第10話 修行一刀

 さて、夜も明ければ、お狐旅籠は山の中。

 次の町まではまだまだ遠く、山中で一休みしていたわけなのだが、その理由はミコトの修行にある。

 剣の修行をするというのであれば、どこぞの山の中の方が良いに決まっている。それもかなり空気が薄い。

 良い修行場であった。春先だというのに紅葉美しい此処は、永久紅葉の山と呼ばれている。

 江渡の中でも気温が低く、空気が薄いのである。


「本当に良いんですか? 女将さん的には」

「よいですよぅて。お客様の要望に応えるのもあてらのお仕事ですからねぇと」

「にひひー」


 シンラはそんなギョクの物言いににまにまと笑顔を作っている。


「こほん。他意などありませんよぅて」

「えぇ、本当かなぁ?」

「本当ですよぅて」

「まあ、そういうことにしておきましょう! 藪をつついて蛇を出す気はさらさらなし!」

「あらまあ、あてらは蛇やなくてお狐様ですよぅて。この意味、おわかりますよねぇ」

「もちろん、怒らせる気なし、ミコト君は感謝してますからね。ね」

「はい、ありがとうございます!」

「ふふ。良い御礼は気分もよくなりますよぅて。帰ってきたらいっとう美味いご飯食べさせてあげますからね」

「さあ、そういうわけでいきましょういきましょう」


 山登り日和の紅葉日和。

 此処はいつもそんな調子であるが、登り始めるとすぐに息が切れる。一歩前に進むにも難儀するミコトに対し、シンラの歩みは軽い。

 気功に加え、鍛えた心肺機能はこの山ですら地上と何ら変わらないということ。


「ミコト君にはこれくらいにはなってもらわないとね」

「はい、師匠」

「うんうん、師匠と呼ばれるのはおもばゆい。さあ、まずは登りましょう登りましょう」


 頂上にたどり着いたのは、朝から登って、もう夕暮れ時というほど。ギョクに持たされた握り飯を食べつつやってきたが、ここまでくるだけでもミコトは死にそうだった。

 何よりも厄介なのはこの山、空気が薄い。地上を百とすればここはせいぜい三十かそこら。あるいはもっと下だ。

 ただ呼吸をするにも難儀する上に、獣道は荒々しく、敷き詰められた紅葉が滑り歩くのに相当難儀するのである。

 意識を集中させねば、こけてしまう。そこに気をやれば、気功の方が疎かになり速度が出ない。

 かといって気功に意識をやれば足をとられる。酸素も薄く疲れやすい環境。その上で、刀を腰に差し、大荷物を背負わされてるとあれば死にそうになるのも理解できるだろう。


「休憩はこれまで。さあ、ミコト君いっくよー」

「ぜ、は、ぐ、ごぁ」

「うんうん、元気でよろしい!」


 いや、今にも陸地でおぼれそうになっている魚のような顔になっているミコトを見てどうしてそう言えるのか不思議でならない。

 ただ、それは必要なことなのだ。人は弱い。

 この世界は厳しい。戦乱の時代だ。大倭の巨人たる江渡の国の属国である東里であるからこそ平和に思えるが、他の大倭四十七国は今での覇権を握らんと戦争に明け暮れている。

 国一つ越えればそこは血みどろの戦時下である。西には魔王の兆しあり。魔族の侵攻がある。


 世界に化生が溢れ、魔物や魔獣が闊歩する。魑魅魍魎の類は決して珍しくなく、どこにでも出るし、夜盗や野伏なども多い。

 そんな世の中で人はあまりにもちっぽけである。だからこそ、疲れて死にそうになっているくらいなど幸せ以外の何者でもない。


 外的要因がないのであれば、それこそ死ぬ危険などこれっぽっちもないのだから。何より頼れる師匠を連れている。

 これならば死ぬことなどない。ならば死の一歩手前まで追い込め。人が最も成長するのはそこだ。


(ここで来ないならそこまでなんだけどね)


