1-4-2 招集



 R-92地区――日本国のほぼ中央に位置するこの地区は、世にも珍しい三つの飛地からなる街だ。古くは、中山道なかせんどう美濃路みのじなどの要路が通る交通の要衝であり、文化、経済の交流点として栄え、現在も西濃圏域にしのうけんいきに於ける主要都市である。

 特筆すべき点として、此処彼処ここかしこから自噴する地下水は外せないだろう。濃尾平野のうびへいやに位置するR-92地区は、揖斐川いびがわ水系の大垣自噴帯おおがきじふんたいにあり、古くは「水の都」とも称された。

 他にも「おくのほそ道」の終点として有名である。水と緑の溢れる街で、松尾芭蕉は旅の終わりを想い「はまぐりの ふたみにわかれ 行く秋ぞ」と詠んだ。


「――この街は薬物に汚染されている」


 目的も、行先も告げぬまま、R-92地区の説明を終えた天海は、呟くように言った。

 だが、良く知りもしない街のことだ、「汚染されている」と言われてもどう返せばいいのやら。というか、R-地区は愛知支部の管轄じゃあないのか? それも、天海の言う『MCG機関の柔軟性』とやらなのだろうか。

 因みに、「今回は目立つとマズイ」との事で、俺は私服に着替えさせられているのだが、天海の分体はMCG制服のままである。

 現地に降り立ってからノンストップで歩き続けること十数分、遂に天海の足が止まった。眼前にそびえ立つは潔癖のタワーマンション。玄関前を横切る道路にまで掃除が行き届いていて、極めて清潔だ。きっと、こういう所に住んでるのはいけ好かない奴だろうな。

 警備は異様なほどに厳重で、外から見えるだけでも、カード、鍵、パスワードと三回に渡る解錠を要する。エレベーターに辿り着く前に、だ。カードロックなんて、普通のタワーマンションでもそう見かけない。恐らくだが、これに加えて部屋ごとの鍵もあるのだろう、締めて四重ロック。

 水も漏らさぬ現代の不落城に、天海の分体は右手を半分ほど水に戻しながら歩み寄ってゆく。

 最初の関門、壁に備え付けられたゴツいカードリーダーの隙間スリットに、透き通る水が纏わり付いた。

 ――ピピッ。


「嘘! 今ので開くの……?」

「能力のちょっとした応用だ。予め、水に情報を記憶させて置いた。貴様も、自らをく考察する事だ。そこには、必ず、思いもよらぬ使いみちがある」


 度々、天海は水が人格を有しているかの様な口振りをする。Εエイフゥース特有の奴なのだろう。

 それにしても、天海の能力は余りに万能すぎやしないか、これは最早神に近しいというΩオーサルの域なのでは……?

 立ち止まる俺を、扉を開いた天海が「良いからはやく入れ」と、急かし立てて来る。一旦、思考は取り置くとして、おとなしく従った。

 その後、物理鍵、パスワードを突破し、エレベーターに付いていたカードロックも初めと同様に解いた手を翳して突破した。五重ロック……。

 チーン、と品の良い鈴の音が鳴り響き、エレベーターは八階で停止した。そして扉が開いた時、俺はまた驚いた。なんと、そこには、錠前付きの鉄柵が設置されていたのである。一階の部屋は、エントランスの奥にあったから気づかなかったのだろう。兎に角、これで六つ目の施錠だ。


「……やけに厳重ですね」

「さっき言った筈だ。『この街は薬物に汚染されている』とな」


 柵に埋め込まれた鍵穴に解いた指を突っ込んで解錠しながら、乱雑に理由らしきものを述べると、天海は迷うことなく正面の突き当りに向けて歩を進めた。そして、『801』と書かれた一番端っこのドアノブを引っ掴み、に開け放った。

