明星……明るい、星

 ガラガラと、すりガラスの扉を開いて三人の少女がパジャマを片手にやってくる。そこに広がっていたのは、温泉旅館もびっくりの広さが構えられた脱衣所であった。


「すっごい……ほんとに温泉みたい……しかもこれが男女に分かれてるって……」


 初めて柳川家のお風呂に入る優子としては、もはや言葉が出てこないレベルの驚きようであった。


「風呂は命の洗濯だって、昔のアニメでも言ってたしな! レイたちしかいないから、泳いでも大丈夫だぞ!」


 言いながら、真っ先に着物の帯をシュルシュルとほどいていく麗華。女子しかいないにしてもこれほどまでに躊躇の無いあたりは、やはりまだ中学生といったところだろう。


「町内のどの銭湯よりも広いから、この家に来る時はお風呂が楽しみで仕方ないのよね~。タダだし!」


 にっしっしと笑いながら、留実も服を脱ぎ始めていた。

 二人に並ぶ形で優子も服を徐々に、靴下から脱ぎ始めるわけであるが、ここで彼女はある違和感に気づく。他の二人の様子がどこかおかしい。

 横目で二人の様子をチラチラと見ながらワンピースの裾に手をかける優子。その服を脱ぐ直前にして、彼女は違和感の正体に気づいた。なんと、二人の下着のチョイスが、自分とかけ離れて幼いのである。


「えっ……?」


 イメージしていた二人の像とのギャップに、優子は思わず声がこぼれる。

 この反応が出るのも仕方ないだろう。留実に関しては上下とも真っ白な無地の下着を着用しており、彼女の外見からは想像もつかない清潔さであった。さらにその向こうで奔放に服を脱いでいる麗華にいたっては、クマさんの描かれたもこもこパンツに、どうやら上は何も着用していない様子である。

 和服を着る場合は下着を着用しないという文化をにわかに信じ切れていなかった優子だったが、ここで目の当たりにしてしまってはもう認めざるを得なかった。


「あれ? どうしたの、優子?」


 服の裾に手をかけた状態で静止していたのを、留実に不審がられてしまった。何を隠そう、優子が今現在着用している下着は、上下とも紫で整えたフリフリの非常にな下着なのである。二人の子供下着を前に、このファビュラスな魅惑の塊を見せつけてしまってよいものか、頭の中で思考をめぐらししていた。


「そいやー‼」

「ひゃっ⁉」


 いつのまにか服を全て脱ぎ、固まった優子の後ろに回っていた麗華が一気に彼女の服を脱がしてしまった。ワンピースの中から現れた魅惑の宝石の姿に、一同は言葉を失う。


「えっ……シバっち……」

「優子……その……」


 下と上、どちらを隠すべきか悩んだ結果、一瞬の判断の後に優子が覆い隠したのは彼女の顔であった。その顔を見ずとも、真っ赤に色づいているのが見て取れる。


「ち、違うの……これはその……」


 覆い隠された口元から力のない言葉を発する優子。二人との下着格差に、何も言う事ができない。

 三人組でのマイノリティ。それはどのような状況よりも危惧される、人類が最も避けて通るべき道である。人数が増えるに従ってマイノリティの印象は薄れてゆき、また二人きりの状態では何が起こっても一対一であり少数派というものは存在し得ない。すなわち、今現在のこの二対一という状況は、一人側にとってもっとも羞恥度の高いシチュエーションなのである。


「えいやっ‼」

「ひゃうん⁉」


 手が両方とも顔に持っていかれていたため無防備になっていた大きな胸を、後ろから麗華が鷲づかみにする。非常に真剣な表情で、むにむにとその感触を楽しんでいた。


「く、くすぐったいよ麗華ちゃん!」


 体をぷるぷるさせながら、必死に抵抗しようとする優子。もはや顔を隠している余裕など無い。


「ほほう……この弾力……まさか……」


 揉んだ際の優子の胸に張りを感じたのか、麗華は一瞬さっと身を引き、優子のブラジャーのホックに手をかけた。

 その大きな胸をしっかりと繋ぎとめていた金具が外された瞬間、優子の下着は胸の弾力に押し出され、一メートルほど前方に飛び出した。圧力から解放され、全てが露わになった胸の光景に、前後の二人は唖然としている。


