第2話:無尽講の泥濘

 二年六組に所属する左山は、気の置けない少数の仲間と寄り合う、所謂「大人しい」タイプの生徒であった。


 毎週一度の金花会は彼女にとって「不良ごっこ」にすら思っており、少額を賭けて小さなスリルを細々と謳歌していた。


 ある日の事、明るい笑顔の女子生徒――名前を大見良おおみらといった――が左山達のグループに接触し、「助け合いをしないか」と申し出た。


 左山が代表し、彼女の言う「助け合い」について問い質すと、やがて《無尽講むじんこう》である事が分かった。


 仕組みは次のようなものであった。


 数人が集まってし、ある時期に全額を受け取るをクジなどで決定する。


 受け取った者は次回から金銭の拠出のみに参加し、全員が受け取った時点で《無尽講》は終了だ。


 単なる相互扶助に見える《無尽講》だが、大見良は三つの条件を提示したのである。


 一つ、金銭ではなく花石を集める事。


 一つ、受取人を《こいこい》で決定する事。


 一つ、「受取回数の縛りを撤廃し、」という事。


 花石のやり取りは金花会のみとする――この鉄の原則を全く無視する事となる為、最初左山達は提案を丁重に断った。


 しかしながら大見良は「他の生徒もコッソリやっている」「賭ける額も少しだけ」と種々の誘い文句を繰り出した。


 元来が敷かれた線路レールを外れたくない性質の左山は、どうにも大見良の誘いに危険な火薬の臭いを嗅いだ。だが彼女以外の友人は「校則違反を犯し、地味で目立たない立ち位置からの脱却」を望み……。


