1-3-6 再
間一髪の所で危機を脱したネㇾクフとジェジレㇿは、
「はぁ、はぁ……ジェジレㇿ……」
息を荒げ、時々に歯を軋ませるネㇾクフは、側で華麗に着地したジェジレㇿを睨め付けた。その肌に焼き付いた黒衣は、
、亀裂を作る。溢れ出た汗と血の混合液が、床に敷き詰められた大理石を滑った。
「……貴様、俺の敗北を予見していたか?」
「否定する。だが――」
思わせぶりに言葉尻を濁したジェジレㇿは、左掌上であてどない廻転を始めた
「――
それは、惨めな敗北を喫したばかりか、〝
全てを理解したネㇾクフは、頬の内側を噛み切って、放っておけば勝手に恥を上塗りしかねない口を塞いだ。
その時――不意に風向きが変化した。
すると、ジェジレㇿの左掌上に浮遊する運命の風見鶏、無根のままに生きる機械仕掛けの
「
意識の埒外から発されたバリトンの男声に、二人は模範的
「
「
だが、黒肌に映える長い白髪を振り乱して礼を尽くしたジェジレㇿと違って、ネㇾクフの痛む身体は格式張って
その様をみとめた
「そんな……!
「私が出来るのは
男の掌から、
「後は――君の生命力次第」
三十秒ほど照射した後、ふっと立ち上がった男は、さも羨ましそうにじいっと見詰めるジェジレㇿの視線に気づかないフリをしつつ、踵を返した。
「有難き仕合せに存じまする……!」
「手筈は順調だと聞いている。標本蒐集は終わりに近いとな」
暗澹たる静音の
「この実験は必ずや目覚ましい成果を上げるであろう。別なる地球に生まれた
そうして放たれたあけすけな世辞の句に、二人は身をうち震わせるほどの感銘を分かりやすく示した。
「褒めて遣わす。恩賞に関して、私は権限を持たない。だが、期待して沙汰を待つが良い」
「はっ!」
「ハッ!」
地の底から突き上げてくる様な気合のこもった返答に、男は笑みを深め、悠々と、草原に吹く風の如く立ち去った。
*
二回目の新人研修を終えた俺は、主に左足の治療のため『医務室』に入室した。が、それも三日と経たぬ内に例の如く追い出されてしまった。しかし、全快していた前回はともかく、今回は結合部位の痛みが未だ癒えていない。「退室」を宣告する医者に対して、俺は率直な不安を訴えたが「歩行に支障はない」と一蹴され、得られた処置は痛み止めの頓服薬のみであった。
前回の時は、余りと言えば余りに雑な扱いに甚く憤慨したものだが、今回はその事情を知っている為に、どうこう言う気分にもならなかった。
隣のベッドに入室していた灰崎さんによると、MCGの誇る医療班のベストパフォーマンスなら、怪我を痛みなく瞬時に治療する事など容易い筈なのだが、そういう“使い勝手の良い能力”を持つ人材が、見る限り一人も残っていない。有能さ故に彼方此方に引っ張りだこなのか、それとも――と、灰崎さんはその先の言葉を濁した。
多忙……ね。
情報部はヒドイらしい。昼も夜もなく、残業代も出ないとか。
まぁ、それを考えれば、痛みが残っているとは言っても、力んだ時にピリッとするぐらいで、お医者様の言う通り動作、歩行に大した支障はないのだから、ここはぐっと飲み込むのが正しいのかもしれない。
清濁でいえば濁だけども。
ゴネて退室を伸ばした俺と違って、一日先に退室している筈の灰崎さんも、神辺さんも、そして六道さんを含む他のレッドチームの面々も――
「誰も、居ない」
乱雑な部屋に響き渡った独り言が、耳にこびりつく。
先の新人研修に於いて、「交渉部のREDに待機が義務付けられた」と、灰崎さんから聞いていた。それ故に、「退室後」という少しはゆっくりしても良い所を、柄にもなく急いで来た訳だが、まさか出迎えてくれたのがパイプ椅子だけとは予想外だった。
妙な決まりの悪さを感じながら、俺は漫画雑誌を手に取って、麗しきパイプ椅子に尻を預けた。
一人。
その事実を認識した所までは俺も平静だった。しかし、厳粛な静けさで満ちる部屋で何時間と過ごしている内に、波のように寄せては返す孤独感にほとほと参ってしまった。今まで、ずっと一人で生きてきた俺である、孤独は日常のものと思っていた。だが、どうやら最近の『新人研修』やらなんやらのお陰で、随分と寂しがりやになっていたらしい。
とはいえ、人肌恋しくとも居ないものは仕方がない。
俺は、大きなショッピングモールで親とはぐれてしまった子供の様な趣で、一人、漫画を読みふけり、退室日の『待機』を終えた。
てっきり、この日ばかりかと思いきや、翌日、翌々日も同様だった。
待機所には誰も顔を出さなかったので、俺は一人で漫画を読み、一人で
その間、灰崎さんとはさっぱり音信不通である。
果たして、天海を探しているのだろうか? それとも、仕事?