 シンラが振り返れば、死にそうになりながらも立ち上がるミコトの姿がある。


(うんうん、良いよね。女将さんが気に入るのもわかるというものです)


 ミコトは立ち上がった。彼には立ち上がる理由がある。自分が生きなければならない理由がある。

 一緒にこの世界に召喚された妹を迎えに行く。そのために生きるための強さがいる。

 だから、彼は諦めない。妹を見つけて己の居場所に帰るまで止まらない。そう目をしている。

 才能がなくてもきっと。


(そういう男の子は強くなる)


 ああ、それが楽しみだ。

 シンラは自然にそう思った。それは決して好意や純粋な期待ではない。紛れもなく斬り合いたいという剣豪の宿痾だ。

 かちゃりと腰でなるは八代妙月。まぎれもない劔の魔性が斬れと叫ぶ呪いの歌である。


「さあさあ、強くなっていただきましょうか! さあ、急ぐよー」

「ぐ、お、ぐぇ」


 何やら蛙が潰れたような声が聞こえるがまったく意に介さず、登りに昇って山頂まで駆け上がる。


「ぐ、ヴぉぇ……」


 もう吐いても胃の中のものは出てこない。すべて吐き出してしまっていた。ここに来るまでただ歩いてきただけだというのにもう満身創痍だ。

 それに時間もかかってすっかりと日も落ちてしまっている。


「あははー、すっかりとまー、暗くなってしまったけれど、ここからが本番だよー」


 ほいほいとシンラはミコトの荷物を奪っていく。刀一本。雲切道長のみ。


「ぐ、はぁ、あ、ああ」

「んじゃ、まずは見ててね」


 荷物を下ろしたシンラは八代妙月を抜き放つ。

 それだけでただでさえ肌を突き刺し、霜が木々を覆うほどの寒さが増したように感じた。

 肌を突き刺すは殺意の冷気。恐ろしいほどに磨き上げられた美しき刃は鏡のようにミコトの顔を写し出している。


 それをシンラは構え、一振りした。

 音が切れる。大気が切れる。

 それはただの振り下ろしだ。何か芸を仕込んだということもない。ただ振り上げて振り下ろした。

 どの流派にもあるであろう単純な技ともいえない当たり前の基本動作だ。剣を振り上げて振り下ろす。

 最も重要な基礎だった。


「……それ、は?」


 何とか呼吸を整え、うろ覚えの気功を見よう見まねで使って落ちついたミコトは、見せられたものの意図がわからない。

 ただの振り下ろしだ。


「これは、私が君に教える無象流のただ唯一の型」

「え、でも師匠はいくつも」


 落ち武者狩りのサタとの闘いでは何度もシンラは技を使っているのをミコトも見ている。


「うにゃ、まあそうなんだけどねぇ」


 シンラは言いにくそうに頭をかく。


「ええと説明します! はい、我が流派は無象といいます! この流派は基本的にさっきの斬り降ろししか教えないのです!」

「じゃあ、師匠が使ってた技って」

「そう、自分で作る。それが無象流。作った技は式という。私の場合は赫式。基本的に一人一つの式が出来上がるって言われてる」

「なるほど……って、それじゃあ!?」

「うん! キミは君の式を作らなくちゃいけない。才能次第。それが無象の剣なのです」


 栄えるも消えるも才と己の努力次第。

 その剣は無形にして、万の象形に通じる。

 それこそが無象。それこそが万象の剣。


「だから、ミコト君に教えられるのはこれだけ。それじゃあ、あとは頑張って。この山、天狗に認められないと降りられないから天狗と仲良くなってね」


 そういってシンラは荷物を抱えて山の中へ消えていった。


「え?」


 それを理解するのに数秒を有した。


「えええええええ!?」


 シンラの姿は影も形もなく、完全にミコトは険しい山の中に置き去りにされたのであった。


 ●


 山の麓で山頂を見上げるギョクの前にシンラが現れる。


「おや、おかえりですか? ミコト君は」

「置いてきた」

「はあ、置いて……置いて!?」


