第28話『フェイタウンの市長』




――だが、その穏やかな空気も長くは続かなかった。





 見張りの兵士が眠っているはずの守衛室――その方角から、ガシャン!と扉の開く音がしたのだ。



 彼らには睡眠薬が投与されている。しかも眠ってから数分しか経っていない。これだけの短時間で、誰も起き上がれるはずがなかった。


 ルーシーは自分の耳を疑いながら、音がした方向を見る。拘置所から出る唯一の出口――そこに立ち塞がるようにいたのは、一人の女性だ。



 フェイタウンの守護騎士であり、鬼兎騎士団の長。アスモデ・ウッサーの姿が、そこにあった。



 ルーシーは、予想すらしていなかった最悪の事態に直面する。緊張から汗が頬をつたい、ゴクリと息を呑む。




「そんな……彼女がどうして――」



 思わぬ事態にルーシーはたじろぎ、後ずさってしまう。一般の兵士が相手なら、なんとか誤魔化すことはできる。だが、二人に向かって歩いてくる相手は、国防において最高権限を持つ者だ。その場 限りの嘘で誤魔化そうものなら、ジーニアスよろしく、拘置所送りは免れない。



 臆したルーシーだったが、一瞬だけジーニアスを見る。彼女の目に映るのは、フェイタウンを守った人とは思えない、非礼と冷遇を合わせた境遇に堕ちた、ジーニアスの姿だった。


 ルーシーは彼女は自らの心を奮い立たせ、背筋を伸ばす。



『こんなの……間違ってる』


『ジーニアスさんはフェイタウンを守ったのに、どうしてこんな仕打ちを!』


『怪しいからといって、こんな対応は間違ってる!』



 ルーシーは自らの行いは正しいと、毅然とした態度で、アスモデ・ウッサーと対面する。


 アスモデ・ウッサーは『やれやれ』といった表情で、ルーシーと相反する柔らかな物腰でこう告げる。



「――まさかとは思いましたが、本当に事を起こすなんて。フェイシアの予感は当たりましたね。ルーシー、そこまで彼に入れ込むのが……どういう意味か、分かっていますよね? フェイシアから話を聞いたでしょう?」



「疑わしいという理由だけで、彼を拘束するのは明らかに礼を欠く行為です。これはフェイタウンの信念に反する行いに他なりません。故に、これを見過ごすわけにはいかないのです!」



「あの魔獣の出どころは、ゼノ・オルディオスだから? なら、そこにいるジーニアスが、彼女の仲間でないと断言できるの? できないでしょう?」




「そうまで疑うのなら、なぜセイマン国を疑わないのですか! あの国がどういう国なのか、ウッサー、貴女あなたのほうがよく存じ上げているはず!」




「あいつらには我々の護衛という名の見張りがついているから良い。いくら帝国と言えど、数では我々のほうが圧倒的に有利。それに外交上、向こうから派手な真似はできない。


 しかし彼は――この男は違う。異界門を使わずに、この国にやってきた。――それが何を意味するのか、説明せずとも分かるでしょう?


 そして、あの見慣れぬ格好に、魔力を使用しない強力な武器。私ですら手を焼いた魔獣を、瞬く間に屠っていった……――どう控えめに考えても、普通ではない」





「それならすでにジーニアスさんから事情を訊きました。彼は行方不明の仲間を探しに来ただけなのです! 高度なテクノロジーを持つ世界から!」




「高度なテクノロジー? まるで帰還人が書いた、空想科学小説のようなフレーズだな。では仮に、ルーシーの言葉が真実だとしよう。それでも彼が虚偽の――」




 ガシャンという金属音が、二人の会話を遮る。




 再び守衛室の方向から、ドアが開く音が響き渡ったのだ。重々しいスライド式のドアが開かれ、その奥から従者をしたがえた、一人の老紳士が現れた。


 その男は、ジーニアスが拘置されている監房に向かって歩きだす。しかしその視線は、ジーニアスでもルーシーでもなく、鬼兎騎士団の長 アスモデ・ウッサーに向けられていた。



 老紳士は目配せのみで「内密な話がある」と告げ、アスモデ・ウッサーをルーシーから離す。そしてジーニアスとルーシーに聞こえないよう、小声で用件を伝える。




「アスモデ・ウッサー。ご苦労だった。ここは私が引き継ごう」


「なにか問題が?」


「うむ。セイマン国が連れてきた亜人。彼女らが、少々やらかしてな」



「いったいなにを?」



「布教活動だ。彼女たち曰く 魔王を斃すには既存の宗教を棄てるべきである。そして邪悪な創造神ではなく、聖なる存在を崇めるべき――だそうだ。そう謳うのは勝手だが、各所で『翼人の集い』に参加せよと、ビラを撒いている」



