近江龍一郎、決戦の刻

第1話:六文銭

 花ヶ岡高校一階奥の空き教室。


 その教室は生徒会会計部が使用する物品庫となっていたが……この日、中心に座布団を一枚敷き、そこを挟むように二人が座っていた。


 一人は男子、もう一人は女子だった。


 彼らは黙したまま目を閉じ、全神経を手先に集中させるように、各々が両手を膝の上に置いていた。


 二人の打ち手から三メートル程離れ、六名の観客が彼らを見守っていた。


 姫天狗友の会に所属する三名の生徒、生徒会監査部が二名、そして金花会の筆頭目付役だった。


 ドアノブを捻る、乾いた音が教室に響いた。


 打ち手の二人はその方を見ずに、石像のようにただ「その時」を待ち続けていた。入って来た生徒は一二個の《八八花》を載せた盆を携えていた。盆に載る札は靖江天狗堂製のものではなく――インターネットで購入された汎用品であった。


 打ち手達の傍へ衣擦れの音も無く、札を運んで来た生徒が座り言った。


「定刻となりました。これより、生徒会監査部代表、羽関京香さん。姫天狗友の会代表、近江龍一郎さんによる《札問い》を開始致します。証文の効力は双方承知済みの為、今後の一切の異議を禁止とさせて頂きます。……なお、私は本日特例の目付役を務めます、生徒会執行部長の吉野田初巳よしのだはつみと申します、よろしくお願い致します」


 吉野田が座礼するのに倣い、二人の打ち手も深々と一礼をした。


 目付役である吉野田が一つ目の《八八花》の封を切り、丁寧に混ぜ合わせる間、打ち手達は互いに目を合わせる事無く……四八枚の黒い札がサラサラと音を立てて蠢くのを見つめていた。


 やがて札は一つの山を形成し、素早い手付きで切られていく。全ての準備は整った。


「それでは慣例により、起き札にて親子を決定致します。…………近江さん、《柳に小野道風》。羽関さん、《松に鶴》。月数の規定により、親は羽関さんとなりました」


 再び札が混ぜ合わされる。


 過剰な程の札切りは、そのまま今回の闘技における「絶対公平」を示唆する。最初の二四枚を配り終え、吉野田は開戦を宣言した。


「睦月戦、開始してください」




 睦月戦。賀留多の運命を賭けた闘技の緒戦である。龍一郎は手に滲む汗を膝で拭い取り、整然と並ぶ場札に目を落とす。




  梅のカス 藤のカス 菊のカス 芒に月

  芒のカス 紅葉のカス 紅葉のカス 桐のカス




 速攻役の《月見酒》に絡む札が二枚現れ、また高値の出来役に絡むカス札が不気味に龍一郎を眺めているようだった。


 様子見をしたいが……手には桜と桐の光札が、そして《紅葉に短冊》が流れ込んでいる――。


 弥生戦までは相手の出方を計りたかった龍一郎だが、一手目に羽関妹が《梅に鶯》を合わせて《萩のカス》を起こす、彼女の行動を見て急遽作戦を変更とした。


 芒の光札を取らなかった、という事は――まだ相手は《月見酒》からは遠い。


 龍一郎は間を置かず《桐に鳳凰》をカス札に叩き付ける。続いて引いた札はもう一枚の《芒のカス》だった。


 即座に満月の札へそれを打ち付けると、一手目にして彼は二枚の光札を手に入れた。更には《三光》に絡める事が出来る為、緒戦は龍一郎が流れを掴んだようだった。


 羽関妹は龍一郎を一瞥すると、細く綺麗な指で手札から《松のカス》を打つ。


 起こした札は《牡丹のカス》だった。


 余りのカス札の多さに……龍一郎は「悪寒」を覚えた。


 山札に眠るの札達が、いつ自分の喉元に噛み付いて来るか……龍一郎は表情を変えない羽関妹が、猛獣使いの如く思えたのだ。


 彼は隠していた《牡丹に蝶》を以て彼女の起き札を踏むと、起こした《藤のカス》でカス札を回収する。


 三手目、羽関妹は自給自足で《松に鶴》を手から取り札に送り、パシンと軽やかな音を立てて《菖蒲に短冊》を起こす。


 動いて来たな――龍一郎はも兼ねて《萩に猪》を場札に合わせると、起き札で二枚目の《松のカス》を打つ。


 相手の《赤短》をよく見張っておけば、然程に脅威となる札ではなかった。次手も相手は《菖蒲のカス》と短冊札を合わせ、更なる《牡丹のカス》を起こすだけだった。


 流れは俺のものだ――。


《紅葉に短冊》をカス札に合わせ、《柳に燕》を山札から呼び起こす。親しみ深い柳の札が登場し、俄に龍一郎は頼もしさを覚えた。


 しかしながら……偉大な書家は皮肉にも彼の取り札としてではなく、羽関妹の元へと去ったのであった。


 五手目、羽関妹は手札から《柳に小野道風》を種札に打ち合わせ、起こした《菊に短冊》をカス札と共に取り札とした。


 大丈夫だ、気にする事は無い――龍一郎は「よくある事だ」と験担ぎの失敗を憂う事も無く、危険の少ない《萩に短冊》を場に打つ。起こしたのは《桐のカス》であり、やはりこれも恐るるに足らない。


 六手目。


 羽関妹は清らかに美しい髪を手櫛で一度梳き、《萩のカス》で彼の札を取ったのである。


 続いて三枚目の《桐のカス》を引き当てると、龍一郎の前手を全て踏み荒らした。見透かされるようだ――龍一郎は「荒れ場」に、密かに冷や汗を掻いた。


 まだ手番はある……龍一郎は《菖蒲に八橋》を場に打ち、同月札を起こせた為に即座に回収する事が出来た。




 種札が四枚、カス札が八枚。まだ流れは止まっていない!




 七手目の事である。


 羽関妹は手札、場札と交互に見やり……龍一郎の取り札を一瞥した。


 その時――初めて彼女は対局中に。龍一郎はその相貌を見つめるも、しかし端正な顔の奥に潜む「何か」を読み取る事は出来なかった。


 羽関妹はゆっくりと《桜のカス》を場に置くと、山札から思い出したように《芒に雁》を起こす。


「勝負」


 龍一郎は「睦月戦終了」を宣言した。


 座布団へ打ち付けたのは《桜に幕》、我慢強く保持していた最後の光札だった。起きた札は《藤に郭公》、絡む札は無かった。


「睦月戦、終了でございます。近江さん、《三光》により六文の獲得です」


「……あら、残念でした」


 羽関妹が手札、取り札を場の中央に置く。


 毎回に新品を用いるという規定の為、吉野田は札を回収して山にすると、盆の上に載せて「睦月戦」と書いた紙で丁寧に包んだ。


 緒戦を勝利で終えた、良い流れが来ている――以前ならそう思うだろうが……。


 龍一郎はしかし、この勝利を素直に喜べなかった。


 粘りに粘り、ようやくに手に入れた六文。彼はこの文数がどうにも……羽関妹があえて渡して来た「六文銭」に感じられ、胸が嫌にざわつくのであった。

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