5-2-10 Operation Enduring Freedom : 不朽の自由作戦 その4



「これが俺の答えだ。絶対不変の『正義』なんてものは存在し得ない。だから、俺を衝き動かすものも『正義』なんて曖昧なものではなく、ただ偏にという『我儘エゴ』なんだ。俺が『正義』を求めたいから求めている。そこに、利他的な感情は一切ない」


 話し終えた時、アセンション島はシンと静まり返っていた。

 観客たちは、ほぼ出揃ったようだ。

 近衛の纏骸者に蕃神の信者、現代魔術聯盟の魔術師と少数だが忌術師、そしてMCG機関の変異者ジェネレイター……十万を越える人々が俺と天海を取り囲み、事の行く末を見守ってくれている。[首輪]の効果もあって、誰にも邪魔をするつもりはなさそうだ。

 そんな観客の中には、神辺さんをはじめとする東京支部/交渉部レッドチームの面々も見えた。彼等にも随分と迷惑をかけてしまった。何人かには心配も。

 だが、それも今日で終わる。

 俺は天海の方へと向き直った。さっき、俺は「絶対不変の『正義』なんてものは存在し得ない」と言った。


「だが、お前になら……Ωの如き力を持つお前になら……」


 そう……天海祈になら、どうだ。

 Εエイフゥースの軛を逃れ、もはやΩオーサルの域にまで達している、神の如きお前なら……絶対不変の『正義』を、幾度となく思い描いたこの夢物語を、現実のものとできるんじゃないのか?

 そんな、どうしようもないぐらいに押し付けがましい他力本願の理想論を、天海はゆっくりと首を横にふることで否定した。


「いや……そんなことは不可能だ。私も、人間である以上は寿命という終わりからは逃れなれない。[時間]を戻すと共に肉體時間も巻き戻る。それで見かけ上、騙し騙し延命しているだけのこと。既にこの肉體も五千年の時を生きた。もはや、私の命はそう長くない」

「やはり……そうなのか」

「私はΩではない。上位者でもない。他人より出来ることが多いだけの……ただの人間だ」


 半ば予想していた返答に、予想以上に打ちのめされる。どこかで、最後の希望が砕け散る音がした。

 俺は今にも崩れ落ちそうな身体を、グッと肘掛けを押し返すことで堪えた。


「なら、天海……最後に聞こう。お前の信じる『正義』とはなんだ」


 これまで、天海はとんでもなく暗躍していたことになる。地球も、別地球αも、別地球βも、全てが天海の手のひらの上に過ぎなかった。どうしてだ、どうして、お前はそんなことをする? お前ほどの奴が、まさか『正義』を解さぬ訳ではあるまい。

 お前の気苦労は、いつも俺が見ていた。その動機モチベーションは、紛れもなく『正義』に類するものだった。

 その上で、お前にすら実現できない『正義』とは何だ?

 堂々と君臨することなく、力を以て『正義』を恣行することなく、お前はその行為の先に何を見ている? 

 かなり長くの間を持ち、天海は苦渋の色を浮かべてポツリと答えた。


「……言えん」

「ここまで来てか?」

「聞いて、どうする」

「知れたこと! それが唾棄すべきものならば、このまま第三次元宇宙をの支配下から解放し自由な思索の未来へと望みを託す。逆に有用ならば己のとする。それが俺の掲げる『四番目の解』――次元上昇アセンションという言葉に込めた真の意味だッ!」


 正面の天海をじっと見据える。

 言え、言ってくれ。

 懇願するように俺は天海を見つめ、話してくれるのを待った。しかし、待てども待てども、一向に天海は固く結んだ口唇を開こうとしない。やがて、先に折れたのは俺だった。


「そうか……ここまで言っても答えてもらないか。とはいえ、諦めるわけにもいかない。もはや、引き下がれないところまで来ている。それは分かっているよな? 天海。だから、非常に心苦しいが――話さざるを得ないようにするしかないな!」


 そう言って、俺は大仰に上空を指差す。それにつられて、場の全ての視線が上向いた。

 さあ、クライマックスだ。

 モナド嚮導みちびきが、運命が、俺を押し上げる。


「――見えるか?」


 大きいから、否が応でも見える筈だ。

 それとも、却って大きすぎるせいで、見えないか?

 天を覆う別地球を突き破り、代わりに姿を現した巨大な岩くれが地上に暗い影を落とす。比喩じゃなく、俺たちの身体を含む地上の全てが頭上に吸い寄せられた。観客たちが一様に顔を青くするのが分かる。だが、[首輪]を付けられている彼等は逃げることも騒ぎ立てることもできず、ただ観客席から見上げることしかできない。

 観客の身では、舞台に干渉することはできない。

 これに干渉できる存在は――今、舞台に立っているものだけだ。


「地球とほぼ同サイズ――超巨大隕石だ」


 さあ、どうする? 天海。

 いくら[時間]をいじれようとも、衝突の未来は変えられないぞ。これはモナド嚮導みちびき――決まりきった結末なのだから。

 時を止め、気の遠くなるような労力をかけて破壊するか?

 尻尾を巻いて一人、別世界線へ逃げこむのか?

 時を巻き戻して全てをなかったことにするか?

