ですよ、もう何処かで打ちますか?」


 すっかり忘れていた……事は秘匿し、梨子は「うぅーん」と悩む振りをした。最早二人で歩いている事が幸福な彼女は、しかし当初の目的を達成しなければならない。例えそれがだとしても。


 同時に、梨子は「もう」という副詞を聞き流してはいない。多少なりとも龍一郎が「すぐに始めてしまうのか?」と尚早に思っているのを見抜いた梨子は、辺りを見渡し……。


 あっ、と驚く素振りを見せた。


「あそこ……あの、良ければ……あそこに行ってみたいです」


 龍一郎は細い指の先を目で追った。やがて目を見開き「おぉっ」と笑みを浮かべた。


「宇宙展ですか、珍しいものもありますね」


「この前、近江君が星座について教えてくれましたよね? その時から……ちょっと宇宙について興味が湧きまして」


 是非行きましょう! 満面の笑みで龍一郎は歩き出す。その後を嬉しげに付いて行く梨子は……「してやったり」と口角を上げている。




 龍一郎は知らなかった。


 事前に――梨子はデート当日、中心街で「龍一郎が興味を抱きそうなイベント、施設」を調べ上げていた事を。


 そして、一つでも興味を持ち、そこに向かった後は――連鎖するように彼の興味を行程を、彼女は何通りも作成している事を。


 残念ながら恋愛について場数を踏んでいない梨子でも、備え、仕掛ける事は出来る。


 今日……龍一郎が訪れたのは、若者の欲求を満たし、気軽に楽しめる中心街では無い。


 左山梨子という女が張り巡らせた罠、その全てが彼を見つめる戦場である。


 特に――「宇宙展」から始まる行程は三通りあるが、その何れも……。


 存分に龍一郎を満足させるであろう、の輝きを放っていた。

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