第67話『たったそんな こと 。でもそれは、とても難しいことで……』


 ジャスミンは、そんなジーニアスを見て、なぜか自分を見ているような感覚を抱く。


 端的に述べるのであれば、『強情』。


 頑さ。


 己の信じるものを頑なに手放すことなく、バカ正直に突き進む愚直さ――。


 少なくとも今は、彼の姿がそう見えていた。



 ジーニアスはベッドの横まで歩み寄ると、近くの椅子へ スッと座った。そして微動だにしないその有様は、『涙の理由を話すまで、絶対に ここを動かない』と言わんばまりである。



 ジャスミンは『私の言ったことが聞こえなかったのか?』という顔で、ジーニアスを睨んだ。 




「ジーニアス、私は『出ていけ』と言ったはずだが? なぜ、さも当然のように椅子に座っている?」



「記憶違いでしょうか? 先程『待って、行かないで』と裾を引かれたもので」



「あ、あれは! お前が大げさに、看護師を呼ぼうとするからだ!」



「大げさ? 貴女は激戦の最中に倒れた身なのですよ。むしろそのような女性が涙を流しているとなれば、看護師を呼ばないほうが不自然と――」



「んだぁあもう!! ああ言えばこう言う! ほんとバカだなお前は! 私はただ悲しんでいただけだ!! それなのに看護師を呼ぶなんて! わ、私は――………」



 ジャスミンは、つい本音を口走ってしまう。


 『しまった!』と思った時にはすでに手遅れ。放たれた言葉は、すでにジーニアスの耳に届いてしまっていた。



 ジーニアスは腕を組み、顎に手を添えて考え込む。



「悲しむ? あの戦いで戦死者は出ていません。だとすると……なにを?」



「さぁな。お前とは口をききたくない! 私はもう寝るからな。フンッ………――」



 ジャスミンはもう話したくないと、ジーニアスに背を向け、毛布を被ってふて寝してしまう。




 病室に、なんとも言えない沈黙の間が流れる。




 ジーニアスはジャスミンとの信頼関係を構築すべく、言葉を厳選し、それをさらに心の篩にかける。


 だがシステムを介すことなく、言葉を選別し、人の心を癒やすのは今回が初めて――。


 フェイシアとの会話はスムーズに行うことができたが、それはあくまで、相手の信頼が基準値を上回っていたから、できた事。今のジャスミンのように、信頼度が底冷え状態では、出てくる言葉も、それが本当に適切か、今のジーニアスには分からなかった。 


 


 なんとか間を繋ごうとするジーニアス。しかし会話すら外部機能に依存していた彼に、悲しむ人に捧げる言葉は見つからなかった。焦り、言葉を厳選しようとすればすれほど、それは味気ない、無意味な言葉の羅列と化す。



 ジーニアスは息を吸い、静かにスゥと吐く。呼吸を整えることで、焦る自分の心を落ち着かせようというのだ。知識で言葉を紡ぐのではなく、無意識と本能に任せて言葉を選び、ジャスミンに捧げた。



 この決断が正しいかどうかは分からない。


 もしかしたら、よりいっそうジャスミンを傷つけてしまうかもしれない。


 でもそれでも、彼女に なにか をしてあげたかった。


 かつてルーシーがしたように、傷ついた人を、放ってはおけなかった。




『補えない部分は、他の人や仲間がフォローする』


『一人でなんでもできる なんて、絶対に思わないこと』




 ジーニアスの脳裏に、ルーシーが投げ掛けた優しい言葉が響く。


 それはフェイタウンに来て初めて学んだこと。


 ルーシーは何気なく告げた言葉だったかもしれないが、ジーニアスにとってそれは、これからどう生きていくべきかを指し示す羅針盤となり、そして深き闇夜を照らす灯台となった。


