第8話 寂唸剣忌

 さてさて、お狐旅籠は旅の旅籠。

 朝ともなればそこは別天地。

 東里の国境から女将の脚で一晩、喬雲きょううんの町。ここは巨大な湖、大洲湖を望む港街でもある。

 商い屋の町だから、何でもそろう。


「……なんで、拙がおまえなどと、です」

「いや、それは俺も聞きたい」


 ミコトと忍者しのびものでありネコと呼ばれる少女は、現在、シンラのため買い出しへと赴いていた。

 どうにもこの二人、といってもネコの方が非常にミコトを敵視しているためギョクの計らいで買い出しに行かされたのである。

 仲良くなってこいということだ。


「とりあえずさっさと終わらせよう」

「同意なのです」


 この一点については互いに同意している。

 買うものは単純。

 もしもの為の非常食と、刀を手入れするための油や布、打ち粉など。ついでに、名産の魚や貝の類でもあれば買ってきてほしいとギョクに頼まれている。


 そういうわけで、もろもろそういったものを主にネコの案内で買い付ける。


「おまえは物を知らなすぎなのです」

「いや、ここに来たばかりだからな」

「まだ子供の方がマシなのです」

「そうは言ってもな……」

「そもそも旅をしているのに武器の一つも持たないとはどういう了見なのです。あまつさえ主から借りるなど」


 彼女の言う通り、ミコトは今、その腰にシンラが持っていたもう一振り、雲切道長を佩いている。

 旅をしているのに武器もないのはありえないことだし、格好がつかないということで持たされたわけなのだが、こんなもの使えるはずもなくただのお飾りと化している。


「いきなり放り出されたし、そういうのとは遠いところにいたからな」

「まったく箱入りのぼんぼんとは。一体どこぞの田舎より出でたのやらです」

「だいぶ都会だったんだけどね」

「はいはい。田舎者はみんなそういうのです」

「……それで、買うものはこれで終わりだっけ」

「はい、終わったのです。おまえが持つのですよ」

「わかってるよ」


 別に男だから荷物を持つというものでもなく、単純に危ないからだ。ネコが持つと何かあった際に動けない。

 この辺りでは辻斬りも出るというし、油断をしていれば窃盗やらなんやらに行き合う。


 ネコが未然に防いでいるが、通りを歩くだけでも十数回はそういうものに出会っている。

 ミコトが気が付いていないだけで、彼は結構というか、かなり狙われやすい。そういう空気をしてるのだ。


(荒事から遠く、強そうに見えないのです。狙われて当然なのですよ。なんで主はこんなやつを……です。まさか、惚れたなどと言わない、です? ……そのときは……)


 などと考えているとき、ふいに気が付く。

 人が通りから消え失せていた。

 喧噪がない。あれほど賑わいを見せていた町の大通りは静まり返っている。


「……人が?」

「――おい、鼠、逃げるのです」

「は? いや、いきなり」

「いいから、さっさと逃げるのです!」


 突然の剣幕にわけがわからないが――ネコの視線の先を見てそれを理解する。

 そこに立っているのは一人の男。薬売りのように箱を背負い、腰に刀を佩いた男である。


 それが発する気は、素人のミコトですらわかる。全身が震える。手足がしびれる。歯がかちかちと鳴る。


「刀を寄越せ。貴様には分不相応だ」


 男はそういった。

 老境に至りながらも、その男が持つ気配は尋常ではない。


『はっはー! 見つかっちまったなぁ、惆天宮・彩艶壺畫のおいらならまだしも刹羅の爺に見つかったのは、ご愁傷様だぜ、こりゃ』


 木箱からそんな声が響く。


「あやかし器物……惆天宮・彩艶壺畫です、か……そんなものを連れた刹羅……なんてただ一人しかいないのです。おまえが……寂唸剣忌、ですか」

『そうだぜ、お嬢ちゃん。もう駄目だ、もう置いていくしかねえ。さあ、置いてけ置いてけ、そっちの兄ちゃんの腰にある――刀をよ』


 軽い調子で言うが、それは出来ないし何より――。


「……鼠、逃げるです。その刀は主のです。こいつにやっていいものじゃあ、ないです」

「で、でも――」

「いいから、行け!」

「っ!」


 言われるままに走る。


「逃がさん」


 寂唸剣忌が、刀を抜く。

 鞘鳴りは絶死の宣誓。

 抜刀一閃。

 放たれる剣戟が逃げるミコトの首へと迫る。


 ただ一歩。確かにあったはずの距離が殺された。ミコトに避けることなどできやしない。

 その首はただ一刀で落ちる。


「させない、です! こいつは鼠ですが、主のお気に入りなの、です!」


 忍の一刀がそれを受ける。


「……そうか。それもまた貴様には不相応だ」


 ならばと寂唸剣忌は相手を切り替えた。

 

