エンドロールが長すぎる【後編】

「今日のはイマイチでしたね」

 いつもの喫茶店。鷹峰はかき氷をジャリジャリと崩している。

「君が低評価をいうのは初めてだな」

「まぁ、それぐらい舌が肥えてきたってわけですよ」

 あの日から鷹峰は連日のように映画館に来た。好みのジャンルは無いようで、雑多に、つまみ食いするように映画を観ている。鑑賞後の感想戦も日常と成りつつある。

「桧山さんも、あの映画観たんですよね?劇場にはいなかったですけど」

「ああ、午前中に観た。というか、君と同じシアターはうるさすぎて鑑賞に集中できん」

 私は鷹峰の足元に置かれた無骨なそれを指さす。チェーンソーが唸っていた。鷹峰はチェーンソーを持ち上げ、コンコンとボディを叩く。

「んー、こればっかりはどうしようもないんですよね」

「聞きそびれていたが、それは何なんだ? どうやら私以外には見えないようだが」

 今はドドドという重低音で比較的静かだが、時折、赤ん坊がぐずるように轟音を出す。あんなにうるさい音でも周囲の人間は気づかない。

「桧山さんみたいなモノを発見する為の器械ですからね。”ここにいるぞ!”って叫んでるんですよ、コレ」

「幽霊発見器のような物か。道理で私が近づくとうるさくなるわけだ」

「にしても、怖がらないのは珍しいです」

「私が? 怖がる?」

 本心を悟られないように努めて冷静に言い返す。

「ええ。コレを見た瞬間、逃げる人もいるんですよ」

 本能的に分かるんですかね、とつぶやきながら鷹峰はじっと私を見る。仄暗く、底の知れない目に見定められる。

「桧山さん、分かってるんでしょ。なんとなく」

「君が変人なのは理解している」

「殺されたいんですか?」

 いつも通り、鷹峰の目は笑ってなかった。目をそらし、コーヒーをすする。

「私はもう死んだ」

「でも、あなたは映画を観ている」

「君に成仏させられるのか。私は」

「さぁ、どうでしょう。ただまぁ無理やりは疲れるんですよね」

「特に除霊されるような事をしでかした記憶はないんだがな」

 頭を掻く。髪の毛が一本抜けた。それを払って捨てると、すっと消えてゆく。

「少子高齢化って分かりますかね?」

「分かるが、急に日本の将来が心配にでもなったかのか? それとも」

 また、例え話か。最近になって気づいたが、彼女は何かにつけて例え話をよくする。しかも分かりにくい。理解の助けになるのが”例え”のはずなんだがな。

「ご高齢の方々を支えるのは当然ですが、その負荷で苦しむ若者いるのも事実なんですよね。まぁそういうことです」

 コーヒーを口に含み、少し考える。今回の例えはかろうじて理解できそうだ。

「いるだけで邪魔といいたいのか」

「まさか。ご高齢の方々は敬うべきですよ」

「皮肉にしか聞こえんな」

 鷹峰は口元をいびつに歪ませた。笑ったつもりだったのだろうか。

「ただまぁ。自ら終わりを選ぶ人もいるんですよ。もう満足したってなって。或はもう苦しくて生きたくないっていうパターンもありますね。賛否分かれる安楽死」

「満足か。果たして私を満足させられる映画は来るんだろうかね」

 口元を上げて笑って見せる。

「そうですねぇ。うーん。苦しむのは嫌ですよね?」

 足元のチェーンソーを見やる。無骨で鋭利なギザギザ刃が震えていた。ゾンビ映画のワンシーンが脳裏をよぎる。

「嫌だな」

「なら、ちょっと遠出しません?」

「どこに?」

「もちろん、映画館に」


***


 駅の改札を文字通り”するり”と抜け、電車に無賃で乗り込む。鷹峰は大人料金を払っていた。経費で落ちるのかなぁ、そんなことをぼやいていた。たぶん、そういう仕事なんだろう。

 平日の日中なのか、電車には空席が目立つ。鷹峰は迷わず適当な席に座った。私も横に並ぶ。電車が走り出す。

「桧山さんって、家族いたんですよね?」

 反対側の座席に座る家族連れを眺めて、鷹峰は言う。

「ああ。妻と子供の3人家族だ。そろそろ小学生だろうか」

「会いたい、とかそういうのは無さ気ですね」

「薄情だろうか?」

「それを決めるのはあなたでしょう。もう、あなたを見る人はいない。世間体もないでしょ」

「違いないな」

 係累とはよく言ったものだ。責任感、愛情、後ろめたさ。休日に映画を一人で見に行くことは何となく避けていた。家族を放っているような気がしたのだ。毎日更新していたレビューブログもやめた。

