第69話『その祈りは、優しき人々のために』
少女らしさのある、しおらしい謝罪――。
ジャスミンは下げていた頭をゆっくりと上げながら、ジーニアスが言っていたある言葉を、フッと思い出す。それはの神託を賜った身としては、断じて聞き捨てならないものだった。
「――あ、そういえばジーニアス! あなたさっき、『神はいない』うんぬんをぬかしていたな!
お前は無神論者なのだろうが、神や創世の魔王を信仰している人もいるんだぞ。
だから宗教を信仰している人の前で、ああいう過激なことは言うなよ! ダメなんだからな!」
「申し訳――いえ、助言して頂き、ありがとうございます。信仰に関する発言は細心の注意をはらうべきなのに、自分の想いを語ることに夢中になり、そのことを失念しておりました」
「そもそも宗教を商品などと、侮辱も甚だしい……。宣教師や教皇様の耳に入ったら、助走をつけて聖水ぶっかけられるぞ!」
「ですが、宗教を信仰することによって、言語や文化というオプションを得られるのは事実で、未発達な国にとってそれは――」
「だぁあぁぁあああ!! なんでもかんでも、そうやって事実をポンポン置けば良いというものではない! 真実は時として劇薬なんだ! だから嘘という枕詞で真実を包み、心への衝撃を緩和させる必要がある! だろう!
ほら! さっき話していた兄妹の話があったろうに。
――神は居ない。
その兄が、本当にそう思っていたのかは分からない。
だが仮に、その少年は 神が居ないと思っていた上で、妹に『亡き父と母に逢える』という言葉を告げたとしよう。
どうだ? 妹の魂は、その嘘に救われたはず――違うか?」
ジャスミンの言葉に、ジーニアスは目を丸くして頷く。その顔にはデカデカと、『なるほど、そういうことか』と書かれていた。
その様子を確認したジャスミンは、自分が抱いている宗教観を語り始める。
「大切な家族を守るため。
……抗えぬ死を目の前にして、発狂することなく、背筋を伸ばし、毅然とした態度でそれを行えるかどうかは、実のところ難しい。少なくとも、ジーニアスが目撃した少年は、あなたが思っているように立派な子だよ。
彼らのように、どう足掻こうが絶望しかない状況もあるんだ………誰の助けが来ない時が、神ですら見放されたしまう時が、な」
「ジャスミン、あなたにもそういった覚えが?」
「ジーニアス、そういうお前はどうなんだ?」
「え?」
ジーニアスは質問を質問で返されるとは思っておらず、驚いた表情を見せる。ナノマシンが機能していれば、驚くことすらなく、ジャスミンの問いに対し、最高の答えを提示していただろう。
しかし今は違う。最良のサポートは受けられない。
ジーニアスは自らの心と、真正面から向き合い、ジャスミンの問いかけに答えなければならない。
焦る彼に拍車をかけるように、ジャスミンはこう問いかける。
「超常的技術とやらで、時空を越え、数多の世界を見てきたのだろう。その見識は、私のような一概の戦士よりも遥かに上。――どうだ? 思い当たる節がないか?」
しばしの沈黙の後、ジーニアスはある出来事を語り始める。それはルーシーにも話した、千里眼を持つ亜人の少年――ポポルの話だった。
「ええ……あります。 観測者としての絶対に越えてはならないライン。それを越え、上層部からの命令を無視し、ポポルという亜人の少年を救おうとしてしまった。ですが、その結果は………――」
ジーニアスは胸の内から込み上げる感情によって、言葉を詰まらせてしまう。
視線はジャスミンを見ているはずだが、その瞳に彼女は映っていない。ジーニアスが目にしているモノ――それは、時空の裂け目に堕ちていく、あのポポルの最後だった。
「ジーニアス? おい、ジーニアス?」
ジャスミンに何度か問われ、肩を優しく揺らされて、ジーニアスは映像の反復から解放される。心ここにあらず――彼は少し上の空 で「はい?」と答えた。
「ジーニアス、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です」
ジーニアスはそう言っているが、どう見ても大丈夫には見えない。思い詰めた様子で、視線が迷い、定まっていない。その心は過去に囚われていたのだ。
それを見たジャスミンは、この世界に来て初めてとも言える、ありったけの優しい言葉で語りかける。その優しい言葉の旋律は、地下訓練場の時とはまるで別人。聖女のように、他者への想いで満ち溢れていた。
「ジーニアス、私は思うんだ。たしかに宗教や信仰とは、嘘の塊であり、必ずしも綺麗なものではないかもしれない。
しかし高度なテクノロジーを持った あなたのような存在でも、必ずしもすべてを把握しているわけではない。
現に、あなたは魔法を認知できず、習得のため、ヴェルフィに教えを請うことになった。それが良い例だろ?
