第三部 血塗られしエウロパ

序章 英雄の帰還

随分ずいぶんパリも変わったもんだ」


「何? ここら辺に住んでたの?」

「昔な……今は見る影もない」


「ああ……こんなところをうろつくのはきもわったエクソシストくらいだろ? で、何処どこから始める?」

「そりゃ、決まってる」


 ブラムが古びたドアを開いた。

 蝶つがいが軋む音がして、一瞬こちらに視線が集まった。すぐに客もバーテンもグラスに視線を戻して、それぞれ飲み直す。

 こんな状況でも人で賑わっているらしい。悪魔が巣食うパリの一角。セーヌ川近くのマザリーヌ通りにひっそりと看板を掲げた酒場に俺たちは足を踏み入れた。


 カウンター席に座って、ブラムが天板を指でコンコンと叩く。

 バーテンがグラスを二つ置いて、ボトルの中の琥珀こはく色の液体を注ぐ。注文の前に、まずおススメを飲めという事だろう。

 やれやれと思いつつ、ぐいっと一口で飲み込んだ。ラム酒だな、これは。


「マルティニーク産かな? ネグリタはあるかな?」


 ブラムがフランス語で話している。バーテンはにっこりと微笑んで、別のグラスに注いだラム酒をカウンターに置いた。それをブラムが口元に運ぶ。


「これこれ」


 独特の風味でもあるのだろうか? 香りを嗅いで、ぐいっと飲み干した。


「あんたはここの出って感じだな? 俺が知ってる家のもんかな?」


 バーテンがブラムに質問している。

 ブラムは人差し指を立てて、その先をグラスに向ける。バーテンはネグリタをもう一杯グラスに注いで、口元に愉快気ゆかいげな笑みを浮かべる。二杯目のネグリタをやって、ブラムが話した。


「ヘルマン」


 それを聞いて、バーテンが急に顔色を変えた。青くなっている。


「オリンピックの選外になった奴を一人知っている。そいつは、テロから子供を守って、片腕と片目を失った……」


「懐かしい話だね。古い話さ」


 バーテンがグラスにネグリタを注ぐ。


「で、空から戻ってきた英雄がこの国で何をする?」

「キングダムを潰せって言われてきたんだけど、ここの事情を知らない。聞かせてもらえる?」


「そうかい。お安い御用だ」


 バーテンが指を鳴らす。男が二人テーブル席から立って、こちらに来た。


「あのお方のところにお連れしろ。ゲストだから丁重にな」


 どうやら上役のところに案内してもらえるようなので、俺とブラムは席を立った。入口に向かって歩き出す。


「ヘルマン」


 バーテンがブラムを呼び止める。ブラムは後ろを向いて、バーテンの言葉を聞いた。


「オリンピックは残念だった。だが、あんたのやった事は決して間違いじゃない」


「……」


 ブラムはにこりと笑って、酒場を出る。

 俺も知らなかったが、この相棒殿はかなりわけありの人物だったらしい。

 英雄か……やっている事は今も変わらない。ニンゲンだった頃と何一つ変わらないさ。

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