神辺さんはどうだろう。俺が退室した時はまだ治療中だった。今は、仕事?
交渉部は閑職だと聞いていた。それが、これ程まで急激に忙しくなるものだろうか。確かに『新人研修』は連日に行われたが……。
寂しさから変に懐疑的になりつつ、今日も今日とて読み飽きた漫画に向き合っていると、「くぅ」と小さく腹が鳴った。チラと壁に引っ付けられた壊れかけの時計を見ると、時刻はちょうど昼頃になっていた。
「もう、そんな時間か」
と、呟いた俺は、何時もの様に孤立無援の食堂に向かおうと立ち上がったところで、今朝に受け取った布包みの存在を思い出した。
軽く片付けた机上に安置しておいたそれは、なんと、瞳さん謹製のお
聞くところによると、瞳さんは、清掃の行き届いた執務室横のテーブルで食べるらしいが、俺のそれは唯の埃っぽい部屋である。流石に、ここで食べるのは忍びなかった。
東京支部の外に出るには申請が要るし……と、考えて、俺は、灰崎さんの施設案内を思い出し、一路、屋上を目指した。
高層ビルの屋上といえば、風も強けりゃ、空気も薄い、汚い、寒い! という『寛ぎ』などとは程遠い
混雑するエレベーターを敬遠し、階段をゆっくりと駆け上がった俺は、点々と設置されているテーブルの一角に陣取った。
そして、期待を胸にいざ、布包みを開こうという所で――
俺の手が、ねっとりと絡み取られた。
「――やあ」
妙になれなれしいタイプのポン引きみたいな声が、俺の聴覚神経を侵犯した。心に胡乱を携えて振り向くと、まあ、案の定、思い浮かべたのと寸分違わぬニヤケ面が待ち構えていた。
「今から昼食かい? いや、奇遇だね、僕もなんだ」
「
有無を言わさず、彼は俺の隣に臀部を押し付けた。
この物理的距離の詰め方。やっぱり、神辺さんのアレは詐欺師のソレなのか。
「螺湾と呼んでくれヨ。それは、もう、なじるように気安く呼んでくれ。さんは付けたり付けなかったりしてくれろ」
「はぁ、螺湾さん」
「い~ねっ!」
変なテンション。
今日の螺湾さんはMCG制服に身を包んでいた為、私服(?)の時とは違って詐欺師っぽい印象は薄まっていた。けれど、所作の一端や声音などからにじみ出る、ちょっとした外連味は相変わらずドギツイ。
彼は左手に引っ提げていた紙包みの弁当をビリビリと乱暴に開きつつ、俺の手元を覗き込んだ。
「それ、自分で作ったのかい? 食堂の包みじゃないぜ、布包み」
「……いえ、貰い物? です」
「ふ~ん、彼女!」
「違いますよ」
楽しそうに探りを入れてくる螺湾さんに、事務二課に所属する
「付き合ってもねー男に、弁当なんて作るかねー!」
そして、「ノロケ、ノロケ」と嘯きながら、朝の内に食堂で購入しておいたという海苔弁当を掻っ込んだ。その様に、苦笑いか、愛想笑いに類するであろう笑みを浮かべながら、俺も弁当に手を付けた。
「いやぁ、それにしても良い所じゃないか、MCG機関! すんげぇ針の筵ね。ま、あれだけ無茶ヤラカシて、殺されてねーのは幸運だろうけど」
「あの時、神辺さんもそう言いましたけどね」
「んなの信用できっかよーぅ! ぶっ殺せば、全部OKだと思ってたし!」
螺湾さんは、待遇に不満があるらしく、聞いてもいないのにブツクサと愚痴をこぼし始めた。
彼の所属は、戦闘に向かない
「業務内容は別にいーンだよ。どっかから流れてくる雑務、すぐ慣れた。けど、同僚がねぇー」
「同僚?」
「事務三課にはREDしかいないんだけどサ、これが漏れなくトンデモない奴等なのよ。レベル2の人事ファイルを一通り見たけど……匡人くんだけだよ、略歴が比較的にマトモなの。あー、後、灰崎炎燿ってのもいたか」
人事ファイルは、一般職員であってもレベル2まで閲覧できる。それ以上は特別な権限が必要だ。未だタブレット操作の覚束ない俺は、見方が良く分かっていないので見た事がない。灰崎さんは、役職的に
余談はさておき、俺はハンバーグの下に敷かれていたナポリタンを咀嚼しながら、仕事を共にして少しは仲良くなったと思う二人の内、名の挙がらなかった愉快な方の同僚を試しに売り込んでみた。
「神辺さんも良い人?ですよ。ちょっと宗教にカブれ過ぎてるだけで。普通の人ですよ、表情豊かで、陽気な」
「えー、神辺って変な名前のアレでしょ? 僕、アレにオモクソぶん殴られてるんだけど。略歴もトんでるし、絶対ヤバい奴だヨ」
「でも、螺湾さんを『是非、事務に』と提言したのも神辺さんなんですよ」
「へぇ、ふーん、そう。ソレ聞いて嫌いになったわ!」
ケッ! と、吐き捨てながら、螺湾さんは、苦虫を噛み潰したような表情で白身魚のフライに食い付いた。その大きな動作を、俺は無言で見詰める。
