第78話、【PV1000記念】Web小説の『神様』は、すべてザコキャラ⁉(後編)

「……いや、神様であれば、基本的に『何でもアリ』なんだから、物理法則なんてぶっちぎって、世界の改変でも新規創造でも、オールOKじゃないのか?」




 ──と言った具合に、前回第77話において最後に述べた、『全能と言うことは、どんなことでも自分の思い通りになるということであるが、そこが現代日本そのままな『完全なる現実世界』であるならば、当然のごとく物理法則に支配されているからして、たとえ神様であろうと、基本的に物理的な改変は一切できない』に対して、上記のように思われた方も多いでしょうが、残念ながら、世界の内側にいる限りは、そうは問屋が卸さないの。




 それと言うのも、本作を始め作者のその他の著作を含めて、何度も何度も述べてきたけど、世界というものはあらゆるタイプのものが、未来永劫変わらず存在し続けるから、『改変後』の世界も、誰かがこれから『新しく創り出そうとしている』世界も、ので、改変することも新規創造することも必要とはされず、世界を物理的に改変することなんて、けしてなし得ないの。




※もっと詳しく言えば、実は世界と言うものは、無数の『一瞬のみの静止状態の時点』でしか無く、あなたたち人間が普通に世界だと思っている、『あたかもフィルやセル画の連続からなる映画やアニメ同様に、時間の流れが存在する世界』は、真の世界である『一瞬だけの静止時点』を、それこそフィルやセル画のように複数繋ぎ合わせているだけなのであって、デフォルトの歴史の流れはもちろん、改変したり新規創造したりするのも、単に各時点の『繋ぎ方』のヴァリエーションでしかなく、当然のことながら、一瞬だけの世界自体を改変するものではないの。




 ──しかしこれは、神様が『世界の外側にいる』場合には、話がまったく変わってくるの。


 例えば、それが『作者』である場合、世界は自分自身の作品に過ぎなくなるから、『これからのストーリー展開』である未来のことを、すべて知っているのも当然なことに過ぎないし、もちろん世界の改変だろうが新規創造だろうが何でもござれオールOKであるわけだし、まさしく『全知全能』の神様そのものと申せましょう♡




※ただし、彼自身はあくまでも小説を作成しているだけで、本当に世界を生み出したり改変しているわけでは無く、先ほどの『世界停止論』に基づけば、小説の創作活動は、最初から存在している無数の『時点としての世界』を繋ぎ合わせているようなものに過ぎず、『改稿』という名の世界改変についても、ある時点を別の時点に繋ぎ替えているのみで、本物の世界を物理的に改変しているわけでは無いの。


 それに対して、あらゆる世界を夢見ながら眠り続けている神様のほうは、まさに『真の神様』=『人々の信仰の中だけの存在』ならではに、実は『概念的存在』でしか無く、実体も個別の意思も有さずに、『世界停止論』で言うところの、『すべての世界=すべての時点』の集合体である、ありとあらゆる世界のありとあらゆる時代のありとあらゆる存在の『記憶と知識』が集まってくるとされている、いわゆる『集合的無意識』を具象化したものと言えるの。


 ──そして、集合的無意識とは言うなれば、未来の知識をも含むインターネットのようなものであり、当然のごとく『全知』をクリアできているし、真の意味での『全能』のほうも、あらゆる夢を見ていると言うことは、『作者』同様に、真の世界である『一瞬のみの時点』を、(睡眠中だから無意識とはいえ)すべてのパターンにわたって繋ぎ合わせることができるわけだから、しっかりとクリアを果たしているしで、れっきとした『全知全能の神様』だと言い得るでしょう。



○神様は、Web小説に登場させた途端、単なる『小説の登場人物ザコキャラ』になってしまう。


 上記のような世界の外側にいる『作者』や『夢の主体』に対して、世界の内側にいる神様のほうは、真の意味で神様で無いのは、もはや語るまでも無いでしょう。


 だって、『世界停止論』に則れば、たとえ神様であろうが、停止状態の一瞬のみの時点に過ぎない『真の世界』の中においては、まさしく『一枚のセルに描かれたアニメのキャラクター』そのままに、停止状態にあるわけで、全知も全能もへったくれも無く、自分の世界に対して、何の影響も及ぼすことができないわけ。




 ──そうなのよ、世界の内側に存在している神様なんて、アニメや小説の登場人物のようなものでしかなく、ただ与えられた役割をこなすだけという、同じ世界の中の人間や動物たちと何ら変わらず、『全知全能』の力なぞ持ち得ることの無い、単なる『ザコキャラ』に過ぎず、チート転生主人公の引き立て役として、例えば(『カク○ム』様初の某アニメ化作品のように)『サンドバッグ扱い』にしようが、別に問題は無いわけ。




 言ってみれば、『真の神様』である『作者』から、『神様というキャラクター』として作成されただけに過ぎず、いかにも『全知全能』のような力を振るえたところで、それはあくまでも『作者』がそのように描写しているからであって、『キャラクターとしての神様』自身にそんな力が備わっているわけでは無く、逆に『作者』が(ストーリーの展開上)必要とするのなら、引き立て役にしようがサンドバッグにしようが、何も問題なぞありはしないの。




 ──すなわち、すべての創作物に登場してくる神様は、真の意味においては神様とは言えず、単なるその創作物の『登場人物』に過ぎないわけなの。




 これは絵画や音楽等の伝統芸術においても同様で、真に人々の神様への信仰心を求めるのなら、宗教団体サイドとしては、神様を偶像化したり、宗教画を作成したりしては、絶対に駄目なの!


 何らかの『形』を与えられた途端、神様は人間や下手したら動物同然の、物理的存在へと堕してしまい、あたかも天の国から地上の煉獄へと堕天するかのように、神ならではの威光も尊厳も、すべて失ってしまいかねないの。


 それはまさしく、昨今のWeb作品内の、軽薄な神様キャラを例に挙げるまでもなく、日本に比べれば格段に信仰心が篤いはずの欧米諸国ですらも、創作物の中においては神様を軽薄極まりなく描写していることが、いい証拠なの。


 よって実は、宗教の形としては、いかにも秘密主義的で厳格そうな、『偶像崇拝を絶対的に禁止している』宗派こそが、神の威光を守るためには、最も正しかったりするの。




 これはもちろん、Web小説等の、『創作物の神様』においても、御同様よ。




 普通の現実世界で生きている人々が、世界の外側に存在する『本物の神様』である、『作者』や『夢の主体』の存在に、気づくわけがあるものですか。


 何せ、よほどの妄想癖で無い限りは、実は現在自分が暮らしている世界が、小説や夢に過ぎないのではないかなどと、本気で信じ込んだりはしないでしょうしね。


 神様なんてものは、世界の外側で人知れず存在していれば良く、人はただ己の信仰心の中においてのみ、神様の存在を感じるべきなの。



 まあ、そういうわけで、Web小説等において、真の意味で神様を描きたいのであれば、けして肉体を持ったキャラクターとして描写するのでは無く、まったく姿を現させずに、その存在を匂わす程度にしておくことを、お勧めするわ。



 ──それでこそ、神様としての尊厳と威光を、本当に守ることができるのだからね♡

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