第3話『妖精の揺り籠』



 このオルガン島は、常識とかけ離れたことが度々起こる。



 エルフとドワーフの間に、いざこざが起きないのも異例であるが、それすら霞むほど、この島は特異な現象が起こるのだ。



 もちろん、この島の住人であるルーシーも、それは重々承知していた。だが訪ねて早々『私の姿が見えるのか?』というセリフは、まったく予期できず、大きく出鼻を挫かれてしまう。



 戸惑うルーシーに対し、件の男は「興味深い事例だ」と呟き、スーツのジャケット裏から懐中時計を取り出す。そして蓋を開けると、文字盤を視線で追い始めた。――いや、視線を注いでいるのは、懐中時計に刻印された数字ではない。その目の動きは、まるでなにかの文字列を追うかのようだ。


 もちろん懐中時計の前に、文字や魔法陣は一切浮かんでいない。しかし男は、なにかを確認し終えると、懐中時計をジャケット裏へと戻す。




 そしてスーツの男は、ルーシーの顔を覗き込み、その目を真っ直ぐに見据え、関心する。




「角膜。光彩。水晶体。毛様体。チン小帯。硝子体。網膜。黄斑の中心窩 。脈絡膜。強膜。視神経乳頭。視神経。結膜――それらは正常に機能しているが、なんら特筆すべき点はない。なのに何故、再帰性反射の効力が発揮されない? 科学的概念を超越した不確定要素イレギュラー、これが……魔法というものなのか?」



 少し早口でセリフを並び立てる男。


 ルーシーにもそれが、目に関連した医学用語であることは、なんとなくだが分かった。しかし後半からは、なにを言っているのか把握できなかった。『見えているのか?』という言動から推測すれば、斥候スカウトやシーフが使う、気配を消し、周囲に溶け込む魔法。そういった類のなにかを、意図せず看破されてしまったような口振りだ。



 加えて、男の様子も どこか妙だった。



 表情に感情が感じられず、言葉にも心が籠もっていない。それらは意志を持ったセリフではなく、ただ無機質に本を朗読しているかのような、淡々とした口調なのだ。一言で表すのなら、あまりにも人間味が希薄なのである。



 しかしそんな男でも、美術品を鑑賞するかのように見られるのは、やはり恥ずかしい。ルーシーはそんな彼の視線を直視できず、顔と耳を真っ赤にしてしまう。


 そして恥ずかしさを振り払うため、ルーシーは軽く咳払いをしつつ、本題を切り出す。



「あ、あの?! あなた、この島の人……じゃないですよね? 名前は?」



「現地人との接触は固く禁じられている。我々は世界に干渉してはならない。しかしながら、魔法という解析不能な現実改変能力の前では、我々はあまりに無力であり無知だ。従って私は独自の判断で、君を現地協力者として提携を結びたい。申請の受諾を」



「え? 申請? あぁ、はい」



 ルーシーはつい、二つ返事で男の要望を受け入れてしまう。


 難解な単語の羅列で、なにを言っているのか、サッパリ分からないにも関わらずに……。――しかし、なんとなくであるが、彼が『助けてほしい』と告げているように感じられた。彼女の性格上、困っている人は見捨てることはできない。だからつい咄嗟に、「はい」と答えてしまったのだ。




 男は被っていた帽子をとり、提携を許可してくれたルーシーに頭を下げる。




「御協力に感謝します。私は識別コード765737‐θ‐87479 パーソナルネーム、ジーニアス・クレイドル」




「ジーニアス……クレイドル。すごく良い名前!」




「個人的な評価としては、私はこの名に適していないと判断している」



「どうして? だって妖精の揺り籠ジーニアス・クレイドルだなんて、とっても お洒落で良い名前じゃない。違って?」



「なるほど……そうか。貴女はジーニアスを古代ローマの意味合いで解釈していたのか。私のいる場所では、ジーニアスは天才――つまり、才能に秀でた者という意味合いで使用している。才能は、創造を司る妖精がもたらすものではなく、個人が所有する資質と解釈が改められたのだ」