 もちろん、お前にそんなことはできない。気付いているだろう? 既に《靈瑞みず》の大半は秘密裏に観客を動かすことで抑えているし、その肉體は限界寿命が近く、この地球上の人々すべてを見捨てて逃げるには『正義感』が強すぎる。そして――まだ俺というの可能性を見限れていない。

 だから、お前はもう、喋るしかないんだよ。

 ――だが、このような惑星の終わりを目前にしても、天海はさして堪えた様子もなく、見上げていた顔を緩慢に俺へと戻した。


「こんなことをしても意味はない。お前は私の抵抗を防ぐ手段をいくつか考えてきている事と思うが……恐らく、私の力はその全てを凌駕する」

「言ってろ――!」


 答え以外には聞く耳を持ってやらない。俺は素早く懐に隠し持っていた魔術具インタープリターを握りしめた。


「[Atraアトラ-Hasisハシース][止ま――あ、ぐっあ゙あ゙っ!」


 天海の[體名いみな]を握り、彼女の行動を阻害しようとした。が、命令を告げる寸前、俺の喉が何かに締め付けられ未然に終わってしまう。喉を締め付ける何かを取り除こうと引っ掻いてみて、その正体が《靈瑞みず》であることに気がついた。

 僅かに残された《靈瑞みず》の一部を、既に俺の身体にまで到達させていたか……だが、別に構わないさ。俺の目的は、気付かれないよう自然に注目を惹くこと……さも俺が[魔術]によって行動を阻害しようとしている、という風に見せかけることなのだから。


「[CwiduCode A][Scoh発動


 天海がそう呟くと、その場にいる観客の動きがピタリと停止した。これは、あらかじめ『首輪』に埋め込まれていた暗示の一つなのだろう。【短剣】の神秘的な効能によって、一度は『首輪』を解いたクローンや一部の近衛、そして俺もまた動けている。

 ということは、だ。


「詰まるところ――俺の勝ちだなッ!」

「[Atra-Hasis][あらゆる行動を禁ず]」


 どこからともなく聞こえた可憐な声によって、天海の行動は即座に[禁じ]られ、その表情筋は驚愕の形を取ることすらない。直後、天海の背後に《透明化》を解いて現れた濡れそぼつ彼女を見て、思わず口元が緩んでしまう。

 実に格好いい登場じゃないか……六道鴉むっちゃん! [ゲート]の横に付記しておいたメッセージは読んでくれたみたいだな。泳いできたのか? ともかく――ベストタイミングだッ!

 非常に嬉しく思うが、そろそろ本格的に死の気配を間近に感じ始めたので、礼を言う前に俺は喉元を指差して解放してくれと頼む。


「[Atra-Hasis][四藏匡人を解放せよ][観客を解放せよ][生命維持を許可する][対話を許可する][右記四つの命令以外の行動を再び禁ず]」


 六道鴉は抑揚の少ない声で立て続けに命令を捲し立てた。その最中に生命活動を許可されたことで、天海は「ふう」と息を吐く。恐らく、呼吸も心臓の鼓動も止まっていたのだろう。

 俺もまた喉を解放され、美味い空気を肺一杯に吸い込み自由になった呼吸を堪能する。だいぶ落ち着いた所で、笑みを浮かべた六道鴉と目があった。良い表情カオをするようになったな。


「よっちゃん、見にきたよ」

「……確証はなくとも信じていたよ。ありがとう、よく来てくれた。むっちゃん」


 潔く退場し観客席に座った六道鴉に対して軽く礼を述べ、俺は飛び跳ねそうな胸を抑えつつ天海に向き直った。


「さあ、これで抵抗は封じた。拘束を続ける為の魔力素マナ結晶は大量に用意してある。お前の《靈瑞みず》は大部分抑えた。――落下まで残り三十秒。死ぬ前に言い残しておかなくていいのか? お前の『正義』とは、こんなところで無為に潰えてしまうようなものなのか?」


 事ここに至ってさえ、天海は口を開かない。俺の問いに答えない。


「――頼む、言ってくれ」


 頼む、頼むから。

 余計な犠牲を出したくないのは俺も同じだ。お前が話してくれさえすれば、隕石は直ちに外宇宙へ転移させるし、隕石の出現により地球やその他の惑星に生じた影響も正す。

 だから……判断を違えないでくれ。

 俺は[命じる]ことで吐かすなんて結末は望んでいない。せめて、お前の自由意志で……。


「……四藏匡人、お前は私の期待によく応えてくれた。私の理想とも言うべきところまで、あと一歩……あと一歩の域にまで到達している」

「なら――!」

「――だからこそ、言えんのだ!」


 尋常じゃない剣幕に気圧され、思わず口を噤んでしまう。天海が適当な言い逃れをしている訳ではない事が分かったからだ。五千年もの間、歴史と共に積み重ねてきた思索の重さが、俺の口を閉ざしていた。

 その間にも、超巨大隕石は落下――いや、地球と互いに引き寄せあって彼我の距離を縮めている。遠近感が狂っている所為で衝突までの正確な時間はもう分からないが、身体を包む浮遊感は加速度的に増している。

 このままじゃ全員死ぬんだぞ、観客も、無辜の民も、お前の『正義』も……!

 お前だって、そんなことを望んでは――!




 ……あっ……




「そうか……言えないのか」


 ずっと、ずっと……必死の懇願もどこ吹く風、天海は常に俺だけを見ていた。そう、まるで何かをしているかのように。

 隕石が落ちてしまう前に気づけてよかった。

 返事を待たれていたのは……俺の方、だったのか。


「言えば『正義』なのだな」


 そう呟けば、仏頂面だった天海の顔に満面の笑みが咲く。たったそれだけで、言葉にして「そうだ」と言われるよりも強烈に肯定の念が伝わってきた。

 待ってましたとばかりに天海は意気揚々と右手を掲げ、合わせた指先を弾いた。




「あっ」



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