3-3-4 ファーストコンタクト その1



 遂に聞こえ始めた爆発音と警報、間もなく作戦開始となるだろう。それを悟った[しらかげ・wilde]の手中で、魔力素マナ結晶を動力源とする自動小銃が音もなく震え出す。彼の今日の装いは、儀礼用のローブではなく、ケープの付いた動きやすい軍事行動用の現代魔術聯盟制式服である。


「はぁ……はぁ……」

『どうした、お前。臆したか?』


 隣に整列する、同じく一兵卒としてこの人工島に派遣されてきた、朝鮮半島出身の[몽염夢魘・swefn]が共通語で声をかけた。しらかげは、彼女の方を一瞥したが、返事はしなかった。そうするだけの余裕がなかったからだ。

 これから、しらかげの属する部隊は、人工島の中心に建てられた会議場――つまり、纏骸者てんがいしゃやREDを含む異能者ジェネレイターがウジャウジャと犇めく中に突入しなければならない。奴らREDの異常性は、長い潜入任務の中で身にしみて分かっている。早い話が彼は怖気づいていた。

 そんなしらかげの様子を見て取り、몽염夢魘は肩を竦めてさっきから飲んでいた自分の竹筒を差し出した。


秬鬯きょちょうだ』


 秬鬯きょちょうとは、古くは黒黎クロキビと香草で作る酒の事を指すが、輓近ばんきんの別地球βの東アジア地域に於いては薬酒やくしゅの別名としても慣用される。

 今回、彼女が差し出したものには、芥子ケシの実の果汁と古柯コカの葉が使われている。

 しらかげは少し迷った後に、『感謝する』と言って竹筒を受け取り、中身を口に含んだ。


『お前は今作戦の要だ。命に替えても、仰せ付かった大任を果たせ』

『……ああ……勿論だ。必ず……必ず、遂行してみせる……』

『今作戦では、陣地構築用結晶の他にも中級魔力素マナ結晶が一人に一つずつ支給されている。極度に魔力素マナが薄いこの世界線であっても、余程の大技を連発しない限り戦闘中に燃料切れを起こす心配はないだろう』


 安心しろ、と몽염夢魘は言った。そんな無愛想な激励と共に、秬鬯きょちょうの緩やかな薬効が体内を巡り出すと、あれほどまで胸中にしみついていた恐怖心が俄に和らぎ始めた。

 ――行ける。俺はやれる、やれるぞ!

 余裕の内に湧き上がる活力が、失意に沈んでいた頭を冴えわたらせた。気合を入れ、目を大きく見開いたしらかげは、もう一度礼を言って竹筒を몽염夢魘に突き返した。

 この様子なら大丈夫であろうと몽염夢魘は姿勢を正した。

 とその時、アメリカ出身の部隊長――[Filthフィルス・wræcca]が大声で叫んだ。


『時間だ! 我々も行動を開始する!』



    *



「レヴィ少尉! 我々の間には、何か、重大な誤解があるように思われます!」

「問答無用!」


 後退って距離を取りつつ命乞いのような言葉を並べ立てるも、レヴィにそれを聞き入れる気は全くないようで、混乱する護衛二名に対して躊躇なく「撃て!」と攻撃指令を下した。

 もはや、戦闘は避けられないのか――!? 厨川半心軒くりやがわ はんしんけんは覚悟を決めかねていた。とそこへ、更なる混乱のタネがブチ蒔かれる。

 厨川の部下とレヴィの護衛、その両者の持つ探知機レーダーが同時に騒ぎ出したかと思うと、彼等の脚元に横合いから飛んできた何かが突き刺さり、――ドン! とコンクリートごと爆ぜた。


「ば、爆発――!」


 互いがその衝撃に押されるようにして飛び退った事により彼我の距離は少しばかり開き、二人の指揮官は探知機レーダーの反応を精査するだけの時間を得た。


「新手デスカ!?」

「反応は青――魔術師です! 数は二……いや、一つ!」


 護衛が読み上げると同時、ビル二階のベランダに立つ闖入者ちんにゅうしゃは、誰にも理解されないだろう事を重々承知の上、母語の『』で華々しく名乗りを上げた。


『アァァァァァァァイ! [祝融zhùróng・lieg]選手! 入ぅーーーー場ぉーーーー!』


 脇を抜ける潮風に黒いケープと孔雀青くじゃくあおの髪を靡かせる彼女は、手ぶらのまま――といっても、ケープの下には雑多な装備類がガチャガチャと揺れている――ベランダから飛び降りた。そして、戦意滾る好戦的な笑みを浮かべ、悠然と歩み寄る。


