5-2-5 Operation Caged Bird : 籠の鳥作戦 その4



 नकुशाナクシャ रुद्रルドラ शास्त्रीシャーストリを中心として、世界は極彩色に塗り替えられた。第一班・防衛隊だけでなく、他二班の[杭]と防衛隊をもその極彩色の世界のうちに取り込んだかと思うと、更に際限なく目も眩む《世界》を拡張させてゆく。


「――ハッタリだ!」


 その『嘘』を、守城錦楓もりしろ きんぷうは難なく看破する。


「世界は――空間は干渉されていない。干渉されているのは……オレたちだ!」


 守城錦楓の推察を裏付けるように半径2mの《防御》は全く揺らいでおらず、七色に輝く世界の裏側で未だ健在を誇っている。その事実を守城錦楓、香椎康の二人が認識したところで、नकुशाナクシャが勢いよく地を蹴り飛ばして接近してくる。

 果たして、あれは現実か? 幻覚か?

 ――関係ないね!

 香椎康は躊躇わず引き金を引いた。20式5.56mm小銃ライフルの弾が半径2mの《防御》に次々と突っ込み、見えない《停滞》の鎖に絡み取られて宙に留まる。


「しゃがめ、守城!」


 そして、注意喚起をしながら、今度は周囲360度をグルリと掃射した。これにより、極彩色の裏にある半径2mの《防御》には、全方位に向かう銃弾が浮かんでいる筈である。

 最初の発砲の時点で、干渉力の増減にその行方を知っていた守城錦楓は、香椎康に呼びかけられる前からその意図を察してその場にしゃがみ込んでいた。そして、掃射の終わり際を見越して食い気味に叫ぶ。


「――解除!」


 短い宣言と同時、半径2mに展開されていた《停滞》が解除され、宙に留まっていた銃弾たちが一斉に飛び立った。

 直後、響き渡る[防御]の反射音は――背後!

 つまり、目の前のनकुशाナクシャは《幻覚》! 敢えて、極彩色の世界の中に不変の自分を残すことで際立たせ、本物と誤認させる……そういう手口!

 手早くリロードを済ませ、振り向きざまに引き金を引き絞る香椎康。[防御]がある以上、これは当然の事として直接的な殺傷を目的としたものではない。それを示唆するかのように、放たれた銃弾はनकुशाナクシャの肉を貫くことも、また弾かれることもなく、間に点々と設置された《停滞》の空間に留まる。

 ――これは道。

 竣工しゅんこうの時を見計らい、すかさず守城錦楓が合図を叫んだ。


「放て!」


 銃口を伝い迸る《電撃》が、瞬く間に舗装された空中の道を駆ける。それを、守城錦楓は連鎖的に《停滞》を解除することで補助する。

 だが――ここまでやっても届かない。


『残念。逆の逆……だったわね』


 नकुशाナクシャの声は、二人のから響いた。直後、守城錦楓の視界から極彩色の《幻覚》が消えてゆく――いや、消えているのは知覚そのもの。その冷たさを堪能する間もなく、束ねられた【刀身】は守城錦楓の左肩口から右脇腹にかけて斜めに通過していった。

 ズリ、ズリ、と右下へズレ落ちてゆく上半身の感覚によって、守城錦楓は振り向くことなく事の真実を悟った。

 はずっと見えていた。

 極彩色に取り残された姿は《幻覚》ではなく……本物……ならば、あの時に聞いたは……? その答えとして、剥がれ落ちてゆく極彩色の下より現れたるは《電撃》を食らい破損した魔術具インタープリター。音はこっちか……!