「故に剣を寄越せ」


 天地を裂かんと剣が猛る。

 斬殺必定。

 刃に流れる内功が、数打ちを名刀へと押し上げている。


「断る、のです!」


 忍法が刀法・円明解明。

 回転させた遠心の力にて刀を振るう技法。腰を中心に筋肉、骨を駆動させ勁を伝導。

 発勁遠心加速にて寂唸剣忌の一撃を殺し刃を受ける。


「ぐ――」


 それでもその一刀は重い。重すぎる。彼が抱く狂気にも似た執念そのものが剣に載っている。

 しかして、剣銘は結ばれず。それはただの一刀にすぎぬ。


 寂唸剣忌。

 刀狩り。

 武林において、彼の名を知らぬものはいない。出会えば最後、狩られる。

 死神の名すらも生ぬるい剣の鬼だ。


「忍か。貴様」

「…………」

「語らずは、忍の法。忍の法は殺しの法。しかして、殺しを成すは我が剣凶の技のみで事足りる。貴様らには……分不相応だ」

「なにを――死ぬのはお前なのです」


 忍法が骨法。

 だらりと下げた腕。腰をひねり、脚を軸にて回転。

 銘を心にて結ぶ。

 心の下にて刃の名を結び表出すは忍の業――必死絶死。


 乱れ飛ぶ手裏剣苦無の荒波をこの男は、どう乗り越える。

 このようなものただ一人にはどうあがいたところで躱せるものでない。


「斬る。それだけで十分」


 だが、寂唸剣忌の答えはひとつ。

 そうただ一つ、刃を振るう。心とともにある刃など届かぬ。

 彼の剣内入った瞬間、その軌道が、当たるという因果すら切り伏せる。


「な――!?」


 何を驚く。これが剣豪。斬れぬものなどありはしない。

 昼の天頂に剣豪星が何よりも輝く。

 それなるは破軍星。

 剣先一寸。数多の剣豪があこがれる剣凶の星なりや――。



「ヤバい。ヤバいヤバいヤバい! 何だあれは!」


 逃げていた。

 ミコトにはそれ以外にできることなどありはしなかった。地獄の底からきた幽鬼のような男。

 血の臭いがこびりついたあの男を前にしてしまえば、誰であろうとも正気でいられるはずがない。


 そういう争いのない世界から来たミコトからすれば、あんなものをいつまでも視界になどいれたくないのは当然のことだった。

 なによりも恐ろしい。こわい。恐怖が、全てを支配していた。


 それでも置いてきたネコのことが気になったが、助けを呼びに行くのだという免罪符で走ることはやめない。やめることが出来ない。

 足がすくんで、本能が勝手に逃げろと叫んでいる。あとはもう箍が外れてしまっている。

 漏らさなかっただけマシといえよう。


「た、すけ、ネコさんが!」


 肺が破裂しそうで、心臓が爆発しそうなほどに走って、お狐旅籠に飛び込んだ。

 倒れるようにそれだけを叫ぶ。声になったのかはわからないが、一陣の風が通り抜ける。


 飛び出したのはシンラ。

 火気が疾走の後を追う。火炎道が町の通りを縦断する。


「にゃーにゃー、あとはシンラ殿とあてらにお任せですよぅ。ミコト君は、安心してよいですよぅて」


 静かに怒気を猛らせながら、ギョクがシンラを追う。


「……俺は……」


 ミコトはそれを見送ることしかできなかった。

 また、なにも出来ない。

 また――。


 火気をまといシンラは疾走する。

 ああ、ネコなど忍だ。死ぬこともあるだろう。そういうものだ。そのあとは、また代わりの忍がシンラに付くことになる。


 だからこそ――


「私のものを奪わせなんてしないよ」


 空に輝く破軍を見る。


「行くよ、八代妙月!」


 天へ輝く熒惑星。

 シンラを示す剣豪星が、天頂の空にて輝きを増してゆく。

 剣豪星の邂逅まであとわずか。


 ●


「フッ――」


 苦無全てを打ち落とされた。

 手裏剣全てを叩き落された。


 ネコは認識する。

 目の前の相手、寂唸剣忌が噂に違わぬ実力者であるということを。その実力は己を超えているということを。


 であれば、どうするか。

 決まっている。


「斬るのみ」


 主の教え。

 大殿の薫陶は、いまも魂に焼き付いているのだから。


「無象流・朧式」


 ならばこそここに開帳しよう。

 己が至った極致。

 万象よりいずる無象の朧。

 それこそが己だけの理。


「そうか。貴様。バンショウの――よかろう。無用の長物であるが、貴様の式を見せてみろ」

