第4話:一秒は全てを奪い
その週の金曜日、放課後の事である。
龍一郎はトセに連れられて金花会が開かれている二階奥、善良なる治外法権の教室へと向かった。
「お待ちしておりました、近江さん」
扉の前に立っていたのは濡れ羽色の髪を持つ二年生、金花会所属の斗路であった。彼女の手には小さな巾着袋が携えられ、それを龍一郎に手渡した。
「ご確認ください、今月分の花石二〇個でございます」
龍一郎は中を検めた。
花ヶ岡高校の校章が刻まれた石が確かに二〇個、外界からの光によって鈍く輝いている。正式に花ヶ岡の生徒として認められたようだった。
「やったね近江君、これで打ち手としてデビュー出来るよ」
トセが横から袋の中を覗き込む。斗路は笑みを浮かべたまま、「本日は」と続けた。
「打たれて行きますか? 中ではまだ《気付け》しか行われていませんが……」
「《気付け》……ってのは何ですか?」
「打ち場を温める、所謂準備運動のようなものでございましょうか。至極簡単な技法が採用されまして、今日は《
ご覧ください――斗路は扉を開け、室内へと誘った。
先週訪れた時とは違い、まだ打ち手は五人しか集まっておらず、別の金花会の生徒が姿勢良く正座をしながら札を二枚、座布団の上に裏側にして晒した。
「どちらかの札がより大きい月数か、当てて頂くというものです。当たれば倍付け、外れれば親の取り……特に張り方は規定しておりませんが、好みの月が晒された後に大きく張られる方が多いようですね」
月数の大小を当てるだけだが……その日のツキが如何程かを計れるという事か。
龍一郎はトセと共に場へ加わると、「少し
一度目は《梅のカス》《桜のカス》、二度目は《菊に短冊》《松に鶴》、三度目は《柳に小野道風》《桐のカス》……。
龍一郎は四度目に差し掛かった時、花石を五個、《柳に小野道風》が出た方の位置に賭けた。験担ぎ――にしてはあまりに簡単だが……龍一郎は固唾を呑んで札を見つめた。
「じゃあ私もこっちかな」
トセが自分の巾着袋から花石を二〇個、龍一郎と同じ位置に置いた。
一ヶ月分をいとも簡単に賭けるのか……。
横目で見つめながら、龍一郎は他の打ち手が次々と逆手に賭けるのに気付いた。
新顔と思って別の札に賭けたか――龍一郎は「ここで勝ってやりたい」という欲求で頭を満たしていた時、親の「勝負」という声で我に返った。
「《萩に雁》《牡丹に蝶》となりました」
勝てた! やはり流れはこの位置に来ている!
龍一郎は勝ち取った五個をそのまま、全く同じ場所に賭けた。トセは考え込み、今度は彼と同じ場所に五個賭けたのである。
「同じ数で続けないのか?」
「様子見、って感じだね」
他の打ち手は二人が龍一郎達の側へ、三人が逆側へと花石を置いていく。
もっと張れば良いのに。流れはこちら側に来ているんだぞ?