『怯えているのか? 子犬ちゃんめ! ホレ、腹ァ見せてみ!』

「また、妙なのが増えた……!」

「厨川大尉!」

「お、俺たちはどうすれば……!」


 混乱し、上官である厨川に指示を求める部下二名。しかし、彼等の命を背負う厨川もまた、この状況について行けていなかった。

 あの闖入者……一体、何者だ!? 青の反応……魔術師なのか? レヴィ少尉は臨戦態勢……闖入者の方もそうだ。つまり彼女とレヴィ少尉は敵対していると見て良いのか!? 敵の敵は味方か? 敵か? ……どっちだよ!?

 どうすればいい!?

 どっちにつけば……!?

 どっちから倒せば……!?


「大尉!」

「大尉!」


 切羽詰まった部下二名の声が、逡巡する厨川の背中を激しく叩く。普段から信を置く彼等の呼びかけが、今だけはどうにも鬱陶しく思えて仕方がなかった。

 鬱陶しくて、鬱陶しくて……脳内でグルグルと回り続ける答えの出ぬ問いと合わさり、遂に厨川は我慢の限界を迎えて爆発した。


「あ~もう、せからしか! こういう頭脳労働はおいの仕事じゃなか!」


 励起レーキ


 それは――錬成されしつらなる狂乱。

 憚様はばかりさま憚様はばかりさま治乱興亡ちらんこうぼうなが九国きゅうこくの、度し難き驕児きょうじとなうるに、大海撈針たいかいろうしん挟山超海きょうざんちょうかいいずれもなり、荒唐無稽こうとうむけいうそぶ挫折あきらめ牽強附会けんきょうふかい戯事ざれごと御座ござい。

 言易行難げんいこうなんりとて、驕児きょうじ想望そうぼうは無味乾燥の現実を前にしてもなおいささかも衰えず、つい連綿れんめんつながる礬土アルミナの鎖、參什參サンジュウサン尺、その両端を飾るオスミウムおもりとなりてここに結実す。


參句サンノク - 白妙しろたえの/呪縛じゅばくせし/逶蛇いだ - 三身之綱さんしんのあみ


 厨川の全身を覆っていた白光が収まると、そこには日光を浴びて白く輝く、両端に拳大のおもりが付いた長い【分銅鎖ぶんどうさ】が鎧のように巻き付いていた。

 ぶん、ぶん、と二つのおもりを回して加速させる。そうしていると、不思議な事に先程まで萎えていた戦意も加速してゆく様な錯覚が何処からか湧き上がってきた。その気分にあてられ、厨川はヤケクソ気味に叫んだ。


「全員、此処でぶっ潰しちゃる! レヴィ少尉だけは生け捕りじゃあ!」


 言ってしまうと気が楽になった。その単純明快な指示を受け、部下二名も心を決めて構える。レヴィの護衛二名と違って、彼等は武器を取り上げられている。が、それでもやれる事はある。


「良イデスカ! 臨機応変ニ両者ヲ叩キマス!』

『ばらばらに吹き飛ばして魚の餌にしてやる!』

「はぁぁぁぁぁぁっ! チェェェェェストォ!」


 その時、遠方で一際大きな爆発音が聞こえてきた。

 それが、この三つ巴の戦いの始まりを告げる銅鑼ドラの音となった。



    *



 俺と情報部のクローン二人は、食堂で昼食を食べ終えると会議場へ戻った。その時の時刻が確か十二時半。

 自席に座って資料を閲覧する俺と違い、クローン二人はあちこち歩き回って、環太平洋国の様々な要人たちと会話していた。なんでも、情報部としての仕事があるのだとか。外国人と会話は出来るのか? というと、艶島九蟠つやしま くばんの方はサッパリだが、十二林杣入じゅうにばやし そまりの方は日常会話レベルの英語はできるので問題ないらしい。