 瞬間、室内より這い出た何とも言えない甘く重厚なまでに蒸れた空気――果実の甘さでなく、もっと非日常の甘さ――が、俺の鼻先を包み込んだ。


「うっ……」


 身に降りかかる圧は強烈で、俺は思わず怯んでしまう。しかし、俺とは対照的に、天海の分体は何の反応もみせずに土足で上がり込んでゆく。嗅覚機能がないのだろうか。

 ややあって、中から会話が聞こえてきた。天海と、もうひとりによる会話。


「二十分ほど経ったが、その男から何か分かったか?」

「ぜ~んぜん、駄目」

「何も?」

「うん。んじゃってるもん、お宇宙そら


 奥の部屋に響いた返答は、軽々しく、若々しい女声だった。天海だけならともかく、他の誰かを待たせるのは忍びない。俺も覚悟を決めて部屋に飛び込んだ。

 長い廊下を通って、最奥の広い部屋に上がり込むと、天海を含めた三人が俺を出迎えてくれた。ひとりは、二十代前半ぐらいに見える女性で、仏蘭西フランス人形の如きガーリッシュな衣服を纏って、フローリングにペタンと座っている。会話の声は彼女だろう、もうひとりは……そんな事ができる容体には見えない。

 彼女は、初対面である俺に多少の興味を示しながらも、天海との会話を継続する。


「それと時間経過で薄れ始めてるのもある。けど……一番の原因は、研修でも習った深度優先則デプス・ルールだと思う」

「ふん、そうか」

「デ、デプス……?」


 聞き慣れぬ単語に思わず反応すると、らしくもなく、天海が懇切丁寧な説明をくれた。


「認識を全体的、或いは部分的に共有する有形無形の體Aに対して、二人以上の能力者が同時に干渉を始めた場合、位階フェーズのより深い者の能力が強く顕現する――という法則だ。両者が同位階であっても、厳密には微妙な差異が存在するため、先程と同じく深い者、或いは體Aへの物理的距離が近い者の能力がより濃く発現する。完全な拮抗状態は稀だな」


 天海は話を続けながら、壁に隣接して設置されていたソファの側に歩み寄り、その大半を専有して横たわる、白目をむいた成人男性の頬を優しく撫でた。


「つまり、『この男は別の能力者による干渉を現在進行系で受けている』と、言ったのだ、ソイツは」

「そう! この人から情報を得られなかったのは、で頭がぶっ壊れてるだけじゃなくて、能力の妨害もあるってコト! 私はΒベルカンだから。遊んでたわけじゃないよ!」


 言い訳がましく、ヒラヒラの衣服を振り回しながら、彼女は天海の足元へ縋り付いた。

 手持ち無沙汰に男を見ると、その枕元にあるプスチックのラックには、薄いビニール袋が散乱していた。中身は、しなびたキノコ、粉、謎の砕かれた葉っぱ、種々様々な錠剤、注射器……これら全てが麻薬なのだろう、欲張りセットだな。

 これは偏見というか、勝手に抱いていた先入観イメージでしかないが、ヤク中が使う薬は一種類か、多くても二、三種類程度だと思っていた。しかし、この男は手当たり次第に購入している。

 何故か? 先入観に後付で理由を考えてみると、金銭面だろうか。そもそも、薬を売る反社会的勢力だって、そんなにバリエーションを取り揃える必要はない。コンビニじゃ、あるまいし。それに仕入れの問題もある。

 解せないな……。

 薄いビニール袋の束をいじっていると、それらの端っこにラベルの様なものが貼り付けられている事に気付いた。

星辰せいしんの列』『レンズレス望遠鏡』『湿潤たる系外惑星』『地球蝕イクリプス』『外宇宙アウター・スペースの呼び声』

 商品名だろうか。

 最後に挙げた『外宇宙のなんたら』に関しては、この中で唯一封が切られており、且つ内容物も見られないので、現在進行系でぶっ飛んでいる男は恐らくこれを使用したと思われる。

 そんな風に推理しながら、おっかなびっくり覗き込んでいると、遂に引き剥がされた彼女が、「……で、その子は~?」と猫撫で声を発した。


四藏匡人よつくら まさと分類クラス・コードはREDだ」


 端的に紹介されたので、取り敢えず「よろしくおねがいします」と頭を下げておいた。なるたけ、普通の雰囲気で普通に振る舞ったつもりだったが、MCG内に於いて“RED”の称号は随分と影響力があるらしい。


「え、このボケっとした感じのうっすーい子REDなの!?」

? まぁ、そうですね。REDですよ」

「やばばぃ……そんなの全然伝わってこないのにぃ、人間不信になるぅ……」


 彼女は、急に怯えた風で、フローリングにへたり込んだままズリズリと後ずさって距離を作った。

 その様を見て、「東京支部の職員は、あれでもけっこうREDを見慣れていたんだな」と変に客観ぶって“RED”のネームバリューを実感していると、何時の間にか椅子に腰掛けていた天海が、全てを見下した様な表情で鼻を鳴らした。


