近江龍一郎、出世す
第1話:細波のマグカップ
「代打ちぃ? 何だそりゃ?」
グラウンドの木陰で楢舘が首を捻り、羽関は驚いたような表情で龍一郎を見つめている。二時間ぶっ続けで行われる体育の授業は、女子生徒の多い花ヶ岡高校の中で特に好まれた科目である。
理由は「空き時間にお喋りが出来るから」という安直なものであった。
「近江、何だかドンドンと出世していくようだな」
「出世なのかどうかは分からんが……とにかく、そんな立場になったんだよ」
二人に説明をせがまれた龍一郎は、トセに半ば無理矢理に雑貨店へと連れて行かれた時を思い出しつつ、受け売りの言葉で解説を始めた――。
「どういう流れで代打ちってのはやるんだ?」
「簡単だよ、私達の部室……姫天狗友の会だね、そこに依頼人が来るんだけど、内容を聞いて、その上で『やっても良いよ』って人がいれば、その人が代打ちを引き受ける」
これ可愛い! トセは竜虎図のマグカップを彼に手渡した。彼の好みでは無かった。
「引き受ける時は……確か花石を払うんだよな、それは言い値なのか」
「基本的にはね。でも、あっちだって下手に出続ける訳じゃない、少しでも信頼の置けない――ひよっこの代打ちとかなら、依頼料もウンと安く叩かれるんだ。私だってそうだよ、この前なんかたったの一〇個で代打ちを頼まれたんだ」
「ちょっと相場が分からないな……どういう依頼だったんだ?」
「依頼人の大切なプリンを食べた食べないっていう話だよ」
トセ曰く、死ぬ程下らない依頼をしてくる生徒も多いらしい。
「つい全部が全部重たい内容かと思っていたな。そういうのもあるのか……」
「大体そんな感じだよ。まあ勝ったんだけどさ。……話を戻すね、依頼を遂行すればめでたく花石は代打ちのもの、負ければ全部返す……簡単でしょ?」
トセは細波模様のカップを手に取り、「これはどう?」と龍一郎に見せた。
「おっ、それは意外と良いかもな」
「センスがヤバいね」
果たして龍一郎は細波カップを購入し、トセと別れて帰路に就いた……という顛末である。ちなみに今日、彼の鞄には箱に入ったままのカップが眠っていた。
「こんなところかな。俺も詳しい話を聞いた訳じゃないけど……大体合っていると思う」
へぇーと声を揃えて頷く二人。
特に楢舘は勉強が出来るよりもその方が凄い、などと高校生の本分を忘失しているような感想を述べる程であった。
「じゃあ今日から依頼は受付中……って事か」
逞しい腕で汗を拭いながら羽関が言った。
「そうらしい。当分は依頼など来ないと思うがな。何分、俺には実績もクソも無いからさ」
「どうやってその実績を積むんだ? 宣伝するのか?」
苦悶の表情でトラックを走る女子を、危険な目付きで見つめる楢舘が問うた。
「噂とかじゃないか? どのみち、俺はバリバリ代打ちをしたくない。まだ自信が無いよ」
戯けて笑う龍一郎を見つめ、羽関は「お節介だが」と真剣な面持ちで言った。
「俺達は近江の出世を祝う、しかし……どうにもその代打ちってのは、成功し過ぎるのも怖そうだ。時折息抜きをしろ、友人としての助言だ」
「分かっているよ、ありがとな羽関」
ピィーッと体育教師が笛を鳴らした。
どうやら耐久レースは終了となり、続いて一〇〇メートル走という瞬発力を競う内容に変わるらしい。
「やっぱり馬鹿だろ、この高校。走って走って終わりかよ、身体がバラバラになりそうだ」
あー嫌だ嫌だと溜息を吐く楢舘は、足下の小石に躓き……派手に転んだのである。
「大丈夫か楢舘」
男らしい羽関の両腕に引き上げられ、楢舘は腑抜けた猫のようにダランと脱力していた。
「俺も龍一郎に頼むかな、代打ち……走るだけの授業は止めてくださいってな」
「転んで更に頭悪くなったか、楢舘」
龍一郎は屈伸運動をしてから、「早く来い」と声を上げる教師の元へと走って行った。
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