ゆめのひと

 10分程度は、走っただろうか。


 途中から、とてもじゃないが短距離走の走り方では無茶であることに気づき、持久走の走法に切り替えた。

 部活以外にも週末にランニングをしているが、こんなところで役に立つとは思わなかった。


 ――というか、夢ならば、それくらい万能になってくれてもいいのに。


 虚しさが過ぎり、一旦立ち止まった。


 気のせいか、空間に色がついたように思える。

 色といっても、赤が青になるとかそういうことではなく、ホワイトがオフホワイトになるとかその程度のことだ。

 走り続けて視野がおかしくなっているのではないか、と聞かれれば、そうかもしれない。


 だが、なんとなく温かみがある色だ。

 相変わらず無愛想だが、一言二言程度は言葉を交わせるような感じ。


 周囲を見ることができるようになってきたようだ。



「しかし、マジで何なんだ。ここ」

「知りたいのかしら?」

「え!?」



 声が裏返った。

 情けない声だ。

 自分でも悲しくなる。


 いや、そんなことに打ちひしがれている場合じゃない。


 自分以外の声がした。

 真後ろから。

 延々走ってきて何も無かったはずの、誰もいなかったはずの背後から。


「だ、誰!?」


 勢いよく振り返る。

 バランスを崩しかけるほどの勢いで振り返った。


 そこに居たのは、イケてるオフィスウーマンよろしくパリッとしたビジネススーツ(しかもパンツスタイルだ、足長い……)に身を包んだ女性だった。


「あなたは……、どなたでしょうか?」


 先生にもここまで畏まった言い方はしたことがないのではないか、と思う。

 そして、ここまで『ステキ』と言える女性にお目にかかったことがないのではないか、とも思う。

 もちろん、テレビ越しにはそういう人は見たことがある。

 自分の目で実際に届きそうな距離で見たことは、たぶん無い。


 ――いや、ここは夢の世界か。

 確証は無いけど。


「わたしは、リンダ」

「リンダさん、ですか」

「呼び捨てでいいわよ」


 いいわよ、と言われても、それは難易度が高い。


「君は?」

「はい?」

「君のお名前は?」


 アッシュブラウンのロングヘアを掻き上げながら訊いてくる。

 何をしても絵になる人だ。

 どことなく胡散臭いが。


「僕は……」

「まぁ、知ってるんだけどね。ハルキくん?」

「は!?」


 なぜだ。


「どうして、僕の名前を……?」


 いろいろと疑問が浮かんでくる。

 浮かんでは掴み所が無いせいでそのまま浮かんでいく。

 困った、アタマの回転が止まってくる。


「そりゃ、まぁ。私がここに君を呼んだから、かしら?」

「え……、それはどういう」

「じゃあ、その前に私から質問をいくつかするわね」


 さらに反射的に疑問をぶつけようとした僕を制して、リンダさんは続けた。





「あなたは、今、夢を見ていると思っている?」





 どうなのだろうか。

 たしかに、最初は夢を見ているような気持ちでは居た。


 あまりにも掴み所がない、ただただ無限に広がる空間にひとりだけ。


 このまま目が醒めて、自分がベッドの上で横たわって居たのだとすれば、これは間違い無く夢であるはずだ。


 記憶が正しければ、しっかりとスマホを充電ケーブルに刺し、ベッドに入ったはずなのだ。

 だとすれば、これが醒めて、寝る前の光景に巡り会えたなら、この時間は「夢」だと定義できるのだ。


「夢、だと思います」

「堅苦しいなぁ。このままだったら、私のこと『リンダさま』とか言い出しそうよね、ハルキくん」

「いや、『さま』付けはさすがに」

「あら? 私のことは尊敬に値しないと?」

「いやもう、どうしてほしいんですか……」


 案外、めんどくさい人かもしれない。

 嫌いでは無いけれど。


「とりあえず、がんばってその堅苦しいの無くしてね。じゃあ、次の質問」

「ど、努力し……、するよ」

「おっけー。では改めて。今度は軽い内容だから安心して。ハルキくんは、夢をよく見る方?」


 少し、考えてみる。


「あまり見ない、かな。たまーに、こう、鮮烈に覚えてるような夢はあるけど」

「なるほどなるほど、予想通り」


 予想通り、とはどういうことだろうか。

 いや、それ以前に。


「リンダさん……、じゃなくて、り、リンダ」


 ダメだ、まだ緊張する。


「あらら、そんなことじゃ『愛しのあの娘』に告れないぞー?」

「え。…………………………ええええ!?」




 なぜだ。

 なぜこのひとは、

 ぼくのことを、

 こんなにも、

 しっているのか。



「ハヤシダ・コハルちゃん、でしょ。ね? ナカジマ・ハルキくん?」



 脳内で、何かが吹き飛んだ気がした。


 これが夢でよかった、とも思った。

 いや、夢なのかどうなのかは未だに定かではないのだが。

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