「フン、紹介しよう。ソイツは千覚原寧々ちかくはら ネネ分類クラス・コードはYELLOW。ストーキング行為に付属する諸々の罪で執行猶予を食らい、期間中にもう一度やらかして投獄された女だ。しかし、その直後、能力を犯罪に使用していた事が後から分かった為、特別に釈放された。今は更生を目指してカウンセリング受けながら業務にあたっている」


 へぇ、ストーカー。確かにそれっぽくはある。

 ところで、天海の言葉には、千覚原さんの紹介以外の所に気になる事があった。『カウンセリング』である。


「カウンセリングって、MCGはそんなのもやってるんですか?」

「言っていなかったか?」


 白々しいほどにすっとぼけた顔をして、天海はのたまった。だが、天海の言葉足らずは今に始まったことではない。俺が心中の不満を表出させる事はなかった。


「REDの基準には『更生が見込めない者』という項目も含まれている。その点、千覚原ちかくはらはふわふわしているからな、善性、悪性、いや、全てが。そこのところが返って『更生の余地あり』とされた」

「えぇ、私って、そーゆー評価だったん……」


 唐突な流れ弾に、落ち込んだ体を取る千覚原さん。それが、単なるフリでしかない事を知ってか知らずか、天海は千覚原さんの呟きを無視して強引に続けた。


「最近、MCGがアメリカの麻薬カルテルを潰した話は聞いているか? そいつらが扱っていた麻薬の出処を調べたところ、なんと日本にもかなりの量が密輸されていた事が判明した」

「その終着点が……この街って事ですか?」

「そうだ」


 力強く肯定の意を示した天海は、何処からともなく手に取ったタブレットを、俺に向けて差し出してきた。画面を覗き込むと、カラフルなグラフとデータが表示されていた。


「それは近辺の行方不明者数を表したグラフだが、ここ最近の数値が跳ね上がっている事がわかるだろう?」

「んー、はい」


 R-92地区とその周辺地区に於ける行方不明者数は、横に併記されている全国平均と比べて低かったのだが、こと近年に至って、グンと異様に突出している。

 見終えたとこで「次を見ろ」と天海が指示してきた。言われた通り、画面の表示に従ってスワイプすると、交通事故数、検挙数、消費者金融の利用者数などなど……不穏なデータがずらずらと出てきた。そして、いずれの分野に於いてもR-92地区とその周辺地区に於ける数値は突出している。


「……こうしてデータを見ると、結構あからさまですね」


 率直な感想を述べると、天海は「そう言ってやるな」と俺の手元からタブレットを取り上げた。


「偏に人手不足が原因なのだ。遡って少しばかり調査したが、活動の痕跡が表れ始めたのはつい半年前だ。まさか、たった半年の間にここまで甚大に汚染されるとは、誰だって思いもよらないさ」

「はぁ、なるほど……」

「さて――」


 そこで、一度言葉を切った天海は、千覚原さんを優しく見遣った後、俺を見おろして宣言した。


「事が露呈した以上、捨て置く訳にも行かないが、前例を鑑みるに現地民を多く含む愛知支部の連中に信を置くことは出来ない。そこで、主体の無い情報部と比較的人材に余裕のある東京支部から人員を駆り出す事となった。四藏匡人、貴様は『対麻薬チーム』に抜擢されたという訳だ」


 新人研修は終わり、これからは本格的な仕事が割り振られるという事か。しかし、詐欺師、虐待児と来て、今度は犯罪シンジゲート。急に規模がデカくなったな。

 取り敢えず、もう一度、「よろしく」と、千覚原さんに手を差し伸べてみたが、海岸のフナムシみたいにざざざっと逃げられてしまった。先が思いやられる。

 まさか、同じ様に思ったわけじゃないだろうが、天海の分体もまた重いため息を吐いて、千覚原さんの腕を引っ掴んだ。


「千覚原、遊んでないで行くぞ」

「えぇ! もしかして、もうアソコに帰るの~!? 嫌だぃ嫌だぃ!