「シバっち……これって……」


 すでに羞恥の限界に達している優子は、再び両手で顔を覆い本当に言葉が出なくなっていた。


「優子……その、デザインもなかなかのものだと思ったけど……サイズ、いくつ……?」

「じ……ジーです……」


 実在するものとは思えないカップ数に、二人は言葉を失った。自分の絶壁と見比べて落胆する麗華、身ぐるみを剥がされてうずくまる優子、その二人を複雑な表情で見守る留実。数分の間、沈黙の時が流れた。


 一方その頃、壁を一枚隔てた男子更衣室では。


「ねえ龍之介、ここの壁がそんなに厚くないの、女子は気づいてるのかな……?」

「いや、こっちで騒いだ事がないから、たぶん知らないだろうな……」

「バレたら殺されそうだね……」

「ああ……墓場まで持っていこう……」


 誰も幸せになれない女子更衣室に対して、至福の時が流れているのであった。



 φ



「いやっほーい! 久しぶりの露天風呂だー!」


 体を洗い終えた女子三人が、柳川家の誇る露天浴場へとやって来た。下手な温泉よりも広いスペースに作られており、また所々に配置された岩や植物が風流である。四月の空を見上げると夕日が綺麗に差し込んでおり、宵の明星、金星が一人キラキラと輝いていた。


「るみ姉! シバっち! はやく来いよ!」


 真っ先にお風呂へと飛び出して行った麗華が、ゆっくりと入り口から出てきた二人に呼びかける。一応タオルで前を隠している二人に対して、一切何も隠す気の無い奔放な麗華であった。


「ふわぁ……すっごい……」


 この家にはもう慣れたと何度か思い、その度に想像を覆されてきた優子であった。


「にっしっし! すげぇだろ! きっとこの町で一番良い風呂だぜ! そりゃあ!」


 高らかな掛け声とともに、麗華はお湯の中へとダイブした。静かに張られていたお湯が大きく波打ち、キラキラと夕焼け空を反射する。


「ふふっ。優子、あたし達も行こっ」


 留美に空いていた手を引っ張られて、優子もゆっくりと湯船の方へ向かう。

 庭の美しさにも劣らない整った温泉の造り。昼と夜のはざまにあるオレンジとも紫とも取れる面妖な空色。黒々とした石でできた湯船から登る微かな湯けむり。その全てに気を取られて心ここに在らずといった様子だ。

 湯船の縁に辿り着き、足先をちょこんと水面に触れさせる優子。無言でピクリと一度お湯から離れる動作が、その熱さを物語っている。これに平気で飛び込んでしまう麗華は、流石に家の者といったところなのだろうか。


「よしっ」


 息を止め、優子は再びゆっくりとつま先からお湯に入る。その艶かしい体が、徐々に徐々に水面下に飲み込まれていった。


「ふうぅー」


 大きくゆっくりと息を吹き出す優子。これも温泉の風物詩の一つである。


「あっ……ついけど……気持ちいい……」


 んーっと言葉にならない感嘆と共に、大きく伸びをして空を見上げる。いつのまにか肩までしっかりとお湯に浸かっていた留美とともに、麗華も優子を見てニコニコしていた。


「なんだろう……なんだかすっごい、贅沢……」


 ちなみに、優子は眼鏡を外すと視界がかなりぼんやりする程度の視力である。他の二人からの視線には気づいていないらしい。


「幸せだ……」


 小声でぼそっと呟いているつもりなのだろうが、優子を見つめていた二人にはしっかりとその声が届いていた。


「あはは、大げさだよ優子! たしかにこんな温泉が家にあるのは贅沢かもしんないけど!」


 声の主の方に目をやるも、視力と湯けむりのせいで留実の表情はよくわからない。


「あっ……ううん、そうじゃなくってね。確かにお風呂も贅沢なんだけど、なんていうかその、今の私の立場とか、すっごい幸せだなぁって……」


 留実の奥から、もう一つ茶髪の顔がすいーっと近づいてくる。どうやら麗華が温泉で泳いでいるらしい。


「友達ができたからか?」

「うん、それも一つ……って、麗華ちゃんに今まで友達がいなかった話したっけ⁉」

「いや今更……シバっちの反応とか見てたらだいたいわかるって」

「はう……」


 赤面して鼻の頭まで湯船につかってしまう優子。息を吹き出してぶくぶくしている。


「にしても、すっごい偶然だったよね。月曜日だっけ、美術館に行ったらたまたま龍之介の絵の前に優子がいてさぁ。次の日一緒にお昼食べようと思ってたら、二人で部活作るとか言い出しちゃうんだもん」