 それが一通り落ち着いて二人が俺のもとに戻ってきたのが、大体十三時十五分ごろ、会議開始時刻の四十五分前。


「灰崎さんは?」


 と、俺は資料を机に置いて尋ねた。食堂の混雑故に、別テーブルで食事した灰崎さんが中々戻ってこない事を少し疑問に思っていたからだ。すると、艶島が俺の肩にしなだれかかりながら答えた。


「灰崎……? あっ、彼なら昼食の後、法倉螺湾を連れて何処かへ行く姿を見かけたような気がします」

「……ふ~ん」


 いやいや言ってくれよ。しなだれかかってくる様な暇があるならさ。

 ……まあ、いいや。今は大目に見よう。信頼関係の構築を優先したいからな。

 しかし、その二人が揃ってという事は、俺が伝言を頼まれた例の事だろうか? と、耳にかかる吐息に著しく気分を害しながらも考える。なら、俺も後でこっそりその内容を教えて貰いたい所だ。まあ、REDの立場で大した調査が出来るとは思えないので、さして期待せずにいよう。

 そんな失礼な事を考えながら、なんとなく十二林の方を見遣ると、慌てふためいた様子で目を逸らされてしまった。まだ駄目か……う~む、望み薄か? 是非とも欲しい人材なのだが……いや、諦めるのは、再びこっちからアプローチをかけてからでも遅くない。

 この会議後に仕掛けようかと考えを纏めている時だった。突然、ズズンと地響きが椅子を通して臀部に伝わったかと思うと、けたたましい警報が痛いほどに鼓膜を叩いた。


「きゃああっ!」


 驚いた艶島が強くしがみついてくる。

 一体、何が起こったんだ? 俺は動きを阻害する艶島を押し退けながら状況を把握すべく辺りを見回すが、混乱する人々以外になんら情報を得られない。更にそこへ、畳み掛けるように追撃の銃声が鳴り響いた。反射的に艶島の頭を押さえつけながら共に机下に潜ると、頭上を何らかの飛来物が通り抜けていった。小刻みな銃声、破壊音、そして悲鳴。机上の物品が弾けて破片が降り注ぐ。

 正体不明だが――襲撃には違いない。

 しかし、その手段や目的はともかく、まさかこの人工島を襲うような命知らずが存在するとは……能力者ジェネレイターのみならず纏骸者てんがいしゃも居るのだぞ。襲撃者たちはそれを知っているのか?

 更に加えて言えば、能力者ジェネレイターは何れも護衛の任を割り振られる様な者たちだ。十人なみの凡庸な能力者ジェネレイターばかりじゃない。僅かだが、Εエイフゥースだって混じっている。

 再び地鳴りが始まるが、今度の発生源はこの会議場内だ。視界が陰り、頭上には常識外の量の土石流が忽然と現れていた。隣に避難してきていた十二林が呻く。


「アレはどっちの攻撃なんでしょうか……!」

「分からない。だが、どちらにせよ、俺たちを気遣っているようには……見えないな!」


 俺は、二人を抱えて、土石流に巻き込まれない位置を《掴んだ》。遍く世界が、宇宙が、俺とクローン二人を除いてほんの三メートルばかし動く。座標を使う転移は禁じられているが、使わない転移ならば今もこうして使う事が出来る。

 しかし――不味いな。机の影からも知れる激しい土石流は、会議場の入口の方へ向かって流れてゆくから、これは恐らく味方の攻撃なのだろうが、それはつまり敵は入口側に居るという事を示唆している。これは非常に不味い。なにせ、会議場の入口は片側にしか存在しない。そこを押さえられた今、俺たちは袋のネズミだ。


「匡人様、どうしますか!? 戦いますか!? 逃げますか!?」


 降りかかる土石流の飛沫を鬱陶しげに払いながら、艶島は俺に意見を聞いてきた。


「どちらも違う。俺たちは! いや、生き残らなければならない! その為に戦い! その為に逃げる! その為に――まずは居場所の分からない二人と合流する!」


 他の能力者ジェネレイター纏骸者てんがいしゃはどうか知らないが、俺は全員が揃っていないと転移できない。そういうロックがかけられてしまっている。灰崎さんと螺湾さんの居場所すら把握できていない現状では、まずこの混乱の渦中で捜索から始めないといけない。