 ジタバタと暴れて抵抗する千覚原さんを、天海は軽々肩に担ぎ上げる。


「天海さん、次は何処へ行くんです?」


 俺の問い掛けを受けて、瑞々しい目が静かに此方へと流れて来た。


「セーフハウスだ」



    *



 同時期、東京支部から北西40km地点、Q-102地区のとある広々とした平屋敷に、灰崎炎燿、神辺梵天王の両名と、その眼前に倒れ伏す男の姿があった。

 周囲に漂う煙、熱気、濃厚な血と汗の匂い。

 合戦後に訪れる開放的な静寂に包まれて、灰崎は裡に込もった熱を口から吐き出した。そこへ、同じく緊張を弛緩させた神辺が、血の付いた手斧フランキスカを片手に歩み寄ってゆく。


「……怪我は?」

「問題ねぇよ」


 灰崎は、治ったばかりなのに、また千切れてしまった左手を半目で見た。住宅街での戦闘という事で銃撃や爆発物を控えた事、また不意討ちが失敗に終わった事が、痛いほどに響いた結果だった。

 この屋敷が男の自宅である事を、灰崎と神辺は初めから知っていた。というのも、天海によって発掘されて来たこの案件は、事務から情報部に回された後に、人手不足を理由に放置され続けていたもので、ある程度の情報が既に用意されていたからだ。

 灰崎と神辺は、時間を掛けて能力や性格の情報を得てから交渉に入るつもりだった。しかし、まもなくして、男が屋敷の地下室に幾人もの女性を監禁している事が判明すると、神辺は穏やかでは居られなくなった。

 このままでは一人で突入しかねない。神辺の剣幕に、そう思わされた灰崎は、やむを得ず不意討ちの提案に同意した。

 脳内物質が引き、じくじくと主張を始めた痛みに、灰崎は顔を歪める。しかし、神辺の申し訳なさそうな顔を前にしては、責める気力も湧かなかった。

 女々しい気持ちを気合で切り替え、灰崎は口を開いた。


「それより、捕まってる奴等を見て来てくれ。オメェの方が良いだろ、俺はコイツをふん縛っとくからよ」

「分かりました」


 神辺が屋敷奥の暗がりへ消えると、何かが瓦屋根をパタパタと叩いた。断続的なその響きは、徐々に連続的なものへと変容してゆく。雨が降ってきたのだ、と灰崎が外の様子に知るのと前後して、その視覚、意識外を狙った天海の分体が発現した。


「よくやった、灰崎。次の仕事だが――」

「……んだよ、人使いが荒れぇな。こっちは手ぇ千切れてんだぜ」


 持参した紐で男を適当に縛りながら、傷口を焼く事で止血した左手を見せつける。灰崎は、天海に聞きたい事が幾つもあったが、全身を満たす、けして軽くない疲労は一息つく間を欲していた。

 すると、天海の分体は、湿っぽい息を吐き出した。


「自分でやったのだろうが……しかし、それに関しては問題ない」

「アァン?」

「『医者』を呼んでおいた」


 灰崎が柄悪く聞き返した瞬間、両者の眼前に横たわる空間が蜃気楼の如く静かに揺らいだ。この光景が、異能が発現する前触れである事を、灰崎は経験に知っている。そして、だからこそ、驚愕を抱いていた。

 まさか、アイツ等を日本に呼び戻すとは――。

 蜃気楼は、瞬く間に二つの人型ひとがたかたどり、空間は男女二人分の体積と《置換》された。


「うおっ、やっぱ『るいるいコンビ』じゃねえか! マジかよ……」

「何、その変な呼び方……久しぶりね」


 灰崎と久闊を叙したのは、白衣ドクターコートに身を包む妙齢の女性、鉤素累はりす るい。その背後に控えるは、無口な中国人の男性、段睿だん るい

 異性同名、共に首から赤色REDを提げる彼等コンビは、専ら平和な日本でなく、最近どうもキナ臭い西欧、中東方面に出張っている。そんな彼等が何故呼ばれているのか、灰崎には見当も付かなかった。


「鉤素累、早く灰崎を治してやってくれ。後もつかえている」

「そうね、無駄話は止しておくわ」


 場に和やかな雰囲気が流れかけたのを見て、天海はすぐさま本題へ修正する。その意を汲み、自らが出張っているという要素も鑑みて、鉤素はすぐさま灰崎の肌に触れ、異能を用いた治療に入った。


