第68話『 死 への恐怖と、不器用な 聖女 の謝罪』
「ビジターだった頃は、死を意識したことはなかった。
異世界で観測してきた、数多の死。それは単に、始まりがあり、終りがあるという歴史の一部――その程度の認識だった。
ビジターとしての死も、それは役割を終えた機能停止という意味であり、世代交代における、有効なプロセスとしてしか、捉えていなかったんだ。
――でも……今は もう違う。
ビジターではなく、私は一人の生物として、死と向き合うことになった。
ジャスミン……私は、インターネサインの庇護下にないからこそ、それに気付いてしまったんだ。
……――死ぬのが…… 死ぬのが怖い。
最初に死を意識し、恐怖した時――考えに考え抜いたよ。
この漠然とした不安感。
足を竦ませ、背筋を凍りつかせる この得体の知れない 感覚は、なんだ?――と。
これはきっと、ローズを見つけるという任務が達成できなくなるという恐れ、役割を全うできないという無念さ、後悔からくるものに違いない――そう思っていた。
違った。
だがそれは違ったんだよ。
その奥にあった自分の本心は、あまりにも ちっぽけで、愚かで、姑息な理由だった。
……我が身のかわいさ。故に、ただそれ故に、死が怖い――……それだけだった。
そこに任務やローズのことなんて微塵も、これっぽっちも なかったんだよ。
ただただ、自分の命が惜しい――それが私の本心だった。
“ 滑稽 ” とは、まさにこのこと。なにが『世界の観測者たるビジター』だ。笑わせてくれる。
テクノロジーという補正を取り除けば、元来の生物と大差ない。それどころか現地の協力者よりも遥かに劣る、利己的な動物的思考の生命体――。救いようのない存在なのだ。
生存本能に取り憑かれた さもしい男。それが、私の本当の姿だった。
他者の命を尊重?
誰かのために自分の命を擲って戦う?
無理だ、不可能だ。死への恐怖だけで心が押し潰されそうなのに、その上、他人に気をかけるなんて……。
しかもそのくせ、自分の命はあらゆる驚異やリスクから遠ざけ、退けようと考えている。嗚呼 、なんと度し難い……
私は悲しみを通り越して、 心底……自分に幻滅した」
ジーニアスは悲しげな表情で俯く。
「フェイシアはそんな私に期待を寄せ、ローズ捜索の協力を承諾してくれた。だが肝心の私が、こんな状態では……」
しばし病室の床を見つめると、顔を上げ、毛布に包まっているジャスミンに向かって、問いを投げかける。それは、今だからこそ訊ける質問だった。
「ジャスミン……教えてくれ。君はなぜ、あんなにも勇猛果敢に戦えるんだ?
もしかして君は、死ぬのが怖くないのか?
地下訓練場での戦い――ゼノ・オルディオスが手加減していたとはいえ、一歩間違えば、間違いなく死んでいた。
私には、未来を予測し、危険を回避できる機能があった。だからこそ戦えた。
だがジャスミン……君は違う。
未来は予測できないし、
直撃を受けてしまえば、腕は折れ、体の部位を欠損してしまう危険性は大いにあった。
なのになぜだ?
なぜ君は、死を恐れることなく、あんなハイリスクな場所へ、 自らを晒すことができるんだ?
あれは勇気という言葉一つで片付けられるような、簡素なものではない。
教えてくれ……ジャスミン。
なぜ君は、ゼノ・オルディオスに立ち向かえた?