「捨て、たのか。[防御]を……わざわざ……」

『ああ……おかげで、さして手こずることなく《防御》の向こうへ辿り着くことができた。妨害は間に合った』


 返す刀が、足元の[杭]を斬り飛ばした。

 नकुशाナクシャは、香椎康が索敵の為に放った弾をそのはらわたで受け止め、正面から突っ込んだのである。グフぅと血を吐きながらも、その表情は満足げなものであった。

 守城錦楓、絶命。

 これを見て香椎康は脱兎の如く逃げに転じた。彼の武器は双方ともに弾切れである。


「第一班・防衛隊、[杭]の防衛に失敗した」

「――OKデス。全部、見えてマス」


 ヘッドセットに戦況を流すと、打てば響くように仲間の力強い声が返ってきた。



    *



 第一班の[杭]が破壊される少し前。

 人影の通過後に吹き荒れた衝撃波ショックウェーブに打ちのめされ、望月要人はふらふらと空中遊泳に興じていた。そしてふとした瞬間、《引力》の操作コントロールを失い落下を開始する。

 と、その感覚により生存本能が刺激され、倦んでいた望月要人の意識が一気に覚醒した。

 此処は? 敵はどうなった……?

 勢い余ってか、人影は随分と遠くにいた。それを見て、望月要人は素早く現状把握に努める。頭に装着していたヘッドセットはなく、手に持っていた対物ライフル『TAC-50』も何処かへ吹き飛ばされていた。


「や、やば……すれ違っただけで、意識もってかれる所だった……!」


 望月要人は、すれ違う瞬間に自分と相手を互いに『磁石S極』と定義していた。しかし、その程度の応急処置ではあの超スピードを退けるには足らず、ギリギリで直接的な接触は避けられただけだった。

 人影は、その超スピードを維持しつつ大きく旋回している。

 次に来られたら死ぬという予感だけがあった。


「なにか、防ぐ手立てを考えないと……!」


 まずは、能力の正体を見破らねばならない。

 超スピード自体は、恐らく《異能》ではないと思われる。Εエイフゥースだとしても、Δダグスの干渉力をぶつけられたら多少は減衰する筈。また、[魔術]や[恩寵]に高速移動をするものはなかった筈だから、つまりは【武装励起】によるもの……物理的手段では止められないかもしれない。

 いや、しかし、待て。

 その時、望月要人の脳裏に何かが閃いた。

 これまで、超スピードの余波、副次的効果として衝撃波ショックウェーブが生じているという見方をしてきたが、どう贔屓目に見ても人影は音速の壁――約340m/s――を越えているようには見えない。それよりも少し……いや、かなり遅い。

 ということは、衝撃波ショックウェーブは《異能》か[魔術]によって引き起こされているものなのか?

 そうまで考えて、はたと気付いた。これが、先程の交錯で生き残れた理由かもしれない。望月要人の《引力操作》は、対象體だけでなく周囲へも常に干渉し続ける性質。それにより、吹き荒れる衝撃波ショックウェーブが減衰したからこそ、こうして生き残った……つまり、衝撃波ショックウェーブは《異能》だ!

 こう考えると、狙撃が外れた理由にも説明がつく。無秩序に撒き散らされていた衝撃波ショックウェーブにより、弾丸に込めた干渉力が削がれたのだ。


「――なら、私が干渉すべきはアイツじゃない」


 懐から取り出した『外宇宙アウター・スペースの呼び声』の濃縮舌下錠サブリンガルを三粒噛み砕くと、蒸発した薬効成分が口腔と鼻腔の粘膜を冒し、脳内物質の煥発させ思考と宇宙の同調シンクロを誘起した。神秘的合一ウニオ・ミスティカの弊害により、望月要人の干渉力は一時的にΕエイフゥースの領域にまで迫る。

 見える……!

 人影が旋回を終えて再び向かってくるのが、その動きは先程より遥かに緩慢だった。もともと、落ち着いて見れば、なんてことはない速さだ。精々が新幹線の最高速程度。

 相手の力量を完全に見切った望月要人は、自らを『ブラックホール』と定義し、敢えて人影の接近を助ける。

 すると、途端に人影の速度がグッと増す。向こうも引き寄せられている事に気付いたか、人影の動きにブレが生じた。しかし、もう遅い。望月要人自身も前方へ向かい、また人影を強く引き寄せる。

 ――そろそろ、衝撃波ショックウェーブの調子が出ない事にも気付いたか? だが、既に袖を惹かれたお前は、どれだけ藻掻き苦しもうとも、私の引力圏から逃れることは叶わない……!