「傷は?」

「左手だけ、十分前ってトコだ」

「なら、すぐね」


 鉤素の言葉の後、火傷に塞がれた傷口がうじゅうじゅと蠢き始めた。不必要に気色の悪い光景。灰崎は思わず目をそらす。

 その時、屋敷の奥から神辺の声が近づいて来た。


「地下は予想以上の人数です。応援を待たないと――って、もう来ていましたか……」

「地下に居る一般人の保護は任せておけ」


 天海はとんでもない嘘つきだが、被害者のケアを欠かした事はない。自らの一件にそれを知っている神辺は、確固たる信用を以て「お願いします」と頷いた。

 そこまでは、神辺も実に平静な様子であったが、灰崎の方を見、彼に手をそえる女性の正体に気が付くと、大いに表情を乱した。驚愕の糸目が、険しく、僅かに開かれる。


「貴方は……!」

「……ん? 私を知ってるの? アナタとは初対面の筈だけど」

「えぇ、まぁ……」


 しかし、それ以上の喜怒を色にあわらさず、瞼を戻し、曖昧に言葉を濁した神辺は、少し距離を取り、床框とこがまちの前に正座した。

 治療を続けながら、鉤素は「何アレ」と言わんばかりに肩をすくめる。


「随分と、嫌われちゃってるみたいね」

「ま、あのエセ聖職者もRED、潔癖というか難物なトコあるからな」

「ふーん」


 灰崎の適当なフォローに、興味なさげな相槌をうつ鉤素。その間に生まれた沈黙を見計らって、天海が悠々と口を開いた。


「そのままで聞いてくれ」


 自らに注意が集まるのを肌で感じ、天海は少し早口で要件を述べた。


「次の仕事だが、貴様ら二人には『交渉』をしてきてもらう」

「いつもしてるじゃねぇか」

「原義の『交渉』だ」


 ここでいう原義とは、REDではなく、BLUE、YELLOW相当の者に当たり、彼等の仕事、学業、家族との折り合いに苦心する、MCG事務一課と交渉員の一般的業務を指す。


「ま、ちょうど良く治療も済んだ所で、詳しくは東京支部の事務一課で説明を聞いてくれ。今は猫の手も借りたい状況だからな、邪険にされる事はないだろう」


 そう言うが早いか、段睿だん るいの能力が場の四名に作用し始めた。


「あ、おい! んな、一方的に! オメェには聞きたい事が山程――」


 灰崎と神辺の頭に倒れ伏す男と地下の虜囚が過る。しかし、天海を信用して後の者に任せる事とし、大人しく、東京支部内に存在する四人分の空気と置換された。



    *



 R-92地区の中心から著しく外れた場所に、ポツンと立つ一軒家があった。外面は新しく、けっこう立派な構えをしているのだが、何処か寂しげ印象が拭えない。生憎の曇天の所為だろうか、それとも立地?


「ここが、セーフハウスだ」

「うわぁあぁ~帰ってきちゃったよぅ……」


 肩上の千覚原さんは、弱々しく、もぞもぞと芋虫の様に悶えていたが、面倒くさそうな天海によって、一度しゃっくり上げられると、死んだようにおとなしくなった。


「けっこう立派な新築ですね。目立ちませんか?」

「日本の情報部には一風変わった能力者ジェネレイターが居てな、ソイツによって認識を阻害する効果が付与されている。書類上も問題ないから、貴様らがヘマでもしなければ、バレる事はまずない」

「へぇ~。確かに変な感じはしていたんですよ、寂しげというか」


 広々とした庭を行き、セーフハウスの立派な玄関前に立つ。そこで、天海はごく普通の一般的な鍵を取り出して解錠した。今度は本物を使うのかと疑問に思っていると、天海は唐突にその鍵を投げ渡してきた。「合鍵」だそうだ。

 うーん、裸だとなくしそうで嫌だな、後でキーホルダーでも調達しよう。そんな事を考えながら玄関に上がり込むと、タイミング良く、誰かが正面横の部屋から出てきた。


「あれ、もしかして、君が新入りの?」


 すると、途端に千覚原さんが小さな悲鳴を上げて、するりと天海の背に隠れた。

 その滑稽な反応に、彼は静かに微笑んだ。

 便宜上、俺はその人物を“彼”と呼んだ。しかし、彼は、天海とは別の方向性で、男か、女か、ひとめでは判然としない中性的な見た目をしていた。声音も同様である。

 髪は深みのあるオレンジ色に染めており、細い赤ぶちの伊達めがねを掛け、露出の多い服装の上に、アクセサリ類をジャラジャラと付けている。全体的にチャラい感じのファッションだが、そういう人種には付き物なピアスはどこにも見られなかった。

