近江龍一郎、承諾せん

第1話:貴方も代打ちですか?

「妹の事、バレちゃったらしいな」


 次週の月曜日、昼休みの事である。


 楢舘は似合わない風邪を引いたらしく、この日の一年四組は男子が龍一郎と羽関だけであった。


 龍一郎はあえて妹と打ち合って負けた事、友人になった事を彼に報せずにいたが、意外にも羽関の方から話を振って来たのである。


「賀留多屋でバイトをしているんだろう。寄り道した時にバッタリ会ってな」


「……近江に失礼な事をしなかったか?」


 対人練度が低いんだ、アイツ……羽関が不安そうに言った。


 龍一郎はかぶりを振って、毎日弁当箱に詰められている大量のヒジキを口に運んだ。


「でも……良かった。アイツ、家に帰って来た時凄く嬉しそうでな、親も俺もビックリしたんだ。普段鼻歌なんて歌わないのに、楽しそうにフンフン言っていたからさ」


 気恥ずかしそうに笑う兄は、しかし妹の変化に心から喜んでいるようだった。


「見てみろよ」と羽関は弁当箱を龍一郎に見せる。白飯の上には丁寧に星形、ハート形に切り取られた海苔が散りばめられ、作り手の上機嫌さが迫って来るようだった。


「隠さずとも言えば良かったんじゃないか? 特に問題が起きるとは思えないんだが……」


「俺とアイツも高校生だ、多感な時期に『双子の羽関兄妹です』と宣言すれば、心無い連中がアイツを冷やかすかもしれん。もう昔みたいに護ってやる事も出来ないし、しばらくは他言無用を貫こう……って事になったんだ」


 一人っ子の龍一郎にとって、双子である羽関兄妹の苦労は今一つ理解に苦しんだ。しかしながら余り首を突っ込む案件ではないように思われた。


「でも弁当は作ってくれるんだな、優しい妹じゃねぇか」


「ああ。アイツ、昔っから気弱ですぐ泣いていたから、近所のいじめっ子の標的だったんだ。俺は、いつの間にか俺はアイツのヒーローみたいになっていたらしい」


 拳を軽く空中で振るった羽関。


 彼にぶっ飛ばされた連中は今、果たして無事に生活出来ているのだろうか?


 龍一郎は心から彼が味方で良かったと安堵したのである。


「妹はインドア派になり、そこで賀留多と出会った……って事か」


「そういう事だ、が色んな賀留多を作ってはアイツに渡していたな。俺は近江と出会うまでは余り興味が持てなかったが、アイツは遊び方を憶えては一人でやっていたからなぁ」


「じゃあ羽関が『こいこいをやろう』って言った日は、随分喜んだだろう」


「そりゃあもう、な。一時間ぐらい遊んだ後、部屋に戻った俺を追っかけて来て、そのまま深夜の一時まで付き合わされた。もうごめんだよあんなの」


 ラブコメ漫画みたいな生活だな、と龍一郎は彼の境遇を羨ましく思い……よく思案して深夜一時まで賀留多を打てる体力が無い事に気付いた。


、って言っていたぞ。お前こそ隠すなよな、女がいるなんて」


 飲み掛けたジュースを吐き出しそうになる龍一郎。


 俺の彼女って何だ、妄想が勝手に具現化したのか……などと首を捻り――金曜日、横にいた女子を思い出した。


「……おトセか」


? やっぱりそんな間柄か。曰く、仲良く賀留多を見ていたって話だ。……この前、イカサマを看破した子か?」


「そうだけど……いや、付き合っている訳じゃないんだ、本当だ」


 ふむ、と羽関は椅子にもたれると、微笑みながら龍一郎の顔を見やった。


「ならば秒読みか。良いんじゃないか? 可愛いし、


「胸は関係無いだろう……ってかお前、大きい方が良いのか」


「選べと言われればな。好きになった女に合わせるが、見る分にはそちらの方が好みだ」


 堂々とスケベな話をする羽関に、龍一郎は「敵わねぇ」と言いようの無い敗北感すら覚えた。


 近くの女子生徒は今日も賀留多を打って盛り上がっているが、どちらが健全な高校生か龍一郎には最早区別も付かない。


「こんな話、猥談にすらならん。花札も良いが、たまには馬鹿っ話も面白いだろうよ」

 豪快に笑う羽関に対して、龍一郎は気恥ずかしさから俯いた。


「ちなみに妹はだ」


「聞いていないって! というか妹も対象かよ」


「まさか。妹は対象外だ、兄妹愛はあれど道を違えた事は一度も無い。変な虫が付いたらこの手でぶち殺すだけだ」


 この男、怖い……龍一郎はガハハと笑う羽関を見つめ、間違っても羽関妹に手を出す事は止めようと固く誓ったのであった。




 そして時は移ろい、放課後となる。


 羽関と別れて定められたように三階の奥を目指した龍一郎は、我らが姫天狗友の会部室の前で、俯き立ち尽くす女子生徒を認めた。


「どちら様ですか?」


 龍一郎に声を掛けられ、「ひぇっ」と驚く彼女は、上履きの色から二年生らしかった。


「あ、あの……貴方も代打ちの人……ですか?」


 頭頂から爪先までを見渡しながら、彼女は声を潜めて問うた。


「ええ、一応……そうなるのかな」


 私は代打ちでございやす――と自己紹介するのに慣れていない龍一郎だったが、努めてその緊張を悟られないように、「とりあえず中へ」とドアを開けた。


 室内では目代だけがおり、陽光を浴びてうたた寝をしていた。


「目代さん、代打ちの依頼らしいんですが……」


 慌てて目代は覚醒し、椅子を引いて依頼人に座るようジェスチャーをする。


 その間に龍一郎は来客用コップを取り出し、「紅茶を出せば良いか」と電気ポットに水を入れた。


「あ、あの……」


 目代が一言も喋らないのに戸惑っているらしく、依頼人は龍一郎に助け船を求めるような視線を向けた。


「目代さんはツキが落ちないように極力喋らない流儀なんです、今俺がお話を聞きますよ」


「……そうですか、ツキ……ですか」


 困惑するのも無理は無かった。


 龍一郎ですら「たまには喋れば良いのに」と思う事が多々あるからだ。簡素な紅茶を淹れ終えて依頼人の前に置くと、「それらしい」準備としてメモ用紙とペンを用意し、目代の横に座った。高級そうな香の匂いが傍から漂った。


「俺、近江龍一郎っていいます。話せる範囲で大丈夫なので、事の顛末をお願いします」


 こんな感じで良いですか、と隣の目代を見やる龍一郎。


 ニコリと彼女が微笑んだ為、幾分か心に余裕が生まれた。


「はい……あ、私……二年生の左山梨子さやまりこっていいます。その、実は――」

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