 果たして左山達は大見良の提案する《無尽講》を受けたのであった。


 月曜日に花石を一〇個集め、それを大見良が管理する。


 木曜日には三ヶ月戦と短い《こいこい》を総当たりで行い、勝者が全てを獲得する……というものであった。


 一度目の受取人は左山、二度目の受取人は彼女の友人、三度目はまた別の友人となった。しかし大見良は「こういう事もある」と笑い、《無尽講》の続行を求めた。


 三度続けての敗北は、しかしであり、巧妙な罠である事に気付く者は一人としていなかった。


 四度目の《無尽講》から、少しずつ……彼女は動き始めた。


 四度目の勝負では大見良が辛勝し、初めて受取人となれた。


 心から左山達は祝福し、また大見良はお祝いとして購買部でケーキを買い込み、皆に振る舞った。


 五度目の花石を集める時、大見良は「一度に一五個ずつ集めないか」と拠出金の底上げを提案した。


 大勝負を好まない左山達は大量に花石を溜め込んでおり、また信頼からそれを快諾したのである。五度目の勝負は大見良に軍配が上がった。


 六度目、七度目と勝負を重ねる毎に大見良は勝利し、左山達の中に不満を漏らす者が現れた。


 しかし大見良に文句を言える程の胆力を持っておらず、ただ徒に燻るだけであった。


 一〇度目を集める時、果たして一人が破産すると、大見良は彼女に「貸してあげようか」と花石の融資を買って出た。


 利子は一週返済を待つ毎に、それで構わないと笑う大見良に甘え、無一文となった友人は融資を依頼したのである。


 加えて大見良は「他にも困った人がいたら、いつでも貸してあげる。友達だから」と微笑んだ。


 大見良は一一度目から集める花石を五個に減らし、左山達の精神的負担を軽くした。


 その後の勝負も二回に一回は大見良が勝利し、次第に彼女は貯蓄を肥やしていった。


 左山は一五度目から《無尽講》への参加を断ると、「貴女は友達じゃない」「つまらない女」などと、かつての友人達から無視をされるようになった。


 秘密、後ろめたさの共有から生まれる「暗い友情」を利用し、花石を荒稼ぎする大見良。


 彼女が最早無尽講には参加せず、着々と貯蓄を削る友人達を相手に、運営と融資だけに回るようになったのを見掛けた時、左山は大見良の「目論見」に気付いたのであった――。




 全てを話し終え、緊張の糸が切れたのか左山はシクシクと泣き出した。


 目代はやはり黙したまま、目を閉じて何かの思案に耽っているようだった。そして龍一郎は――。


 悪徳の限りを尽くす大見良という生徒に、強い怒りを覚えていた。


「私達が悪い事は分かっているんです……でもこれ以上は見過ごせないんです。無理なお願いだとは分かっています、ですが……お願いします、大見良を倒して貰えませんか」


 友情を逆手に取り、口止めにすら利用する大見良を許しておけない……龍一郎は目代の「言葉」を待った。やがて目代は目を開け、メモ用紙に自らの考えを記した。


「……目代さん!」


 思わず龍一郎が声を荒げた。左山は愕然とした表情で目代の返答を見つめている。




 金花会からの供給一〇ヶ月分、実にが目代の要求する対価であった。




「私……二〇〇個なんて……持ち合わせていません……」


 龍一郎に見せた事の無い鋭さで、目代は左山をジッと見据え、再びペンを走らせた。数分掛けて記した長文は、弱っている左山へ止めを刺すのに充分の「冷淡さ」を纏っていた。




 適正な対価です。


 左山さんの依頼を受けるという事は、事情を知った私達もまた、ルールを無視して打つのと変わりません。


 勿論、代打ちを引き受けたからには他言をしませんが、万が一――生徒会や金花会の目付役の耳に入る事があれば、同時に私達も厳罰を受けるでしょう。


 代打ちの私達は「必勝」の他に「罪の共有」を求められるのです。


 対価は値引き致しません。代打ちと、ただのとを混同するのは止めてください。




「うっ……うぅ……」


 徹頭徹尾の正論を叩き付けられ、左山は人目も憚らず落涙した。


 目代の解釈が全て理解出来る龍一郎はしかし、余りに冷酷な彼女の判断に怒りすら感じた。


「目代さん、確かに悪いのは左山さん達かもしれない、でも……やっぱり可哀想ですよ!」


 寝癖が左右に揺れた。聞き分けの無い子供を窘めるような彼女の顔を、龍一郎は直視出来ずに目を背けてしまった。


「……すいません、私……失礼します」


 左山はハンカチで涙を拭うと、足早に部室を去って行った。


 残された二人の間には居心地の悪い静寂が横たわり、時計の秒針が立てる音だけが無機的に鳴っていた。


「……二〇〇個ってのは、吹っ掛けたんでしょう」


 龍一郎の言葉に目代は表情を変えず、スラスラとメモ用紙にペンを滑らせる。


「『三〇〇個でも足りないぐらい』……俺達、何の為に存在するんですか? 解決出来ない問題を解消する為に、俺達代打ちはいるんじゃないんですか!?」


 目代は俯き、最早ペンすら持たなかった。




 駄目だ、絶対に見過ごせない。このまま放って置けば……俺は最低野郎だ。




 青い正義感に満ちた近江龍一郎は、果たして部室のドアを乱暴に開け放ち、廊下へと駆け出した。


 人気の無い三階に、力無い足音が遠くに聞こえ、龍一郎はその方角へと急いた。果たして足音の主は左山であり、接近する龍一郎に驚きながら振り返った。


「わ、忘れ物しちゃいましたか……?」


 息を切らす龍一郎は、大きく深呼吸してから――目を赤く腫らした左山に言った。


「俺が受けます、俺が代打ちになります!」


「で、でも……私、花石はもう二〇個ぐらいしか持っていないから……」


 ! 龍一郎はかぶりを振って続けた。


「無料で受けます、報酬は要りません! 俺が……俺が左山さんを助けます――」




 部室に一人残された目代は、「冷酷な紙」をクシャクシャに丸め、ゴミ箱に高い位置から落とした。カシャッ、と頼りない音が聞こえた。


「ご機嫌よう、目代姐さん」


 ドアが独りでに開く、いつものように微笑みを浮かべた宇良川が入って来た。目代は目礼し、窓際の椅子に座った。


「さっきおトセちゃんと玄関ですれ違いましたよ、『今日は用事があるから行けません』ですってぇ。近江君と三人で何か打ちましょうか、《八八はちはち》も良いけど、たまには《ショッショ》も面白いですよねぇ」


 ぴょこぴょこと左右に動く寝癖を見つめ、宇良川は彼女の横顔に視線を移す。


「……姐さん、どうかされて? とても辛そうですよ?」


 しばらくの沈黙が流れ――目代はメモ用紙にサラサラと短文を書いて宇良川に渡した。


「あらぁ、珍しいですねぇお願いなんて……。良いんですねぇ?」


 寝癖がぴょこんと前方に倒れる。宇良川は微笑んでから目代の求める人物に「お呼びよ」と電話を掛けた。


 五分程で部室のドアが開き、長く清流のような黒髪を持つ女――斗路看葉奈が現れた。


「こんにちは、姐様……あぁ、何かございましたね?」


 首肯する目代に、斗路は柔らかな笑みと共に、彼女の前に椅子を引いて座った。


「この斗路に、何なりと、お申し付けくださいませ――」

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