 やたら説明口調なジーニアス。しかしルーシーは不快に思うことなく、優しく見守る。


 人には様々な傾向がある。説明が得意な者もいれば、苦手な者もいる。


 ジーニアスの場合、説明の正確さは素晴らしいものだが、それを噛み砕き、分かりやすく伝える能力が乏しい人なのだ。ルーシーはそれを、彼の個性と認め、そっと受け止める。



 そしてルーシーは、男の話から出身地を当てようと考え出す。その手がかりとなるのは、ジーニアスの意味合い。その語源と解釈の違いだ。



「ジーニアスを天才の意味で使っているのなら……。あなたは英語圏――もしかして、アルビオン……イギリス人? そのスーツとネクタイからして、いかにもそんな感じがするわ! あとはイギリス系アメリカ人かもしれないけど」



「なぜこの世界の人間が、別の世界の国名を? イギリスもアメリカも他の次元に存在する国。この世界上には存在しない」



「帰還人の手記や出版物を見ているから。人並み程度だけど、知っているの。ちょっとだけだけど、ね!」



「帰還人?」





 ジーニアスが首を傾げた、帰還人という言葉。


 それは異界門を通じ、異世界から、この世界に召喚された者のことだ。




 このオルガン島へ召喚された者には、主に四種類へ分かれる。




・死後を待たずして、この世界に召喚された者。


・この世界で赤子に転生。成長した後、異世界の記憶を取り戻した者。


・かつてこの世界の住人だったが、異世界に転生し、またこの世界へ戻ってきた者。


・異世界での死後。望む年齢や種族、性別へと転化し、この世界に転生した者。





 それを可能にするのが、フェイタウンで佇むモニュメント――異界門である。




 ルーシーは、ここからでも見える街の中央を指差し、ジーニアスに説明する。




「ほら! あれが見える? 他の世界から、あの異界門を通じて戻って来た人のことよ。あなた みたいに」



「あの構造物か。しかし私は、異界門という不確定出力装置イレギュラー・デバイスを使用してはいない」



「じゃあ、どうやってここに来たの?」



「……」




 ジーニアスは解答に困ったのだろう。口を閉じ、返答することができない。



 それを見たルーシーは、『やはり記憶が混濁しているのね』と察し、そんな彼を気遣った。そうでなければ、一連の不可解な仕草や言動の説明が付かない。



 不完全な魂の定着。



 まだ体と魂が不完全な状態か、もしくは魂の半分が元の世界に残っている状態のことだ。帰還人の中には、元の世界で やり残した事や、後悔、無念さが強い時、こうした現象が起きてしまう。


 ルーシーは、ジーニアスをこれ以上混乱させないよう、言葉を慎重に選びつつ、柔らかい物腰で接する。



「あなたはきっと、この世界に来たばかりで、混乱しているのよ。そういった事例はよくあるわ。中には若返ったり、性別すらも変わって帰還する人だっているの。だから……混乱して当然よ」




 ジーニアスはなにか言おうとしたが、その前にルーシーが手を差し出し、笑みを浮かべてこう告げる。あなたは心配なんてしなくていい。ここはみんなが笑い会える街なのだから――と、




「さぁ! フェイタウンを案内してあげる! 大丈夫、心配しないで。この世界もみんなも、きっとあなたを歓迎してくれるわ」




 ジーニアスはルーシーに手を引かれ、林道を後にする。




 二人が向かう先は、異界門が聳えるフェイタウン。この島の中枢であり、様々な種族と、異世界からの来訪者が行き交う不思議な街。




――そして、この世界に初めて訪れた帰還人 ひ と が、一番最初に目にする場所だ。










 この一部始終を盗み見ていた者がいた。


 木の幹に張り付いていた、毒々しい紫のトカゲである。そのトカゲは液体化し、追跡するに相応しい形へと変化した。――コウモリだ。





 翼の皮膜を羽ばたかせ、そのコウモリが青空へ飛翔する。ただ人知れず、誰にも悟られることなく――……





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