「ブラックホールからは光すらも逃れられない……!」


 本当に……よく、見える。

 気色ばんだ唇、上気した頬、歪んだ眼、ひくついた鼻――交錯の瞬間、望月要人が突き出した右膝は、亜音速102.9km/sの相対速度で人影の顔面に深々と突き刺さった。

 その右膝の骨が粉々に砕ける感触と、やっと視認できたばかりの顔面が後頭部近くまで深々と陥没する手応えによって、人影――Amaruアマル Qhapaqカパックの絶命を知った望月要人は、無重力の空中で回転しながら「ふう」と長い息を吐いた。


「銃も、ヘッドセットも、[杭]も、物資も……全部、どこかへいっちゃった……クスリで全開になった所為で頭がクラクラするし……ごめん、梵天王ブラフマーさん……私はもう、助けになれなさそう……」


 眩む視界で、望月要人は地上の戦況をぼうっと眺めた。視界が霞んでよく見えなかったが、その間にを見つけて目を見開いた。


「――できることは、まだあったみたい。今の私は、『ブラックホール』だから……なんでも、引き寄せちゃうのね」


 失った装備の大半が徐々に望月要人のもとへと集まりつつあった。銃にヘッドセット、[杭]も見える。

 まだ、やれることはある。

 望月要人は、暗黒に沈みかけていた意識に気合で活を入れた。



    *



「何だ、アイツは……」


 岸刃蔵の理解の範疇を越える振る舞いであった。

 命が惜しくないのか。

 その視線の先には、遮蔽物も何もない戦場のド真ん中で、舞台俳優のように大仰な身振り手振りで喚き散らすジェリコ・ラジュナトヴィッチがいた。

 しかし、すぐにそれが自信に裏打ちされたものだと知る。

 ジェリコのもとへ戸惑いがちに向かう攻撃は、いずれもジェリコの生命を寸断するに至らず、彼の周囲に積み重なるばかりだった。すると、お返しとばかりにジェリコは地面を削り、作り出した毒蛇を群れを遮蔽物の向こうへと徒に放り投げる。


狂客きょうかくやから……傍観者の生き残りか?」


 およそ、思想というものを露も感じさせぬ所作から、岸刃蔵はその素性を看破した。成程、確かにあの絶対の【防御】があれば、立居振舞に拘らずとも局面を問わず生存できよう。しかし、敵の感性がどうあれ、【防御】の突破口が見出ださずには倒せまい。


「何か妙案はありませんか、神辺梵天王かんなべ ブラフマー。このままではアイツの思うままに蹂躙を許してしまいます。折角、好転しかけた戦況が再び台無しに……!」

「ふぅむ、無いことは無いですよ」


 神辺梵天王は、未だ50m以内に入り込めずにいる第四班の面々を指し示した。事ここにいたっても、敵は第四班だけは何が何でも押し込めるつもりのようで、一向に進めない。流石は選りすぐりの狂信者というべきだろう。


「発想を転換するのです。我々は彼を倒さずとも良い。生き残らせたままで良い。ただ、[杭]を四方へ設置し帰還すれば良いのです」

「お説ごもっとも。で、具体的には?」

「――捕縛しますッ!」


 神辺梵天王は叩くようにヘッドセットを起動させ、第四班の面々へ呼びかける。


「敵の気勢を削ぎますので、それに合わせて第四班は前進して下さい。支援隊はその援護を。あと、ほんの十数m進めば範囲内です」

「何か、策はあんのかい?」


 間髪入れず風来坊が聞く。彼女は、第四班を守るだけでなく、戦場全体へも気を配り【植物】を張り巡らせていた。その集中力も既に限界が近い。それを気遣い、神辺梵天王もまた即答する。