本当に大事なもの。心や魂、人への想いや、愛――そういったものは目に見えず、魔法と同じで、直にこの手で触れることはできない。しかしそういった見えないものこそ、私は人として、大事なものだと思っている。
宗教や信仰とは、対立や憎しみを生み出すものでも、ましてや商品などではなかった。君も言っていたが、宗教とは迷える人を導く優しさであり、私達が見ることのできない領域を補うもの。“心” “魂” “想い” “愛” そういったものを包み込み、守る、底しれぬ慈愛に満ちた優しいもの。私はそう捉えている。
ジーニアス、あなたは私に問いていたな。
私がどうして、戦場で一歩踏み出せるのか、を。
それは私に、信仰という心の柱があるからだ。
この一歩を踏み出すことによって、手足が千切れ飛ぶかもしれない。もしくは目を斬りつけられ、永遠に暗闇の中で生活することになるかもしれない。
そして……戦場で斃れ、帰らぬ人となるかもしれない。だがしかし、人々のために剣を振るい、戦って死んだのだ。だから必ずや、その魂は 主の元へ召される――苦痛も、絶望も、死への恐怖もない魂の源。
だから私は、地下訓練場であなたと戦うことができた。最後は恥ずかしながら、気を病んで倒れてしまったが……
だがそれでも、信仰があるからこそ もう一度立ち上がり、戦うことができるんだ。
盲信な愚者と思われるかもしれないが、その盲信の力で剣を握り、それが戦う原動力になるのなら、私はそれを使って何度だって立ち上がって見せる!
戦うことを辞めた時 ――それは生きること 守ることを放棄することだ。
今、このフェイタンに必要なもの。そして君に求められ、必要なことは “ 戦う ” こと。それで皆の命が守られ、魂が救われるのなら、愚昧な娘と思われようが、狂信者と呼ばれようが、私は構わんさ」
「どうして フェイタウンのためにそこまで?」
「この世界の人々は……私を受け入れてくれた。
召喚されたばかりの頃は、反発し、失礼な態度をとってしまった。生い立ちすらも語らない私を、アスモデやフェイシア達は受け入れ、衣、食、住、――文字と文学、様々な知識を分け与えてくれた。そして、前世で なし得なかった『海を見る』という夢も、叶えてくれた。
そうして与えられてばかりでは、やはり申し訳がない。
少しは……みんなのために、報いなければな。
フェイタウンの切り札という大役。それを熟し、それなりの成果を上げないと、召喚された示しがつかないじゃないか」
「なるほど、恩返し……ですね。ジャスミンはこちらに召喚される前、つまり前世で、海を見たことなかったのですか?」
「内陸の農村 生まれだったからな。まさか死後に、自分のささやかな夢が叶うとは……人生とは、分からないものね」
ジャスミンは「さてと、」と呟き、ベッドから立ち上がる。すると病室の床へ膝をつき、指を組んで祈りの姿勢をとる。
「残念ながら、ポポルを救うことはできなかった。しかし彼の魂が、より良き場所に逝けるよう祈ることはできる。
ジーニアス・クレイドル。あなたはその少年を救うため、尽力を果たした。
誰もあなたを責めたりしない。それは、神ですらも。
だからもう、悔いるな。
そうして過去に囚われていれば、ポポルの魂は悲しむぞ。
今できることは、ポポルの魂が、苦しみのない世界へ逝けるよう、祈ってあげることだ。それが今、私達にできる最善で最良の行いだ。二度と、その悲劇を繰り返さないためにもな」
「祈る……」
「『でも』とか『だが』とか言うなよ。
ジーニアス、あなたは魂や心がなんであり、そのすべては科学的に解釈できているのだろう?
この祈るという行為でさえ、あなたは『自己満足』と捉えているのかもしれない。
だがな、だがなジーニアス。ビジターの高度なテクノロジーでさえ、この世界にありふれた魔法すらも、解析できなかった。
――つまりビジターも全知全能ではないということだ。まだまだビジターや、あなたにも、見えていない未知なる部分が存在している。だから死後の世界や、楽園、天国が必ずしもないとは言い切れぬわけだ。違うか?」
ジーニアスは納得した表情で微笑む。
もちろん祈るという文化や宗教観に対し、最初から否定的なことを言うつもりは一切なかった。彼女の言う通り、思い起こせば、ビジターのテクノロジーで補足できない領域が、数多く存在していた。
妖精という知的生命体の姿を目視できず、ルーシーとの邂逅時に至っては、高度な再帰性反射をなんのデバイスを使用することなく、看破されてしまった。――それらがなによりの証……。
だからこそ彼は頷きつつ、ジャスミンの言葉に賛同したのである。
「ええ、そうですね」
「じゃあ祈ろう。ポポルや、処刑された兄妹、
ジーニアスも椅子から立ち上がると、膝を付いて指を組み、二人は向かい合う形で祈りを捧げる。
非業の死を遂げた魂のために……
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