第2話:般若と紅茶

 放課後。


 龍一郎は新品のマグカップを携え、天狗のキーホルダーが下がる部室を目指した。ノックを三度すると、初めて中から「はぁい」と声が聞こえた。宇良川の声だった。


「あらぁ、いらっしゃい! 姐さんから話は聞いていたけど、やっぱり顔を見なくちゃ!」


 それとも? 宇良川は膝に載せたヒヨコのぬいぐるみを弄びながら笑った。


「命令権を使って何かしようとでも?」


「考え中です、楽しみにしていてください。今日は皆さん集まるんですか?」


「ええ、新顔が来るんですもの……あら? そのマグカップ」


 ダサいわねぇ。


 宇良川は歯に衣着せぬどころか、噛み付くような感想を臆面も無く述べた。


 彼女に命令する内容の方向性が定まりそうだった。


 間を置かず、カチャリとドアが開く。目の隈が印象的な目代が入って来た。


「ご機嫌よう、姐さん。そのカップ、どう思いますぅ?」


 目代は龍一郎のマグカップを見つめ、何とも言えない複雑な表情を浮かべると、鞄からメモ用紙とボールペンを取り出し、ややぎこちない手付きで感想を記した。


「『個性的だね、とっても!』……優しいですね、目代さん……」


 優しさと気遣いは似て非なるもの――龍一郎はを学んだ気がした。


 目代は定位置らしい奥の椅子に腰を掛けると、窓から運動部の活動を見つめていた。


「落ち着かないんでしょう、姐さんたら。男の子が来たからってソワソワしちゃって」


 ピーンと伸びる寝癖、どうやら図星らしかった。宇良川はニヤニヤと笑いながら問題のマグカップを手に取り、「何か飲むぅ?」と戸棚を指差した。


「日本茶に紅茶、ココアがあるけどぉ……」


「自分で入れますよ、申し訳無いですから……」


 そーぉ? と宇良川は戸棚を開けた。龍一郎は甘い飲み物が欲しかった為、ココアの袋を取ってカップにサラサラと注ぎ込んだ。


「お二人のも入れますよ。目代さんはココア、宇良川さんは……紅茶ですか?」


 驚いたように彼を見やる目代は、やはりぎこちなく頷いた。


「すっかり仲良くなったのですねぇ……それによく私が紅茶って分かったのねぇ?」


「目代さん、昨日も飲んでいましたし。宇良川さんは……ですかね」


 あらぁ、と宇良川は目を細めて目代の肩を叩いた。


「私のイメージ、紅茶ですって! 可愛がってあげなくちゃ!」


 コクコクと首肯する目代も、何処か満足げに龍一郎を見つめている。


 好感触だぞ――龍一郎は得意になり、並んでいるマグカップを取ろうとして……微動だに出来なくなった。


 カップは三つ。


 白地に可愛らしい熊が描かれているもの、ハート柄のもの、そして……


 姫天狗友の会に所属する者は彼を除いて三名、来客用のカップを無視すれば、必ずこれら三つが割り当てられる事になる。




 何だ、般若ってどういうセンスなんだ! おトセか? いや、アイツは確か熊の絵が描かれたものを使っていたはず、いや、そうだった……はず……これは――恐ろしい博打だ。




 電気ポットから陽気な音楽が流れ出す。「張った張った」と丁半博打の中盆が如く、彼に判断を迫っていく。


「何を悩んでいるのでしょう……?」


 二人が小首を傾げる。龍一郎は果たして――盆にハート柄、般若柄のカップを載せた。


「お待たせしました」


 ハート柄の方には温かいココアが、一方の般若カップには……上品な香りを漂わせる紅茶が注がれていた。


「これは貴女のです」と言わずとも、内容物で充分に龍一郎が「二人」に抱くイメージが推し量れた。




 どうだ、俺の読みは……正解だろう!




「こんにちはでーす」


 重苦しい空気を叩き壊すように、一年生の元気娘トセが入室して来た。


「来たね近江君!」と手を振りながら椅子に鞄を置くと、机に置かれた二つのコップに目をやり――。


「あれ、近江君。? おニューのコップなのに見抜かれちゃったね」


「えっ」


「うん、紅茶! 私、普段はお茶なんだけど、今日は何だか紅茶の気分だったのさ」


 ゆっくりと……龍一郎は目代の方を見やる。目代は気まずそうにメモ用紙へペンを走らせ、引っ繰り返して龍一郎に「警告文」を読ませた。




 逃げた方が良いよっ!




 カチャン、と扉に鍵を掛ける音が響く。


 いつの間にか宇良川は彼の退路を断っており、自身の鞄から布に包まれた「長い何か」を取り出した。


「……近江君に質問ターイム」


 いつもの笑みを浮かべている宇良川はしかし――目に輝きは一切認められなかった。


 井戸の底よりも暗く、闇よりも黒い瞳孔は龍一郎を見据え、何を思うのか?


「私のイメージってなぁーんだ」


「はい、可愛らしく優しい先輩であります」


 直立不動の龍一郎を値踏みするように、宇良川は長い「何か」でポンポンと彼の身体を叩きながら、ゆったりとした足取りで周囲を回った。


「ありがとぉ近江君。……じゃあ、紅茶の入っていたカップの柄、なぁーんだ?」


「美味しい紅茶だなぁ、これ」


 何も知らずかそれともワザとか――トセは般若カップに注がれた紅茶を楽しみながら、『週刊賀留多馬鹿』という雑誌を読み耽っている。


「はい、熊と…………であります」


「般若のマグカップに入っていた飲み物……私にお似合いな紅茶に見えるなぁ」


「そう…………なるのかなぁ……?」


「なるのかな、じゃねぇぞ……?」


 宇良川は突如として豹変、「何か」を龍一郎の首元に当てると、まさに般若に相応しい声色で凄んだ。


 白目を剥きそうな彼に構わず、震える肩にゆっくりと手を回した宇良川は、打って変わって猫撫で声で続けた。


「乙女心、それはそれはか弱くガラスのように脆いんですよぉ……? 私の乙女心、すっかり割れちゃったなぁ……辛いなぁ……どうやって直そうかなぁ……」


「あっ! 応募者全員サービスでストラップが貰える! 葉書あります!?」


 トセの言葉に反応した宇良川は、実に優しい声で「戸棚の二段目よぉ」と龍一郎を見据えて返答した。龍一郎はチラリと目代を見やると……彼女は両手で顔を覆い隠していた。


「うわぁーい! ずっと欲しかったんだよなぁこれ!」


 龍一郎も一緒になって「うわぁーい!」と叫びたくなる程に動転していたが、ここで彼は「ある一手」が残されていた事を思い出す。




 使いようによっては非常に美味しい取って置きを、こんな形で使う事になるとは――。




「……宇良川さん」


「なぁに? 辞世の句?」


「……命令権で、乙女心……直して貰えませんか」


 時は流れ――果たして宇良川は妖しく微笑み、「何か」を鞄にしまい込んだ。途端に「ふぇぇ」と情けない声と共に椅子に腰掛けた龍一郎に、目代はホッと溜息を吐いていた。


「……良し、書けたぁ! そうだ、皆で鞄に付けましょうよ、私応募しとくんで!」


 すっかりと乙女心を直した宇良川は、トセの指差す赤チョロストラップの記事を見つめて「あら、とっても可愛いわぁ!」と手を叩いた。


 果たして龍一郎達から六〇〇円ずつ徴収したトセは(ストラップ代にしては安いのか、それとも高いのか? 龍一郎には分からない)、四人分の葉書をせっせと書き始めたのである。

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