テセウスはもういない

作者 凪司工房

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★★★ Excellent!!!

 人のアイデンティティ(同一性)を基礎づけているものについて考えてみる。顔の表情や声質だろうか。それとも血液型や細胞内の核に埋め込まれた遺伝情報だろうか。

 僕たちは毎日、大抵は決まった時間に食事を摂る。その食事内容は日によって様々であり、毎日同じものを食べ続ける人は稀だと思う。だから、僕たちが摂取しているタンパク質や糖質、脂質は、その分量も成分も毎日少しだけ異なっている。つまり、僕たちの体を構成している元素の量や質が常に一定となることはありえない。

 今日の僕の体は、昨日の僕の体よりも少しだけアミノ酸の量が少ないかもしれないし、大腿骨に含まれているカルシウムやマグネシウムの構成比だって違うはずだ。厳密に言えば、昨日と今日で、僕の声質や指紋の形状にもギャップがあることだろう。顔にだって微細なしわが一つ増えているかもしれない。

 それにも関わらず、昨日の僕と今日の僕を同一の存在と考えることに違和感はないし、そう考えなければ自我は崩壊してしまう。

 本作品はタイトルにもある通り、「テセウスの船」という哲学的な問題と、人間が人間である理由をテーマにしたサイエンス・フィクション短編である。歯切れの切れのよい文体と相まって、作品テーマに深く切り込む登場人物たちのセリフに心奪われる。

――人が最後まで守るべき倫理とは何だろう。

 物理的なもので置き換えることができない何かが、昨日の僕と今日の僕を繋いでいる。人が最後まで守り通さなければいけない倫理があるのだとしたら、昨日の僕と今日の僕を繋いでいる非物質的なものかもしれない。それこそが人のアイデンティティを基礎づけているものなのだから。