 そんな彼の視線から「新入り」の語は俺をさしているのだと悟り、天海に先じて名を名乗ることにした。


「四藏匡人です! よろしくおねがいします!」

「おぉ、これはどうもご丁寧にっ。私は香椎康かじ やすしと申すものですっ!」


 すると、彼――香椎さんは、ふざけ半分の調子でそう返してくれた。よかった、コミュニケーションは取れる人だ。そのまま交誼を深めようとしたが、背中にコバンザメをくっつけた天海が、ざっと間に割り込んできた。


「四藏、気を付けろよ。このは――」

「いや! ……自分で言うよ、天海」


 香椎さんが、ずいっと踏み込んでくる。それを見て、千覚原さんの身体がビクンと大きく跳ねた。この時、俺は千覚原さんの「この人」という発言を思い出していた。「も」という事は――。

 香椎さんは、悟りきった解脱者げだつしゃの相貌で、すうっと息を吸い込み、懐から職員証を取り出した。


「私の罪状やらかし強姦レイプ。趣味はSEXだけど、今は薬物去勢で出来ないから献血と野球観戦だって言っているよ。歳は28。よろしく!」


 意外とゴツく、筋肉質な手が差し出された。

 ――って、強姦!? そんなに軽いノリで告白されても反応に困るぞ。もしかしなくても、それが狙いなのか?

 拭いきれないペンキ汚れの様な不信感が心中に広がる。だが、考えてもみれば、こっちだって脛に傷を持つREDだ。スリ師は強姦魔より上等だなんて主張するつもりは毛頭ない。

 一瞬の内に、諸々の感情に決着を付けた俺は、差し出された手を力強く握り、長く、ねっとりとハンドシェークした。

 ここで詳しく話をしても良かったのだが、怯えた様子の千覚原さんが、天海の袖口を引いて「はやく自分の部屋に戻りたい」と要求したので、顔合わせを進める事にした。

 廊下を先導しながら、天海が厳かに言った。


「『対麻薬チーム』として招集した者は五名だ」


 俺と、千覚原さんと、香椎さん。

 そして、天海の分体を含めないのであれば、残り二名。

 広々とした廊下に並ぶ扉の前で、天海はピタリと止まった。

 千覚原さんの怯え様が増す。それを見て、俺も少しひるんだが、あれこれと心の準備をする間もなく、天海は扉を開け放ってしまった。


「天海ィ……遅いじゃあないか、待ちくたびれたぞ。ただでさえ――」


 此方を睨み付けながら挨拶がわりの小言を漏らしたのは、小奇麗な椅子に腰掛ける岸さんだ。

 その声に反応したのか、リビングの奥からも誰かがやって来る。

 山程の菓子類を抱えている所為で顔は見えないが、その人物の着る、黒一色に赤ライン入のセーラー服には見覚えがあった。あの妙に透明じみた黒……間違いない、謎めいた演出で以て俺に認識票ドッグタグを押し付けてきた六道さんだ。果たして、この機会に真意を問いただす事は出来るのだろうか。


「文句は後で聞くから静かにしていろ。四藏、コイツ等二人とは既に顔を合わせているな?」

「はい、灰崎さんから紹介してもらいました。あ、でも六道さんの紹介は聞いてなかったですね。二回目の新人研修の時、食堂で灰崎さんが『後で紹介する』と言って、一度流れたでしょう? その後、俺も灰崎さんもすっかり忘れちゃってました」


 チラリと件の六道さんを見ると、彼女はテーブルに菓子類をぶち撒けて、幾つもの包装をせっせと破いては口に放り込んでいた。無表情で。

 その隣には、香椎さんが座っており、偶に横からひょいっと菓子類を拝借している。

 そんな熟練のライン工の様な、淀みない手付きを間近で見せつけられた岸さんは、それはもう不快そうに顔を歪めて席を立ち、少し離れた場所に置いてあるソファへと移動した。

 天海は、背の千覚原さんを引き剥がしながら、彼らの待つテーブルへ歩み寄ってゆく。


「数年前、六道鴉りくどう あは東南アジアのとある国に置き去りにされた。この時点では、現地の日本大使館にでも行けば良いし、警察に言えば保護もされただろう。だが、コイツはどうしても帰りたくなかったらしく、右も左も言葉も分からぬ状況で食うに困って盗みを始めた。ここまでは四藏と似たようなものだな」


