人生で一番最悪な目覚めだった。誰かが、自分を生贄と呼び、更に、よろしくとまで言われた。ミナトが言っていた事と重複している部分も少しある。

『アイツが来る。逃げて』桃子は、あの言葉を思い出した。アイツが誰だろうか。さっきの声の正体と同じなのだろうか。仮に、そうだとしたら……。居ても立っても居られなくなり、桃子は立ち上がった。

「桃子ちゃん、どうしたの?」幼き相木が目に水を溜めて、桃子を見る。「何か、あったの?」

「何でもない! 日比野君は先に戻ってて!」走り出した。地震で崩れた外観を見ながら、声を上げた。どんなに走っても、誰も呼ぶことはない。周りを見渡し、ミナトの影を探す。すると、足が何かに衝突する。瓦礫の破片が足を躓かせたのだ。手を前に着き、何かが鼻の先に落ちる。

 聖書だった。

 ずっと手に持っていた……? どういうこと? 後ほど日比野に聞くと、目を覚めた時には、聖書を抱えていたらしい。

 そんなことより、時間がない。この聖書の中にある技を使おう。

 桃子は立ち上がり、聖書の表紙を捲る。

 その瞬間、本から、眩い光が噴水の様に勢いよく溢れ出す。真夜中の道に、高く瞬く光る柱が一本だけ現れ、目印となる。

 眩しさのあまり、桃子は、反射的に目を晒す。

「なっ、何これ! 一体どういうこと⁉︎」

 次に、壱ページ目に、文字が浮かび上がる。


『恋の始まりから終わりまでを、この聖書の一生とする』


 そして、光は消え、新たな文字が聖書に刻まれた。ページを捲ると、漢字が五文字並んでいた。詳しい詳細まで書かれている。しかし、それを丁寧に読んでいる時間はない。桃子は、新たに追加された技の詳細をざっと読み、息を整える。

強化急成長グローアップ・パワー!」

 すると、オレンジ色の魔法陣が足元に浮かび上がる。

「わっ、なっ、何これ⁉︎」身体は徐々に軽くなり、力が漲る。この技は、その名の通り、自分の筋力や握力を自由に強化出来る技だった。試しに、ジャンプをしてみると、いつもより軽く高く飛べることが分かる。本当に筋力が上がるんだ、と呟いた。

 この力があれば、何とかなるかもしれない。

 早く行こう。

 あの公園へ。


 桃子は、この時、気づかなかった。開眼した目の色が、コスモスの花の色に変わっていることを。


 通常なら、バスで十五分の道のりだった。しかし、地震で建物が崩れ、交通機関は麻痺している。その為、自分の足で向かうことにした。強化急成長グローアップ・パワーのお陰で、倒壊した建物を難なく進むことが出来るが、街が崩壊している事を思い知らされるばかりだ。

 コスモスが咲き誇る、夜の公園。何故かここは、地震の跡もなく、先日の風景と何も変わらなかった。嫌な予感がする。

「ミナトー! どこにいるのー!」

 声を上げて、あの子供の名を呼ぶ。勿論、誰も返事はしてくれない。しばらく歩き探すが、他の誰にも居なかった。

「ミナトー! おーい!」

「みーつけたっ」

 左耳から、耳打ちされる。

 直ぐに後ろを向いた。気配が全くなかった。足音も聞こえなかった。桃子の目の前に居たのは、銀髪の子供。

「誰っ⁉︎」

「初めまして。僕は、ニャルラトホテプ。君を迎えに来たんだよ」

 何処かで見たことある。と、同時に、危険人物だと思った。

「迎えに来たって、どういうこと?」全身が鳥肌が立ち、全細胞が警戒している。安易に信頼しては、いけない。

「そのままの意味だよ。君は、生贄になるんだよ」

 また、いけにえ。脳裏に、平仮名四文字が並ぶ。昨日からよく聞くその言葉に、桃子は疑問符を吐露してみた。

「ねぇ、生贄ってなに? 私をどうする気なの?」

 すると、ニャラルラトホテプとやらは、クスクスと笑う。更に、桃子の中で警戒度が増す。

「何が面白いのよ」

「いやぁ、何が面白いかって、君が今にも絶望しそうな顔をしているからだよ」

 無自覚だった。恐怖で血液が逆流する感覚を覚える。しかし、それを踏ん張って、

「そんな顔、してなっ」

 と、抵抗するように言うが、

「してるって」

 と、被せられ、否定される。ニャルラトホテプは続けて、「君は、これから僕の玩具だ。たっぷり遊ばせてもらうよ。だから、これから、実験をしよう!」と言う。

 質問を挟む間は無かった。「フフフッ、楽しみだなー! これから君はどうなっちゃうんだろうね? 成功して暴れちゃうかな? それとも、死んじゃうかな? あ、もしそうなった場合は、失敗しちゃうしなー。操作出来なくなると面倒だし」