「妻はいつも忙しそうにしていたな。幼稚園に入った頃はだいぶ落ち着いたが」

「子供は面倒ですからねぇ」

 鷹峰はため息をつく。そこで初めて、彼女にはっきりとした感情の色を見た。目を引くつかせ、心底嫌そうな顔をしている。

「確かに面倒だが、初めて息子と一緒に見た映画は忘れられんな」

「え、あのうるさいのを劇場に連れ込んだんですか」

「いや、毎週末のテレビでやっている奴だ」

 ああ、と納得した表情を鷹峰はする。

「初めてな。感想を言ってくれたんだ。たどたどしくて要領を得ない感想だったが、息子と映画談義に花を咲かせる将来が目に浮かんだ。未来が楽しみになった」

 そういえば、妻との出会いも映画だったな。大学のゼミの飲み会で、同じ映画を観ていたのがきっかけで話したんだ。そして、鷹峰とも。

「将来への未練ですか?」

「分からない。この世に残るほど、強い願いではないと思う」

「でも、あなたはまだ映画を観ている」

「なんでだろうな」

 ふと、あの日のことを思い出す。いつも通り通勤電車に揺られていたら、車内が傾いて、轟音が響いて、視界が黒くなった。それで終わり。急に終わったんだ。

 電車が止まる。ドアが開き、まばらな人の出入りが起きる。鷹峰は動かずに、こちらを見ずに話し出す。

「映画のようにドラマチックに生きている人なんて、実際はいません。強い執着や後悔。この世に強い未練を抱えている人なんて珍しくて。でも、」

 鷹峰は息を吐くように、自然に言う。

「あなたにとってはあなたの人生がすべてなんですよ」

 鷹峰の声は透き通っていて、優しさも混じっていた。そんな気がした。電車は走り出す。気づけば、あの家族連れは消えていた。

「家族には会わないと、あの日、死んで目覚めて決めたんだ」

「なぜ?」

「それより映画を観たかった」

「俗ですね」

「死んで、気づいたら線路に立っていた。目の前にはグチャグチャになった通勤電車があった。ああ、会社行けないなとか思った。なんとなく空を見上げたら、イオンが見えた」

「それから、ずっとあの映画館にいたわけですね」

「ああ。最初は気になっていた映画を観たら帰ろうとも思ったんだ。ただ、帰る場所が分からなかった」

 今更、家族の元に帰れなかった。私は映画を観たのだ。係累を断ってしまった気がした。死んだのだから、どうでもいいという気持ちもあった。

「死んで観る映画はどうでした?」

「落ち着いて観れた」

「昂るはずの心を失くしたのでは?」

「余計なことを考えさせる心も消えた」

「死んでから方が楽しいですか?」

「少なくとも、静かに映画を観れる」

「映画は楽しいですか?」

「ああ、楽しい」

 君と見るようになってから、と心の中で付け足す。それを声に出してしまったら、認めてしまったら、終わってしまう気がした。鷹峰は何も言い返さず、黙った。私もそうした。


***


「ここか」

 目の前には小さな劇場の入り口があった。地下へと続く階段。その先が映画館になっているらしい。入り口の脇には黒板が置かれ、上映スケジュールが書き連ねてある。

「インディーズの作品をやってる劇場らしいですよ。学生とか、趣味でやってる人とか」

「こんなマイナーなのを君が知っているとはな」

「少し、知り合いがいまして」

 鷹峰は地下へと降りて行く。私もそれに続いた。


 劇場は小さかった。学校の教室程度のサイズに、簡素な椅子が並べられている。正面にはスクリーン、後ろにはプロジェクターが見えている。もはや、発表会といった方が近そうな感じだ。席につき、背もたれに体重をあずける。座り心地がいいとは言えなかった。

「露骨にがっかりしてますね」

「施設がすべてではないとは思う」

「まぁ作品にもあんまり過度な期待はしてあげない方がいいですよ」

 あっけらかんと鷹峰は言う。足元ではチェーンソーがいつも通り唸っている。そもそも、コレがある時点で環境は最悪なのだが。

 鷹峰に何かを言い返そうとしたが、その前にすっと照明が落とされた。息を吐き、胸に手を当てる。特段、心臓の高鳴りは感じなかった。いつもの長ったらしい宣伝などはなく、映画は始まった。


