チェーンソーララバイ

羊木

エンドロールが長すぎる【前編】

 明かりが消え、微かに聞こえていた喋り声も自然と無くなる。聞こえるのは静寂、見えるのは暗闇。椅子に深く腰掛け、これから始まるひと時に胸を馳せる。目を閉じ、息を吐き、心を落ち着ける。映画を見る前に行うルーチンワークだ。胸に手を当てて、心臓の高鳴りを確認する。ゆっくりと目を開く。

 スクリーンに映像が映し出された。画面上では、男が息を切らしながら走っている。男の背後からは怒号と銃声が響く。何者かに追われているようだ。サスペンス映画らしいスリリングな始まりだ。さて、制作費用数億の大巨編作品。楽しませてもらおうか。


 ***


「……はぁ」

 背もたれに全体重をあずけて、もたれかかる。柔らかいクッションの感触が慰めてくれる。あんな駄作に期待したのが馬鹿だった。最悪ではないが、置いてきた作品というのか。無難で安直。つまらなくはないが、すぐに忘れてしまうだろう。

 まあいい。まだ一本目だ。とっとと次の作品に気持ちを切り替えよう。椅子に腰掛けたまま、次の作品を待つ。映画は終わった。他の観客は席を立ち、劇場から人が消える。もうじき、スタッフ来て残った観客の確認や清掃を行う。そのはずなのだが。

 隣に座っている少女は座ったままだった。とうにスタッフロールは終わり、観客は劇場を去ったというのに。不審に思いながら、横目でその姿を見る。

 綺麗としか言えなかった。

 背丈から、中学生ほどだと思われるが、その顔立ちは大人びている。白シャツにジーパン。赤いジャージを被っている。洒落っ気のない服だが、似合っている。結局、人間は顔がすべてなのだろうな。そう思わざるおえない。そんな容姿だ。

 まじまじと少女の姿を見つめる。さっき見た女優より、整った顔立ちだ。こうして、綺麗な人を凝視できるというのは透明である利点だな。

 そう思った瞬間だった。

「これ、外出た方がいいんですか?」

 少女は私に向かって話しかけてきた。透き通った、高い声だった。

「……ぁぐ」

 反射的に声が出るが、声帯が上手く震えず、変な潰れた音にしかならない。人に話しかけられるなんて、数年ぶりだったから当然だろう。

「私、こういうとこ初めて来たんで勝手が分かんないんですよ」

 潰れた嗚咽をあげる私を意に介さず、少女は続けて話す。だが、私が言葉を発するのに詰まっていると、何か納得したような表情を浮かべて頷く。

「なるほど。かなり長く居たみたいですね、ここに」

 少女はそれ以上何も言わずに、ただ私を見つめた。返事をしなくては。喉を抑えて、何とか声を出そうとする。

「……あが、つぅ」

 少女は何も顔に浮かべずに、ただ私を見る。透き通った白い肌に、優しい紅に染まる唇。ただ、その目は真っ暗で乾いている。死んだ目だ。笑うことも、見下げることもなく、まっすぐにその目で私を見る。

 ふぅ、と息を吐き、いったん、落ち着く。大丈夫だ。焦ることはない。ちゃんと、彼女は待ってくれている。……よし。

「見えるのか」

 声が出た。数年ぶりの自分の声は、見知らぬ誰かの声だった。

 少女は私の声を聞き、ゆっくりと頷く。そして―――

 ”ギュイィィィィィィン”

 突如、劇場にエンジン音が響き渡る。音の大きさに驚き、なぁ!?と変な声を上げてしまう。一方、少女は動じることもなく、事無げにを持ち上げつつ、立ち上がる。

「勝手に動いちゃったみたいですね。すみません、驚かせて」

 それはチェーンソーだった。赤いボディからギザギザな刃が無遠慮に飛び出している。大きさは私が両手を広げた程度だろうか。今も、ギュイインと駆動音を鳴らしながら、鋭利な刃を回転させている。無骨にして凶暴さの塊だった。

「ちょっと待ってくださいね。静かにします」

 響き渡る轟音の中、少女は右手でチェーンソーの側面についたレバーのようなものを引く。すると、刃の回転速度が少し落ち、ギュイインという甲高い音から、ドドドドという重低音に変わる。

「これ以上、音、小さくならないんです」

 チェーンソーを下に向けつつ、少女は言う。確かに音は小さくなったが、うるさいのに変わりはない。再び、私は声を失ってしまった。何故、こんなところにチェーンソーが? どこから取り出した? どうしてこの子が? 疑問が浮かんで、ぐるぐると巡る。