「勝負――《桜に幕》《松に短冊》となりました」
果たして龍一郎は二連勝と相成った。
着実に増えていく花石が愛おしくなり、総数は分かり切っているのにも関わらず、龍一郎は一個ずつ丁寧に計数していく。
その時……入り口のドアが開き、一人の女子生徒が入って来た。名札を外していた為に名前は不明であったが、上履きの色から龍一郎達と同じく一年生らしかった。
「《高目》……参加してもよろしいでしょうか」
透明な、しかし奥底に何らかの強い意志を感じられる声だった。親役の生徒から「打てますよ」との返答を受け、彼女は懐から巾着袋を取り出すと――。
「前の札は何と何でしたか」謎の女子はトセに質問した。
「桜と松だね」
背中まで伸びる黒髪を、毛先の方で結わえた白いリボンが微かに動き……彼女は《松に短冊》が現れた方へ、巾着袋を丸ごと置いた。
「賭けられる数だけ、置いて頂けますか?」
親役のやんわりとした注意に、しかしリボンの生徒は平然と答えた。
「一〇〇個あります。全てこちらの方へ賭けます」
俄に打ち手達がざわついた。気付け程度の軽い闘技に、まさか一〇〇個賭けるなんて……そう言いたげな親役に、入り口にいた斗路が声を掛けた。
「問題はありません。そのままお受け致しましょう」
打ち手達は突如として現れた「異常者」を恐れるように腰を上げ、離れて座り直した。龍一郎は謎の生徒を見つめ――身体の奥がチクチクと刺されるような感覚を覚えた。
眉一つ、というか全身何処も微動だにしない。この女……札しか見えていないのか。
札を射貫くような、刀剣の如き鋭利さを携える眼光。
よくよく作り込まれた人形のような美麗さ。それに似合わない途方も無い豪胆さ……このような同学年がいたのかと、龍一郎は恐ろしき不動性を持つ彼女を見つめていた。
「……他の方はどうされますか」
余りの張り方に圧倒されたのか、他の打ち手達は口々に「見でお願いします」と勝負を下りてしまった。
トセもしばらく黙り込み、「私も見です」と手を挙げる。
このままでは面白味が無い――龍一郎は懊悩の末に、持っている花石全てを、リボンの女とは逆手に張った。
「こ、近江君? それはさすがに張り過ぎな気がするよ……」
トセの意見に肯定するように、他の打ち手はうんうんと頷いた。
その中で唯一人……リボンの女はやはり動かず、ジッと札を見据えている。
「いや、これで良い。片方に張る奴がいなけりゃ面白くないだろう」
「でも……面白さだけで張るのはちょっと……」
親と打ち手の戦いである《高目》は、花ヶ岡では逆手に張る者がいなくても成立します……親役の生徒が焦ったように語を継いだが、しかしながら――龍一郎はかぶりを振った。
「大丈夫です。このまま張らせて貰います」
理解出来ない――トセの顔にそう書かれているようだった。
その実、龍一郎も自身の張り方が、まるで別人の行為のように思えて仕方なかった。
己の身体を通して、全く知らない人間が言葉を口に出し、手を動かしているようだった。
「……本当に、本当の本当に良いの?」
心配するトセはリボンの女を一瞥し、それから不思議に勢い付く龍一郎の方を見やる。その彼女に構う事無く、龍一郎は座布団に置かれた札だけを見つめていた。
「では……勝負――」
親役が先に龍一郎側の札を捲る。
現れたのは《柳に燕》、月数は一一というまさに高目であった。
観客と化した打ち手達は「おぉっ」と声を上げ、彼の強運を賞賛した。
安堵感に包まれた龍一郎だったが……奥に座る唯一の張り手が、彼の札を一瞥すらしない事に、ジンワリとした恐怖を覚えた。
何も感じないのか? 俺が一一を出した事などどうでもいいってのか……まさか、勝つ気でいるってのか?
「ではこちらも……」
伸びた親の手が、女の前に置かれた札に触れる。
龍一郎には札が明らかになる一秒が永劫にすら感じられたが、一方の彼女にとっては恐らく……。
あっという間の、いつもと変わらぬ一秒であったに違い無い。
師走の曇天を晴らしながら、邪気を滅する威光を全身に纏う霊鳥、その姿を豪華に描いた最終月の札――。
「…………《桐に鳳凰》、です」
札を読み上げる親の声が、まるで誰もいないかのように静まり返る教室に木霊した。
リボンの女は増えた一〇〇個の花石を、持参していた紙袋に流し入れ、「用事があります故、失礼致します」と目礼しながら退室した。
敗北者――近江龍一郎は花石を全て消費してしまい、これ以上の滞在は不可能であった。
「……一文無しか。先に帰るよ、おトセ」
「こ、近江君待って!」
龍一郎はトセに目もくれず、一気に萎んだ巾着袋をポケットに突っ込んで立ち上がり、扉の方へと歩いて行った。
扉を開きながら、斗路は微笑みを湛えつつ声を掛けた。
「僭越ながら一つだけ、よろしいでしょうか」
斗路はジッと龍一郎の双眼を見つめ――「今のご様子でしたら」と口を開いた。
「あのような打ち方は危険かと」
「何を――」
龍一郎の言葉を終わりまで聞かず、斗路は廊下へ出るよう促す所作をした。
「ご自身でお考えくださいませ。貴方も一人の打ち手であるのなら――」
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