「次から次へと……。ただでさえ市民も疲弊しているのに、逆撫でするような行為まねを」



「セイマン国の亜人に そんな自覚はないさ。なにせ、自分が正義と思い込んでいる――もしくはそれをしなければ、家畜に戻される境遇の娘たちだ。


 まぁ不幸中の幸いにも、派手な騒動は起きていない。フェイタウン市民は布教活動を無視して、なんとか、やり過ごしている。だがそれも何時まで続くか……故郷が戦火に呑まれたのだ。このままでは不平不満が、セイマン国の亜人たちにぶつけられてしまう。人の我慢にも限界があるからな」



「真に責められるべきは、亜人にそんなことをさせている宣教師。 そしてセイマン帝国の連中なのに!」



「ああ、まったくだよアスモデ・ウッサー。亜人保護部隊はこちらで編成しておいた。指揮を頼む。あとくれぐれも、丁重にな」




 アスモデ・ウッサーは、度重なる騒動に重い溜息を吐く。そして彼女としては珍しく、普段は言わないような冗談を口にする。



「了解した。ちょうど『翼人の集い』に入信しようと思っていたところだ。亜人を従えている宣教師が、どれだけ骨のあるヤツか、私の手で試してやる」




 拘置所から去ろうするアスモデ・ウッサーに、市長は慎重な姿勢で頼むと念を押す。もちろん彼女は国防のプロだ。従って外交上の礼儀は弁えており、問題に発展するような事は、万に一つもないだろう。


 しかし今は、あらゆる事に対して失敗の許されない、デリケートな時期だった。


 もしも外交問題に火がつけば、ゼノオルディオスとセイマン帝国を同時に相手をすることになる。街の被害は、今よりもさらに甚大なものとなり、復興が遠のいてしまう。


 なんとかセイマン帝国に、フェイタウンの弱みを見せることなく、穏便に事を済ませる必要があった。




「入信するのは勝手だが、温和に頼むぞ。宣教師の肘や膝の関節を、逆に折り曲げるのはナシだ。亜人の信者も宣教師も、無傷無血で説得――保護してくれ」




 アスモデ・ウッサーはその忠告に、手を降って「あらら、それは残念。宣教師様の ありがた~い説法が聞きたかったのに」と、なんとも物騒な冗談を交えつつ、監房から去っていく。


 

 入れ替わるように、今度は老紳士がジーニアスのいる監房の前に立った。


 


「初めまして、ジーニアス・クレイドル。私はフェイタウンの市長、サーティンだ。君に科せられた疑いは取り下げられたよ。そしてこれまでの非礼の数々をお詫びすると同時に、この言葉を君に伝えたい。


 フェイタウンを防衛し、多くの市民の命を救った その勇敢さに敬意を評し、心から感謝の言葉を贈りたい。


 ありがとう、勇敢なる妖精の揺り籠よ。


 市長として――そして全フェイタウン市民に代わって、礼を述べたい。――だが、こんな場所でこういった話をするのもアレだ。まずは外に出て、紅茶とギロピタを ご馳走しよう! ルーシーも来るかね?」



 てっきり怒られると思っていたルーシー。スカートを掴んで萎縮していたが、いつもの優しい市長に戸惑いを隠しきれない。彼女は「えっと、あの……」と言葉を詰まらせ、まともに返事すらできなかった。


 そんなルーシーに、市長は膝をついて視線を合わせつつ、優しい合いの手を入れる。



「素直で良い子な君が、自らの信念でこんな大それた事をした。しかも誰も傷つけることないよう、短時間で作戦を練り上げた。まぁ、詰めが甘かったがね。そして拘置所から人を逃がすのは、誰がどう見ても悪いことだ。


 しかしどうだろう。


 個人的な感想だが、彼は……どうやら悪人ではなさそうだ。私もルーシーの直感を信じるよ」



 サーティンはまるで父親のように、ルーシーの頭を優しく撫で、最後にこう付け加える。



「一緒にフェイシアとアスモデ・ウッサーに怒られよう。なぁに大丈夫さ。話せばきっと、あの二人も理解してくれるよ」


 

 そしてサーティンは立ち上がりつつ、ジーニアスを見た。その視線が意味するもの。それは、『ただし。ジーニアス君がすべてを話してくれるのが、条件だがね』だった。



 ジーニアスはその視線の意味を理解し、『分かった。すべてを打ち明けよう』と、頷く。



 もうこれ以上、ルーシを複雑な立場にしないためにも。




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