「全く、僕の類まれなる悪才を事務作業なんかで潰すとはね、悪手も悪手、最悪も良い所だぜ」
「うーん、でも螺湾さんREDだし、別の所って言ったら情報部になりますけど、あそこはあそこで大変みたいですよ。
「マジ? 激務は嫌だなー」
ボヤきながら、螺湾さんは白飯をモキュモキュと咀嚼した。
多分……何処へ行っても、彼は文句を言うのだろう。
ちょっとした確信があった。あれこれ言いながらも、結局は今のように真面目にやるのだろう、と。
「螺湾さん……」
「何?」
「全部、『嘘』なんでしょう?」
俺の弁当を羨んだのも、職場の同僚が気に入らないのも、神辺さんへの恨み辛みも、激務を嫌がったのも……螺湾さんの発した言葉には、あるべき“真実味”というものがイマイチ欠けている様に思えた。
俺の主観なので、もしかすると勘違いかもしれない。
だから、鎌をかけた。
すると、彼は、焦る訳でもなく、怒る訳でもなく、
「失礼な、半分だけだよ」
と、実に淡白にあっけらかんと言った。
俺は、思わず閉口して、心中に留めていた胡乱を目付きに露呈させる。螺湾さんは、付け合せの
「やっぱり一回『嘘つき』ってバレると変に警戒されちゃうのネ。でもさ、別にいいじゃん。円滑な人間関係には『嘘』も必要サ。それに、もう力は使えないんだ。僕の人事ファイル見てない?」
「……ホントですかね」
「君が疑えている時点で能力を使っていないか、僕が『嘘』を吐いていないかのどっちかだろうよ」
言っていることは正しいのだろうが、天海に勝るとも劣らない大嘘吐きに言われていると思うとすごく腹が立つ。やっぱり、発言の説得力とは、内容
これ以上は時間の無駄と判断した俺は、会話をそこそこに打ち切って、瞳さんの弁当に向き合うことにした。
実に有意義な選択である。
……うましうまし。
この味に比べて、螺湾さんとした会話の何と無味乾燥な事か。
ああ、こうしていると、何だか思い出すな、瞳さんの部屋で暖かい飯を食わせて貰った時の事……。
減る事のない満足感に、まるで無限に掻き込めそうな錯覚を感じていた俺だったが、しかし、楽しいひと時というものは、けして長居してくれないばかりか、後ろ髪もなく、掴み、引き止めることも叶わぬもので、気が付けば弁当箱の中身はすっかり空になっていた。
諸行無常を嘆きながら、俺は人生で二回目ぐらいになるであろう「ごちそうさまでした」なんて行儀の良い言葉を、真に厳かに発した。
「
「あ、はい――って、うわっ!」
もう驚いてやらないと決めていたのだが、意識の間隙を狙い打たれた格好だ。
今日も、唐突な登場を果たした天海(恐らく分体)は、腕を組みながら正面の席に陣取って、人類全てを見下すかの様な、遠大の笑みを浮かべていた。
「何時の間に……」
思わず漏れ出た俺の声に、口内のものを急いで嚥下した螺湾さんが答える。
「……んぐ、今さっき来たよ。躊躇なく座ったもんだから、てっきり、そっちの知り合いかと」
「知り合いと言えば……知り合いだけど……」
「何、どちらさん? 例の
「えーっと、
「そうだな、偉くはある」
「へぇー!」
簡単に天海の名と立場を伝えると、なぜか、急に気色悪い喜色満面の顔を作った螺湾さんは、勢い良く起立して「法倉螺湾です! 以後、お見知り置きを!」と、体育会系の学生みたいに元気よく挨拶した。
天海は、軽く手を上げて答える。
「貴様の事は既に聞き及んでいる。前職の事も含めてな」
「それは光栄です!」
天海の言葉は牽制の意図も含んでいたのだろうが、常人らしからぬ図太さを持つ螺湾さんは怯まない。全く持って、羨望すら覚える逞しさだな。
「それで、物は相談なんですが……荒事なしで交渉部ってのは出来ませんかねぇ? 僕の悪才を事務作業だけに眠らせるのは惜しいですよ!」
「……何を言うかと思えば、そんな事か。安心しろ、MCG機関は柔軟性に富んでいる。その悪才とやらが
「本当ですか!?」
「それより――四藏匡人」
敏腕営業マン宛らにグイグイと押しまくる螺湾さんを捨て置き、天海は俺に矛先を定めた。
ところで、俺は、この後に続く言葉を既に予想している。
なにせ、それ以外の用事で尋ねられた記憶がないのだし。
きっとあれだろうな、ほら言ってみろ、と謎の上から目線で待ち構えていると、天海は瑞々しい髪を掻き上げながら口元を「し」の形にして、湿気に満ちた声帯を震わせた。
「仕事だ」
……ニアミスだった。
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