 とくにジャスミンは一人で抱え込む癖がある。それは今までの行動や仕草、会話、戦闘スタイルなどから、演繹的に導きだされた推論だ。



 ジーニアスはビジターである。すべての事象を観測できるか故に、かつては推論はしなかった。


 しかし外部の補助演算機能すら喪失した身では、模範解答は提示されない。つまり自分の意思で考え、予測を立てて行動しなければならない。



 それはまるで霧の中を馬で爆走するようなもの。危険極まりなく、先になにが待ち構えているかの一切が不明だ。



 会話すらも外部に依存していたジーニアス。そんな彼にとって、この世界の知的生命体ができる当たり前ですら、崖から飛び降りるほどの覚悟で挑まなければならなかった。



 テクノロジーに依存していたが故の、致命的な弊害である。



 それでもジーニアスは、霞がかった霧の中へと挑む。



 これは自分のためではない。共に血と汗を流し、この街を愛している彼女のために……――。




「ジャスミン、聞いていますか?」



「…………」



「寝てしまったでしょうか?」



「…………」



「貴女は悲しんでいました。私は人の感情把握は苦手で、まず初めに、不快な想いをさせてしまったのら、申し訳ありません。私はただ貴女に、いつもの貴女に戻って欲しいのです。それだけは了承していただけると幸いです」



 ジャスミンからの返答はない。ジーニアスの目に映るのは、こちらに背を向け、毛布に包まっているジャスミンの姿だ。


 ジーニアスはそれでも話を続ける。



「私たちビジターに感情はありません。



 信じられないかもしれませんが、感情はナノマシンが情報として処理され、心に届く前に、傷つかないように濾過されるです。



 濁りのない、綺麗なものとして。



 だから私は、感情の希薄な人物と捉えられるでしょう。もしくは変人か、非常な男として……。



 でも悲しむという感情は理解しているつもりです。


 私は観測者として、あらゆる世界で多くの死を――それも酷く、惨たらしく、見るに堪えない非情で、あまりにも理不尽な結末。



 それをこの目で、見届けて来ました。



 ナノマシンの機能を失い、世界そのものを、ありのまま、濾過されずこの目で、この心で、受け止められるようになったからこそ、喜怒哀楽――そして悲しむという感情が、ようやく理解できるようになったのです。


 加工された現実ではなく、ありのままの、本物の世界を、この心で感じることができるようになった。



 だからこそ……今だからこそ分かるのです。



 いろんな事が……――。





 例えばある異世界で、少年と少女……兄と妹が処刑される瞬間を観測しました。


 罪状は反乱罪でしたが、実際は、国内の反抗組織を萎縮させるためだけの見せしめ。


 身寄りのない、後ろ盾のない子供だから、二人が選ばれてしまった。


 二人は なにも、反乱罪に該当するようなことは、一切していなかったのに……



 兄である少年は、怯え、今にも泣き出しそうな妹にこう言ったです。




 『大丈夫。神に祈りを捧げれば、きっとお父さんとお母さんの所へ行けるから』――と。



 私には、彼の発した言葉を理解できなかった。


 神――つまり宗教とは、商品だ。それに付随する文化や言語を他の種族に売り込むための潤滑剤。それが宗教の本質であり、これは紛れもない文化的事実に他ならない。少なくとも、その世界の宗教はそうだった。


 神に祈りを捧げる。


 それは先に話した 少年と少女 だけではない。殉教者や狂信者、中には無宗教な人間でさえ、極限的状況へ陥ると、神や、自分を越えた存在に助けを求め、暗闇の中、光に向かって手をかざす。



 私はそれを……理解できなかった。



 神なんて居るわけがない――私はそう思っていたからだ。



 もしも全知全能の神が居るのなら、なぜ少年と少女を救わなかった?


 あの子達は誰にも迷惑をかけることなく、慎ましく、路地裏で生活していただけだ。



 私は……ジャスミンと同じように、ありのままの世界を感じられるようになって、初めて、あの少年を理解できた気がする。




 あの少年は、神が居ないことを分かっていたんだ。




 ただ妹の心だけは、せめて死ぬほんの刹那の瞬間だけは、希望を……父と母に逢えるという希望を、残してあげたかったのではないか……


 宗教の起源――その発端は、救いと赦し、迷える人たちに希望を与えるものだった。世俗が忘れてしまったそれを、彼は死に怯える妹に、施したのだ。



 それに気づいた時、私は少年の強さに心打たれた。



 私には……とてもじゃないが、そんな強さはない



 あの少年のように、強くはない……」


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