死への恐怖を克服し、臆する心を捻じ伏せ、その一歩を踏み出すことができるんだ?」
ジーニアスはジャスミンに問いかける。しかし彼女は寝てしまったのだろうか。なにも答えることなく、毛布に包まったまま沈黙を守り続けていた。
ジーニアスは軽く眉間にシワを寄せつつ、小さな声で「ダメか……」と嘆息を口にする。
数秒の間を置き、毛布の中から あからさまに分かり易い、溜め息が零れる。そして毛布が蠢き、その中からジャスミンの「ククク……」笑い声が漏れ出し始める。次第に声の大きさは増していき、呵々大笑となって病室に響き渡った。
「ハハッ フフッ アハハハハハハハッ!! ア――――ハハハハハ!!!」
ジャスミンは おかしくてたまらなかった。
完璧の申し子とも思える男――ジーニアス・クレイドル。その並々ならぬ戦闘力の高さは、あのフェイタウンの重鎮たちですら、特別 扱いするほどである。
ジャスミンにとって、もはや彼の強さは手の届かない領域だった。現に、自分では手も足も出なかった あのゼノ・オルディオスを、二度も退けた実績がある。その確固たる強さと存在感は、妬みすら覚えてしまう程のものだった……――。
しかしそんな彼が、弱さを晒し、苦悩し、悩みを打ち明けてくれたのだ。
ジーニアスの
それをまざまざと見せつけられ、ジャスミンは嫉妬心に駆られていた自分が、なんだかバカバカしくて思えてしまったのだ。それがどうしようもなく可笑しくて可笑しくて、最終的に呵々大笑へと至ったのである。
そしてなにより、ジーニアスの話の下手さも、笑いに拍車をかけてしまう。『涙の理由を知りたい』と、相手を助けようとしていながら、最終的に自分の悩み相談になってしまったのだ。
彼は完璧などではなく、不完全かつ未完成で、自分と同じ……迷える子羊だった。
ひとしきり笑い終えたジャスミンは、毛布をゆっくりと持ち上げて上半身を起こし、ジーニアスを見つめる。その視線はいつもの彼女からかけ離れた、優しく、聖母のように慈しみに溢れている。
その視線と同じく、声もまた、思いやりに溢れた優しいものだった。
「なにが涙の理由を話してくれるまで――だ。話の終盤は、自分の悩みや苦悩の話題に置き換わっているぞ」
ジーニアスは見違えたような彼女の姿に、目をパチクリさせて驚く。そして、己の恥と弱さを、なぜここで告白したのかを説明する。
「え? こうして弱さを見せ合うのは、文化人類学上、多く行われてきた行為で、仲間になるための登龍門と聞いております。涙の理由を知るため、私も秘めていた悩みと弱さを打ち明けたのですが……間違っていたのでしょうか?」
「とうりゅうもん? おそらく通過儀礼的な意味合いの言葉だろうが、それはこの世界の格言ではないな。
あなたはもうファイタウンの一員なのだから、比喩や例えを使うのなら、この世界の住人にも理解できる単語を使って。
じゃないと、いくら丁寧な説明しても、難しい単語ひとつで すべて台無しになるんだから」
「申し訳ありません、ジャスミン。配慮が至らずに……」
「あ! そしてすぐ、そうやって謝るな。
こういう時は『助言して頂き、ありがとうございます』でいいんだ。
過度な謝罪の多用は、美徳でもなんでもない。しかも自分の心を痛める原因となりうる――まぁこれは私の言葉ではなく、元日本人のドワーフが言っていた言葉だが……」
そう言いつつ、ジャスミンは緊張気味に深呼吸をする。そして愛の告白をするかの如く、耳や顔をこれでもかと真っ赤にし、慎重かつ丁寧な口調で、ジーニアスに ある言葉を捧げた。
「ジーニアス・クレイドル。自分で言うのもなんだが、私は強情な女だ。
ある意味では、自分にすら素直になれない、そんな女なんだ。
だからこの世界に降り立っても、それをほとんど見せなかった。心の弱さを見せたら、………背中を取られたような、そんな嫌な感覚があったから。
でも あなたには……命を救われたし、その礼すら言ってないのに、その……さっきは酷いことを言ってしまった。『うるさい』とか、『出てけ』……とか、
だから、その……あの――
えっとね……
――ごめん」
絞り出すようなジャスミンの声。
それはあまりにも短い単語であったが、男勝りな彼女が垣間見せた弱さであり、恩人へ捧げる 心からの謝罪だった。
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