「一体、何のこと……⁉︎」

「さぁ、ショーの始まりだ」


 ニャルラトホテプは、二メートル以上あった間隔を瞬時に移動し、桃子の手を掴む。

「嫌っ、やめて!」掴まれた手を振り下ろし、走り出した。直ぐに聖書を開け、強化急成長グローアップ・パワーの技を使い、足を前へ踏み出した。どんなに息を切らしても、足を前に出しても、背後にいるニャルラトホテプとの間隔は縮まらない。顔を後ろに向けるたびに近づいている。執拗に追いかけるため、公園を抜け、道路へ路線変更をする。行ったことが無い道だが、施設の人達の危険を晒さないためには、それが適切な判断だと独断したからだ。

 先の道の住宅街も、風景は変わらず、瓦礫という名の大きな石が路上に転がっていた。手足を起用に使って、飛び越えるも、まだ追いかけてくる。角を曲がったり、直進したり、自分が何処へ向かっているのかさえ分からず無我夢中で走り続ける。エヌ回目の角を曲がると、ニャルラトホテプは、居なくなった。いや、後ろを向いた瞬間に、消えたのだ。桃子は、立ち止まり、背後を見渡した。

「あれ、居なくなった?」

 そう呟いた時、

「ざんねーん。行き止まりでした」

 と、また、耳打ちされた。瞬時に振り返ると、ニャルラトホテプは居ない。そこにあるのは、ブロック塀の壁のみ。まずい。逃げないと。そう察知した桃子は、回れ右をするが、足を前に踏み出せない。

「何してるの? 僕を独りぼっちにしないでよっ」

 時すでに遅し。その言葉が一番適切だろうか。しかし、まだ手はあるはずだ。桃子は、聖書を再び開ける。次のページを捲るが、未だ白紙のまま。本当に追加されるのだろうか。そう思いつつも、最初のページの技の詳細を読んでいた。知らない漢字も言葉も沢山ある。しかし、それを調べる余裕はなく、頭脳は、詳細を読み込み、この状況を打破することの二つのみ思考を巡らせる。この間、五秒。

 聖書を片手で、パタリと閉じる。

「そこを退いて」

「嫌だ」僅かな間も与えない全否定。それに怯む、いや、怯むが抵抗をする。次に、

「だから、退い」

 と言うが、

「嫌だ」

 と更に間を詰められる。また、

「退いて」

 と復唱する。

 眉を上げたニャルラトホテプが、「何度も言わせないでよ。退かないって」と、苛立ち、視線を逸らしたその時。風が髪を揺らす。いや、風の如く俊足の桃子が横切る。

 銀髪の子供が舌打ちをする。既に距離は、五メートル以上も空いていた。

 俊足の正体は、強化急成長グローアップ・パワーを応用したものだった。その技名を黙読し、目を閉じれば、気付かれずに発動することができる。また、発動しないまま時間を置くことによって、力は蓄積され、瞬発力が増す。つまり、スタートダッシュが可能だと書かれていた。

 ここからは、施設に逃げよう。来た道までは覚えていないが、倒れた電柱や標識を目印に、九割自分の勘で進んでいく。ここまで行けば、ニャルラトホテプとやらも、追いかけて来ることはないだろうと、桃子は思った。しかし、それが仇となる。

 住宅街を何とか抜け出し、公園へ向かう道に戻ることができた。あとは、来た道を戻るだけだった。しかし、先へ進めば、公園の入り口に誰かが居た。目を凝らすが、視界がぼやける。技を発動する度に視力が落ちるのだと後々分かった。

 ニヤリと笑った。その顔が見えた途端、桃子の足取りは止まってしまった。

「ど、どうして、ここに」怖気づき、踵を擦る。

「僕を出し抜けると思った?」その声は冷酷で、目は死んでいた。ニャルラトホテプは、歩き始める。「僕から逃れようとするなんて、百年早い。そんな君にはをしないとね」

 桃子は、背を向いて、覚束ない足取りで、逃げる。が、直ぐに手を掴まれる。強力な力で掴まれる。ニャルラトホテプは、開いた手を目の前に見せる。腰が抜け、地面に手を着く。

「……kweidhaofnbp ncuenmoendie8888 cbuyqiozqpwpchieo.;@:;@@w,xoiiqw:nur9eq@nyiorvueiqonvrie:wqunvyroewq:iovprnuewq:vnruiepqivruieowq:iuvrneiwqovrieuwqio@vrieunq……」

 必死に抵抗をするが、逆らえない。更に強くなる。

「や、やめ、嫌、よ……」目に水を溜め乍ら、首を振る。植えつけられる恐怖。どんなに助けてと言うが、声にならない。


qwsuaismei暴走


 ニャルラトホテプから放たれる謎の光が桃子を包む。目を覆う前に、桃子はその場に倒れた。数分が経っても立ち上がらず、舌打ちをして、「何だ、また失敗か」と言って、後を去った。

 その後、相木が桃子を見つけ、背に抱えて施設に戻るのだった。

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