 話の途中、岸さんの座るソファへ投げ捨てられた千覚原さんは、人間に気付いたゴキブリの様な動きで距離を取った。しかし、四方にREDが居るので、やむにやまれず、その場で丸まった。


「しかし、六道の真骨頂はここからだ。ある時、留守宅を狙って空き巣に入ったのだが、予想以上に早く家主が帰ってきてしまった為に鉢合わせになった。既に能力を自覚していた六道は、危なげなく殺害して事を収めた。しかし、ふと、物言わぬ肉塊と化した家主を見て――。そして、六道は死体の側に歩み寄り――」


 話の進み具合に合わせて、床に丸まった千覚原さんの元へと接近していた六道さんが、言葉の続きを大声で囁いた。


「たべちゃった!」

「ヒィィ!」


 耳元から震え上がった千覚原さんは、まるで初めて怪談を聞いた小学生の様な悲鳴を上げた。

 さっきから思っていたのだが、千覚原さんは少々怖がりすぎな嫌いがある。今の話を聞いて、俺も「うわっ」と引きはしたが、しただけである。外面に表出した反応といえば、顔を顰めて、物理的、心理的に距離を取ったぐらいの事。

 見た目からして、既に成人もしているだろうに、遥か年下の小柄な少女が怖いのか? 割と不思議に思ったが、すぐに「そういう人も居るか」と自己完結した。


「六道は、生存本能の枠組みを越えた没義道もぎどうを躊躇なく突き進み、道徳の一線を踏みけがした。その後、食人行為は三十七人を食い殺すまで続いた。私が止めるまでな」


 とにかく、六道さんの食人カニバリズムらしい。しかも、人肉の味を占めてまった六道さんは、衝動的な犯行だけに留まらず、幾人も食い散らかした……と、そりゃあREDも納得である。

 しかし、のほほんとしてる様に見えて、意外とエグい事するなぁ。


「加えて、数年も過ごしたというのに、現地語を一切覚えていなかった。何たる協調性、社会性の欠如……。さて、紹介も終わった所で本題に入ろう」


 バン、と机を叩いて、天海が俺達の注意を引いた。が、半数ほどの注意は未だそれている。それでも、天海は話を進めた。


「今日から、貴様らにはここで過ごしてもらう。そして、一刻も早い麻薬カルテルの撲滅を目指し、粉骨砕身の覚悟を以て職務を果たせ。『正義実現』の為にな」


 軽い発破に続けて、一人に一部屋を用意している事、個室にはシャワーがある事、家事の心配はしなくて良い事、長くても一ヶ月前後の解決を予定している事を簡潔に説明すると、それらを纏めてあるというラミネート加工された紙を、水の釘で壁に打ち付けた。

 えらく用意が良いな。たぶん、彼らが真面目に話を聞く筈がないと見抜いていたのだろう。全く持って難儀なコトで……。


「最後に、一つだけ言っておかねばならないことがある」


 その言葉を契機に、天海の纏う雰囲気が引き締まった。変容を悟ったか、注意をそらしていた者達も僅かに惹き寄せられてゆく。

 五対の視線がひとつに重なる集束点で、瑞々しい口唇は徐に開かれた。


「増員は期待するな」


 伝えるべき事柄は伝えたとばかりに、分体は足先から水へと解れ始めた。

 それを見た俺たちの注意がさっと散ったのを見て、分体は珍しく不安そうな表情を作った。


「……必ず成功させろよ? 失敗した場合は、私が直々に決着を付けなければならんが、それは面倒だ。私には他にもせねばならん事が山程あるのでな――」


 愚痴の様な言葉を残して、分体はフローリングに解け消えた。

 周りを見ると、既に千覚原さん以外は各々好きに寛ぎ始めていた。度量が大きいのか、単に鈍いだけなのか。まぁ、千覚原さんの様に丸まっていても仕方がない。

 俺は、六道さんが必死で貪っていた菓子をこっそりとつまんだ。

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