 少女は困惑する私を見下ろしながら、ぽつりと言う。

「で、ここから出た方がいいんですか?」

 映画館で二人。響き渡るチェーンソー。

「と、とりあえず、出ようか?」

 そう言うしかなかった。


 ***

「ぷはぁ」

 少女はゴクゴクゴクと勢いよくジュースを飲み干す。付いていたストローは不要とばかりに机に放り捨てられている。私と少女は映画館傍の喫茶店に来ていた。今も、チェーンソーは少女の足元で鳴っている。

 目の前に置かれたアイスコーヒーの氷が、カランと音を立てた。手はつけてない。

「飲まないんですか?」

 当たり前のように聞いてきた。

「飲めるのか?」

 私にとっては、当たり前では無かったので聞き返した。

「飲めるでしょ」

「いや、だが」

 顎をさすり、少し考える。今なら”飲める”―――いや、”触れられる”のか?

「どうやら、君は私が見えるようだが、そういう体質なのか。霊視のような」

「まぁそうですね。霊視っていうと専門家の人らに怒られそうなんですけど、とりまそれでいいです」

 少女はストローでカップに残った氷を退屈そうに弄ぶ。どうやら、少女には見えるのは当然のことで、私が幽霊だとは分かっているらしい。

「君には見えるのは分かった。だが、私が幽霊なのは変わらない。モノに触れられるのか?」

 死んでから人には何度か声を掛けたし、ドアや椅子にも触れようとした。なんの成果も得られなかったが。

「やってみれば分かりますよ」

 答えなど分かっている。少女の目はそう物語っていた。

 目の前に置かれたプラスチックカップに手を伸ばす。ゆっくりと、触れる。冷たい感触がする。いつもなら、通り抜けてしまうはずのその手は透明なカップによって止められてしまったのだ。そのまま、つかんで持ち上げる。

 私は驚く。一方、少女は窓の外を眺めていた。

 カップに口をつけ、コーヒーをすする。冷たさの後に苦みが来る。それだけで、深みも酸味も無い。安い100円コーヒーだ。通勤前の電車待ち、社内の休憩室。日課のように飲んでいた、あの味。あぁ、懐かしい。

「なんで、涙ぐんでるんですか?」

 言われてから、目じりに手を当てて気づく。この味は少女には当たり前なのだろう。

「分からん」

 ただ、私には当たり前では無かった。少女は疑問符を浮かべ、それ以上は何も言わない。


「どうして、触れられるようになったんだ?」

「うーん、これは難しい質問ですね。まぁ専門家じゃないんで、正確には言えないんですけど。素人なりに例え話でもしてみますか」

 こほん、と一呼吸置いて話し始める。

「とあるところに、いたずらっ子がいるとして、下駄箱に牛乳を入れる悪戯をしたとしましょう。でも、そのまま誰も下駄箱を開けられなかったら、どうなると思います?」

「そのまま、腐るんじゃないか?」

「あー、確かにそれもアリですね、想定外。じゃあ、質問を変えますか。下駄箱の中に牛乳があるってのは他の誰かは分かりますかね?そのまま放置されると」

「誰も開けないなら、そのいたずらっ子本人以外は分からんだろう。……シュレディンガーの猫か?」

「うーん、似たような話ではありますが、その解釈は専門家の人らがキレますね。この話で大事なのは牛乳ってとこなんです。ほら、最初に答えたじゃないですか」

「牛乳は腐る?」

「それです。腐ると臭いが周囲に漂います。ですから、開けなくても牛乳があるんじゃないか、という想像はできます。つまり、そういうことです」

 言い終えると、少女はさっき取ってきた映画のパンフを眺め出す。私との間に、静寂が生まれる。

「え? 話、終わり?」

「はい。付け加えるなら、”私があなたを見た”のと”下駄箱の牛乳を発見した”のが、まぁ大体一緒ってことです。概念的な意味で」

 パンフをパラパラとめくりながら、少女は答える。

「分かったような、分からんような」

「まぁ別に理解しなくても害はないですから」

 それより、と少女は手に持っていたパンフを見せてくる。それは今日見たあの駄作映画だった。

「映画、まともに見たの初なんですけど、どうなんですか?コレの評価」

 私に関する話より、映画の方が興味あるらしい。先ほどまでの死んだ目は多少マシになっていた。本当に多少だが。

「駄作だ。アクションは派手、俳優も粒ぞろいで演技もいい。だが、端的言えば時間の使い方が悪い。各々のシーンは印象的だが、まとまりがない。脈絡もなくキャラは裏切るし、せっかくの仇敵とのタッグもその動機が薄い。王道展開は嫌いではないが、雑にやるのは気に食わない。アクションに時間を割くなら、心理描写にシーンを割くべきでな。それと―――」