 この場には、俺以外にも転移系の能力を持つものは居るだろうが、果たして俺たちを安全地帯まで連れて行ってくれるかどうかは分からない。彼等は、まず己の制約ロック解除を優先、その次は自分の命を優先するだろう。余り、アテには出来ないかもしれない。

 遠からぬ内にMCGからも近衛旅団からも増援が送られて来るだろうが、戦闘が収まる前に貴重な転移系の人材まで寄越してくれるかどうか……それに結局、それまでの間の自衛は必要だ。


「四藏様に現在かけられているロックについては知っています。ですので、合流を目指す方針には理解を示しますが、具体的にはどう致しましょう。奇しくも私共の席は入口から遠い位置ですので、暫くは対応を余儀なくされた入口側の者たちが応戦してくれるでしょうが……」


 と、そこで十二林は言い淀んだ。

 その間にも、入口側からは絶えず振動と衝撃が伝わってきており、机の向こうで行われている戦闘の激しさを物語っている。

 俺は、十二林の話を聞きながら手鏡を取り出してその戦闘の様子をうかがってみた。戦況はごちゃごちゃとし過ぎていて良くわからないが、敵はじりじりと戦線を上げてきている。これは……時間の問題かもしれないな。

 直後、狙ったのか、それとも流れ弾か、差し出していた手鏡に何かが命中して何処かへ吹き飛ばされてしまった。《掴む》のも間に合わないほど、一瞬のことだった。俺は遠慮なく舌打ちした。


「ちっ、くそっ……二人の位置特定は東京支部の事務に頼んでみる。灰崎さんも探知機レーダーか携帯のどちらかは持ってると思うから」


 カバンの中のタブレットを弄り、緊急回線を通じて手早く位置情報を請求する。……これで良し。人工島の異常は向こうにも伝わっているだろうから、万が一にも拒否される事はない筈だ。返事が来るまで生き残り、そしてタブレットも守りきればいい。


「よし、ひとまずは機を見てここから脱出する」

「脱出? ど、どのように致しましょう?」

「ああ、それなら――」


 ひとつ、アテがある。

 そう言おうとした時、突如として奥側の方の机が破られ、人ひとりが通れるぐらいの穴が出来た。間髪入れず、そこからヌッと顔をだしたのは、俺が思い描いていた通りの人物だった。


「マサト! 探したヨ、やっぱりここに居たカ!」

「――イサ、君を待っていたよ」


 イサの手に握られている、末広がりな台形の刃を持つ【片刃剣カンピラン】は、話に聞く彼の【骸】だろう。見ると、穴はぐずぐずに崩れるようにして空けられている。恐らくは彼の【ずい】の作用によるものだ。

 イサの背後には、彼の上官、リガヤ・ババイラン少尉の姿もあった。この状況下でも勝気な表情を崩さず、腕を組んで机にもたれかかるようにして座っている。余程の自信家なのか、アクビをかます余裕まであるらしい。


「リガヤ少尉も来てくれたのか」

「他の皆は死んじゃッタ! けど、Ligayaは生きてたから、一緒に連れて来たヨ! お願い! マサトの能力で一緒に避難させテ! 私達、MCGの転移系能力者ジェネレイターの手を借りて来たから自力では帰れないヨ!」


 思い返してみると、彼等フィリピン軍の姿は会議場になかった。つまり、彼等は外に居る時に襲われたのだ。あの戦闘の激しさを思えば、纏骸者でもなく武器も取り上げられた護衛たちに為す術もなかっただろう事は想像に難くない。

 その時、カバンの中のタブレットが振動した。画面を見ると人工島のMAPが開かれており、位置情報が二つマークされていた。

 この位置――ビルの裏口か!