「私も、シバっちとの出会いはすっげぇ偶然だったなぁ。最初は兄ちゃんを誑かそうとしてる悪女だったぞ」

「え、何その話……」


 部室での騒動の事は、あの場にいた三人だけが知る秘密である。


「にっしっし! シバっちってば大胆なんだぜ~」

「わわわ! 麗華ちゃんストップストップ!」


 ぼやけた視界の中で必死に麗華の口を塞ごうとする優子。生まれて以来最大レベルの痴態を隠すのに必死である。


「もう、危ないよ二人とも。それよりさ、ぶいちゅー部……だっけ? 順調なの?」

「うーん……まあ、ぼちぼちって所だなぁ。レイが入ってもあと二人は集めなきゃだし」

「そうなんだよね……」


 さっきまでの元気はどこへやら、急にテンションが落ちてしまう二人である。


「ま、あと一週間頑張るしかないっしょ! 諦めんなよ、シバっち!」

「うん!」

「あっ、それよりさ、下の名前、なんかいいの思いついたか?」

「あー……実はまだ良いのが浮かばなくて……」

「なになに? その話、あたしも混ぜてよ!」


 唯一の年下なわりに、ムードメーカーをこなすのが得意な麗華であった。


 φ


 一方その頃、男湯露天風呂では男子二人での静かな会話が繰り広げられていた。


「で、ぶいちゅー部の調子はどう?」

「どうと言われても、お前には毎日報告しているから特に話すことも無いんだがな……相変わらず部員は増えていない。キャラクターの方は、ラフ画が完成して昨日からFaceLog用のモデルを作り始めたところだ」

「なるほどね。ま、順調そうならよかったよ。いろいろと心配だったからさ」

「心配? 何がだ?」

「いや、何がって……」


 出会ったその日にあれだけの勢いの喧嘩をやってのけた龍之介と優子だ。まだ一週間も経ってないのだから、凛太朗としては何かやらかしていないか不安になるのも当然である。麗華がいなければ少し危険だったであろう場面もあったが、その点についてはもちろん報告していない龍之介であった。


「柴崎さんと喧嘩したりしてないかい?」

「喧嘩か……まあ、どう接すればいいのか分からない時は稀にあるかもしれないな……まだ息が合わないというか……こればっかりは時間をかけてどうにかするしかないだろう」

「そっか、頑張ってるんだね」


 龍之介の方をみてにっこり笑う凛太朗であった。


「ところで、肝心のVTuberの方はどんなキャラクターになりそうなんだい?」

「まあ、キャラクターとしてはほぼ優子そのままだろうな。見た目もかなり寄せたし、設定もたぶん高校生になるだろう」

「なるほどね。まぁ変に演じるよりは一番無難なパターンか」


 バーチャルYouTuberはその性質上、声優と表に出るキャラクターとの性格等の乖離が激しい場合も多い。それどころか、キャラクターがドラゴンや悪魔等の人外であったり、男性声優が明らかに女子なキャラクターを演じていたりと、何でもありな世界である。


「名前とかは決めたの? ブランディングする上で見た目や性格と同じくらい大切だと思うんだけど」

「キャラクターがキャラクターだから、ギリギリ日本人にいそうな名前が良いかと思うんだがな……苗字は日向ひゅうがにしようかって話だ」

「そっか。あとは下の名前か……」

「ああ。なかなか良い物が思い浮かばなくてな……」


 小さなため息をふうっと吐いて、龍之介は空を見上げた。


「ん……? まだ薄明るいのに、妙に明るいな、あの星」

「ん? ああ、金星じゃないかな。ほら、宵の明星ってやつ」

「そうか、明星……明るい、星……」


 瞬間、龍之介はハッとした表情になりザバっと立ち上がる。仕切りの向こう側にある女湯の方に向かって何か叫ぼうと口を開いたその時だった。


「龍之介ー! 聞こえてるー⁉」


 壁の向こう側から、今までにない大きさの優子の声が響いてきた。

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