「おまえにはもう何も語る必要などないの、です」

「フッ――剣凶が寂唸剣忌 紅・刹羅……いざ、参れ」

「否、斬るのみ、です」


 ネコが疾走する。

 走法を駆使し、地を滑るかのようにかけるネコ。振るわれるは逆手持ちの忍刀。

 対するセツラは剣を下げる。


 脱力した剣凶の型。

 それは最速の見切りの防御陣。


「ただ幻惑のままに斬られて死ね、です」


 剣銘を結び、技と成す。

 無象流・朧式――月下開花。

 花開くは幻の華。


 剣が描く軌跡は円。

 腰を起点とした回転運動を重ね、回り抉る。

 横回転の薙ぎ絶技。


 されど、剣を極めた剣の凶に挑むには足りぬ。

 剣を凶事と断ずるが故に、剣凶の剣士はその有用性を余さず知っている。ただ一目見れば、その術理をひも解くなど絶やすい。


 返し技。

 放たれるは縦の円。縁を切る、剣凶の剣銘が結ばれる。

 軽功にて体ごとの大回転。


 鳴る錚々の金音。

 高々と響き渡る剣華の鈴音。

 激と散る火花は鉄火の証。


「まだ、です」


 弾かれた。その技の重さに下へと押さえつけられるが、好都合。

 朧式は、変幻自在にして存在しない剣。霞が如く相手の力で動く軽い忍者の剣だ。

 己の肉体だけでなく、相手の力が加わった今こそが、その真骨頂。


 体ごと地へと落ちるに逆らわず、むしろ頭を下げ――


「朧式が足刀――鎌継世継!」


 回転とともに放たれるは足刀。

 骨法にて肉内に収納した忍刀が足より出でて遠心を加速させる。殺傷力は、見たままに。


『おーおー、すげーすげー。忍ってのは何でもありか』

「黙っていろ」


 自らの剣の重みと遠心が加わり、ネコの技は鋭さが増している。

 だが、足りないとばかりにセツラはそれを弾く。

 一呼吸、一気伝播。

 勁が巡れば、それ即ち強靭。


 腰を落とし、剣を水平に押せば、それだけで気功が剛力にて鎌継世継を弾く。


「む――」


 そこからさらに加速する剣が下より来る。

 弾かた力をさらに利用しての回転逆転。

 技が接続され放たれる連撃。


「重さが増す、か」


 それすらも弾けば、さらに重さが増して次が来る。

 まるで風に揺れる柳が如く、霞でも切っているかのようだ。


「まだまだ、です!」


 ネコがその身に仕込んだ刃の深奥はこんなものではない。

 宙を舞う武芸者二人。

 風の如く舞い放たれるネコの斬火に、セツラの身を廻る気功が剛力を与え、放つ。


「ならば斬ればいいだけのこと」


 加速するネコの刃に合わせ、それを切断する。


「く――」

「それもだ、寄越せ――剣凶・彩媛無月」


 雫が落ちるが如く。

 あまりにも緩やかに振るわれた刃が、落下とともネコへと迫る。

 この程度ならば防げる。

 己が命たる剣を前にセツラの剣を受けた。その瞬間、彼の剣が霧散した。

 それこそは気でもって形成した剣のごときものに過ぎぬ。

 ならば刃はどこに――


「上!」


 間一髪、脳天へと剣が突き刺さる前にその刃を弾くことに成功する。


「ほう、それを躱すか。だが惜しいな」


 既にセツラは間合いの打ちだ。

 剣凶には手刀の技もあるのだ。


「剣凶・手打三刀」


 放たれる三手手刀。

 翻り、風音なれば、散るは血華に命花。


 手足に収納された刃が断たれる。それ即ち、彼女の手足を断ったということに等しい。


「ぐ、ぁ――」


 だが、まだ。

 これしきでは、忍の法は終わらない。


「させんよ」

「き――」


 腹が裂かれ、内より出される爆薬忍具。


「忍方とはいくらか戦っている。貴様らには分不相応だ――む」


 甲高い劔の慟哭が響く。


「ある、じ……」

「生きてるわね。なら、止血しておきなさい。こいつは、私がやる」

「ほう……無象の娘か」

「……」

「そうか、貴様もこちらの流儀か」

「全ては剣で聞く。それが、教えなれば」

「然らば」

「参る!」


 剣豪、邂逅す。


 言葉など要らず。

 ただ、技のみで以て語らん。

 それこそが剣豪の習い。


 此処に、戦が始まる。

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