 更には医務室の座標もついでとばかりに併記されていた。これは有り難い、道中で何があるか分からないからな。


「イサ、共に行こう。――だが、例によって面倒な制約ロックが掛かっているから、まずはこの条件を満たさなくてはならない。その為にこれから裏口を目指し、他二名と合流する。道を、切り開いてはくれないか?」

「元より、そのつもりだヨ!」


 俺が了承すると、イサは頼もしい返事しつつ床に【片刃剣カンピラン】を突き立てた。

 ここの建築材も、支部ビルと同じく相応の能力者ジェネレイターが手がけたものだろうが、千年万年先まで残るほどじゃあないのだろう。何事にも限度は存在する。イサによって【風化】させられた床がぐずぐずに崩れ、人が通れるほどの穴が空いた。

 下の一階でも戦闘が行われているだろうが、イサとリガヤは迷わず飛び込んでいった。遅れて良い事もない。すぐさま彼等に続こうと、俺も身を乗り出し、背後の二人へ呼びかけた。


「俺たちも行くぞ!」

「はい!」

「了解しました」


 二人の返事を聞くやh、俺もまた躊躇せず穴に飛び込んだ。



    *



 一方の会議場入口では、異能に武装励起、魔術、更には銃弾までもが無数に飛び交う、熾烈な混戦が繰り広げられていた。


『うおおおおおおおおおおおおお!』


 そんな中、戦闘前は怯えていたしらかげもすっかり戦場いくさばの空気に飲み込まれ、雄叫びを上げながらメクラに自動小銃をバラ撒いた。

 [牆壁しょうへき]の裏に隠れているとはいえ、些か前に出過ぎである。しらかげには戦闘の他に大任があるのだから。


『[しらかげ・wilde]! 一旦、下がれ! お前には他にもやる事があるだろう!』

『くっ……』


 隊長、Filthフィルスが大声で咎めると、しらかげは歯噛みして前線から退いた。彼とて理解している。己が危険を冒す必要は全く無い。だが、土石流から鉄製品に弓矢まで、ありとあらゆる攻撃が分別なく襲いかかってくるこの状況下に於いては、何もせずにじっとしている事が却って耐え難い苦痛だった。

 ――バン!

 その時、[牆壁しょうへき]の向こうに何者かが張り付いた。その男は、即座に自分へと集中する弾丸を避けようともせず、自らの身体から流れでる血に濡れながら、狂気的な笑みを浮かべていた。


『ナァ、ここを開けてくれよぉい。お前ら、魔術師だろ? 資料もらったぜ、講習もうけたぜ。フフン! 弱っちいのが必死になっちゃって、まあ……カワイイね。これ、[牆壁しょうへき]っていうんだっけ、壊れない訳じゃないんでしょ。俺、そういう壁とか障害とか破りたくなるんだよぉ……ああ、今、行くからね……』


 男がボソボソと耳元で囁くような小声で独りでに漏らした言葉は『共通語』ではなく『英語』だ。当然、それを聞き、また理解できた魔術師は少ないが……それでも、男から発せられる尋常ならざる気配だけは誰もが瞬間的に悟っていた。そして、その不死性、頭だけは何らかの能力で守っている様子……男がΕエイフゥースである事も。

 しらかげの背に怖気が走り抜けた。ヤバイ、Εエイフゥースはヤバイ! 能力も規模もヤバイが何より頭がイカれてる!

 くそっ、何処だ! 何処に居る!

 最後方で他の魔術師に守られながら占卜せんぼくに勤しむ몽염夢魘が言うには、四藏匡人は今も会議場内に居る筈なのだが、入口に足止めを食らい、何処かに隠れているらしいその姿はちらりとも見えない。