 シンラの言葉に思わず、彼女に詰め寄る。修行をするとは聞いたが、まさかこの山の中に、天狗がいる永久紅葉の山に置き去りにするなどとは一切予想していなかったのだ。


「正気ですか!? ここは、天狗の山ですよ!」


 ギョクにしては珍しく焦った上の剣幕だ。そりゃ焦る。あの弱い少年を肉食獣の檻の中に突っ込んで置き去りにしてきたようなものなのだから。


「正気も正気大真面目」

「ああ、これだから剣豪は大変ですよぅ! 早く探しに」

「駄目。これは彼の戦い」

「だからって、望んでいるわけでも」

「そう、ない。だけど、アレに選ばれたのならきっと強さがいる」

「アレって、雲切道長ですかぁ?」


 シンラは頷く。

 雲切道長。それはシンラが持ち歩いていた刀の一本。三代道長の一振り。

 それは紛れもなく名刀だ。しかして、今まで抜いた者が誰もいない気難しい刀であった。


 それが選んだというのであれば――。

 

「まったくもってそれはそれで難儀ですよぅて」


 あれは八代妙月とも違う魔性だ。

 紛れもなく妖刀だ。

 性質が善性なのがまた性質が悪い。アレは世間全般の妖刀と真逆に位置するだろう。

 故に、アレを持つということは平穏は望めない。


「というわけで頑張ってもらう必要があるわけです」

「ええ、ええ。納得はいたしましょう。されどもそれところとは話は別。そも師ならば陰ながら見るというのが当然でしょう」

「……」

「けれど、それをする気が今のところシンラ殿にはないご様子。はてさて、これはいったいどういうことでしょぅて」

「……まあ、私も余裕なんてものはないわけで。だから、頼みたい」

「まったく。貸しひとつですよぅ」

「恩に着る。この借りはいつか」

「いらへんよぅ。剣豪の借りはいつ返るかわからんて損。あてらは女将で武人やなし。武人の習いも剣豪の習いもそこは聞かぬ存ぜぬ。あてらはただ客商売するだけですよぅ」


 これもまた客商売。

 お客がどこか遠くへ行ってしまったまま戻らぬ言うなら探すが女将。

 そこに多分に女の情が隠れていたとしても良いだろう。ギョクとて人。恋も愛もある。

 如何に仏僧修行を積んだ身なれども還俗して今やただの女将だ。恋も愛も許されようて。


 だから、さっさと助けにいく。ギョクは影の中へ言葉を投げかけた。

 一つの気配が山へ登っていくのがシンラにもわかった。


「まあ、これで少しはなんともなるやろぅて。して、まだおありか?」

「お相手願いたく候」

「まあまあ――それがどういうことかわかっていってるんやろぅか」

「…………」


 後ろで刀を立てに一礼。

 仏僧に願う武人の礼。

 戦う意思なく、願い奉る。


「はぁ、まったく。剣豪はこれだから強情で嫌いですよぅ。そんなものに師事してミコト君がかわいそ」

「あっはっはーそこはまあ、それ。ミコト君の意思なんで」

「そこがほんと悔しいところ。まったく人が悪い」

「剣豪に人の好さなんて期待するだけ野暮でしょう」

「にゃー、まったくまったく」


 だから、ギョクの瞳鋭く。

 その手刀閃いて。


 とっさに抜き放つ紅鋼の色が剣花を散らす。


「ひとつ欠けて、あてらも少々自制が聞かないのですよぅ。死んでも文句、言わんでね」

「文句をつける口などなし。死んだらそこまでだったということ」

「そう。ほんに嫌いですよぅ」

「だから、弱い男が好きなんだ。臆病者」

「…………ほんと。剣豪は始末が悪い。どいつもこいつも。ああ、そんなにあてらの本気が見たいんなら……見せてやりましょねぇ」


 影が膨れ上がる。

 ギョクの気配が爆発する。


 八つの影がシンラを囲んだ――


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異世界に漂流したら、剣戟香る世界だった テイク @takekiguouren

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