「戦場に現れた新星――あの酔狂な馬鹿者を使います。変化を齎すには相応しいカンフル剤でしょう」


 もちろん、新星とはジェリコのことをさしている。

 第四班、そして第三班・支援隊からも承諾を得て、神辺梵天王が動く。二挺にちょう手斧フランキスカを左右に構え、體化光子を刃に纏わせる。しかし、薄く鋭く殺傷力を意図した形状ではなく、警察や軍隊の持つライオットシールドのように薄くはあれども広く平面的なそれは、手斧自体を柄として捉えた《盾》であった。それにより自らの身体をカバーしきると、神辺梵天王は大胆にその身を晒す。


「MCG機関 東京支部/交渉部所属、神辺梵天王かんなべ ブラフマー! 光の導きに従い此処に見参!」


 堂々と名乗りを上げてジェリコへまっすぐに突っ込む。盾は左右へ構える。正面はジェリコの身体で防ぎ、後方は岸刃蔵に任せるつもりだった。

 尋常の域を外れた狂気の所業に敵味方の双方が面食らう。一拍の間をおいて、神辺梵天王に銃弾が殺到するが、能力者ジェネレイター近くに保持された體化光子の《盾》は堅く、なかなか破れない。

 これでいくらか注目はひけたが、第四班が進むにはまだ足りていない。

 ジェリコへ接近しながら、神辺梵天王は足元の瓦礫を蹴っ飛ばした。小さな瓦礫、それ自体はさしたる殺傷力を持たないが、角を體化光子でコーティングしてやれば話は別、肌を貫き肉を焼く致死性の熱球へと早変わりする。

 だがそれも、ジェリコにとっては羽根の先でくすぐられるほどのことでもない。戯れに【Сабљаサーベル】で叩き、無数の蠍へと変じさせてみせた。

 ――これだ! これを、もっと!

 神辺梵天王は高めた干渉力を前方へ濃縮、太陽の如き眩い輝きを放つ小さな球体ボールを作り上げ、これを思い切り蹴り飛ばした。すると、注文通りに再びジェリコが叩きに来る。


「――今!」


 干渉力を注いで無理矢理に濃縮した體化光子だ。使い手たる神辺梵天王から離れ干渉力の供給を断てば、自然、その身に余る小ささに耐えかね――膨張する。

 ジェリコが體化光子の球体ボールに【Сабљаサーベル】の刃を触れさせた、その瞬間だった。

 僅かに切れ込みが入ると同時、中に収まっていた體化光子が溢れ出し、大量の蠍が周囲へ撒き散らされた。言わずもがな、蠍は毒虫である。それが敵味方の陣中にまで飛び来たり、誰もがそちらへ目を向けねばならなかった。

 混乱――絶好のチャンス到来である。

 すぐさま準備していた第三班・支援隊が攻勢をしかけ、敵の混乱を助長させると共に第四班が久方ぶりの前進を敢行する。金營蕗かなえ ふきと山川が陣内から飛び出して遊撃し、茱萸グミ須藤史香すどう ふみかがそれを援護、風来坊と平子子平たいらこ しへいが防御と陣地構築を行う。それら全てが淀みなく連携され、遂に第四班は50m以内へ到達した。


「第四班、[杭]の設置完了――!」


 神辺梵天王は企図の成功を悟り、その場から離脱する。最後っ屁として、ジェリコの前に障害物となる《壁》を置きながら。


『……おっと、これは……してやられた、ということかな? まさか、この俺がまんまと利用されちまうとは。報酬は減額だな。……ま、この後も蕃神信仰やら現代魔術聯盟やらが残ってるか、誰にも分かりゃしねえんだけどよ』


 微塵も後悔というものを感じさせぬ声音で、ジェリコは撤退してゆく敵の神辺梵天王を称えた。


『さて、情報によると[杭]が四本突き立てられりゃ終いっつー話だったが……』


 一人、アンタナナリボ支部ビルの向こうへ出向したनकुशाナクシャを思い浮かべるジェリコ。あちらに突き立てられた[杭]三つの妨害を一手に引き受けた彼女の成否やいかに。

 さながら、その疑問に応えるかのように、アンタナナリボ支部ビルに異変が起こった。

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