 そんなしらかげの焦燥を、ガンガンと音を立てて男を巻き込みながら[牆壁しょうへき]に殺到する土石流が更に煽り立てる。


『皆、落ち着くんだ!』


 しらかげのみならず隊内全体へ広まりつつある恐怖を察知し、Filthフィルスが腹から気を吐いた。


『そろそろ、別働隊が左右からやってくる! [牆壁しょうへき]の維持も幾段か楽になる筈だ! 気をヤラれるんじゃない!』


 その言葉に鼓舞された隊員は『了解!』と力強く返してある程度気を持ち直したが、戦いに参加できないしらかげだけはやはり浮足立ってしまう。

 再び痺れを切らしたしらかげが、今度は恩恵を使ってまで参戦しようとした所で、몽염夢魘が額に汗を滲ませつつ必死の金切り声を上げた。


『――っ! 動いた! 一階だ! 四藏匡人は一階へ向かったぞ!』


 その報告を受けて、Filthフィルスがすかさず新たな指示を飛ばす。


『[しらかげ・wilde]、[몽염夢魘・swefn]の二名は俺と共に一階へ向かう! 他の者は身命を賭してこの戦線を死守しろ! 以後は副隊長が指揮する!』


 立ち所にここかしこから湧き上がる一糸乱れぬ『了解』の声。それを聞いたFilthフィルスは戦線離脱の隙を作るべく大技を放った。


CountDownカウントダウン! 5、4、3、2、1……』


 第四階梯だいよんかいてい [廻翔SPRINGAN]――中級魔力素マナ結晶の三分の一を、[牆壁しょうへき]の向こうの会議場へ投げ込む。すると、結晶は瞬く間に結晶から滲み出たHNIWに覆われる。そして、コロコロと床に転がり、そこに散乱する瓦礫の中に埋もれた。

 魔術師ども、今度は何をするつもりだ。会議場中から警戒の視線が一時それ一点のみに集中した。


『――0! 走れ!』


 先程、名を挙げられたしらかげ몽염夢魘と共にFilthフィルス隊長が階段に向かって走り出すと、その背後、会議場内で瓦礫の爆発が起こった。HNIWとは、ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタンの事を指す。これは強力な軍用爆薬である。

 しかし、その爆発は、会議場内の誰もがしっかりと身構え、警戒していた為にそれ程の被害は齎さなかった。なにせ、想定以下の威力なのだ。たった、瓦礫を巻き上げる程度の爆発。それもその筈……この魔術、[廻翔かいしょう]の真骨頂はここからであるのだから。

 誰かが気付く。空中を落下してくる何かに。

 ――結晶だ。

 僅かばかり減っている様に見えるものの、当初のサイズは健在……すると、再び結晶の表面にまたHNIWが滲み出てきた。嫌でも理解する。アレはまた爆発する……と。

 そればかりか――これはまだ会議場内の誰も気付いていない事だが――HNIWの中に幾つか鉄片まで混じっている。Filthフィルスの[恩寵EST]――[金工]によるものだ。

 先程よりも遥かに殺傷力を増したそれは、今度は三秒で爆発した。

 そして、周囲に鉄片を撒き散らしながら、また結晶は爆発の衝撃でぶ。計らずも、奥に避難していた非戦闘員たちへ向かって……。


『キャアアアアアアア!』

『だ、誰かぁ! アレを何とかしろぉ!』


 これが[廻翔SPRINGAN]。閉鎖空間に於いては無類の威力を発揮する魔術。結晶を触媒にした独立動作スタンドアローンという性質上、計量する暇のない状況での咄嗟の恣行しこうだと効果時間の調整が難しいのが欠点だ。

 逃げ回る者達が阿鼻叫喚の地獄絵図を作り出す会議場。戦線の穴も、몽염夢魘を守護していた者たちが恙無く埋めている。Filthフィルスの「隙を作る」という目的は十全に達せられたといえよう。

 その間に戦線を離れた三人は、今しがた一階での戦闘を終えてきた別働隊とすれ違いながら階段を駆け降りた。

 何処だ! 何処に居る! ……!

 襲撃開始から、はや数分。

 一階に居た者たちは別の場所へ逃れたのか、殲滅されたのか、それとも何処ぞの部屋に閉じこもっているのか、さっきの別働隊が通り抜けたであろう一階の広々とした廊下には血液やら死体やらが散乱しているばかりで、全く人気というものを感じられなかった。


『居たぞ!』


 突如として、叫んだのは前をゆく몽염夢魘。前方10m、廊下の角へ消えてゆく白いMCG制服の背中を指差していた。


纏骸者てんがいしゃ――二! 能力者ジェネレイター――三!』


 走り出した몽염夢魘に続いてFilthフィルスも廊下を駆けながら、『纏骸者か……!』と己の不運を嘆いた。四藏匡人が会議場から脱出するパターンも勿論想定していたが、中でも同行者が増えるというのは最悪のケースだった。


『――しかし、方針は変わらない! 作戦通り奴らを分断する!』


 隊を離れ、先程より幾らか人数は減ったが、それでもなお力強い『了解』の返事が、戦場の混乱たちこめる廊下に響き渡った。

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