 私はありのままの感想をつらつらと述べる。ひとしきり聞き終えると、少女は静かに口を開く。

「まぁ分かりますけど、退屈はしませんでしたし。私は駄作とは言い切れませんね」

「それ、それなんだよな。見てる間は展開が早いから、飲まれるんだよ。その時は疑問点を流せるんだが、終わってみればってのがある」

「確かに指摘された点を思い返すと、矛盾というか無理があるというか。でも、あの仇敵の裏切りは分かる節ありますよ」

「え? どこが?」

「最初のシーンが最後のシーンの続きって考えると、あの人って主人公じゃなくて仇敵ですよね?」

「あっ、そういうことか。……あ、あああ!それだ!それで、あの冒頭のセリフ。そういうこと! いやでも、それはおかしくないか。だって―――」


 ***


 気づけば、カップに残っていた氷は全て溶けていた。窓からはオレンジ色の日差しが差し込んでいる。

「ふぅ」

 感想戦は踊りに踊った。今はお互いに語りつくし、小休止となっている。喉が渇いた。飲み物が欲しいが、店員に私は見えているのだろうか。分からない。それを質問する前に、少女は話し始めてしまった。

「あなたはいつもあの映画館にいるんですか?」

 私に興味を示すとは、無関心さが薄らいだのだろうか。その目に浮かぶ感情の色は薄いが。

「そうだな。死んでからは毎日空席に座って、一日中映画を見ている。私は見えないからな。勝手に見させて貰っている」

「飽きませんか?」

「そうでもない。そもそも、人と話せない、物に触れられない。そんな私ができるのは見るだけだからな。何より、映画は好きだ」

 今日、少女と話して再確認した。最近は退屈さを感じていたが、やはり私は映画が好きだ。自然と笑みが漏れる。

「楽しそうですね」

「ああ、楽しい。やはり映画はいい。それに死んでからは映画鑑賞に最高の日々だ。明日のことも、会社のことも、家族のことも。考えなくていい。目の前にある作品に集中できる。疲れも感じない」

 そうだ。いつも映画を見ている最中には脳裏にふとよぎってしまうあの雑念がない。生きている間のしがらみがない。思い返せば、最高の環境じゃないか。

 少女に目を向ける。少女の口は固く閉じられ、目はフラットだった。盛り上がる私とは反対に、少女の目は先ほどより冷めている気がした。

「明日も、います?」

 映画館の方を少女は指さす。

「あ、ああ。そのつもりだが。そうだ、個人的にもう一度見たい映画が明日あるんだ。一緒にどうだ」

 少女は眉を軽く上げ、興味を表す。あの無表情が崩れて、私は安堵していた。

「毎日見ているあなたのオススメなら、よいものなんでしょうね」

「保証する」

「では、また明日ですね」

「ああ、明日もよろしく」

 少女はゆっくり席を立ち、足元のチェーンソーを持つ。どこかに仕舞うことも、背負うこともせず、引きずって歩き出す。ガッ、ガッ、と刃が地面と擦れて火花が生まれる。

 私は席を立たず、それを見送る。なんとなくだが、動かない方がいい気がした。いや、動けないのか。私の居場所はここなのだろう。少女と話しながら帰りたい気持ちはあったが、不思議と足は動かなかった。

 ふと、少女に聞きそびれたことがあるのに気づく。

「君」

 少女は振り返る。黒い髪が翻る。仄暗い目が私を見る。

「何ですか」

「名前は?」

 少し、考えたそぶりを見せてから、少女は口を開く。

「鷹峰です」

「私は桧山だ」

「なるほど」

 何が”なるほど”なのか分からないが、少女は私の名前に頷いた。

「私からも、一つ質問があります」

「何だ」

「死んでからの第二の人生、楽しいですか?」

 少女―――鷹峰はあの無機質な目をした。だが、臆せず、断言する。

「ああ、楽しい」

「そうですか」

 鷹峰は口元に指を当て、思案するそぶりをする。そして言う。

「”今日”見た映画。よかったですよね」

 今日、という部分を強調して鷹峰は言う。

 最初は駄作だと思ったが、鷹峰とのやりとりでそんな想いは消えていた。そうだ。彼女がいたから今日は楽しかったんだ。感謝のような言葉を言おうとしたが、それは発されることなく、口の中で溶けてしまった。鷹峰はもういなかったからだ。

 私は一人。喫茶店に残される。明日が待ち遠しい。昨日までの日々が遠く感じた。チェーンソーの音はもう聞こえない。

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