***


「どうでした?」

 スクリーンから映像が消え、照明がつくや否や、鷹峰は尋ねてきた。

「思ったよりはよかった」

 正直な感想を述べる。当然、商業作品とは比べてはいないが、退屈する作品ではなかった。チェーンソーがなければもっと集中できたかもしれない。

「脚本はしっかりしてたし、カメラワークも杜撰な一方、味があるともいえる。だが、そうだな。明らかに足りてない部分は丸見えだった」

「まぁ予算とかありますし」

「それは分かっているが、多少ごまかせそうなところもあった」

 顎をさすりながら、気になった点を考えてみる。鷹峰を見やると、目を細めて笑ったような顔をしていた。

「どうかしたか?」

「いえ。桧山さんは真摯だなと思いまして」

「真摯?」

「どんな作品でも、あなたは自分の感じた思いを、感想をちゃんと言葉にしようとしますよね」

「当然だろ。だって―――」

 私は気づいてしまった。鷹峰が何を言わせようとしているのかを。口をつぐんでしまった私を見て、鷹峰は言う。

「桧山さんって、映画見るのも好きですけど、感想言うの好きですよね」

「……そうだな」

「”誰かと観る”映画は楽しいですか?」

 返事を保留し、天を仰ぐ。安っぽい白熱電球が光っていた。眩しくて目を閉じる。チェーンソーの音がどこか遠くなる。

「楽しいに決まっている」

 今なら、天に昇れると感じた。だが、私の左手に何かが触れる。酷く冷たくて、思わず目を開いてしまった。鷹峰がその手を引いていた。同時にチェーンソーが轟音で泣き叫ぶ。足元の音に驚き、席を立ってしまう。

「エンドロールにはちょっと早いです」

 鷹峰は私の手を掴んだまま劇場を出る。振りほどくこともなく、私はそれに従う。この手を離したら、私は消えるのだろうか。左手に私、右手にチェーンソーを引きずりながら、彼女は歩く。

 劇場の裏手。スタッフルームに向かって迷いなく彼女は進む。そのまま、臆せずドアを開く。部屋の中にいた人が皆、くるりとこちらを向く。その視線を受けたまま、鷹峰は一人の男に話しかける。

「さっきの作品の感想を伝えたいそうです、この人」

 鷹峰は私を指さす。

「え」

 周囲の視線がこちらに向いていた。見えている? 私は何も言えず固まってしまう。

「えっと、何でしょうか?」

 男が尋ねてくる。まだ私は混乱していた。

「桧山さん」

 鷹峰が声をかけてくる。

「最後ですよ」

 その声は鮮烈に聞こえた。最後か。私は息を吐き、胸に手を当てる。心臓が高鳴っていた。いつもより、ずっと。高鳴っていた。

 目の前の男を見やる。若い。まだ学生だろうな。

「君が作ったのか?」

「あ、はい」

「ありがとう」

 不思議と、そんな言葉が出た。感謝の言葉が塞き止めていたかのように、映画への思いがあふれ出す。

「まずはそうだな。あの脚本は―――」


***


 劇場を出ると外は真っ暗だった。

「話長かったですねぇ」

 呆れ交じりに鷹峰が言う。

「最後といったのは君だろう」

「そうなんですけど」

 彼女はチェーンソーを引きずりながら歩きだす。刃零れはしないのだろうか。そんなどうでもいいことを思いながら、彼女の数歩後ろに続いて歩く。静かな夏の夜道だった。チェーンソーと地面がすれる音だけが響いている。

「どこに行く?」

「どこがいいですか?家族のところとか?」

「アレで最後じゃなかったのか?案外優しいな君は」

 鷹峰は足を止めた。体を回転させ、私に向き直る。チェーンソーを両手に持っていた。

「もう満足ですか」

「満足なんて、できない」

「でしょうね。あなたはお喋りですから」

「違いないな。1人じゃ喋れない」

 鷹峰はチェーンソーのボディについているレバーを引く。ギュィィィン。何もかもを壊すような音が耳を突き刺す。そこで、足が震えていることに気づいた。

「いつまでも、君と二人というわけにはいかないのか?」

 情けなく、未練がましく尋ねる。

「プロポーズなら、もっとロマンチックにお願いします」

「手厳しい」

 振られたな。今更ながら、妻のことが脳裏によぎる。すまない。うじうじとする私を見かねたのか、チェーンソーの音が大きくなる。

「それ使わないとダメなのか?」

「うーん。そうですね」

「今なら自力で行けそうなんだが」

「皆さん、そういうんですけど上手くいったこと無いんですよね」

 鷹峰はチェーンソーを両手に持ち、斜め下に構える。回転する刃は地面スレスレだ。

「なぁ。その―――」

「ダラダラしたラストシーンは嫌いです」

 彼女は足を踏み出す。私は覚悟を決める。

「私も嫌いだな」

 鉛色の刃が月明かりで鈍く光る。

「映画、楽しかったです」

「私も、楽しかった」

 彼女が目の前に迫る。私は目を閉じる。胸に手を当て、心臓の高鳴りを感じる。チェーンソーの音がうるさい。ああ!うるさい!

 でも。響き渡る轟音でも。最後の声は聞こえた。

「さようなら」

 エンドロール明けに、もうワンシーンあるなら。さよならを告げたい。いや、さよならだけじゃない。もっと、映画を観て、話して。そして。

「足りないな」

 その声はチェーンソーでかき消された。さようならは言えなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

チェーンソーララバイ 羊木 @ram0902

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